龍宮

日本の政治が騒がしくなってきました。

毎日のように新しい政変劇を知らせるニュースを、日本中の人が固唾をのんで見ていることでしょう。

どうやら民進党という党はなくなるようで、新進集団に飲み込まれた上で無色になってしまう危機にあるようです。緑色のなかで目立つ色は赤ですが、はたしてそんな色に変われるのでしょうか。

それにしても、前からこの党の名が、ニンシン・ニンシンと聞こえてしかたがないのですが、わたしだけでしょうか。だとすれば、さしずめ今は、この党が新たに生まれ変わるべき時期に来ているということなのでしょう。

母は「キボウ」という名らしい。どんな子が生まれくるのかわかりませんが、とまれ無事に生まれて、新しい展開をこの国にもたらしてほしいものです。




ところで、妊娠といえば動物の大多数は、メスが妊娠します。性的二形、すなわち♂と♀の別を持つ種では、ほとんどの場合オスが精子を生産し、受精卵を宿すことはまれです。

ところが、オスのタツノオトシゴは、メスから卵をもらって妊娠を受け持ち、子供を「出産」します。

タツノオトシゴの♂の腹部には育児嚢(のう)という袋があります。メスはタマゴを排出する輸卵管をオスのこの育児袋の中に差し込んで産卵、受精します。やがて袋の中でふ化した子供でいっぱいになったオスのおなかは膨れ、ちょうど妊娠したような外見となります。

生まれた仔魚は孵化後もしばらくは袋の中で過ごしたのち稚魚になります。やがて袋の中からポンポンと勢いよく飛び出してめでたく「出産」となりますが、この時、オスは尾で海藻などに体を固定し、さながら陣痛のように体を震わせながら稚魚を産出します。けなげです。

この稚魚は全長数mmほどと小さいながらも既に親とほぼ同じ形をしており、海藻に尾を巻きつけるなど親と同じ行動をします。かわいらしいです。

普通の魚は横長の状態で泳ぎますが、タツノオトシゴは体を直立させて泳ぎ、常に頭部が前を向く姿勢で移動します。この姿が竜やウマの外見に通じることから「龍の落とし子」の名がつけられ、ほかに「海馬」、あるいは「龍宮の駒」ともよばれます。英語圏では龍はあまりなじみがない動物なので、”Seahorse” と呼ばれています。

この「龍宮の駒」の龍宮とは、言うまでもなく浦島太郎の伝説に出てくる龍宮城のことです。乙姫さまあるいは龍王が統治する世界として水中に存在するとされている宮殿ですが、その源流は中国の故事にあります。

中国において神仙たちの住む地とされた蓬莱(ほうらい)などの仙境は、海の果てにある島であると考えられていました。海中に存在するのでは、という想像からその中に「龍宮」といいう桃源郷がかたちづくられ、道教や説話文学などで語られました。これが中国から移入され、日本特有の龍宮伝説になったと考えられています。



また、中国中部、湖南省北東部には、中国の淡水湖としては鄱陽湖に次いで2番目に大きい湖、「洞庭湖(どうていこ)」というのがあります。この周囲に「龍女」の話が伝わっており、この伝説を下地に日本化された物語が「浦島太郎」である、というのが定説です。

龍女の話というのは、ある人物がいずれも溺れる少女を救い、その恩返しを受ける、というものです。水中の別世界に案内され、結婚に至り、日が過ぎて、故郷を懐かしみ、贈り物をもらい故郷へ帰るというよく似た展開になっています。

日本の浦島太郎の話では少女が亀に化け、玉手箱のくだりが付け加えられました。「古事記」や「日本書紀」のころのこの話にはまだ乙姫は登場せず、おそろしげな海神の住んで居る宮殿とされていましたが、「万葉集」あたりから見目麗しい乙姫様が浦島太郎を接待する、というふうに変わってきたようです。

万葉集の中では、この宮殿は綿津見神宮(わたつみのかみのみや)と表現されています。「わたつみ」とは「海神」とも書き、日本各地にこの神様を祀った場所があり、たとえば福島県二本松市(旧塩沢村)もそのひとつで、ここにはこんな話が残っています。

ある男が川で鍬を洗っていて、誤って水中に落とし、水底を探し回っていたら龍宮まで辿りついてしまいました。その龍宮にいたのはブスばかりでしたが、ただ1人美しい姫がいて、機織りをしていました。男はこの姫様が織った布でおしゃれな服を作ってもらい、数々の寵愛を受けますが、村が恋しくなり、3日目に帰郷します。

しかし、村では25年ほどの時が過ぎていました。知らない人ばかりなので龍宮へ帰りたいと思いましたが、交通手段がなく、泣く泣くそこで一生を終えました。ただ、死ぬ前に思い出の姫様を偲び、その記念として「機織御前の御社」を建てたといいます。

龍宮城にいたら一生幸せに暮らせたのに…

このほか、香川県三豊市にも龍宮伝説があり、ここでは市内の詫間町にある荘内半島沖にある、粟島(あわしま)に龍宮があったとされます。この半島一帯には、浦島太郎が生まれた場所とされる「生里」、玉手箱を開けた「箱」、箱から出た煙がかかった「紫雲出山」ほか浦島太郎伝説にちなむ地名が多く残っています。

この粟島には、浦島太郎の墓や太郎が助けた亀が祀られている「亀戎社(かめえびすしゃ)」もあり、龍宮へ連れて行ってくれた亀の遺骸が祀られているといいます。

このほかにも龍宮伝説が残っている場所は各地にあり、三重県志摩市の伊雑宮(いざわのみや)には、龍宮から戻った海女が持ち帰ったといわれる玉手箱が保管されているほか、長崎県対馬市には海神神社や和多都美神社など、海神系の神々を祀る古社が多く、古くから龍宮伝説が残っています。

この龍宮、実は地球外にもあります。

といっても、それほど大昔のものではなく、ごく最近発見されたもので、カタカナで“リュウグウ”と表記されます。

地球近傍小惑星の一つで。宇宙航空研究開発機構 (JAXA) が実施する小惑星探査プロジェクトはやぶさ2の目標天体です。1999年5月10日に、アメリカのニューメキシコ州ホワイトサンズに天文台を持つ、リンカーン研究所の自動観測プログラムLINEARによって発見されました。

もともとは、1999 JU3という発見年と記号だけを組み合わせた名称でした。が、一般に馴染みにくいためJAXAが名前を募集したところ、神話・伝説由来の名称案の中で多くの提案がありました。この中からJAXAが選定した”Ryugu”を、国際天文学連合に提出して了承を受け、最終決定しました。

通常、審査に3ヶ月程度かかるといいますが、この時は異例の速さで審査を終えたといいます。おそらくは最初の探査機、「はやぶさ」の成功が幅を利かせたのでしょう。

2015年10月5日、小惑星リストに“162173Ryugu”と掲載されました。JAXAは、「Ryugu」の選定について、「はやぶさ2」が持ち帰るであろう小惑星のかけらが入ったカプセルが、浦島太郎が持ち帰った「玉手箱」に例えられるから、と説明しています。

JAXAが最初の「はやぶさ」の探査対象だった小惑星のイトカワに次いで、このリュウグウを選定したのは、この小惑星もまたタイムカプセルのようなものだと考えたからです。原始の太陽系が形成されたころの有機物や含水鉱物を多数含んでいると考えられ、また、地球から比較的近い軌道要素を持っていたこともこの小惑星が選ばれた理由でした。




こうして「はやぶさ2」を積載したH-IIAロケット26号機は、2014年12月3日に種子島宇宙センター・ロケット発射場から無事に打ち上げられました。

この「はやぶさ2」には、有機物や水のある小惑星を探査して生命誕生の謎を解明する上での、より大きな科学的成果を上げることが期待されています。世界で初めて小惑星の物質を持ち帰ることに成功した「はやぶさ」がいわば「実験機」だったのに対し、初の「実用機」として開発されました。

基本設計は初代「はやぶさ」と同一ですが、その運用を通じて明らかになった問題点の数々を改良しています。

サンプル採取方式は「はやぶさ」と同じく「タッチダウン」方式ですが、事前に爆発によって衝突体を突入させて直径数メートルのクレーターを作る際ために飛ばす「弾丸」にはより強力なものが搭載されています。「はやぶさ」で発射された弾丸はわずか5gでしたが、今回は重さ 2 kg の純銅製の弾丸をリュウグウに衝突させ、クレーターを作ります。

このクレーター内または周辺で試料を採取することにより小惑星内部の調査が可能となりますが、採取した物質は、前回のハヤブサと同様、耐熱カプセルに収納されて地球に回収されます。

「はやぶさ」ではこの弾丸射出がうまくいかなかったばかりではなく、サンプルが採れたかどうかも確認できずに帰還する際にはありとあらゆる機器が故障しました。

いわば満身創痍、ほうほうの体で地球にかろうじて帰ってきましたが、この初代の轍をふまぬよう、「はやぶさ2」では、何としてもサンプルを確実に採取し、リターンさせることを目的に数々の改良が行われました。

ちなみに、初代「はやぶさ」においては着地探査ローバーとして「ミネルバ」が用意されていましたが、その着地も成功させることが出来ませんでした。今回の「はやぶさ2」ではこちらでも万全を期すため、着地探査ローバーの搭載数は、1基から3基に増加させています。

また、ドイツ航空宇宙センターとフランス国立宇宙研究センターが共同開発した着陸ローバー「マスコット」(MASCOT, Mobile Asteroid Surface Scout)と併せて投入、運用されますから、成功すれば合計4機ものローバーが龍宮城をはい回ることになります。




このほかはやぶさ2には姿勢制御用にリアクションホイール(RW)という機器が搭載されています。リアクションホイールを1台だけ回転させると、その角運動量により軸回りの姿勢の安定度を得ることができます(コマが回転していると回転軸が安定して倒れない原理)。

初代では信頼性強化の改造が裏目となり、3基中2基が運用不能となったこのリアクションホイールもかなり改造され、かつ3基から4基へと増加されています。また、今回はなるべく着陸時までは温存するため、できるだけ太陽光圧を利用するとともに可能な限り一基のリアクション・ホイールでの運用でリュウグウへの到達を目指す予定だといいます。

また、新たに高速通信が可能な平面アンテナを従来のアンテナに追加したことで、全般的な高速通信速度が可能となり、極限時の指令運用ができるようになりました。これにより、指令のデータが迅速に遅れるようになり、より速やかかつ正確なタッチダウンが行えるようになるはずです。

さらに、今回のミッションでは、イトカワでの3ヵ月に比べて6倍にあたる1年半を費やして調査することにしています。



目標小惑星である姿勢がほぼ垂直であったイトカワでは、だいたい12時間の自転毎に天体全面を観察できたのに比べて、リュウグウの場合はかなり観測がしずらいことが予想されています。リュウグウの自転速度は7時間半とイトカワに比べてかなり短く、何より自転軸が黄道面に対して横倒しに近くなっています。

つまり、炭火の上の焼き鳥のような状態で自転しているようなものであり、太陽からの光があたりにくく、観測効率が極めて悪くなることが予想されます。このため観測時間をできるだけ延ばし、観測データ不足を補おうというわけです。

「はやぶさ2」計画は、生命誕生の謎を解明するために実施されると上で書きましたが、とくに持ち帰ったサンプルの分析によっては、生命の起源についてのさらに新たな知見をもたらす可能性があります。

とくにアミノ酸の採取が期待されています。アミノ酸は、NASAが1999年に彗星探査を目的に打ち上げた探査機スターダストでも確認されており、同探査機が2006年に持ち帰った資料の中にも含まれていました。しかし、日本の「はやぶさ」と同様、得られた試料は極めて微量であったため、今回のミッションにより多くの期待がかかっています。

「はやぶさ2」が目指すリュウグウは、C型小惑星と呼ばれてており、炭素を多く含む「炭素質コンドライト隕石」と似た物質で出来ていると考えられる小惑星です。

この「炭素質コンドライト」の中には生命が誕生する際に必要となる有機物が含まれている可能性が高いといいます。地球近傍に存在するリュウグウのような小惑星が有機物を含むことが実証されれば、これらが隕石として地球に落ち生命の起源に寄与したという仮説が成立することになります。

2014年12月3日13時22分、はやぶさ2は、H-IIAロケット26号機により打ち上げられました。その後、イオンエンジンや通信系などの初期のチェックアウトをすべて順調に終了。2015年3月3日、巡航フェーズへ移行後、同年12月3日、地球スイングバイを実施、現在順調にリュウグウへ接近しています。

2018年夏、リュウグウに到着し、約18ヶ月間滞在する予定で、とりあえずは探査ローバーの着陸とサンプル採取の成功が期されています。その後、オリンピックが開催される2020年末、地球へ帰還する予定ですが、初号機「はやぶさ」のようなトラブルもなく、無事に帰ってくることが期待されます。

そのオリンピックのとき、小池さんははたして東京都知事のままでいるのでしょうか。

龍宮がらみでもうひとつ、「龍宮童子」という、人間の願いをかなえる力を持っている龍宮の子供についての昔話をしましょう。

年の瀬に正月用の松や薪などを売っていたおじいさんがいましたが、一向に品物が売れません。売れ残っても商売にならないため、ついには「龍宮にさしあげます」と言って海の中に叩き捨ててしまいました。ところが、帰ろうとするおじいさんに、もしもしと水中から声をかける者がいるではありませんか。

なんだろう、とおじいさんが水面に顔を近づけたとたん、いきなり水の中に引きずり込まれ、気が付くとそこは龍宮城でした。やがて乙姫様が現れ、松や薪をくれたお礼だといって、飲むや食え、歌えの大宴会。ひとしきりのもてなしを受けたあと一人の子供が贈られました。

これが龍宮童子です。帰宅後、その子供がおじいさんとおばあさんの願うものを次々と出してくれるため、二人はとても裕福になります。しかし、その童子は非常に汚かったため、ふたりは次第にその子を邪険にするようになり、最後には追い出してしまいます。

すると今まで出してくれた金品は全て失われてしまい、家はもとのように貧しくなってしまった、といいます。

一向に人気が出ないニンシン党はキボウの党にタダ同然で身売りをしました。ニンシン党は良く働き、多額のお金を貢いだために、キボウの党は裕福になり、ついに政権をとることができました。

しかしあまりにも内情がひどかったため、国民に見放され、最後には邪見にされて追い出されてしまい、両方ともまたもとの貧しい党に戻ってしまいました…

ということにならないよう、頑張ってほしいものです。