城山へ登ってきました ~旧大仁町(伊豆の国市)

別荘地から城山をのぞむ

最近、ほぼ一年ぶりにジョギングを再開しました。昨年の今頃は引越し前の大騒ぎで、ジョギングどころではなく、毎日引っ越し荷物の整理と廃棄物の処理をしていたような気がします。

一年ぶりということで、体がなまっていないかなと思いましたが、最初の一二日ほどはやや筋肉痛が残ったものの、その後は順調でほぼ前と同じ程度の調子で走れるようになりました。

早朝五時半!くらいには起き出し、だいたい30分ほどをかけて、別荘地内を走るのですが、高台にあるだけに、随所で富士山や天城山、田方平野の絶景が見える場所があり、こういう風景に出会ったときは最高の気分です。

こんな早い時間帯にもかかわらず、健康のためか散歩をされている方や犬に散歩をさせている方も多く、それぞれみなさん「おはようございます」と声をかけてくださるのは気持ちのよいもの。

ただ、この別荘地にはご高齢の方も多く、私以外にジョギングをされている方はほとんどいないのがちょっと寂しい感じもします。自分でさえ既に50才を超えているのに、別荘地内では最年少のような錯覚を覚えるのは気のせいでしょうか。

11月に入って上天気の日も多く、最近はこうしたジョギングだけでなく、暑い夏の間は控えていた外出をすることも多くなってきました。先々週には念願だった「城山(じょうやま)」(342m)に登山し、ここからさらに尾根づたいに葛城山(452m)の山頂までトレッキングしてきました。

城山は、その昔の火山の名残で、地下にあったマグマが地上に出て冷え固まり、浸食によって地表に現れることでできた「岩頸(がんけい)」と呼ばれる地形で、別名「溶岩ドーム」ともいいます。すぐ麓には狩野川が流れ、垂直に立ちあがった岩肌はかなり周囲の景観から際立っていて、その特徴的な姿から、この辺のシンボル的存在となっています。

駿豆線の大仁駅から歩いて、そうですね、20分ほどぐらいでしょうか、狩野川大橋を渡ってすぐのところにその登山口があります。

その切りたった岸壁がロッククライミングのスポットになっているほか、狩野川の脇から山頂まで登山道が整備されていることから、これにチャレンジするロッククライマーや一般登山客が多く、このため、登山道の入口付近には乗用車20台ほどを止められる駐車場もあります(無料)。

私もここにクルマを止め、城山山頂をめざしましたが、土曜日の早朝(朝8時ごろ)ということもあり、一般の登山客は一人もいませんでした。ただ、ロッククライミングを楽しむ方々が早くもクルマで乗り付けていて、ナンバーをみると品川や横浜と都内や神奈川から来られる方が多いようでした。

登山道は一本道ですが、途中から頂上へ上る道と、ロッククライミングのための取り付けポイントへ向かう道のふたつに分かれます。私が行ったときには、3人一組の男性グループがちょうどこのポイントに向かっているのを目にしました。

頂上へは健脚の人でなくても、だいたい30~40分くらいで登れるでしょう。辿り着いた城山山頂には畳三畳分ほどの展望台が設けられています。といってもベンチやパーゴラがあるわけではなく、大きな石の間を整地してコンクリートで平らにしてあるだけです。

ここからの展望は東から南にかけての眺めがよく、眼下に狩野川から南の天城山のほうまでの東方約180度を望むことができます。その北側には富士山を望むことができることはできますが、やや樹木が密度濃く茂っていて、その姿が少し見えにくいのが難点です。

城山山頂から大仁方面をのぞむ

この城山には、南北朝時代(1336~1392)に畠山国清という武将によって造られた「金山城」というお城があったそうです。畠山国清は、足利尊氏に従って鎌倉幕府討幕に加わったあと、畿内の和泉、と紀伊の守護になった人ですが、足利政権の執事(管領)と仲違いして中央を追われ、伊豆へ逃げこみました。

そしてこの地で一旗揚げて中央と対抗しようとしますが、地元伊豆の武士たちからも嫌われ、総スカンを食らい、逆に攻め滅ぼされてしまった、という、あわれといえばあわれな武将です。

私がみたところ、その金山城の跡らしいものは頂上付近には見受けられませんでしたが、他の山中には堀切や土塁の跡が残っているそうです。頂上付近はこの当時見張台として使用されていたそうで、その後戦国時代にも北条早雲の後北条氏がここを城として使用したということです。

城山山頂から天城山方面をのぞむ

私もそうですが、ハイカーの中にはここからさらに西北側にそびえる葛城山を目指し、さらにその西側の発端丈山(ほったんじょうやま)(410m)に登り、その直下の駿河湾に抜ける長距離ルートを歩く人も多いようです。

登山道はよく整備されていて、城山~葛城山~発端丈山間は、それほどヘビーな登山靴を履いていなくても大丈夫です。軽登山靴で十分でしょう。私はこの当日かなり軽装で、履いていた靴はジョギングシューズでしたが、靴表が柔らかいので後半は足先が痛くなりました。登山道が良いとはいえ、私のマネはしないほうがいいと思います。

道案内の看板も主要分岐点などには立てられています。が、案内の表示がわかりにくい箇所が何ヶ所かあったと思うので、現地で出くわした分岐では地図としっかりとにらめっこして先へ進むことをお勧めします。

城山から葛城山までは快適な尾根道が続きます。途中、富士山がよくみえる絶景ポイントが何ヶ所かあります。ずっと登りではなく、いったん下り、一度ふもとから来る林道沿いに進む区間がありますが、この区間からの富士山はなかなかの眺めです。

この林道の途中からさらに葛城山山頂を目指しますが、これは結構急坂で、頂上へ着くころにはたいがいの人が大汗をかくことでしょう。

城山から葛城山山頂までの行程ですが、だいたい一時間半くらいと考えればいいと思います。健脚の人なら一時間で行けるかも。私は写真を撮りとり行きましたので、二時間弱かかりました。

葛城山には、ちょうど去年の今頃に登ったことがあり、このときにもブログで紹介したような記憶があります。山頂部一帯が、「伊豆の国パノラマパーク」という公園になっていて、山の北側の麓から山頂まではロープウェイが運行されています。

山頂からの富士山や天城山の眺めは絶景です。ふもとから見てもわかるとおり、周囲にはその視界を妨げるような高い山は全くみあたらず、非常によく目立つ山塊です。頂上付近には茶屋やお土産物屋さん、簡単なアスレチックなども置かれており、伊豆長岡テレビ中継局も設置されていて、このための大きなアンテナが立っています。

パラグライダーのためのテイクオフポイントも設けられているそうで、これがどこにあるのか確認しませんでしたが、そういえば少し前、葛城山の北側で気持ちよさそうに泳いでいるパラグライダーを確認しました。

この葛城山も昔は火山でした。といっても、城山のような陸上の火山ではなく、海底火山だったようで、およそ1千万〜200万年前に、噴火した海底火山がその噴出物とともに隆起してできた山だそうで、伊豆半島でも3番目に古い地質なのだそうです。

その昔、フィリピン海プレートに乗っかっていた伊豆半島が、本州側のプレートの衝突したときにぶつかって隆起したのが葛城山で、その後浸食が進んで、葛城山やその西北に連なる発端丈山などをはじめとする静浦山地ができました。

山頂にある「パノラマパーク」内には平安時代よりその名が確認されている葛城神社や、鎌倉時代より置かれていたと言われる地蔵尊などがあり、葛城山は古くから人々に信仰されていた山のようです。

今年の7月ころに書いた「伊豆の王国」という記事の中で、その昔この伊豆半島の中央部には「葛城氏」とう豪族の長を王にいただく、「伊都の国」という王国があったらしいということを書きました。

その都は葛城山の東側にある、田京(伊豆の国市大仁田京)という場所にあったのではないかといわれており、この一帯は、古くから伊豆における政治・文化の重要な場所であったのではないかという説があるのです。

古事記には、「御眞津日子詞惠志泥(みまつひこかえしね)の命(みこと)、葛城の掖上(わきがみ)宮に坐(ま)しまして、天の下治(し)らしましき。」という記述があるそうで、これに出てくる「葛城」とは「葛城山」のことではないかという人もいます。

「掖上宮」というのは宮城のことだそうで、この説をもとにすると「御眞津日子詞惠志泥命」という「伊豆の王」がかつて葛城という場所に住んでおり、この「葛城」こそが葛城山だとすると、古くは葛城山の山頂にその「伊豆の王」の何等かの拠点があり、その宮城は田京にあったのではないか、と解釈できるというのです。

その「拠点」とは何だったのだかはわかりませんが、もしかしたらピラミッドや大きな古墳のようなものだったのかもしれません。だとすると葛城山はその昔の大きな古墳跡なのでしょうか???

伊豆半島の中央部には桂川、狩野(賀茂)川、田京、御門、葛城山、長岡、賀茂郡など、京都や奈良にあるのと同じ地名がたくさんあります。この地名もこのころ、畿内からやってきた京都や奈良のお公家さんが伊豆王国を建設したときの名残と考えると、なかなか楽しくなります。

しかも、この伊豆王国は、かつての邪馬台国に匹敵するような王国ではなかったかという説もあり、そういうふうに考えるとますますワクワクしてきます。

葛城山山頂から沼津方面をのぞむ

さて、この日の葛城山の山頂は、そんなことは全く知らない観光客さんばかりであふれておりました。こちらは汗をかきかき、どろどろで登ってきたのですが、頂上にはハイヒールを履いて愛犬連れで登ってこられるような人も大勢いて、自分とのギャップを感じてしまいました。閑静な山道からいきなり大勢の人で賑わう山頂に出たせいもあります。

この日頂上からの富士山の眺めは絶好でした。みなさんも機会あれば行ってみてください。これからの季節はおすすめです。

帰路は、頂上から一気に下るだけなので楽でした。が、途中の分岐で案内表示を勘違いしてしまい、一本道を間違えてしまいました。誤って駿河湾側に降りる発端丈山のルートに入ってしまったのですが、途中で気づいて引き返すことができました。

城山まで降りてきたとき、その岸壁に張り付いている若者二人を目撃しました。おそろしい眺めです。人間技ではありません。どうしてあんなところをしかもあんな細いロープを頼りに登れるのでしょうか……

今回の登山では発端丈山へは登りませんでしたが、次回、今度はこちらにもアプローチし、「沼津アルプス」と呼ばれている登山ルートにもチャレンジしてみたいと思います。機会あらばまたそのレポートなども掲載しましょう。

スポーツの秋です。みなさんもこぞって山登りにチャレンジしてみてください。