大阪の万博会場に残されていた「太陽の塔」の修復が終わり、公開された、というニュースが入って来ました。
1970年に大阪府吹田市で開催された日本万国博覧会(EXPO’70・大阪万博)の会場に、芸術家の岡本太郎が制作した建造物で、岡本太郎の代表作の1つであり、また最大級の遺品でもあります。大阪万博のテーマ館のシンボルとして建造され、万博終了後、千里万博記念公園と名を変えた、同会場に残されています。
塔の高さ約70m、基底部の直径約20m、腕の長さ約25m。未来を表す上部の黄金の顔(直径10.6m、目の直径2m)、現在を表す正面胴体部の太陽の顔(直径約12m)、過去を表す背面に描かれた黒い太陽(直径約8m)の3つの顔を持っています。
万博終了後に取り壊される予定でしたが、地元から撤去反対の署名運動があり、施設処理委員会が1975年に永久保存を決めました。しかしその後は老朽化の進行による維持費が増大し、存続が危ぶまれていました。
とはいえ、残された太陽の塔はもはや大阪城や通天閣に並ぶ大阪のシンボルとなっており、「永久保存」が決められた以上、取り壊すわけにもいきません。
内部の保存状態は日増しに悪くなっていましたが、せめて外観だけでもきれいにしようと、
1994年には、万博開催25周年記念の目玉として、表面の汚れを落とすなどの大規模改修が行われました。
2007年になり、ようやく保存のための予算がつきました。2010年の40周年事業へ向けて、内部・外部の改修・補強が行われ、40周年記念式典のあと、さらに内部公開に向けた動きが加速。2016年10月からは、公開に向けた耐震補強・内部復元工事が実施されました。そして、つい先だっての3月はじめに竣工。19日よりの再公開に漕ぎ着けました。
太陽の塔は、丹下健三が設計した「お祭り広場」中央に、広場を覆う銀色のトラスで構築された大屋根から塔の上半分がつき出す形で建てられました。岡本は大屋根の下に万博のテーマを紹介する展示プロデューサーに就任していましたが、なぜか就任以前からテーマである「人類の進歩と調和」に反発。
そして、先に設計が完成していた大屋根の模型を見るなり「70mだな」と呟き、穴の空いた大屋根から顔を出すという、まるで主テーマの「調和」の言葉をあざわらうかのような、奇抜な塔を設計しました。
太陽の塔が建つ「お祭り広場」を設計した丹下健三は当然反発しましたが、岡本は「頭を下げあって馴れ合うだけの調和なんて卑しい」と反論。大喧嘩した末に大屋根に穴を開けさせ太陽の塔を建てることを認めさせた、というような話も残っているようです。
丹下健三は、この当時から建築界の重鎮であり、彼の権力を考えれば太陽の塔を白紙にすることは簡単でした。しかし、万博全体として見れば目玉である太陽の塔はあったほうが良いのでは、と考えなおしたのでしょう。結局、白紙にはしなかったようです。
万博が開催されていた当時、観客は太陽の塔の「過去」の展示部分であるテーマ館の地下部分から、透明のトンネル状の通路を通って太陽の塔内に進入しました。しかし、万博終了後この通路は撤去され、通路跡はコンクリートでふさがれています。
実はこの空間にも、太陽の塔の外側にある三つの顔に続く「第4の顔」といわれる太陽が設置されていました。「地底の太陽(太古の太陽)」という呼称で、岡本のコンセプトでは「人間の祈りや心の源を表す」ものでした。
直径3m、全長11mという巨大なものでしたが、万博終了後に行方が分からなくなりました。内部の生命の樹同様、万博終了後この地下空間も閉鎖されましたが、1993年に最後にその姿が確認されて以来、さまざまな処理のドサクサで行方不明となってしまった、とされます。
現在も手がかりとなる情報はなく、引き続き情報提供が呼びかけられていますが、こんな大きなものを誰が盗むのでしょう。森友問題ではありませんが、そのうち記録文書などが出てきて、ありかがわかるに違いありません。
大阪府としては、今年の太陽の塔の内部を常時公開に先立ち、この「第4の顔」も目玉にしたいと考えました。生命の樹の復元もさることながら、この復元も試みますが、やはり予算の関係から実物大の復元は困難と考え、縮小10分の1の模型を製作することにしました。
発泡スチロールを強化プラスチックでコーティングし、現物と同様に金色に塗装する、というもので、復元には生命の樹の縮尺模型や太陽の塔などのフィギュア制作を担当した海洋堂が協力。元の図面は残っていないので、写真や関係者の聞き込みを元に制作した原型を3Dスキャンし拡大、美術評論家の意見を交え微調整して制作されました。
ちなみにこの模型は、さらに小さくした1/43スケールの大きさで、海洋堂から1万円ほどで売りに出されているようです。ご興味のある方は、「海洋堂」「地底の太陽」で検索して見てください。
耐震は大丈夫?
さて、太陽の塔は、岡本太郎芸術の集大成ともいえるものでしたが、その複雑かつ独特な形から、当初は70mの建築にした時に耐震基準を満たせるのか、そもそも立つのかも分からない、とその実現が疑問視されたようです。このため、建築士のプロジェクトチームが立ち上げられ、彼の制作した雛形を厚さ1cmの輪切りにして詳細計算をしたといいます。
ところが、その後1995年の阪神淡路大震災などの大地震を経験したわが国では建築基準法が見直されました。2010年の40周年事業のときも、太陽の塔はその内部が再公開される予定となっていましたが、このときの耐震診断の結果、改定された建築基準法上の耐震基準を満たしていないことがわかりました。
とくに、上半身や腕が特に危険という結果が出たため、結局2010年の再公開は見送られました。翌2011年度に、改めて耐震補強工事の設計が行われるところとなり、早ければ2012年度に着工して再公開を実施する方針と報じられました。ところが、今度は太陽の塔を管理していた日本万国博覧会記念機構が、2013年度に解散してしまいました。
その管理はその後大阪府に移行されますが、そのための事務手続きや多額になる耐震改修費用などの確保のために時間がかかり、さらにその後構造上の理由で工事費が高騰したことから、工事業者の入札が不調に終わるなどしてたびたびの延期を見ました。
ようやく、2016年になって、大阪府は内部公開に向けての耐震化工事の予算を確保。2016年度分と2017年度分で合わせて約17億円を計上。2016年10月末より始まった耐震・内部修復工事の末、2018年初頭に公開のめどがたちました。
太陽の塔の内部にある「生命の樹」はその当時、内部はエスカレーター、もしくは展望エレベーター(国賓専用)で一階から上層部まで、登りながら見学することができました。
この修復工事では耐震性を上げるため壁を20cm厚くし、重量のあるこのエスカレーターを階段に付け替えるなどしました。万博当時は強制的に5分で最上部まで登ることができたエスカレーターでしたが、逆に階段にした事によりゆっくりと鑑賞する事ができるようになりました。
ただ、その関係で、内部が少し狭くなり、その他の安全性を考慮し、当時292体あった生物模型は183体になったそうです。うち、153体は新規に制作し、29体を修復したといい、新規制作された模型の一部はディテールが向上しているといいます。
ただ、生命の樹上部のゴリラのみは経年を表すため頭がもげ、内部機構が出た状態で展示されているほか、展示されている生物を紹介するパネルは当時のものを使用しているそうです。
単細胞生物から人類が誕生するまでを、下から順に「原生類時代」、「三葉虫時代」、「魚類時代」、「両生類時代」、「爬虫類時代」、「哺乳類時代」にわけて、その年代ごとに代表的な生物の模型によって表しています。
当時「生命の樹」の枝に取り付けられていた、292体の模型のうちの一部は電子制御装置により動いていたそうで、そのデザインはウルトラマンの造形で知られる成田亨が岡本太郎の原案を元に制作した。また、これらの模型は円谷プロが製作を行いました。
サーバーダウン
「太陽の塔」(大阪府吹田市)の内部が3月19日から公開されるのを前に、入館予約の一般受け付けがインターネットで始まりました。ところが、先日、受け付け用オフィシャルサイトのサーバーがダウンし、アクセスできない状況となりました。
府によると、原因は専用ホームページへのアクセス集中によるもので、復旧のめどはたっていないといいます。私もさきほどアクセスしてみましたが、まったくページを見ることができない状態です。
もしページを見ることができれば、「太陽の塔オフィシャルサイト」というページから申し込み、先着順で4カ月先まで予約できるはずだそうです。入館時間は午前10時~午後5時で、30分ごとに80人ずつ、一日最大1120人の予定だとか。内部の見学料は高校生以上700円、小中学生300円。
太陽の塔オフィシャルサイトのアドレスは、http://taiyounotou-expo70.jp/
ただ、こうしたことを書くと、さらにアクセスが集中するかもしれません。しばらく待っていただいたほうが良いでしょう。
ニフレル
上のとおり、太陽の塔の入場予約はめどが立っていないようです。しかし、太陽の塔に入れなくても、そのすぐそばに新しい施設が開園しているので、こちらを楽しんでみてはどうでしょう。
NIFREL(ニフレル)といい、同じ千里万博公園内に2015年に11月に開園した博物館です。水族館を主体として動物園や美術館を融合させた博物館であり、複合商業施設「EXPOCITY」に属する施設の一つです。大阪府大阪市港区天保山にある水族館、「海遊館」が展示内容のプロデュースをしています。
「生きているミュージアム」との呼び名を持つ施設であり、「感性にふれる」をコンセプトに、従来の水族館、動物園、美術館を合体させた施設のようです。
従来のこれらジャンルの枠を超えて、アートの要素もふんだんに取り入れたアトラクションで、子どもから大人まで楽しめるように数々の工夫が凝らされています。水族館でよく飼育されている魚類や水辺の生物に限らず、哺乳類や鳥類も飼育している点などが斬新で、名称のNIFRELは、コンセプトの「感性にふれる」から採用したといいます。
館内は7つのゾーンで構成され、いずれのゾーンにも、生き物たちの特徴や特性を知るための「謎かけ」があるのだとか。飼育する生物の特徴や性格を俳句で表現した「生きもの五七五」といった細工もあるそうで、こうした工夫はこれまではなく、斬新です。
オープン1周年直前の2016年11月には、入場者数200万人を記録したといいますから、年間入場者数1000万人のユニバーサル・スタジオ・ジャパンには及ばないものの、その他の施設も含めて考えると、万博記念公園全体としてはかなり集客力が高いのではないでしょうか。
そのうち、太陽の塔も予約なしで入れるようになるに違いありません。
ゴールデンウィークは千里万博記念公園で決まり!ですね。