スカイライン

2014-6708我が家から、西へクルマを10分ほど走らせたところに、達磨山(だるまやま)という山があります。位置的には沼津市と伊豆市との境界にあり、このあたりでは一番高い山です。

とはいえ、標高は982mにすぎません。ところが、この山の周辺にはこれより高い山はなく、また山頂付近は低いササで覆われているだけで大きな木はひとつもないため眺めがよく、山頂からは360度の大パノラマが楽しめます。

お天気の良い日には、富士山は無論のこと、南アルプスの山々、その下に広がる沼津や富士の町並や三保半島、そしてその下に青黒く広がる駿河湾が見え、南東方向に目を向けるとそこには天城山・遠笠山などのなだらかな稜線も連なります。さらに天候が良ければ、西方遥かかなたには御前崎までをも見通すことができます。

アクセスも簡単で、北側の山腹にその昔は、西伊豆スカイラインと呼ばれていた県道127号が走っており、この脇の小さな駐車場から頂上まで直登できる登山道が伸びていて、これを昇れば、元気な人ならたった15分ほどで山頂に到達できます。

この登山道も含め、山頂から南北にのびる山稜は「伊豆山稜線歩道」として整備されており、麓の駐車場からも北へ延びているこの歩道を辿ると「戸田峠」に到着し、ここからはさらに一時間ほどで、達磨山のすぐ北にある標高816mの「金冠山」の山頂にも立つことができます。

金冠山は達磨山ほどの眺望はありませんが、北側の眺めがよく、ここからもしっかりと左右対称の富士山を眺めることができます。

一方、達磨山山頂から、伊豆山稜線歩道を南に行くと、これは天城山の西のほうにある天城峠に達します。「天城越え」で有名な天城トンネルに至る道であり、これもまたよく整備されていて、山稜のなだらかな道なので、お年寄りでもハイク可能です。右側には駿河湾、左側には天城山に続く伊豆の山々の素晴らしい鳥瞰が延々と続く快適な道のりです。

この達磨山は、実は元火山です。80万年前から50万年前の火山活動で形成されたかなり高い山だったようですが、その後大きく浸食され、残った峰の一つが現在の達磨山です。ただ、元々の噴火口があったのは、この山頂から西側にストーンと落ちる、浸食の激しい急な西側斜面の途中のようです。

しかし、現在の達磨山からは、そこがかつて火山だったという事実を認識させるような景観はひとつもありません。なだらかな笹に覆われた斜面が南北東西に広がっていて、ここに牛や馬でもいれば、牧草地帯と言われてもおかしくないような光景です。

しかし、太古には、ここからあちこちで噴火をする山々が見えたはずであり、無論、緑などはひとつもなく、その空をもしかしたらプテラノドンのような翼竜が飛び回っていたかもしれません。達磨山自体も噴火による噴石や火山灰に覆われた急峻な形容だったに違いなく、おそらくは先日噴火した御嶽山のようなかんじだったでしょう。

その南に連なる、天城山もまた、80万〜20万年前の噴火で形成された山だといいますから、噴火形成の時期は達磨山とほとんど同じです。ですから、達磨山山頂からははるか遠くに天城山からの噴煙が見えたに違いありません。実際、天城山最高峰の万三郎岳(1,405m)の西には、比較的近代の3200年ほど前に噴火した火口跡があるそうです。

ここに登って、そうした大昔の伊豆半島の姿を想像してみると楽しくなります。土曜や日曜日などの休日は、それなりにハイカーでにぎわいますが、平日の早い時間や遅い時間には人っこひとりいません。

静かな山頂に登れば、そこでは誰にも邪魔されることなくこうした空想にふけることができ、またここからの大パノラマは独り占めです。みなさんももしお時間がとれたらいかがでしょうか。

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ところで、この達磨山の麓を通る、旧西伊豆スカイラインは、達磨山北方へ直線距離で約1kmほどの戸田峠を起点とし、ここから達磨山・伽藍山といった山々を通り過ぎ、船原峠を結ぶ西伊豆の稜線上を走る延長約10.8kmの一般道路です。船原峠から右(西)へ下ると駿河湾側の土肥に至り、また左(東)へ下ると湯河原に至る、という位置関係になります。

元々は有料道路でした。1968年(昭和43年)から、2004年(平成16年)までの間、静岡県道路公社が運営しており、通行料金は、普通自動車で350円だったようです。上述の伊豆山稜線歩道とほぼ並行して走っており、稜線歩道と同じく非常に景観の良い路線で、高原を走るドライブ・ツーリングコースとして昔から有名です。

この素晴らしい景観を自由に観れるよう無料にするという英断を下した静岡県には大いに拍手を送りたいと思います。ただ、望むらくは、現在もまだ有料通行にしている伊豆スカイラインも、いずれは無料開放してほしいものです。

伊豆スカイラインというのは、これも静岡県道路公社が経営する有料の一般自動車道で、函南町の熱海峠から天城高原へと南北に縦走できる道路です。その延長は40.6kmにもおよびます。

1962年供用開始されて現在に至りますが、全線対面通行の非常によく整備された道路であり、展望のある景観の優れた観光道路でもあります。海岸沿いに並行して混雑することが多い、麓の国道135号の抜け道として利用する人も多いようです。

実は、夜間は料金所に収受員が詰めていないために無料で走行できます。また、これはあまり宣伝すると怒られそうですが、途中から有料ゲートを経ずに入り込むことができる側道箇所が何ヶ所かあり、こうした箇所から入ってまた側道へ抜ける分にはお金がかからないため、地元の人は事実上の生活道路として使っているようです。

このスカイラインは、伊豆半島中央の稜線を南北に走ることで東西のアクセスを分断している、という側面もあり、地元の人達もまた、こうした不正アクセスが必ずしも悪いとは考えていないようです。また、夜間もタダで通れるようにしている、というのは静岡県としてもこうした利用を暗黙に容認している、ということなのでしょう。

ただ、街灯が整備されていないので、夜間の通行は結構危険です。また、伊豆半島はあちこちに鹿や猪がいますから、こうした動物の急な飛び出しもしばしばあるようです。なので、夜間通行される方はくれぐれも注意してお通りください。また、かなりの高所を通るので、冬季は積雪・凍結により閉鎖されることもあります。

2009年(平成21年)11月から2011年(平成23年)3月までの、1年と4か月ほどは、民主党政権時代に行われた「社会実験」とやらにより、通行料の上限を200円とする時期もあったようです。が、実験終了後の現在は、全線を通過した場合には、普通自動車で1,440円の費用がかかります。

タダにせよ、とまではいいませんから、せめてこの社会実験当時の金額に戻してもらえれば、住民にとっては非常にありがたいことなのですが…… とはいいつつも、どうせなら静岡県さん、ひとつ検討していただけないでしょうか。県民であれば、通行料をタダにすることを……

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しかし、このスカイラインというやつは、そもそも観光周遊を主たる目的とした道路であり、休日を中心として観光客のアクセスが多いため、県としてはかなりの収入源になっているようです。

とくに、静岡県は、道路名称として「スカイライン」を名乗る道路を5つも持っており、これは、伊豆スカイラインと西伊豆スカイライン以外では、箱根スカイライン、芦ノ湖スカイライン、富士山スカイラインです。ただし、富士山スカイラインは、西伊豆スカイラインと同様に、1994年(平成6年)から無料開放となっています。

従って、現時点で有料なのは、3つのスカイラインだけということになります。

静岡県以外でスカイラインが多いのは、ほかに長野県があり、これは、三郷スカイライン、
夢の平スカイライン、美ヶ原スカイライン、上信スカイライン、蓼科スカイラインの5つです。

静岡とこの長野のスカイラインを合わせると合計10にもなり、これは全国にあって「スカイライン」と称している46の道路の2割強にあたります。いかに両県が観光立国ならぬ、観光立県であるかがわかります。

これらのうち、一番南にあるのは、鹿児島県の指宿スカイラインであり、最北は青森の津軽岩木スカイラインになります。沖縄にスカイラインがないのは、おそらく高い山がないのとこうした直線道路を通せる区間が少ないためでしょう。

また、北海道にもないのは、これは道内ほとんどすべてが高速道路と言っても良いような環境にあるからでしょう。ちなみに私の地元の山口県にもありませんが、ここは総理大臣8人も出しているお国事情からか道路整備率が高く、一般国道はほぼ全線、高速道路状態という事情によるものです。

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ところで、こうした道路が「スカイライン」と呼ばれる所以は、こうした道路が高い山の上などに設けられ、観光周遊を目的として造られるからにほかなりません。

しかし、本来、「スカイライン(Skyline)」というのは、空を背景とした山並みの「稜線」を表す言葉であることをご存知だったでしょうか。また街中では、高層建築物などによって醸し出される「輪郭線」をもスカイラインと称します。

都市の全体的な景観構造を表す人工的な地平線を「スカイライン」というのであって、「シティスケープ(都市概観)」「ランドスケープ」とほぼ同義語です。

歴史的にみてみると、イタリア・トスカーナ地方の都市、サンジミニャーノの歴史地区に残る数々の塔の並びのことをスカイラインと呼んだようで、このサンジミニャーノには、全盛期に70以上の塔が並び立つという壮観だったようです。

このサンジミニャーノでは、14世紀頃の権力争いの最中、権力と富を持つ者がそれを誇示すべく、町の中に高い塔を建てていったそうで、彼らは贅沢な暮らしをする代わりに、隣家には負けまいと塔の高さを競いながら次々と塔を建てていきました。

その結果、「中世のマンハッタン」とも言うべきスカイラインが形成されていったというわけです。

このほか、イエメンの人口わずか7,000人程度の古代都市シバームにも、ベドウィン族による攻撃から町と住民を守るため、16世紀に数多くの高層住宅が建てられました。

シバームの住宅は全て、泥煉瓦によって構成されており、今でも、500以上の5階から9階建ての高層建築が残っています。建物間には連絡橋が設けられ、自由に往来ができるようになっていますが、このような高層住宅が建設されたのは、洪水と遊牧民の襲来から町を守るためだったようです。

この壮観もまた、まさに「スカイライン」と呼ぶべきものなのでしょうが、この高層住宅群は、「最古の高層ビル群」「砂漠のマンハッタン」などと呼ばれることのほうが多いようです。

さらにスカイラインで有名なのが、アメリカのミシガン湖から望むシカゴの街並みです。シカゴは近代都市におけるスカイライン発祥の地のひとつに数えられており、これは1885年に10階建ての「ホーム・インシュアランス・ビル」というビルが建てられたのがはじまりでした。

このビルは鋼鉄製の鉄骨構造で建てられた世界最初のビルといわれており、これ以降のビルの高層化の嚆矢となりました。残念ながら1931年に解体されましたが、このときの調査によれば、このビルは、確かに鋼鉄製の鉄骨による骨組を初めて採用していたものの、荷重支持のために石工も用いられていたことが判明しました。

地下には花崗岩の支柱を用い背面にはレンガの壁を用いていたそうで、鉄骨の技術を用いてはいたものの、純粋な鉄骨骨組の構造ではなかったのです。

この当時は、重量感のある石工のビルこそが頑丈な建物と考えられており、これに対してこのビルは3分の1の重さしかなく、このため、市の役人は安全性が判明するまでは建設を中止することを真剣に考えていた、という話もあるようです。

ともかく、このビルの建設を契機にシカゴでは次々と高層ビルが建てられるようになり、1889年に建設されたオーディトリアム・ビルは世界一の高さのビルとなり、1973年にはシアーズ・タワー(現ウィリス・タワー)が加わり、1890年以降ニューヨークが独占していた世界一高い超高層ビルの座を奪還しました。

このシアーズ・タワーは1997年にペトロナスツインタワーが完成するまで、24年間にわたって世界一の高層ビルであり続けました。近代都市におけるスカイラインの開発は、1960年代まではこのシカゴとニューヨークにより牽引されていたと言えます。

こうしたアメリカを中心とするスカラインの形成は、20世紀も終盤に入ると、アジア諸国にも波及するようになりました。上海市の浦東新区は1980年代までは一面の原野でしたが、1992年に開発が始まるとまたたく間に高度成長を遂げ、近代的なスカイラインを形成するビジネス街へと変貌しています。

近年、オイルマネーを背景とした中東の産油国もまた次々と大規模なスカイライン開発計画を打ち出しており、2010年にドバイに完成したブルジュ・ハリファはこれまでの超高層ビルの高さを大幅に更新し、この都市では超高層ビルが相次いで建設されています。

2013年現在では、150m以上のビルの数では香港が、200m以上のビルの数ではドバイが、20世紀の摩天楼スカイラインの象徴であったニューヨークを上回って、世界一のスカイラインを形成しています。

それでは、我が日本ではどうでしょうか。第二次世界大戦後の高度経済成長と東京オリンピック(1964年(昭和39年)は、1960年代・1970年代を通じて建築ラッシュをもたらし、これはバブル景気の発生・崩壊後を経験した1980年代・1990年代にも続きました。

とくに新宿区の西新宿地区は、東京都初の超高層ビル群大規模開発エリアであり、1971年(昭和46年)の京王プラザホテル本館の完成を皮切りに超高層ビルの建設が続き、今では東京の全超高層建築物のうち11棟がこの地区にあります。

近年、東京は多くの超高層建築物建設プロジェクトの舞台となっており、2000年(平成12年)以降、高さ180メートル以上の建築物が23棟も完成しています。

2012年には高さ634メートルの東京スカイツリーが完成。東京タワーより301メートル高くなり、日本で一番高い自立式構築物となりました。

他にもいくつかの180メートル超の建設プロジェクトが計画されているようですが、次回の東京オリンピックが開催されるまでには、装い新たなスカイラインが数多く東京に登場しているに違いありません。

お天気の良い日には、達磨山の山頂からもこのスカイラインが見えるかもしれません。実際のところ、地図を見る限りでは、伊豆市から東京までにはその視界を妨げるような大きな山や建築物はないようなので、これはあながち夢ではありません。

2020年の東京オリンピックを達磨山から眺望遠レンズで観戦する……そんな技術があと6年の間に発明されるといいな、と思うのですが、妄想でしょうか……

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