幸せってなんだっけ?

3月も半ばを過ぎ、かなり暖かくなってきました。

伊豆のソメイヨシノはまだ咲き始めのようですが、他の地方ではもう既に3~4分咲きというところも多いようです。

このソメイヨシノは、様々な遺伝子研究により、実はクローンであることが証明されています。つまり、日本中、どこにあるソメイヨシノも同じ栽培品種のコピーということです。ということは、気温などの環境条件が整えばたとえ数百本であっても同時に一斉に咲くということになります。その開花が爆発的なのはこのためです。

しかし、日本の国土は南北に細長く、一般には暖かい九州や四国から順番に咲いていき、最終的には北海道に達します。いわゆる桜前線といわれるものです。ただ、桜前線にも南限があります。日本におけるソメイヨシノが健全に生育できる南限は、低地では鹿児島県の屋久島や種子島、高地では奄美大島などです。

それでは沖縄ではソメイヨシノは咲かないのか、という疑問が沸きますが、そのとおりです。沖縄本島だけでなく、石垣島や宮古島でも咲きません。同程度の緯度にある台湾でも同じです。気候に合わず、数年で枯れてしまうそうです。

ではソメイヨシノが咲く北限はどこか、と調べてみたところ、日本以外で最も北の地域で咲くのが、デンマークのコペンハーゲンのようです。稚内の緯度が45.4度ですから、これよりはるかに北になり、緯度は55.6度です。

ヨーロッパは北大西洋を流れる暖かい海流で冬も極端に気温が下がることがなく、育つことができるようです。コペンハーゲンでも、4月末から5月初め頃までソメイヨシノを楽しむことができ、そのひとつは日本人にも馴染みのある、人魚姫の像のある公園です。

ランゲリニエ公園といい、ここの噴水池の両脇には、広島市に本店のあるタカキベーカリーというパン屋さんが寄贈した二列のサクラ並木があり、毎年サクラ祭りが行われています。

タカキベーカリーの各店舗の名前は「アンデルセン」といいます。創業者がデンマークのコペンハーゲンで食べたデニッシュペストリーに感銘してこの屋号を使うようになったそうです。その名はデンマークの童話作家ハンス・アンデルセンを由来としています。




このデンマークですが、高齢者福祉や児童福祉が充実しており、所得格差も世界最小であることで知られます。男女の賃金差もOECD(経済協力開発機構)中最小、ウェルビーイングも最高レベルです。これは「身体だけでなく、精神・社会面も含めた健康」を意味します。

公務員や政治家がどの程度汚職しているかを示す「腐敗認識指数」も世界最低です。さらに「社会的流動性」も高くなっています。ソーシャル・モビリティともいい、その指数が高い国ほど生まれた時の階級から脱却しやすく、自由や平等がある状態とみなされています。

平均寿命は81.2歳で日本の84.2歳には及びませんが、それでも長寿国のひとつです。医療制度は社会保険ではなく、税収を原資とするユニバーサルヘルスケアが実現されています。これはつまり、医療費はタダということです。GDPの11%が医療に投じられています。

国民1人あたりの医師数は3.424人で世界28位。2.297人で55位の日本を大きく引き離しています。医療の充実したカタールの7.739人や、キューバの6.723人、ギリシャの6.167人よりは少なくなっていますが、アメリカの2.422人よりは上です。

ただし、医師・看護師の給料が低いことから、医療従事者の慢性的不足に悩んでいるそうです。EU諸国やインドから医師や看護師を呼び寄せてはいるものの、診察や手術の予約待ちは数か月に及ぶのが普通だといいます。

また、福祉国家であるがゆえに税金が高いのが特徴です。デンマークの税制は広範囲なもので、物品税、所得税、その他の手数料に加え、25%の付加価値税が課されます。地方所得税は平均33%ほどもあります。GDPに占める税収比は50%弱でOECD各国で最大です。

しかし、市民の生活満足度は高く、国連による世界幸福度報告ではフィンランドに次いで第2位、世界幸福地図では世界178ヵ国で第1位です。デンマークの次にはノルウェーが3位に入っており、スウェーデンも7位に入るなど北欧の国の幸福度が高くなっています。

なぜ、北欧の国ばかりなのかですが、これらの国は社会民主主義に基づいた経済社会モデルを構築しているからです。ノルディック・モデルと呼ばれ、安全保障や治安維持などに重きを置かず、社会保障制度を充実させることを基本として国民の生活の安定を図っています。

この世界幸福度はどうやって決めているか、ですが、その説明変数は以下の5つです。

1.人口あたりのGDP
2.社会的支援(困ったときに頼ることができる親戚や友人がいるか)と健康寿命
3.人生の選択の自由度(人生で何をするかの選択の自由に満足しているか)
4.寛容さ・気前の良さ(過去1か月の間にチャリティなどに寄付をしたことがあるか)
5.腐敗の認識(不満・悲しみ・怒りの少なさ、社会・政府に腐敗が蔓延していないか)

以上をもとに、150以上の国や地域を対象に幸福度を、各個人の回答の数値の平均値として算出します。人の幸福を図るのにたったこれだけかと思われるでしょうが、世界中の幸福度合いを算定するのは大変な作業であり、これくらいシンプルにせざるを得ないのでしょう。

ちなみに、日本の世界幸福度は2010年代前半は40位台でしたが、後半には50位台に転落し、2020年は58位と年々下がっています。諸説ありますがその理由としては、2.の社会的支援が少ないことが考えられます。

幸福度は、頼れる人の数・ボランティア活動が増加するほど高くなることがわかっていますが、日本は他国に比べボランティアをやる人が少なく、頼りにできる人がいない、と皆が思っているのです。他に休暇が少ないことも原因といわれているようです。

身を振り返ってみて、あなたはどうでしょうか。幸福とは何か?それを測る尺度は?と聞かれてみなさんはどう答えるでしょう。

よく言われるのは、「心が満ち足りていること」といったことですが、あまりにも抽象的すぎてピンときません。単に「幸せであること」という人もいそうですが、言葉を言い換えたにすぎません。幸せであるとはどんな状態で、そうなるためにはどうすればいいのでしょう。

古来、幸福については、多くの哲学者や思想家や宗教家が考察してきました。幸福とは何ぞや、幸福であるためにはどう生きるか、といった方法論を提示した文章・書物は「幸福論」(エウダイモニアニクスeudaemonics)と呼ばれ、学問的な扱いまでされています。

アリストテレスは、幸福は、人間にのみそなわった理性の活動の完成によって実現し、理性の活動とは、人間としての徳の追求である、と述べました。また、ソクラテスは、「生きること」以上に「よく生きること」を重視し、正しく知ることが重要であると説きました。

「人間は考える葦である」の名文句で知られる、物理学者ブレーズ・パスカルは、「絶えず幸福になろうとしている状態にある限り、けっして幸福になることがない」と述べています。

???ではないでしょうか。いずれも難しすぎてよくわかりません。むしろキリスト教のように、幸福とはこれすなわち「愛があること」と言ってくれたほうがすっきりします。キリスト教が普及した中世ヨーロッパでは、真の至福は個々の人間の努力によって得られるものではなく、神からの恵み、すなわち愛(恩寵)によってのみ得られる、とされました。

しかし、近代に入ると、キリスト教とは違った世俗的な価値観が現れ、イギリスなどでは、「快楽」のもたらす満足感が幸福につながるとする発想が芽生えました。結果、人を押しのけてでも快楽を得ようとする空気が生まれ、これは後に「功利主義」につながってゆきます。

功利主義とは、望ましいとされる行為や社会的な制度は、その結果として生じる効用(有効性)によって決まる、とする考え方です。つまり結果が出なければよしとしない風潮です。このころから、幸福は何やら物的なものとして捉えられていくようになります。

イギリスの哲学者、ジェレミ・ベンサムは「量的快楽主義」を唱え、快楽・苦痛は量的に勘定できるものとしました。同じくイギリスの哲学者、ジョン・スチュアート・ミルは快苦には単なる量では測れない質的な差があるとして「質的快楽主義」を唱えました。

この二人の哲学者の意見はつまり同じです。欲求というものの量や質が満たされさえすれば人は幸福である、と言っているのです。物欲が満たされることをすぐに幸福に結びつけて考えてしまう人にとっては、都合のいい考え方です。

しかし、実は多くの人がこの「欲求」というものの正体が分かっていません。自分が何を求めているかが理解できていないために焦ってさらに欲求を満たそうとします。そしてついには欲求に負け、人生の舵取りの主導権を譲り渡してしまいます。欲求は限りなく膨張しつづけますから、幸福である、と思えるような域には永遠に達することはできません。

「幸福である」という状態は、そういうふうに「測る」ものではなく、主観においてしみじみとそうであると感じるものではないでしょうか。自らが望ましいと考える「心のありかた」をいろいろ探した上で、意識的にこれが幸せだ、といえるものを見つけたときこそが真に幸せといえる状態だと思います。

心のあり方は「心の持ちよう」とも言い換えることができます。「曲肱(きょくこう)の楽しみ」という言葉がありますが、これは肱(ひじ)を曲げて枕の代わりにするような貧しい生活の中でも楽しさを見つけることができる、という意味です。心の持ちようによって、幸せかそうでないかは決まってくる、ということを表した名言です。



近年の研究でも、そうした幸福感を決めるのは、居住空間や経済的なものといった環境条件ではなく、個々人の「内的特徴」だということがわかってきました。難しい表現ですが、「信仰心」や「ものの考え方」と言い換えるとわかりやすくなります。「ものの考え方」は「心の持ちよう」でもあります。

幸福感に大きな影響を与えているのは、「婚姻状況」および「信仰心」である、という研究結果もあります。ここでいう婚姻状況とは、未婚/既婚/離婚の違いです。結婚が幸福の条件というのはわかるような気がします。また信仰心の対象は、アメリカでもっともポピュラーな宗教、キリスト教を示します。日本人の場合は仏教がこれに相当するかもしれません。

米国の世論調査会社、ギャロップ社が世界14ヶ国の16万人余りを対象として行った調査でも、信仰心があつくて礼拝や儀式にもよく参加する人のほうが幸福であると感じる比率が高い、という結果が出ました。文化的な違いはありそうですが、日本でも宗教への帰依に充実感を感じる人は多いようです。

さらにアメリカの心理学者、デービット・G・マイヤースが世界各地の110万人を対象に調査した結果、2割の人がとても幸福であると答え、約7割の人がかなり幸福、あるいはそれ以上と答えたそうです。意外と言ってはなんですが、これほど貧困がうずまくこの世界において、この数字はかなり高いものといえます。いったい何が要因なのでしょうか。

1980~1990年にアメリカのシカゴ大学によって行われた調査では、こうした幸福感を持っている人に共通する特徴として、以下のようなものがあることがわかりました。

1.自分自身のことが好きであること
2.主体的に生きているという感覚を持てていること
3.楽観的であること
4.外向的であること

これを見ると、なるほどお金持ちであるとか貧乏であるといった境遇は関係ないように思えます。たとえ貧しくても自分自身が好きで、生きていると実感できれば幸福感を味わえるわけです。また、楽観的で外交的であるということもお金とは無縁です。

私はこのうち、自分自身を好きになれるかどうか、というところがとくに大事なように思います。自己を愛することができれば、主体的に生きやすくなり、楽観的にまた外交的にもなれるからです。幸福だと思える人にはナルシストが多いに違いありません。

同じシカゴ大学の研究結果からはさらに、人は「価値ある活動」に積極的に参加し、自身のゴールをめざして前進するときに、より多くの幸福を感じることができる、ということがわかっています。

「活動」の見極めはなかなか難しそうですが、例えば仕事やボランティアといった言葉に置き換えるといいでしょう。人によっては、スポーツであるかもしれません。

一方、何が自分にとって価値がある活動であるかを認識するには、人生で起こる色々な出来事に対して、できるだけ多様な解釈ができるような柔軟な思考が必要になってきそうです。

例えば 死=「全ての終わり」、とみなすよりも、死 =「異なる世界への旅立ち」と考えたほうがよりポジティブといえます。死んだら終わり、というわけではなく、死後の自分まで含めて生を考えることができるようになれば、人生の視野はかなり広がりそうです。

元福島大学の教授で、現在は様々なスピリチュアル・ケア活動を行われている飯田史彦さんは、人生について最も豊穣な意味づけを可能にするのが、「自分たちは、ある法則のもとで人生を何度も繰り返しながら成長している」という人生観だとしています。

現在の状況を冷静に客観視し、「今の人生は、次の人生の下地なのだから、今回の人生を日々大切に生きよう。そうすればその努力は次の人生にも反映される」と考えれば、希望を持って今を生きようという気にもなります。また死に対する恐れや怒りといった破壊的な感情から抜け出すことができます。

このように、今人生で起きているいろいろな出来事に対して、これまでとは違う目線で物事を解釈することができるようになれば、より高い視点、広い視野でもって自分の人生を眺めることができそうです。「価値ある活動」も見つかりやすくなるのではないでしょうか。

作家の五木寛之さんは著書「人生の目的」の「あとがきにかえて」で次のように書いています。

「人生の目的は、“自分の人生の目的”を探すことである。自分ひとりの目的、世界中の誰とも違う自分だけの“生きる意味”を見出すことである。変な言い方だが、“自分の人生の目的を見つけるのが、人生の目的である”といってもいい。私はそう思う。」(中略)

自分だけの人生の目的をつくりだす。それは、ひとつの物語をつくるということだ。自分で物語をつくり、それを信じて生きる。しかし、これはなかなか難しいことである。そこで自分でつくった物語ではなく、共感できる人々がつくった物語を“信じる”という道もある。」

「“悟り”という物語。”来世”という物語、”浄土”という物語。”再生”という物語。”輪廻”という物語。それぞれ偉大な物語だ。人が全身で信じた物語は、真実となる。」

五木さんは、「価値ある活動」は必ずしも自分で見つけなくてもいい、と言っていると思います。自分で物語を作るのが大変ならば、人が作った物語を信じればいいと言っているわけで、それだけでずっと人生の重み取れたような気になるはずです。

他方、自分だけの物語を作りたい、その偉大な物語を信じたい、という人もいるでしょう。いずれにせよ大切なことは、自分なりの価値観を持って生きるということであって、それは自分が作ったものであっても人が作った物であっても良いわけです。それを信じることが自分にとって一番いい、と思えることもまた幸福であるという状態ではないでしょうか。


デンマークの作家、ハンス・クリスチャン・アンデルセンもまた、童話という物語を綴るだけでなく、「自らの人生の物語」を一生かけて探し続けた人だったかもしれません。

1805年にコペンハーゲンのあるシェラン島と海峡で隔てたフュン島というところで生まれました。父は流れ者の靴職人、母は洗濯婦で、家は貧しかったようですが、アンデルセンは両親の愛によって育てられ、豊かな想像力を育みました。

しかし、アンデルセンが8歳のときに父親が徴兵され、絶望の中、精神を病んで亡くなります。父方の祖父も発狂死しており、アンデルセンはいつか自分もそうなるのではないかと、その後の生涯の間、常に不安に感じていたといいます。

その後母親が再婚したため居場所がなくなったアンデルセンは、学校を中退し織工の見習いを始めますが、15歳の時、オペラ歌手になろうとコペンハーゲンに向かいました。しかし生活は困窮を極め、創作する劇作や歌なども認められず、その後も挫折を繰り返します。

自慢だったソプラノボイスも声変りし夢破れますが、運よく王立劇場の踊り子見習いとなり、同劇場の支配人の助けを借りて大学にも行けるようになります。しかし、結局は卒業もせずに中退して、28歳までヨーロッパ各地を転々としました。

ローマ滞在中に最初の小説「即興詩人」を書き、デンマークで出版したところ反響を呼び、ヨーロッパ各国で翻訳出版されました。人気作家となった彼はその後も死去するまでの間に多くの童話を発表しつづけましたが、70歳の時に、肝臓癌のため亡くなりました。

その一生には暗い影が落ちている印象があります。死去するまで数多くの童話を発表しましたが、特に前半の作品には彼自身の人生を反映させたような内容のものも多く、代表作である「人魚姫」も失恋が原因で生まれました。声を失った人魚姫が最後に海に飛び込んで泡になるという結末は、失恋後の自分の姿を投影したのではないかといわれています。

長じるまでの貧困やオペラ歌手になる夢に挫折したこともありますが、その人生が薄幸に見えるのは、とくにこうした失恋の連続の痛手が影響しているようです。生涯独身でしたが、幾度も激しい恋をし、常に破れ、その都度、その痛手を作品に反映させました。

初期の作品では主人公が死ぬ結末を迎える物も少なくありません。死ぬ以外に幸せになる術をないと考える貧困層の嘆きと、それに対して無関心を装い続ける社会への憤りを書き続けましたが、それこそが若き日のアンデルセン自身の姿であったようです。

しかし、その傾向は有名作家になっていく壮年から中年にかけてようやく緩められていき、晩年には死以外にも希望を持てる方向性があることを書き出すようになりました。おそらくは歳を重ねるにつけ、幸福の意味がわかってきたのでしょう。

たとえば、55歳のときに出版された「パンをふんだ娘」は、高慢な少女の生まれ変わりの物語です。ドレスを汚したくないあまりに雨上がりに出来たぬかるみにパンを放り投げ、それに飛び乗った少女、インゲルはパンもろとも沈み込んでいき、死んでしまいます。

たかがパン一切れのためにどうして自分が地獄へ落ちなければならないのかと、自分の高慢さを全く反省しないインゲルでしたが、地上では底無し沼へ沈んだインゲルを憐れみ、神様にインゲルが天国へ行けるよう祈りを捧げる一人の少女がいました。

やがてこの少女も歳を取り、死の床に就きますが、インゲルのことを片時も忘れることは無く、彼女が天に召されるよう祈りながら亡くなります。その祈りは神に聞き届けられ、インゲルは灰色の小鳥に生まれ変り、以後はどんな小さなパン屑であっても粗末にせず、他の鳥に分け与えるようになりました。

そして、他の鳥に分け与えたパン屑の量があの時踏んだパンと同じ量になると、インゲルの罪は許され、長い苦しみから解き放たれて天国へ召されました。

それまでの彼の作品では、何かと主人公が悲劇の渦中にあるまま亡くなるといったものが多かったのに対し、この作品はなんとも幸せな余韻が残る作品に仕上がっています。

アンデルセンはまた、56歳の時に書いた「蝶」というほのぼのとした作品も残しています。

チョウがかわいい花をお嫁さんにしようと考えました。よいお嫁さんを選ぶためにヒナギクに花占いを行うよう頼みますが、未婚者のヒナギクを「奥さん」と呼んでしまったためヒナギクから相手にされなくなってしまいました。仕方なく求婚の旅に出ていろいろな花に出会いますが、高望みをするチョウを気に入る者は誰もいません。

春がすぎ夏になり、やがて秋になってしまいました。最後にチョウはハッカソウに求婚しますが、今度は彼女に、行き遅れた者同士での結婚などいけませんとたしなめられます。結局そのまま独り者になってしまったチョウは人間に捕まり、標本箱に収められてしまいます。

きれいに飾られて気分がよいチョウでしたが、思ったよりも居心地が良くありません。結婚もこのようにいいものではないかもしれない、とチョウは自らを慰めますが、鉢植えの花からは、「単なる気休めよ」と言われてしまいます。

そこでチョウは考えてしまったに違いありません。幸せってなんだっけ?