潮の変わり目

日中の最高気温が30度を超えるのもめずらしくなくなってきた。

ここへ来たときは、みどり葉の一枚もなかった木々が、今は青々と茂っている。

冬から夏までの3シーズンをここで過ごしているのだな、と改めて実感している。

その間も脈々営々と人々の暮らしは続いている。

活気のある国だな、と感じることができる。

自分の住む町と比べてなんと、賑やかなことか。

おそらく私が子供のころの日本もこんな感じだったんだろうな、と思ったりもする。

高度成長期に入るころのことであり、景気のよい今の中国と似ていたかもしれない。

いまこの国では、人口ピラミッドの底辺が、うんとこさ分厚い。

今の我が国は逆ピラミッド型だ。

層の厚さだけでなく、数も多い。

上から下までトータルすると、なんと我が国の十倍以上である。

それだけ多くの人間をこれだけの豊かさのレベルで保っている、というのはすごいことである。

ただ、見習うべきものかどうか、と聞かれると、はて?と思ってしまう。

はたしてそうだろうか。

確かに労働力は若くて多く、活気があるわけだが、文化レベルを思うと一概に高い評価をあげられない。

人々のモラルや意識という点でも、まだまだだよな、と思うところが多い。

環境変化に対する対応も立ち遅れているし、所得格差は依然大きい。

ただ、日本もまたかつてはそんなレベルだったのである。

経済の成長と後退の双方を経て良きも悪きも学び、環境の悪化にも適応し、克服してきた。

発展途上国にも手を差し伸べ、他国との争いもできうる限り回避してきた。

それらを通じて、他の国をけん引するリードオフマンとしての立場も経験してきたから、今の日本がある。

世界に誇れる国だと自負できるほどのレベルにはあると思う。

これからは、イギリスのように成熟していき、かの国と同様、老獪と言われるような国になっていくに違いない。

それに比べればこの国はまだまだ若い。

何を言うか、四千年の歴史があるではないか、と言われそうだが、戦後すぐにそうした歴史はとうに捨ててしまっている。

戦後しばらくはその反動で、貧しかったが、日本をはじめとする先進国から大枚の援助金を貰って凌いだ。

それを原資に力をつけた。

共産党という独裁政権の指導で、本来ならいろんな栄養素によって育まれるべき豊かな土壌が、カルシウムと窒素、そして農薬だけで賄われる大地になった。

しかしそれだけでも作物は育つ。しかも大量にできるから、それを外国に売って儲けた。

多くの人がいても、地産地消が可能だから、なんとか経済は回る。

そのおかげで人件費が抑えられた結果、安価にモノを作り、輸出することが可能となり、世界の工場と呼ばれるようにもなった。

10億ものひとびとを十分に潤すほどの金がそれによって入ってきた。

しかし、外へ出した産品は、元手はかかっていないから、安かろう悪かろう、ということで評判はよくない。

知恵も自分たちで出さず、よその国からタダでもらった知識だけでモノを作るから、出来上がったものは独創性に欠ける。

環境への配慮も行き届いておらず、儲かった金をどんどん武器を作るのに使うので、他の国からは警戒され、嫌われる。

嫌われまいと、貧しい国に金を貸して、歓心を買おうとするが、それがまた他の国の反感を買う。

国民に対しては、なりふりかまわず儲けろ増やせ、と励ます一方で、情報を操作し、真実はけっして伝えない。

本当に諸外国の事情を知っているのは、指導者たちと、ほんのわずかな知識人だけではないのだろうか。

この国の今の豊かさは、どこかそうしたいい加減さや危うさ、傲慢さによってもたらされてきたものである。

そんな環境の中で、モラルや謙虚さといったものが培われるわけがない。

文明的といわれるような優れた国民性を身に着けるためには、この国も一度敗北を味わわなければならないのではなかろうか。

かつての日本と同じように、どん底の時代を知ったほうが良い。

敗者の立場を経験することで、弱者の気持ちもわかる、というものである。

日本や欧米諸国と戦って敗れた苦渋の意味を、当時の人々が均等に共有できていたかといえばそうでないように思う。

国民全体の知識レベルは低すぎたし、国が広すぎた。

現在では教育がいきわたり、ある程度はそれが可能な土壌がある。

しかしいかんせん、まだ存続の危機に陥るほどのダメージを受けたことがない。

とくに諸外国との関係においては。

アメリカもかつてそうした不遜を身に纏った国であったが、ベトナムやアフガンを経て、多少はましな国になった。

同様の経験を中国もすべきなのである。

おそらくははこんどのウクライナ戦争がその契機になるだろう。

ロシアに同調するこの国はやがて大きな痛手を経験するに違いない。

そのとき、ああ日本という国ともっと仲良くしておけばよかった、となるだろうか。

そう思いたい。

と、ここまでそんなふうに考えてくると、今私が関わっている事業も相当危うい気がしてきた。

なにせそういう国が誘致した仕事である。

日本政府もなぜこんな事業を引き受けたのだろう、とはなはだ疑問に思う。

自分たちの負の遺産の処理とは表向きの理由で、何かこの国におもねっている気がする。

そこから「何か」が引き出せるとでも思っているのだろうが、大きな間違いだ。

もともと妙な仕事だなとは思っていたが、その実態がわかるにつけ、ますます関わりたくなくなってきた。

ここらが潮時である。

変わった潮目からさっさとここを抜け出し、大海に出よう。

波が荒かったとしても、そこから見える景色が素晴らしいものであることを確信している。



いびつな真珠

齢を重ねたな、と思うことが多くなってきた。

いよいよ私の人生も佳境に入ってきたようだ。

そうした気分になるだろう、と予想していたわけではないが、今回の長期出張で読もうと、随筆に類する本を数冊持ってきた。

その中に、人生最後を迎える人たちの物語を綴ったものがある。

「病院で死ぬこと」と言うタイトルで、十年ほど前に映画にもなった。

著者は医師で、この本をきっかけに終末医療であるホスピスの専門医になった。

その人が関わることになった末期がん患者たちを通してのそれぞれの人生が語られているが、なにぶんテーマがテーマだけに重苦しい内容も多い。

なぜこんな暗い気分にさせるような本を買ったのかな、と思うのだが、背後で何かささやく人がいたのかもしれない。

そのためもあってか、生きてることの意味やありがたさを改めて考えさせられている。

同世代の知り合いの中で、病や障碍を持っている人もいる中、私はいたって元気である。

右手に関節症の火種は抱えているものの大きな痛みはなく、中国に来てからはダイエットや筋トレの甲斐もあって体調はよい。

…と、なぜこんなことを書きはじめたのか、とペンが止まった。

心の奥底をのぞいて改めて考えてみるに、要は齢ほどには老いていないということを誇りたいらしい。

昔は人生50年と言われた時代があった。それをはるかに超えても生きており、しかも同世代に比べれば中身の調子はすこぶる良い。

外見はともかく。

これだけ健康でいられるということは、つまり生かされている、ということであり、そのためのお役目がまだまだある、ということなのだろう。

いまのところ、ぽっくり死ぬような兆候はないわけであるが、ただ、これからさらに齢を重ねていくなかにおいて変転もあるかもしれない。

一転して死の病に冒される、ということもありうるわけで、それがあってもおかしくない年齢といえるのである。

とはいえ、病というものは年齢に関係なく訪れる。

前妻がそうだった。

周囲を愕然とさせたその彼女の死はしかし、私や関係する人々をより強くした。

と、今では心穏やかに振り返ることができるが、その当時の衝撃は言葉では言い表せない。

いずれまた同じようなことがあるに違いない。

しかし、そうした苦しみをいくつも経験することで、新たな衝撃は弱まっていく。

多大な困難にいくつも直面することで、その魂がより強固なものになっていくからだ。

凝固していくのか、あるいはその表面だけが固くなるのか、ともかく外からの衝撃に耐えられるようになっていく。

鎧のようなものを形成するのかもしれないし、なにか鱗のようなものなのかもしれない。

きらきらと光る無数の片鱗に覆われた球体が、光り輝いている、そんな映像が頭に浮かんでくる。

艱難に耐えて、磨きぬかれた人の魂はきっと輝きを纏って美しいに違いない。

ただ、いまの自分のものもそうか?と考えると、そうでないような気がする。

まだまだ、くすんだ灰色をしていることだろう。

残る時間でそれをどこまで輝かせるようにできるかが問題である。

その終焉のきらめきによって、私の人生が評価される。

あるいは、魂と言うものは、真珠のように貝殻の中でだんだんと成長していくものなのかもしれない。

真珠といえばまるいものを想像するが、形がいびつなものもある。

私のものも真円ではなく、ゆがんでいるように思う。

一般には流通に値しないものではある。

しかし、真珠には変わりない。

丸くない真珠であっても、普通以上の輝きを持ったものもあるはずだ。

形は整っている必要はない。

売り物ではないから。

むしろそのほうが個性があっていい。

いびつではある、しかし美しい輝き持っている。

そんな真珠のまま今生を終えたい。




変化を受け入れる

月末にまたホテルを移動するという。

何の意味があるのか、まったく理解できないが、この事業をけん引するひとたちが決めたことである。

経費削減のため、というもっともらしい理由をつけているが、主が良いところに住めと言っているのに、わざわざあばら家に移り住むようなものである。

リーダーの資質に疑問を感じざるを得ない。

意見をさしはさむこともできなくはないが、私が手を下さなくても、それが間違った選択であるならいずれ彼らにも鉄槌が下るだろう。

むしろ、こうした流れなのだと、受け止める気持ちになっている。

変化を受け止めるということと、諦めるということは違う。

後者は消極的な運命の受容であるのに対し、前者には積極性が認められる。

これから起こることに、すすんで関与しようという意思がうかがわれて潔い。

かりにそれが悪い変化だと思えたとしても、それが自分を向上させてくれると信じている。

災い転じて福となす、ということわざがあるが、マイナスな部分をあえてプラスと考えて勝ちを取りに行こうという意気込みを感じさせる。

対して、諦めるというのは敗北である。

おおきなもの、強いものに巻かれて、それに屈服することで、何とか生き延びようとする弱いこころの表れだ。

たいていは、諦めたあとに、苦い後悔の思いが残る。

自分に負けたと感じ、大なり小なりそのふがいなさを責める。

一度や二度ならばまだよいが、それが重なり合っていくと、やがて自分を見失うことにもつながる。

自分という人間に価値を見いだせないということであり、つまりは自分を愛していない、ということでもある。

あえて変化を受け止めるという姿勢は、これとは違う。

さらに自分を向上させようとする自己愛からくるものである。

新たな変化に対応させ、さらに魂の成長を促そうとするハイヤーセルフの意思がそこにうかがえる。

厳しい条件に自らをさらして鍛え、さらに高いハードルを目指すことで、強い意志が形成される。

そのことでさらに成長できるのだよ、と言っているのである。

つまり、変化を受容できるかどうかというか課題の中には、自分を愛せるか否か、という大きな命題が隠れているわけだ。

変化を受け入れる=自分を信じる  諦める=信じていない ということになる。

であるからして、今回の移動もあえて受け入れようと思う。

もしかしたら新しい出会いがあるかもしれない。

それは人とは限らず、何か新しい風景かもしれないし、もっと別のものかもしれない。

過度の期待はしなくていい。

一方では悪いことも起こるかもしれないが、、なにごとにつけても、否定的に受け止めないことが肝要だ。

起こることにはすべからく意味がある。そう思えるほどに変化に対しての受容ができるようになりたいものである。

帰国後にはさらに大きな変化が待ち受けているであろう。

新たな出会いやシチュエーションだけでなく、さらに難しい仕事に直面する、といったこともあるかもしれない。

それはそれでステージが上がることになり、さらに生きにくくなる可能性もある。

しかし、その中に大きな飛躍が待っている、と信じたい。

良い晩年だった。

すべてを受け止めることができれば、きっとそう思えるようになるに違いない。