タイムアフタータイム

もうすぐ4月です。今年もまた新しい年度が始まります。

日本では、暦年とは別に、特定の目的のために1年間の区切りを決めており、これが年度です。

学校の年度は学校年度、会社経営に係わる年度は事業年度、といいますが、日本では国家予算の会計の年度である会計年度を基本として、4月がこの年度の始まりとしています。これに合わせて学校年度や多くの企業の事業年度のスタートも4月になっています。

しかし、ヨーロッパ、中国、韓国では1月はじまりであり、アメリカなどの北米は10月です。つまり年度はそれぞれの国の都合で決めているのであり、日本の場合、明治17(1884)年に4月初めの会計年度の導入が決定され、2年後に実施されました。

明治22年(1889年)には法制化され、市制および町村制の施行に合わせて同年4月より市町村で実施、翌年5月より道府県も実施、後に都も実施されて現在に至っています。

このように時間の始まりというものは都合に合わせて人が決めるものですが、時間の長さや時間の速さといったものもまた人が定義したものにすぎません。

太古において、人は現在我々が「時」と呼んでいるものを「何かの変化」といった漠然とした感覚で受け止めていました。しかし、それが何かの変化なのか、ということははっきりと認識していなかったようです。

時間という概念はあまりにもとらえがたく、このため比喩を用いて“流れ”と表現しました。人にとって川の流れは理解しやすく、時間の変化を川の流れに例えたわけです。

古来、人間は、とらえどころのない対象については比喩を用いて表現してきました。しかし、比喩というのは、そもそも異なるもの同士を結びつけて使うものです。まったく性質は違うものの、わかりやすいものを例えとして使うことで、物事はわかりやすくなります。

つまり、時間は流れではなく、時間は本来流れでもありません。では時間とはいったい何なのでしょうか?人間が実際に体験し、感じている時間はどのようなものなのでしょう。そもそも、過去や未来というのは実在するのでしょうか?そして変化するものが何一つない場合でも、時間はあるのでしょうか。




こうした疑問に対する答えを出すためにいろいろ思考を重ねていく中で、古代ギリシアの哲学者らは、時間を円のように回り続けるイメージで捉えるということを思いつきました。

時間を円と考えれば、それに始まりや終わりがあるかないかという面倒な議論が避けられます。正しいかどうかは別として、これでひとまず時間というものの定義がなされました。

似たような考え方を古代マヤ文明やインド文明の人々もしていたようです。その後、かなり時代が下って、10世紀ころになっても時間の考え方に対する定まった考え方はまだありませんでした。このころ文明的にも最も進んでいたゲルマン人の間でもまだ円環的な時間意識が支配的でした。

ゲルマン人の始祖が形成した社会を古ゲルマン世界とよびます。彼らの生活の中には現在のような直線時間意識はなく、「timi(時)」と言うとき、これは正確な時間の長さを示すものではなく、季節の重なりといった漠然とした時間の経過を意味していました。

また「ar(年)」というのも、毎年繰り返される収穫の意味であり、それが延々と繰り返されることが時間なのだと考えていました。

これは、このころの人々の生活の根底に農業があったためです。まず農業をもとにした人間と自然の関係があり、それが人間の意識や行動を規定していました。毎年春になると種を撒き、夏になると育て、秋になると収穫して、冬はそれを蓄えるとうルーチンワークを単に繰り返しているという感覚が彼らの時間でした。

こうした円環的な時間意識のもとにおいて、死者は現生とつながっていました。人は死後冥界に入るものの、冥界とこの世は交流可能な世界であり、死者は現世とつながりつつ冥界で生きることも可能と考えられていました。つまり、冥界と現世は並行して存在していました。

その後11~12世紀ころにキリスト教が広まると、この宗教が人々の時間感覚に影響を及ぼすようになっていきます。

人は死ねば煉獄、あるいは天国か地獄へ行く、というのがキリスト教的な考え方です。煉獄とは、天国にも行けない、地獄にも墜ちなかった人の行く中間的なところで、苦罰によって罪を清められた後、天国に入るとされていました。

いずれ場合も最後の審判によってその行先が決まりますが、こうした考え方によって、人々の間に終末に向かって進んでゆく時間の変化が意識されるようになりました。

キリスト教的な時間観において決定的なことは、神の子イエス・キリストの受肉によるこの世への来訪とその死、そして復活という点です。歴史においてただ一回のみなされたとされるこの行為を、キリスト教信者たちは、神または超越的な存在よりなされたと考えました。

そして、これを常人が通常では知りえない知識・認識が開示されたものと考え「啓示」と呼びました。こうした神の啓示は反復されない、一度限りの決定的な出来事であり、彼らの心のよりどころとなりました。

また、キリストの十字架による贖い(あがない)によって、人々の罪による咎(とが)や束縛も許され、それから解放されるとされました。そして死後にあっては神の引き立てによって永遠の命が与えられるという「救済」の思想が導入されました。

こうしたキリスト教の思想は古ゲルマン人が考えたこの世とあの世を行き来するという円環的な時間的感覚とは全く異なるものです。死後、神の擁護のもとにあちらの世界で生きるということは、死ねば現生との絆が断たれてしまうということです。そして、それは神を目指してひとつの方向に進む直線的な時間観といえます。




人はただ1度だけ生きて死ぬ、という考え方はやがてヨーロッパを中心に広まり、経済の基礎をなす商人たちの時間意識にも影響を及ぼしはじめました。

キリスト教を知った彼らは、初めて時間が直線的なものだという概念を知り、そこから商売を行うにあたっては、費用と日数(day)を計算することを思いつきます。これを使って莫大な利益を得るようになり、こうして時間は商人たちにとっての「経済的な道具」となっていきました。

やがて多くの国や地域における商人がこの考え方を踏襲するようになり、より細かい銭勘定をするため、年 (year)、月 (month)、週 (week)、といった概念も生まれました。これを基に人々の生活が規定されるようになると、時間は経済的な道具だけでなく、さらに「社会的・政治的支配の道具」にもなっていきました。

時間を社会支配のために使った指導者たちは、このうちの「年」を主に農耕活動の定着や知的活動の高まりのために使いました。作物の種を撒き育てる「時」を知ることは大きな収穫をもたらします。また年ごとに収穫を増やしていくという知恵が社会を豊かにする、ということを人々が知ったのちは、「年」の概念は古今東西で広く用いられるようになりました。

ただ、「週」は、ごくごく近代になるまで万国共通とは言えない状態でした。例えば日本では、平安期に「週」の考え方が伝わりはしたものの実際には用いられず、生活周期としても日々の意識としても定着しませんでした。

江戸時代の日付の計算も当月は何日あるかがわかればよく、借金の返済や質草の質流れの締めも大抵は29日か30日でした。七曜は煩わしくて不必要とされ日常生活で用いられませんでした。現在のように曜日を基準として日常生活が営まれるようになったのは、明治初頭に明治政府が国策として西洋各国にならってグレゴリオ暦を導入してからのことです。

何日かをひとまとまりとして見なす文化・制度としては、ほかにも5曜制、6曜制があり、10日、90日もあります。7日をひとまとまりと見なす7曜制の文化はバビロニアが起源だとも言われており、これをユダヤ人が取り入れ、ユダヤ教文化からキリスト教文化へと継承され、同文化が広まった結果定着しました。

しかし、キリスト教と敵対していた政権は7曜制を廃止しており、たとえばフランスやロシアでは10日や5日を週とする制度を定めた時期もありました。現在は世界中で七曜制のグレゴリア歴が用いられていますが、サウジアラビアでは2016年に7曜制が導入されるまではヒジュラ暦という主にイスラム教社会で使われている暦法が公式の暦でした。

やがて機械式時計が制作されるようになると、天体とは切り離された人工的な時間概念が意識されるようになりました。世界で初めての機械式時計は、1656年にオランダの物理学者クリスティアーン・ホイヘンスによって発明された振り子時計だと思われます。

大航海時代に入り、天測航法によって現在位置を知るためには、揺れる船内に長時間放置しても狂わない正確な時計が必要となりました。1735年にイギリス人の時計職人のジョン・ハリソンは揺れや温度変化に影響されない高精度な時計クロノメーターを創り出しました。

また、1827年には、スイスの時計職人、アブラアム=ルイ・ブレゲが、フランス王妃マリー・アントワネットの要請で一つの斬新な時計を製作しました。この時計には自動巻き、永久カレンダー、リピーターなどの最新技術が採用されていました。

これによって、時計の進歩は200年早まったとされ、以後、機械式時計は、精度や携帯性が追及されるとともに年々安価になり、人々の間に浸透していきました。こうして、時 (hour)、分 (minute)、秒 (second)といったより細かい時間区分が認識されるようになっていきます。

その後も時計は、より短周期で振動するものを使って精度を上げていきましたが、比較的最近の革新技術としては水晶を用いたクオーツ時計があります。現在では原子の発する電磁波の周波数でさらに精密に時間を計測できるようになり、これは原子時計と呼ばれています。

現代の国際単位系では、1967年以降、時間の基本単位としての「秒(s)」をこの原子時計によって定義しています。セシウム133という元素の振動周波数によって決定され、世界的に統一されたものとして社会生活や産業活動で最もよく使われる時間単位です。



このように、今や時間は物理的な性質まで利用した高度に正確なものとして管理されており、我々もそれで計られた時間の中、規則正しい毎日を送るようになっています。

かつての人々の生活はもっと原始的なもので、一日は夜の闇の中で始まり、やがて夜明けを迎え、昼を迎え、最後に夕暮れを迎える、といったアバウトなものでした。しかし今や秒単位、時にはそれ以下の非常にきめ細かい時間の中で人々は生きていくようになっています。

こうした直線的に進む時間はいくらでも細かく分割できます。物理学的にはこの最小時間間隔をプランク時間と呼び、これは真空中において光が「1プランク長」に等しい距離を通過するのに必要な時間です。

プランク長とは、ビッグバンが起きてから世界の終わりまでの長さのことで、従って1プランク長は、終末の宇宙の大きさです。宇宙の大きさはほぼ無限大ですから、プランク時間は無限大分の1の時間ということになります。

現代科学において今やこうした微細な時間の定義はビックバン以後の宇宙の広がりやスピードを規定する尺度として不可欠なものになっていますが、一方ではまた時間そのものが従来我々が定義していた通りのものではない、ということもわかってきました。

かつて、ニュートンは我々の周囲で流れる日常的な時間の流れは、運動の観察を通じて得られる見かけ上のものとし、これを相対的時間と呼びました。人間が知覚できるのは相対時間だけで、それは月や太陽など知覚可能な物体の運動を観察することと同じであって、我々は物体が動くのを見て時間の経過を知っているにすぎない、という考え方です。

これに対して、時間は知覚するものではなく、いかなる観察者とも無関係に存在するという考え方があり、ニュートンはこれを「絶対時間」と呼びました。見かけ上の時間の流れにすぎない相対時間に対して、この絶対時間は数理的に扱う理論的な時間といえます。

そして、絶対時間は宇宙のいかなる場所でも一定の早さで進んでいくとニュートンは考えましたが、これに異を唱えたのがアルベルト・アインシュタインです。



アインシュタインが発表した特殊相対性理論によれば光の速度はどの慣性系に対しても一定です。慣性系とは、ニュートンが示した運動の第一法則「すべての物体は、外部から力を加えられない限り、静止している物体は静止状態を続け、運動している物体は等速直線運動を続ける」という法則が成立する世界のことです。

例えば静止している人が動いている電車の中の人の動きを目で追っている場合は慣性系の世界にいることになります。

光の速度は不変の原理があるため、ある慣性系と別の慣性系の光の速度は同じでなければなりません。この動いている電車が飛行機や宇宙船になった場合でもこうした目に見える動き、つまり光の速度は一定だとするのがアインシュタインの主張であり、これを「光速度不変の原理」と呼びます。

ところが、ある慣性系から見て空間上の異なる地点で同時に起きた事象は、異なる慣性系から見ると同時に起きてはいません。例えば、飛んでいる宇宙船から瞬いている一つの星を見た時と速度の違う別の宇宙船から同じ星を見た時は、その瞬き具合が違います。

これを「同時性の崩れ」といい、「見えている時間が異なる」ということは、光の速度が変わっていることになります。これを「光速度不変の原理」に基づき、光の速度が同じである、と仮定して補正してやるとすると、宇宙船から見る星の瞬きの時間と地球から見る星の瞬きの時間はずれていなければなりません。

つまり、結果としては、同時に存在している二つの空間において流れる時間が異なっている、ということになります。

一般相対性理論ではまた、2人の観察者がいるとき、互いの相対的な速度差により、または重力場に対して異なる状態にあることによって、2人が測定した経過時間に差が出るとされています。重力場が異なる空間というのは、例えば、宇宙空間と地球上でありこの二つの場所では時間の進み方が異なるということになります。

こうした時空の性質の結果として、観測者に対して相対的に動いている時計は、観測者自身の基準系内で静止している時計よりも進み方が遅く観測されます。また、観察者よりも強い重力場の影響を受けている時計も、観察者自身の時計より遅く観測されます。

このような時間の遅れは、二つある同じ原子時計の片方一つだけを宇宙飛行に送った場合の原子時計の時間のわずかなずれや、スペースシャトルに搭載された時計が地球上の基準時計よりもわずかに遅い、といったことなどから実際に証明されています。

また、GPS衛星やガリレオ衛星の時計が、地上のものより早く動くようになっていることがわかっており、さらに東京スカイツリーの展望台に置かれた光格子時計が地上のそれよりわずかに進んでいる事も確認されています。

つまり、時間の流れはどこでも同じである、というニュートンの理論や、とかくそう考えがちな我々の考え方は間違っている、ということになります。アインシュタインの特殊相対性理論の発表以降、人類の時間に関する考え方は根本的に変わってしまいました。



こうした時間に関する概念が崩された結果、最近では量子力学が物理学の主流となってきています。これは一般相対性理論と共に現代物理学の根幹を成す理論であり、主として分子や原子、あるいはそれを構成する電子など、微視的な物理現象を説明する力学です。

この量子力学の中では最近、時間が木のように枝分かれするという時間観も研究されています。「多世界解釈」もこの分岐時間の考えに基づいた説で、分岐後は複数の異なる世界が同時進行するとされます。これは平たくいえばいわゆるパラレルワールドというやつです。

現在の宇宙は主に正物質である陽子や電子などで構成されており、これはビッグバンによって正物質と反物質がほぼ同数出現し相互に反応してほとんどの物質が消滅した結果とされています。

しかし、反陽子や陽電子などの反物質の存在が微量ですが確認されており、この不均衡は反応前に正物質と反物質との間で微妙な量のゆらぎがあったことに起因するとされています。正物質の方がわずかに多かったと考えられており、反応後に生き残った正物質が宇宙を凌駕するところとなり、現宇宙のほぼ全ての天体が正物質で構成されているという説です。

そしてビッグバンの過程においては、こうした正物質で作られた宇宙以外にも他の宇宙が無数に泡のごとく生じたのではないかとされ、これがパラレルワールドです。

ということは、他の並行宇宙では、逆に反物質のみから構成される世界が存在するかもしれないということです。つまり、そこは我々の世界とは真逆の姿形をした世界であって、さらにそんな正逆の世界が泡のごとく無数にあるということになります。

他に正物質の世界があるとして、そこでの時間の流れは我々のものとは違う場合もありえます。否やそうした世界が無限にあるとすれば、我々の時間解釈と同じ世界もありうるわけです。その世界の歴史は我々が培ってきたそれとすべて同じものであるかもしれません。

量子力学の発展からはさらに宇宙に時間は存在せず、時間とはあくまで人類の感覚としての幻想だと主張する学者もいます。また、時間そのものを測定する方法なども実はなく、物体の状態の変化の速度を時間の経過と捉えているにすぎないとする研究者もいます。

時間がないということは、因果律や連続性があるように感じるのは人間の錯覚ということになります。因果律が存在しない以上、たとえ「過去」を改変したとしても、以降の歴史には影響がありません。従ってタイムパラドックスも生じません。

実は時間が存在しないという考え方は仏教にもあります。仏教における時間理解は基本的に現在指向です。仏陀(ブッダ)は、そもそも前世も来世も説いていません。仏教は輪廻転生を肯定していますが、転生が計測される同一時間軸の上に起こるものとはしていません。

この世の現実存在(森羅万象)はすべて、すがたも本質も常に流動変化するものであり、一瞬といえども存在は同一性を保持することができないとしており、これは「諸行無常」という言葉で表されます。しかし、その流動変化の中に時間という尺度はありません。

なぜならば、すべての存在は極分化された一瞬にのみ存在し、瞬間毎に消滅するからです。瞬時に消えるものは時間で測ることはできません。これを「刹那滅」といい、良く使う「刹那」はここからきています。転生も計測される時間の外にあります。生死も一瞬の中で始まり終わっているために時間とは無縁というわけです。

ローマ帝国時代の哲学者アウグスティヌスも創造以前には時間はなかったと言っています。時間そのものは神によって造られたもので、人の心の働きにすぎないとしています。過ぎ去るものは何もなく、全体が現在にあるだけだとも述べ、時間という概念を否定していました。

もし、現代人が時間という概念を捨て去ったら、この世の中はどうなるでしょう。仕事の締め切りもなくなるし、学校へ行く時間もばらばらで、いつ帰ってもいい。食事や入浴もいつでもできる、やりたいほうだい、という世界はまるでパラダイスのように思えます。

その一方で、仕事は滞り、製造業ではいつまでたっても物ができあがりません。銭湯へ行ってもどのくらい入っているのかわからず、気が付いたら一週間が経っていたなんてこともあるかもしれません。一番困るのは自分や人が何歳かがわからないことであり、結婚した相手が、実は50歳も年上だったなんてこともありそうです。

現代人にとってやはり、それなりに時間というものは大切なものに違いありません。

古代ローマの詩人、ホラティウスは、カルペ・ディエム(Carpe diem)という句を残しています。直訳では「その日を摘め」ですが、「今日という一日を大切に」とも訳せます。

「今という時をよく味わいなさい」という意味とも解釈でき、改めて時間というものとのつきあい方を考えさせられます。時間はこれを意識し、味わい楽しむべきものです。

新年度を迎え、仕事や学業で忙しさも増すと思います。そんなときこそ、過ぎていく時間を意識してみてはどうでしょう。時は無限ではありません。今という時を大切に生きていきましょう。