祝!5周年


今日は、2月14日ということでバレンタインデーなのですが、我々夫婦二人にとっても特別の日です。そう、5年前の今日、入籍をした結婚記念日でもあるのです。

実際の結婚式はその4か月後に厳島神社で挙げているので、今日が結婚記念日本番というかんじでもないのですが、やはり節目ということで、それなりのお祝いはしようと思っており、今日は腕をふるってご馳走でも作ろうかな、と考えているところです。

今日を入籍記念日に選んだのは無論、この日がバレンタインデーだからであり、たまたま時期的にもちょうどそのころ籍を入れようかなと思っていたためなのですが、実際のところはその詳しい意味も知らずになんとなくこの日にした、というのが本音です。

他のブログなどでもそのエピソードはいろいろ紹介されているでしょうから、あえてここでその起源について詳しくは書きませんが、「バレンタイン」という言葉の語源となったローマのキリスト教司祭、「ウァレンティヌス」はローマ帝国の皇帝が禁止していた結婚禁止令に反して、兵士を結婚させたかどで処刑されたとされています。

ローマ帝国皇帝は、愛する人を故郷に残した兵士がいると士気が下がるという理由でこの禁止令を出したそうですが、この法を犯したウァレンティヌスは、古代ローマの結婚を司るか女神の「ユノ」を祀る「ルペルカリア祭」の前日である2月14日をあえて選んで処刑されました。祭りに捧げる生贄として処刑されたという説もあるようです。

このウァレンティヌスという人物が本当にいたのかどうか、というところもいろいろ取沙汰されているようですが、ともかくもキリスト教の聖人がローマ帝国から迫害された日ということで、キリスト教徒にとってはこの日を祭日とするようになり、その後長い時間を経て恋人たちの日となったというのが一般論です。

現在でもヨーロッパを中心として恋人たちの愛の誓いの日とされていて、世界各地でこの風習を受け入れている国がありますが、そもそもヨーロッパなどではこの日は、男性も女性も、花やケーキ、カードなど様々な贈り物を、恋人や親しい人に贈ることがある日である、ということはご存知の方も多いでしょう。

贈り物の種類はさまざまですが、その中にチョコレートも贈る習慣ができたのは、19世紀後半のイギリスの菓子会社、キャドバリー社が1868年に美しい絵のついた贈答用のチョコレートボックスを発売し、これと前後してハート型のバレンタインキャンディボックスも発売したのがはじまりです。

このキャンディボックスは結構人気を呼び、やがてバレンタインデーの恋人などへの贈り物に多く使われるようになり、後に他の地域にこの風習が伝わっていったということですが、英語圏では固形チョコレートの一種のことを「キャンディ」として扱うこともあることから、この製品のことを「キャンディボックス」と表記したようです。

日本でバレンタインデーにチョコレートを贈る風習は、1958年ころから流行しはじめ、最初は戦前に来日した外国人によって一部行われ、戦後まもなく流通業界や製菓業界によって販売促進のために普及が試みられましたがあまり定着しませんでした。

現在のようにこの時期の「風物詩」として日本社会に定着しはじめたのは、1970年代後半のことであり、もともとのヨーロッパでは男性も女性もお互いに贈るという風習であったものが、日本では主として女性が男性に贈呈するという様式が成立したのもこのころのことのようです。

以後、毎年のようにデパートや百貨店、最近では普通のスーパーマーケットでも繰り返される販売合戦をみると、ああ今年もそういう季節か……と思うのですが、菓子メーカーの戦略に毎年踊らされているような気分にさせるこの風習に対し、何やら諦念のようなものを覚えるのは私だけでしょうか……

とはいえ、ここであえてこの風習に異論を唱える元気がないのは、私自身もチョコレートが大好きな口のためでしょう。

会社勤めをしていたころは、その日が来るまでには別に欲しいとも思わなかったものが、当日になると女性の同僚たちから大量の「義理チョコ」をいただき、これを持ち帰って酒のつまみにしているとき、まんざらでもないような気になったものです。

別に女性に囲まれハーレム状態になっているわけでもなく、そうした気持ちになるのはやはりこの「贈答品」がそもそもは女性が男性に愛情の告白としての象徴であることを知っているからにほかなりません。悲しい男性の性、妄想にすぎないのですが……

まあそのよしあしはともかく、自分で買って食べる「自己チョコ」よりも人にもらって食べるチョコのほうがおいしいのには間違いなく、その後会社勤めを辞め毎年貰えるチョコの数が減ったというよりも、タエさんだけになったのは少々寂しい気分なのは確か。

が、今年もそのありがたい贈答品をいただけるのでしょう。神様仏様タエコさまと唱えながらありがたくいただくことにしましょう(あとが怖いけれども……)。

さてこのチョコレートですが、その歴史は古く、紀元前2000年ごろから主に中央アメリカにおいて栽培されていたカカオがその起源のようです。アメリカ先住民族の間で嗜好品や薬用として珍重され、貨幣として使用する地方もあったそうですが、食べ方というよりもこの当時は飲み物だったようです。

その飲み方というのも当初はコーンミールやトウガラシを入れるのが普通だったということで、雑穀米で造ったおじやみたいなものでした。

その後、カカオ豆がヨーロッパに伝えられると、このおじやは次第に現在のチョコレートに近づいていきます。

カカオは1492年にクリストファー・コロンブスによってヨーロッパへと紹介されます。1492年というと日本では室町時代のことで、このころからその後の戦国時代の有力武将たちが次々と生まれている時期です。

ヨーロッパでは、アステカ帝国などの中央アメリカ諸王国を滅ぼしてこの地方を支配したスペイン人が大躍進していた時代で、ココアはこのスペイン人の間でその形を変え、人気のある食べ物になっていきます。そして彼らを通じ、次第にヨーロッパ大陸全土にも浸透していきました。

この過程で、スペイン人はチョコレートの苦味を打ち消すためにトウガラシの代わりに砂糖を入れるようになり、この調法が他のヨーロッパの国々に伝わる際も引き継がれました。当初、チョコレートは薬として扱われていたようですが、砂糖を入れることによってかなり風味が変わるため、その後徐々に嗜好品へと姿を変えていきました。

17世紀中ごろにはイギリスに到達し、そのころ隆盛したコーヒー・ハウスにおいてもさかんに供され、このころまでにもまだチョコレートは飲み物でしたが、18世紀までにはヨーロッパの王侯貴族や富裕層にとって贅沢な飲み物として受け入れられるようになります。

19世紀の初頭にもまだチョコレートは飲み物でしたが、その後次々と技術革新が起こります。

まず、1828年(文政11年)にはオランダでココアパウダーとココアバターを分離する製法が確立され、さらにカカオにアルカリ処理を行うことで苦味を和らげる方法も考案されます。現在でも「ホットココア」として飲まれているココアがこれにあたります。

続いて1847年(弘化3年)にイギリスではじめて、固形チョコレートが発明され、続いて1875年(明治8年)にはスイスでミルクチョコレートが開発されました。日本では幕末から明治にかけての時代であり、こうしてみると現代のチョコレートの原型が発明されたのはそう古くない時代であることがわかります。

さらに1879年(明治12年)には同じスイスで「コンチェ」と呼ばれる機械が発明され、これによりそれまでのチョコレートの舌触りがざらざらしていのに対し、より滑らかな口当たりのものへと劇的に変化するようになりました。

これは、このコンチェによってチョコレートの製造の際にココアバターを撹拌士して均一に行き渡らせることができるようになったためであり、これによりチョコレートの粒子を滑らかにしたり、摩擦熱およびその放出によりチョコレート独特の風味を出したりすることができるようになりました。

これらの一連の発明は「チョコレートの4大技術革命」とも呼ばれ、これらの新技術によってカカオ豆の利用法は、飲み物のココアから、固形チョコレートが主流になっていきました。

19世紀後半までには、ヨーロッパでのチョコレート製造は、家族的な小企業や職人による生産から大企業による工場での大量生産へと発展していきます。このころ生まれたチョコレート製造会社には、スイスのネスレ社、リンツ社、カイエ社やイギリスのキャドバリー社、ロウントリー社、アメリカのハーシー社などの大チョコレート企業があります。

やがて安定して大量生産された規格品チョコレートの供給によりチョコレートの価格は下がり、一般市民が気軽に楽しめる菓子となっていき、一方ではベルギーやフランスなどを中心に「ショコラティエ」なるチョコレート専門の職人も現れるようになり、高級チョコレートが流通するようになりました。

一説によれば、日本人で初めてチョコレートを口にしたのは、伊達政宗の命により慶長遣欧使節団を率いてヨーロッパまで渡航し、ローマでは貴族に列せられた支倉常長だそうです。

1617年(元和3年)、当時はヌエバ・エスパーニャと呼ばれていたメキシコにヨーロッパからの帰路に立ち寄った支倉常長はその際、ビスケット・パン・コーヒー・金平糖・キャラメルなどの菓子とともに、薬用としてのチョコレートを味わったといわれています。

その後、江戸時代にも18世紀の長崎の遊女がオランダ人からチョコレートを貰ったという記録があるそうで、オランダ人から貰った品目リストの中に「しょくらとを」の記述がみられるということです。固形チョコレートがヨーロッパで発明されたのが1847年(弘化3年)のことですから、時代的にも辻褄があいます。

さらに明治に入ってからは、1873年(明治6年)に岩倉使節団がフランス訪問中にチョコレート工場を見学し記録を残し、次のように書き残しているそうです。

「銀紙に包み、表に石版の彩画などを張りて其(それ)美を為す。極上品の菓子なり。此の菓子は人の血液に滋養を与え、精神を補う効あり」

こうして日本にも輸入もののチョコレートが流通するようになりましたが、日本初の国産チョコレートは、今も老舗の菓子屋として残る「風月堂」の総本店の主、5代目大住喜右衛門が、当時の番頭である米津松蔵に横浜で技術を学ばせ、1878年(明治11年)に両国で発売したものだそうです。

新聞に掲載した日本初のチョコレートの広告には「貯古齢糖」の字が当てられていたといい、このころ既に現在の読みの「チョコレート」に近い発音をしていたことがわかります。

ところで、この風月堂ですが、この菓子屋は初代の小倉喜右衛門(後に改姓して大住喜右衛門)が大阪より江戸に下り、1751年(寛延4年)に江戸・京橋鈴木町に開いた「大坂屋」が起源です。

初代には子供がなく姪を養女に迎えましたが、どういういきさがあったのかわかりませんが、その後この養女の「恂(じゅん)」は、その後唐津藩主の「水野忠光」の側室となり、この二人の間に生まれたのが、なんと後の老中の「水野忠邦」だそうです。

しかしやがて忠光が亡くなり、出戻りとなった恂が夫として迎えたのが2代目喜右衛門だそうで、水野忠邦にとってはこの2代目が義理の息子に当たるというわけで、大坂屋はその後忠邦をはじめとする諸大名に気に入られ、時の老中の松平定信から「風月堂清白」という5文字の屋号を賜ることとなり、これが現在の「風月堂」となりました。

このとき「大坂屋」の名前を継承するために「大」の字だけを残して「小倉」という姓も「大住」へと改名し、現在まで継承されているということです。

風月堂は現在、上野に本社がありますが、この2代目大住喜右衛門が「風月堂総本店」を開業したのは京橋南伝馬町だったということです。

その後、カカオ豆から製品までのすべての行程を一社で担う「一貫生産」を初めて行ったのが、現代でも日本の最大の菓子メーカーのひとつである「森永製菓」です。1918年(大正7年)からのことだそうで、こうしてチョコレートは高級品から庶民の菓子となっていき、1920年代から30年代にかけて日本人の間に急速に普及していきました。

この当時のチョコレート菓子はまだ、いわゆる「チョコボール」と呼ばれる丸玉チョコであり、ほかにも「棒チョコ」といった形状が一般的だったそうです。

ところで、この森永製菓の創業者の森永太一郎という人は、なんと現総理大臣の安倍晋三さんのご婦人、昭恵さんの曽祖父にあたるそうです。

1865年(慶応元年)に佐賀県伊万里市で生まれで、生家は陶磁器の積み出し港として栄えた伊万里で一番の陶器問屋であり、伊万里湾の漁業権を握る網元でしたが、父の代には家勢も衰え、父が病死すると財産は人手に渡り、母は再婚。

親類の家を転々とする幼少時代を過ごしますが、やがて商人だった伯父の山崎文左衛門に引き取られ、商人の心構えを教え込まれます。横浜の陶器問屋で数年を過ごしたのちなんとアメリカでの焼き物の販売を目論み、一念発起で渡米!

しかしその販売は失敗に終わり、一度は日本に帰国することになりましたが、その後夢をあきらめきれずに再び渡米し、この時学んで帰ったのが菓子作りの技術だったそうで、このときすでに35歳でした。

帰国後1899年(明治32年)に現在の森永製菓の前身となる「森永西洋菓子製造所」を東京赤坂に設立し、当初は主にマシュマロを製造していたようですが、後にキャラメルを主力製品とするようになります。チョコレートを販売するようになったのは森永太一郎氏が53歳のときのことで、この商品のヒットにより、現在の「大森永」の礎が築かれました。

成功後の晩年はキリスト教の教えを説きながら全国をめぐる日々を過ごしたそうですが、その背景には二度目の渡米の際の苦労があるようです。

再度の渡米でも商売は思うようにはいかず、やけになっていた太一郎氏が酒をあおって、公園のベンチに寝ころがっていたとき、目に飛び込んできたのがキャラメルの包み紙だったそうです。これを見てはっと気が付いた彼は、雇ってくれる菓子工場を探してかけずり回ったといいます。

しかし、日本人をやとってくれるところはなかなかみつからず、生きていくためしかたなく農園やホテル、邸宅などを転々として力仕事をするなか、めぐりあったのがひとつのキリスト教会でした。

そしてその教会に通いながら熱心なキリスト教信者になっていった太一郎氏の願いが神に通じたのか、ついにキャンディー工場に働くことができるようになりました。パンやケーキの作り方を身につけたい一心から、昼も夜も働き続けましたが、白人の職人からはひどい差別を受けたといいます。

そしてその苦労が結実したのが現在の森永製菓というわけです。

その後の日本には、明治製菓などのライバル会社もでき、戦後は進駐軍が大量のチョコレートを日本に持ち込んだこともあって、今やチョコレートは日本人にとってはなくてはならないと言ってもよいほどの嗜好品になりました。

嗜好品とはいえ、質量あたりの熱量が大きく携行が容易であることから、固形チョコレートは軍隊のレーションに同封されたりしました。進駐軍が日本に駐留していたころに、「ギブミー・チョコレート」の子供たちの要請に応じて、アメリカ軍の兵士たちが配っていたのがこうしたチョコレートです。

カロリーや栄養価が高いわりには軽量でコンパクトなため、現在でも登山などの際の非常食として携帯されたりします。カロリーの面だけでなく、非常の際に甘味や含まれている「テオブロミン」という生分が心身の安らぎをもたらすという意味合いも大きいといいます。

テオブロミンの含有量はカカオ分99%のチョコレート100gあたり1100mgも含まれているそうなので、イライラしているときにはチョコレートを食べるといいのかもしれません。

一方では、チョコレートを食べるとニキビができるというお話もあるようですが、これは迷信ではないかといわれており、科学的根拠はないそうです。ただ、脂肪分を40%と多く含むことやカフェインのほかに「チラミン」と呼ばれる物質が含まれていて、このチラミンは、血管性浮腫を引き起こす刺激物だそうです。

血管性浮腫とは、じんま疹や赤みやかゆみみのことで、チラミンにより血管の収縮が起こるためにこうした症状が出ることがあります。

一方ではその効果が切れると急激に血管が拡張するため、食べ過ぎると鼻の粘膜が腫れて鼻血が出るという話もあることはあるようです。同様のメカニズムで収縮のあとの急激な脳血管の拡張により片頭痛が起こることがあるそうなので、チョコレートが好きな方の中には案外と頭痛持ちが多いのかもしれません。

また、「チョコレートアレルギー」というのもあります。これもチラミンが原因の「カカオアレルギー」であり、チョコレートがたくさん入っている食品には「食物アレルギー」の可能性があることを示す表示を行う義務があるそうです。

もっともミルクやピーナッツもアレルギー食品なので、これらが入った「ピーナッツ入りミルクチョコレート」を食べてアレルギーになった人が本当にチョコレートが原因でその症状を引き起こしているかどうかはわからないみたいですが。

なお、チョコレートの原料のカカオにはニッケルも含まれているため、これに対してアレルギー体質を持つ人も症状が出るようです。その症状は、下痢、嘔吐、鼻血、腹痛、痙攣など様々であり、アナフィラキシーショックを起こして死亡した例も日本では報告されているそうです。

ただし、カカオアレルギーとニッケルアレルギーは別のものであり、チョコレートを食べてアレルギーを起こす人が必ずしもニッケルアレルギーを有するというわけではないそうです。

ちなみに、イヌやネコ、鳥類などヒト以外のほとんどの動物はチョコレートを食べると中毒を起こします。これは、チョコレートやココアなどに含まれるテオブロミンを代謝できないことが原因で、死に至ることもあるそうです。人間にとっては気分を和らげてくれる薬用成分も、イヌネコでは劇薬になるわけです。注意しましょう。

とはいえバレンタインデーの今日、愛する愛猫のテンちゃんにまでチョコレートをあげる必要はありません。ネコにはネコにふさわしく鰹節をあげることにしましょう。

まだまだ寒い中、日があたらないときにはコタツの中に潜り込んでいることの多い彼女ですが、これから春の日差しが照らすようになるとそれはネコの季節です。今年もあちこち春先にネコがなくことでしょう。

ときにうるさくて眠れないほどのときもあります。そんなときは、愛情をこめて、チョコレートをあげてみましょうか !??