FATE


今年ももうあと10日あまりとなりました。

昨日、おとといと降った雨は東京では雪にならなかったようですが、多摩の山奥や山中湖といった山間部では結構降ったようで、ここから双眼鏡で見ると、箱根駒ヶ岳も真っ白です。

無論、富士山も装い新たに化粧直しといったかんじで、まさに冬富士です。

今降った雪のどのくらいが来年まで根雪になるのかわかりませんが、昨年ここへ引っ越してきて以降、観察している限りでは、その多くは6月いっぱいぐらいで融けてしまうようです。

それから新たな冠雪があるのが、早ければ9月中旬、今年は10月末でしたから、合計するとだいたい8~9ヶ月は、雪を頭に頂く富士を眺めることができることになります。

全く雪のない富士もそれなりに美しいものですが、やはり富士には雪が良く似合います。太平洋高気圧が関東や伊豆を覆い、好天が続くこれからしばらくの間は、この景色をほぼ毎日見ることができることは、本当に幸せなことです。

ところで、年も押し迫ってきたこともあり、来年はいったいどんなことが予定されているのだろう、と調べてみることにしました。来年のことを話題にすると鬼が笑うといいますが、下品な鬼さんには腹をかかえて笑い死んでいただきましょう。

そうすると、世界的な話題としては、メジャーなところでは、以下のようなものがあるようです。

2月7日〜23日:ソチオリンピック
3月7日〜3月16日:ソチパラリンピック
6月12日〜7月13日:2014 FIFAワールドカップブラジル大会
9月19日〜10月4日:第17回アジア競技大会(韓国・仁川)
11月4日:アメリカ合衆国中間選挙投票日
12月:アフガニスタンからアメリカ含むNATOなど他国の治安部隊が2014年末までに全て撤退し、同国政府・軍に治安権限を移譲。
12月:FIFAクラブワールドカップモロッコ2014

その多くがあらかじめ予定が組まれているスポーツや政治・軍事がらみのことであり、世の中を秩序立てて進行させるためには予定をはっきりさせる必要があるのは当たり前といえばあたりまえです。

このほか、惑星や彗星などの天体の動きもあらかじめ予測できるものも多いため、来年起こるとされる現象がたくさん公表されています。

例えば、10月19日には、サイディング・スプリング彗星というのが、火星に極めて接近するといわれています。NASAはその衝突確率を0.17%(600分の1)以下と見込んでおり、その後のデータ解析により、衝突可能性をゼロに出来ると見ているようです。

しかし、衝突しない場合でも、火星軌道まで接近すれば彗星としての活動が活発になることが予想され、火星探査機によってこの彗星の状態を観測・撮影できる可能性があります。そしてこうした観測から、この彗星がどこから来たのか、成分は何かなどを調べることができ、ここから宇宙誕生の謎の一部が解明できる可能性があるということです。

もっともこれは、遠い火星のことですから、地球に住む我々の生活にはほとんど関係ありません。ところが、地球にぶつかる隕石となれば話は別です。

今年の2月15日、ロシア連邦のチェリャビンスク州付近で発生した隕石の落下では、飛来した隕石が大気圏を超音速で通過し、更に大気との圧力に耐え切れず分裂するという現象がおこりました。

そして、これによって発生したソニックブームは、落下地点に大きな被害を引き起こし、4つの都市において、8000棟近い建物の窓ガラスが割れたりドアが吹き飛ぶなどの被害が発生しました。

死者こそありませんでしたが、飛び散ったガラスなどで負傷する人が多数出るとともに、建物被害にあった商業施設や公共施設は長らく閉鎖を余儀なくされました。

被害総額は約10億ルーブル(約30億円)に及んだそうで、これは、自然災害による被害額としては少ないほうでしょうが、それでも今年8月に打ち上げられたJAXAの新型ロケット・イプシロンの打ち上げ費用とほぼ同じです。

これ以上大きなものがやってきたら、当然もっと大きな被害が出るでしょうから、今後ともできるものなら大きな隕石は降ってきてほしくないものです。

ところが、来年は、小惑星 “2003 QQ47″なるものが、地球に接近するそうです。NASAが今年の8月に自身のウェブサイトで明らかにした情報に基づき、CNNなどのメディアが、「2014年3月21日に地球に衝突する確率は90万9千分の1」などと報じ、一時大きな話題になりました。

しかしNASAはその翌月には同じページで「その後の調査の結果衝突の危険性なし」などと訂正文を加え、同時にNASAが地球に影響を及ぼす可能性のある天体のIMPACT RISKのリストからも”2003 QQ47″を削除しており、どうやら来年、地球消滅の憂き目を我々が味わう危険はなさそうです。

以上は海外の話題です。来年の予定を、上のようなスポーツや政治・軍事がらみのものをのぞいて、さらに日本に限定してみてみると、日程がはっきりしているメジャーな事項としては次のようなことがあるようです。

1月5日:NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」放送開始。
1月16日:オウム真理教事件の平田信被告の裁判員裁判の初公判。
2月1日:両国国技館で元大関雅山の引退相撲・断髪式.。
2月(日付未定):東京都知事選(12/19猪瀬知事引退表明を受けて)。
2月28日:ダイヤルQ2がサービス終了(NTTによる情報料代理徴収サービス)。
3月7日:近鉄・阿部野橋ターミナルビル(あべのハルカス)が大阪市阿倍野区に完成予定。地上60階、高さ300mの日本一高いビルとなる。
3月31日:
・TOKYO FMはじめJFN各局で行っていた文字多重放送「見えるラジオ」がサービス終了予定。
・NHK連続テレビ小説第90作品「花子とアン」放送開始。
・フジテレビ「森田一義アワー 笑っていいとも!」放送終了。
・JRの寝台特急「あけぼの」が廃止、東北地方を起点に運行する寝台特急が全て消滅。
4月1日:消費税が8%に増税される。生活保護法改正、手続き・不正受給等の厳格化。
4月9日:Windows XPがサポート期間の終了を予定。
4月(日付未定):三陸鉄道北リアス線・南リアス線が全線で運行を再開予定。岩泉線廃止。
5月12日:改良5000円札を発行開始(ホログラム変更)。
5月(日付未定):江差線(木古内 – 江差間)廃止。
7月(日付未定):国立競技場の解体工事が着工する予定。新競技場は2019年3月の完成予定。
9月29日:NHK連続テレビ小説「マッサン」放送開始。
10月12日~10月22日:長崎がんばらんば国体(長崎県・諫早市)
12月29日:秋篠宮家佳子内親王が成人になる。

総じて小粒の話題が多いような気がしますが、私的に楽しみなのは、NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」の開始と、残念なのは、タモリさんの「笑っていいとも!」の終了でしょうか。5月の改良5000円札を発行というのも気になるところです。

つい昨日、辞職を表明した猪瀬都知事の後任が誰になるかについても、元都民としては興味津々ですが、来たる2020年のオリンピックで東京の姿が紹介されるまでに、世界に誇れるような街づくりをしてくれる人の登場を願いたいところです。

このほか、月も日付も未定のものとしては、以下のようなものがあります。

・北陸新幹線の長野駅〜金沢駅間が年度内に開業。
・リニア中央新幹線が2014年度中に着工予定。
・東北縦貫線(愛称:上野東京ライン)が年度内に開業予定。
・品川駅〜田町駅に、JR山手線としては、約40年ぶりとなる新駅建設の着工予定。
・新橋・虎ノ門区間(地下トンネル)が春に開通予定。関連して虎ノ門ヒルズが完成予定。
・普天間飛行場がキャンプ・シュワブ沖へ移転し、海兵関係者1万7千人以上がグアムへ。
・JAXAと欧州宇宙機関の共同開発による水星探査機「ベピ・コロンボ」が打ち上げ予定。
・小惑星探査機「はやぶさ2」が打ち上げ予定。
・防衛省が開発を進めている「心神(国産戦闘機)」の試作機が年度中に完工予定。
・舞鶴若狭自動車道が全線開通。
・新東名高速道路の浜松いなさジャンクションから豊田東ジャンクションが開通。
・首都圏中央連絡自動車道の桶川IC、境IC-水海道IC間開通予定。
・常磐自動車道が本年度以降に全線開通。
・Jリーグ ディビジョン3(J3)が開幕。
・首都高速道路中央環状品川線が開通。

交通関連のものが多いようですが、中でも大きいのは、「上野東京ライン」と呼ばれる東北縦貫線の開業でしょう。これによって上野駅発着の宇都宮線(東北本線)、高崎線、常磐線(常磐快速線)の列車が東京駅まで乗り入れ、東海道本線との相互直通運転が可能になります。

可能性は少ないでしょうが、この開通により東北本線始発の岩手県の盛岡から大阪や神戸まで直通の特急列車を走らせることも可能になるわけで、そうでなくてもこれまで東京駅でみることのできなかった常磐線や高崎線の電車が東京駅で見れるようになることは、鉄道ファンにとってはたまらない出来事に違いありません。

防衛相の「心神」というのは、将来の国産戦闘機に適用できる先進的な要素技術を実証するために開発されるステルス研究機で、既に2012年3月から、三菱重工業・飛島工場(愛知県飛島村)で試作機の組み立てが開始されています。

一応来年完成予定ということなのですが、開発にてこずっているようで、本当に来年完成できるかどか難しいという観測もあるようです。

純国産技術で開発する戦闘機ということのようなのですが、どうもアメリカあたりから少し技術供与があるのではないかという気がしています。が、詳しい話はまた今度調べてこのブログでも書いてみましょう。

とまあ、来年実施または実現など予定が決まっているものはそれとして、現実には予想もつかないこともいろいろ起こるでしょう。

今年もまたしかりです。予想だにもしなかったことも多々起こりましたが、私的には7月末の山口・島根県地方の集中豪雨被害と、10月中旬の伊豆大島での土砂災害が強く印象に残りました。いずれも身近な土地で起こった出来事ということもありますが。

年末ぎりぎりの12月になって起こる突発的な大事件というのもあります。おととし2012年の12月2日に中央自動車道の笹子トンネルで、コンクリート製の天井板落下事故が起き、走行中の車複数台が巻き込まれて多数の死傷者が出たことが思い起こされます。

今年も、昨日の朝、京都で餃子販売を主とする有名チェーン店の社長さんが銃殺されるというショッキングな事件が起こりました。2011年の12月17日にも、これは日本ではありませんが、北朝鮮の最高指導者金正日総書記が死去しています。

なにやら12月というのは、日本にとって大きな事件が起こりやすい、何かめぐりあわせのようなものがあるのかもしれません。

これから年末にかけては、こうした今年起こった重大事件などが、10大ニュースとかいったタイトルで、テレビ局各局から放映されることでしょう。いつもながらこうした際には亡くなった有名人の名前なども流され、こうしたものを見ながら、明日は我が身か、と感じるような年齢に私もなりました。

自分の寿命があとどのくらいあるか、などというのは想像もつきませんが、それを言えば、来年起こることに関しても、ここまで書いてきたように既知のことや予定が決まっていることは別として、何が起こる、いつ起こるかを知るには、あとは予言や占いに頼るしかありません。

予言に関していえば、過去から現在に至るまでいろいろなものがありますが、日本で有名になったのは、やはり「ノストラダムスの大予言」でしょう。

このタイトルで、1973年に祥伝社から発行された五島勉の著書は、「1999年7の月に人類が滅亡する」というのがウリで、公害問題などで将来に対する不安を抱えていた当時の日本でベストセラーとなりました。

しかし、実際にはそんなことは起こらず、このため2000年以後には日本でのノストラダムス関連書の刊行は激減しました。が、その二年後の2001年9月にアメリカ同時多発テロ事件が起こった際には、「あれこそが恐怖の大王だったのではないか?」と、アメリカなどでブームになり、日本でもインターネット上などでは一時的に盛り上がりを見せたようです。

しかし、予言の賞味期限が切れて10年以上も経った今後は、この予言も過去のものになっていくでしょう。

私自身は霊的な能力というか、我々の理解を超えたような能力を持った人がいて、こうした人達が未来を予測できる、というのは、ありえることだと信じてはいます。が、では、いったいどの人の言うことが本当かどうかというのを見極める能力はありません。

なので、テレビやインターネットで流される各種の予言というものを、頭から信じ込むということはしないようにしています。とはいえ、こうした報道が繰り返し繰り返しなされると、不思議なものでだんだんと本当かな~と思うようになってきます。

「自己成就予言」という言葉がありますが、これは予言をした者もしくはそれを受け止めた人が、予言の後でそれに沿った行動を取る事により、あたかもその予言が的中したかのように思い込むことです。

例えば、ある人が「血液型占いは正しい」のではないか、という思い込みをしたとします。

すると、この人はいつもも見ている隣人で、同じ血液型、例えばA型の人をみて、神経質な人とそうでない人の両方がいることを認識しているにも関わらず、血液型占いでA型の人は神経質だ、と書いてあったのを覚えていて、無意識的にA型で神経質な人のことだけを選択的に記憶していってしまいます。

その結果、「やはり、身近な人にもよく当てはまっているから、血液型占いは正しい」という期待通りの結果を自分で生み出してしまうという現象などが「自己成就予言」に当たります。

こうしたことは多くの人が経験することではないでしょうか。

占いに関しても、「バーナム効果」というものがあり、これは、誰にでも該当するような曖昧で一般的な性格をあらわす記述を、自分だけに当てはまる正確なものだと捉えてしまう心理学の現象です。

例えば次の文章を読んで自分にあてはまるかどうか試してみてください。

・あなたは他人から好かれたい、賞賛してほしいと思っており、それにかかわらず自己を批判する傾向にあります。
・また、あなたは弱みを持っているときでも、それを普段は克服することができます。
・あなたは使われず生かしきれていない才能をかなり持っています。
・外見的には規律正しく自制的ですが、内心ではくよくよしたり不安になる傾向があります。
・正しい判断や正しい行動をしたのかどうか真剣な疑問を持つときがあります。
・あなたはある程度の変化や多様性を好み、制約や限界に直面したときには不満を抱きます。
・そのうえ、あなたは独自の考えを持っていることを誇りに思い、十分な根拠もない他人の意見を聞き入れることはありません。
・しかし、あなたは他人に自分のことをさらけ出しすぎるのも賢明でないことにも気付いています。
・あなたは外向的・社交的で愛想がよいときもありますが、その一方で内向的で用心深く遠慮がちなときもあります。
・あなたの願望にはやや非現実的な傾向のものもあります。

どうでしょうか。あなたの性格としてかなりあてはまる、と感じたのではないでしょうか。

しかし、実はこれはアメリカの心理学者のバートラム・フォアという人が、星座占いの各星座に書いてある性格分析の文章を組み合わせて作文したものです。

フォアは学生たちに分析がどれだけ自分にあてはまっているかを0(まったく異なる)から5(非常に正確)の段階でそれぞれに評価させたそうで、このときの平均点はなんと4.26だったといいます。

このことから、フォアは、次のような条件を満たす時、被験者はテストの内容により高い評価を与える傾向がある事を明らかにしました。

・被験者がその分析は自分にだけに適合すると信じている
・被験者が評価者の権威を信じている
・分析が前向きな内容ばかりである

そしてこうした被験者が占いを信じてしまう状態を「バーナム効果」と呼んだわけですが、これはそもそもこれ以前に、P・T・バーナムという「ほら話」が得意なアメリカ人の有名な興行師が “we’ve got something for everyone”(誰にでも(ほら話を信じさせるためには)要点というものがある)と語ったことにちなんだものです。

誰にでも該当するような曖昧で一般的な性格をあらわす記述を、自分だけに当てはまる正確なものだと捉えてしまう心理学の現象であり、上述のバートラム・フォアの名をとってフォアラー効果(Forer effect)とも呼ぶようです。

このほか、目の前にいる占い師さんに何かを占ってもらう場合、この占い師さんが「優れた興行師」である場合、外観を観察したり何気ない会話を交わしたりするだけであなたのことを言い当てることができる場合があります。

これを「コールド・リーディング」といい、詐欺師・占い師・霊能者(もどき)などが、相手に自分の言うことを信じさせる時に用いる話術のひとつです。相手に「わたしはあなたよりもあなたのことをよく知っている」と信じさせる話術であり、「コールド」とは「事前の準備なしで」、「リーディング」とは「相手の心を読みとる」という意味です。

どうやって相手の心を読み取るかといえば、例えばその技法とてしては、「対象者の協力を引き出す(リーディングを始める前に、読み取る相手との会話から情報を引き出す)」、対象者に質問する(相手をよく観察しながら質問し、回答から踏み込んた推測を行う)、対象者の反応をさぐる(具体性のない推測を言って、相手の反応を見る)などがあります。

こうして相手の様子をみながら、さらに情報を引き出し、さらにリーディングを行う相手に関する情報の精度を高めていきますが、占われる相手としては何もしゃべっていないつもりなのに、自分の奥深くまで全てが言い当てられてしまった気分に陥っていきます。

こうなればしめたもので、相手はリーディングを行う人に対して「将来に関する占い」、「心霊による伝言」、「未来に関する予言」、「霊力のある商品の購入の薦め」といった不確かな結論まで信じさせてしまうのです。

なにやら昨今の「オレオレ詐欺」と似たようなところもありますが、その技術自体はセールスマンによる営業、警察官などの尋問、催眠療法家によるセラピー、筆跡学や筆跡診断、恋愛などに幅広く応用できるものであり、必ずしも悪の技術とは言えません。

たとえ相手に対する事前情報が全くなくても、コールドリーダーは相手の外観に対する注意深い観察と、コールド・リーディング特有の話術によって、いくらでも相手の情報を掴むことができます。

ただし、対象者への観察力や会話の説得力、相手に与える安心感・信頼感は当然必要であり、こうした高い技術を得るには、やはり場数を踏んだ経験がモノをいいます。

一方では、探偵を使ってた素行調査をしたり、占いの待合室で助手が世間話をしたりして事前に詳細に相手のプロフィールなどを調べておいた上で、あたかも本当に占いや霊感、超能力などで相手の心を読んだと見せかけるという手法もあり、こちらは、コールド・リーディングに対して、「ホット・リーディング」と呼ばれます。

テレビなどで「超能力者」を称する登場人物が、様々な事実を言い当てる際には、こうしたホット・リーディングとコールド・リーディングの技法を組み合わせて使っていることが多いともいわれています。

もともと占いや予言といったものは、はっきりとした科学的な根拠があると認められたことはありません。にもかかわらず、それでも占いを信じる者は少なくないため、占いはしばしばビジネスとして扱われます。

多くの場合は公認されていますが、占いの提供のされ方としては、テレビ・雑誌や本の他に、占い師が直接目の前で占う対面鑑定、電話で占う電話鑑定のほか、最近では携帯やパソコンでインターネットを利用したチャット鑑定まであり、ネット業界の進展により占いコンテンツの提供も増えてきているようです。

以上は必ずしも悪いこととはいえません。しかし、中にはこれらをエスカレートさせて悪徳商法に利用する者までおり、こうなるともはや詐欺です。最近ではインターネットを使った霊感商法も現れてきているようなので、何事につけ、のめり込みは禁物です。

私自身も星占いをなんとなく信じていて、テレビや雑誌で自分の星座の運勢が出ていたりすると、やはり気になります。

信じていようが信じていまいが、どうなるかわからない未来について、こうなります、と言われれば、そうかな~そうかもしれないし、ウソかもしれないが、一応気をつけるだけ気をつけておこうか、という気になってしまうのが不思議です。が、これは誰しもがそうなのではないでしょうか。

人は、よく「運」を口にします。運とは、その人の意思や努力ではどうしようもない巡り合わせを指します。今日のブログのタイトル、“FATE”は、「運命」という意味です。

運が良いとは到底実現しそうもないことを、偶然実現させてしまうことなどを指し、運が悪いとは、例えば楽しみにしていた旅行の当日に、発病してしまうことなどを指します。

占いや、神社・寺院のおみくじは、この運を予言する力があるとされ、勝負事などで運が良いことは「付き」(つき、ツキ)、「付いている」などともいいます。

こうした運やツキを信じる人というのは、よい言い方をすれば、自分の心の落ち着かせ方を知っている人であり、こうした占いによって、確率的な危険性を適切に回避しようと考える前向きな人であり、あるものごとを上手く成就させようとする才能を持った人、と考えることもできます。

しかし、こうした視点はあくまで結果論による定義であり、運のよい人が先験的にその「運のよさ」を判別しているかといったら必ずしもそうとは限りません。

ただ、何事かをなす場合、うまくやる人とうまく出来ない人がいるのは確かであり、その理由がよく説明できないために、占いなどの表現を応用して、あの人は「運が良い」「運が悪い」などといいます。

また、客観的に見て明らかに自分の能力をして「うまくいった」と感じられる手法や手段があり、逆に「うまくいかなかった」と感じる手法・手段も存在し、これらは実力で勝ち取ったもの、あるいは実力が伴わなかったために出た結果であり、運とは感じません。

が、なんとなくうまくいった、なぜだか失敗した、などのいずれとも判然としないものは「運」で語られることが多いものです。

何が言いたいかというと、人というものは自分の人生において、科学的に説明できないもの、自分自身でも判断できないものは、何かにつけてこれを「運」として語りたがる、ということです。

これは別にいいとか悪いとかの白黒がつけられる問題ではありません。

ただ、自分が判断できない何ものかによってその事象が形づけられ、それこそが「運命」だと考えることで、自分の本当の実力を深く考えずに済む、これによってあいまいさを回避できるため、自分自身が納得できてスッキリできる、あとでくよくよ考えずに済む、といった心理的な効果があるのは確かです。

このため、やはり、運命というのはある、と肯定的な人は多いでしょう。人の人生は生まれたときから、運に支配されていると言う人もおり、生年月日、出生地、性別、血液型、容姿などは運により決定づけられると考える人も多いでしょう。

しかし客観的にみれば、やはりこうした話には曖昧さがつきまといます。真剣に考えてみれば、決定論的に人間の一生の運勢が出生時に決まっているのか、それとも生まれた時に大体の運勢は決まっていて細部で運勢が上下するのか、はたまた運勢が決定されるメカニズムの問題などなど、多数の疑問点が生じてきます。

また、運には「流れ」があるとする主張があります。つまり、運が良くなると良い傾向が続き、運が悪くなると悪い傾向が続くとする主張です。麻雀などのギャンブルで多用される考え方です。

これを錯覚の一種であるとする主張もあります。人間は錯覚によってランダムな現象からも一定の法則を見いだしてしまうことがあります。例えばカジノにおいて賭け事をするとき、これに「運気」といったものがあるかといえば、冷徹な統計学処理をしてもそんなものは見いだすことはできません。ギャンブルはあくまでランダム現象です。

もしこうした運の流れを事前に知ることができるとすれば、それは人知を超えたものであり、そうしたことができると主張する人は稀有な存在であるといえ、当然のように人々はそのような人に惹きつけられます。しかしよくよく考えてみれば、そうした人に運命を占ってもらった結果が実際に起こったとしても、これを裏付ける確証は一切無いわけです。

しかし、それでもそうした人の予知や予言を信じてしまうのは何故なのでしょうか。逆説的には、自分にはそうした能力がない、ないからこそ信じてみたい、それに自分を賭けてみたい、とどこか思う部分があるからなのでしょう。

意志の力や祈りで運を変更できるとする主張も多く、信じさえすれば救われる、と考える人も多いと思います。一見、妄信的な考え方のようにも見えますが、意志の力や祈りなどで運を変更できれば良いとする気持ちは多くの人間が持っている感情であり、なかなかこれを捨て去ることはできないでしょう。

しかし、浄土真宗ではこうした占いは無益な迷信として一切否定されているそうです。また、旧約聖書でも占いは、邪悪な行いとして退けられています。こうした宗教の信仰者の中には、占いをニューエイジ思想や心霊主義とともに非難の対象にしていることも少なくないようです。

占いや予言を信じるのをやめ、こうした宗教を信じるほうが確かな将来がみえるのかもしれませんし、案外と占い頼りの人生よりもずっと楽になれるのかもしれません。

かといって、私自身は宗教に走るつもりはありませんし、占いを否定するものでもありません。

科学や人知によって我々が推し量れないものがあるのは確かであり、それを「運」という言葉で片付けていいかどかうかは別として、それを占いや予言という形で、我々の分かりやすい世界に「降ろしてくる」と考えれば、その形態はどんなものであっても良いと考えています。

来年の運勢を占おうとしているあなた、年末のこの時期、ここはひとつその方法が本当に自分の運を知る正しい行為かどうか、自分にふさわしいかどうかを一度検証してみてはいかがでしょうか。