6月はドウでしょう

2015-1861

6月になりました。

6月は水無月(みなづき)といいます。その由来には諸説あります。旧暦では現在の6月下旬から8月上旬ごろに当たることから、梅雨が明けて暑い夏がやってくるため、文字通り、水が涸れてなくなる月であるという説がひとつ。

逆に田植が終わって田んぼに水を張る必要のある月でもあるため、「水張月(みづはりづき)」と呼び、これを略して「水月(みなづき)」としたものが起源とする説もあります。これに関連して、田植という大仕事をみんなで仕終えた月ということで、「皆仕尽(みなしつき)」、つまり皆でし尽くした、とする説もあるようです。

いずれにせよ日本では水に関連づけられてこの呼称があるわけです。農耕民族の発想です。ところが、騎馬民族が支配したヨーロッパでは、6月の呼称、Juneはローマ神話の最高位の神様、ユーピテル(ジュピター)の妻ユノ(ジュノー)からきています。

同じ暦の呼称でも、場所や民族の特性が違えば、このように違ってくるわけです。このユノは6月の女神として知られます。古代ローマでは各月を司る神様が決められていて、毎月その神様を祭る祭日があったようです。

たとえば、6月の前の5月の神様は春を司る豊穣の女神マイア(Maia)であり、5月の呼称Mayもこの女神からきています。

一方、6月に割り当てられたユノは、女性の結婚生活を守護する女神で、主に結婚、出産、育児を司ります。また主神ユーピテルの妻であるということは、ファーストレディーでもあり、最高位の女神です。結婚生活の守護神とされるのはおそらくこのジュピターと結婚した月が6月だからなのでしょう。

このことから、6月に行われる結婚式のことを「ジューン・ブライド」と呼ぶ、というのはおなじみの話です。

我々も6月に結婚しました。来たる20日が結婚記念日です。7年目なので、銅婚式ということになるようです。紙、綿、皮、花、木、鉄、ときて、ようやく貴金属のはしくれの銅までやってきたわけです。

感慨深い……というほどでもなく、いやぁあ゛~もうそんなになるんかい~、というかんじで、結婚したてのことなど遥か大昔のことのようです。が、ともかく仲睦まじく6年間も暮らして来れたのは喜ばしいことであり、来たる銅婚式は盛大にお祝いすることにしましょう。

「銅」ということで何等かの銅製品を買うといい、ということなのですが、鍋物が好きな夫婦なので銅製の鍋などドウでしょう。

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それにしても、この先銀婚式までは、さらに18年、金婚式に至っては43年も先です。銀婚式はともかく、金婚式まで生きているかしら……

まっ、先のことは置いておくとして、この銅というヤツは、防水性および防食性に優れるとともに、外観の美しさのために古代から多用されてきました。自然の中に多数存在している鉱物であり、先史時代から鉄などとともに最もよく使われてきた金属です。

人類とのお付き合いは、少なくとも1万年以上の歴史があるといわれます。銅以外での金属では、金および鉄(隕鉄)だけが、それ以前に使用されて金属です。そして、その事始めは紀元前9000年の中東で利用されはじめたのが始まりだといわれています。

イラク北部で紀元前8700年と年代決定された銅のペンダントが出土しており、これは確認される最古の銅だと言われています。またその後、銅と錫(スズ)などとの合金である青銅の製造が始められ、東南ヨーロッパで紀元前3700年~3300年頃には青銅器時代は始まりました。

この青銅器はまたエジプト、中国(殷王朝)などでも使われるようになり、やがて世界各地で青銅器文明が花開きました。青銅器の獲得により、石器時代に比べ、農業生産効率の向上、軍事的優位性を確保する事ができ、それによって社会の大幅な発展と職業の分化、文化レベルの向上が起こったと考えられています。

このほか、銅の文化的な役割は、特に流通において重要でした。紀元前6世紀から紀元前3世紀までを通してのローマでは銅の塊をお金として利用していました。初めは銅自体が価値を持っていました。が、徐々に銅の形状と見た目が重要視されるようになっていき、生まれたのが「銅貨」でした。

しかし、この時代にも銅は貴重品だったため、ガイウス・ユリウス・カエサルは銅に亜鉛を混ぜた真鍮製のコインを作りました。また、アウグストゥスのコインは銅と錫・鉛を加えた青銅製でした。この当時の銅の年間生産量は15,000トンと推定されており、ローマの銅採掘および溶錬活動は、のちの冶金技術の基礎を作りました。

さらには、15世紀に銅めっきの技術が確立すると、これは船体を包む銅包板へと発展し、大航海時代を支えました。クリストファー・コロンブスの船はこれを備えた最初期のものの1つであったといわれています。

一方では、銅の利用は通貨に限られたものではなく、芸術においても利用されていました。ルネサンス期の彫刻に多用され、以後、ヨーロッパだけでなく中国や日本などのアジア諸国でも盛んに銅を使った像がつくられました。さらに、100年ほど前までにはダゲレオタイプとして知られる写真技術にも応用されるようになりました。

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ところが、より硬く、より安価な鉄の製造技術が確立すると、多くの青銅製品は鉄製品に取って代わられ、青銅器時代から鉄器時代へと移行していきました。そして、近現代における銅生産は、産業革命によって衰退しました。

繊維業とならんで産業革命の推進役となった製鉄業が勃興し、また、貴金属製品としても金や銀があちこちで発見されるようになると、これらが銅よりも珍重されるようになりました。

しかしながら鉄より錆びにくいことから、鉄器時代以降も銅は一部製品には長く使われ続けました。例えば建築物の屋根葺板、あるいは銅像といった用途であり、特に大砲の材料としては19世紀頃まで用いられました。

ただ、銅製の大砲が性能が良かったということではなく、これは大砲のような大型の製品を材質を均一に鉄で鋳造する技術が無かったからです。青銅のことを時として「砲金」とも帯びますが、これはこのことに由来します。しかし、19世紀以降の製鉄技術の進歩によって、青銅砲は生産されなくなり、鉄製大砲へ移行することとなります。

そして、この新しい製鉄技術を支えるべくあらわれたのが、先日ユネスコの世界遺産登録への勧告が決まった韮山ほかの「反射炉」というわけです。

なお、銅の生産が多かった産業革命以前の時代には、銅精錬の際の副産物である亜硫酸ガスの大量放出が大きな問題になりました。例えば16~17世紀にはスウェーデンの大銅山において亜硫酸ガスの排出による影響で周辺森林の樹木が枯死し、全滅するという大規模公害が長期間に渡って続きました。

このような亜硫酸ガスによる公害は世界中の銅山で発生していたものと推測されています。銅による鉱毒の発生が産業革命以降も続いた国もあり、とくに主要な銅産出国であった日本においても顕著でした。明治以降の近代化に伴って発生した「足尾鉱毒事件」はそのうちでも最も有名なものです。

栃木県と群馬県の渡良瀬川周辺で起きた日本で初めてとなる公害事件で、1899年(明治32年)の官側の推計によれば、鉱毒による死者・死産は1064人です。が、これは、あくまで官側の推定値にすぎず、実際には死亡者はこれ以上とも、さらに毒によって体を蝕まれた人は数千人単位になるとも言われます。

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ところで、毒といえば、銅は、酸化が進むと次第に緑色に変化し、これは「緑青」と呼ばれ、これには有毒性がある、とはよく言われることです。化学的には「炭酸銅」といい、酸化腐食に対して高い耐久性を有しています。このため古来、建築材や仏像などに用いられてきたわけです。

この緑青には昔から強い毒があるということは、教科書や辞書類にも猛毒であると書かれるほどの既成事実として浸透してきました。が、最近の研究では恐ろしい猛毒というのは間違いで、他の金属と比較しても毒性は大差ないということがわかっています。

東大の医学部などによる研究において3年かけて天然緑青を動物に経口投与する実験を行った結果、猛毒といわれるほどのものではないことが確認されました。厚生省でも専門研究機関を設けて研究を行った結果、人体に対しても、緑青の主成分である塩基性炭酸銅の毒性は、さほど強い物とは考えられない、としています。

従って、緑青をふいた緑色の10円玉を舐めたくらいでは死んだりしません。むしろ、銅は人間の体にとって必要な物資です。銅が欠乏すると鉄分の吸収量が低下するため、様々な病気を引き起こします。

貧血のような症状を起こしたりするほか、骨の異常、低色素沈着、成長障害、感染症の発病率増加、骨粗鬆症、甲状腺機能亢進症などを発症し、ブドウ糖とコレステロールの代謝異常などももたらされます。

ただし、人間の体の銅に対する要求量がそれほど多くなく、あらゆる食品中に豊富に存在するので、特段銅を多く含む食品を選ぶ必要はありません。従って、10円玉をわざわざ舐める必要もありません。

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ちなみに、この10円玉ですが、純銅ではなく、スズ等と銅の合金である「青銅」です。青銅は古代からこうした通貨だけでなく、武器やブロンズ像など、彫刻の材料などにも多用されてきました。

「青銅色」という色があるくらいなので、青銅といえば緑色と思われがちですが、本来の青銅は黄金色や白銀色のような金属光沢を持っています。添加する錫の量が少なければ10円玉にみられるような純銅に近い赤銅色、多くなると次第に黄色味を増して黄金色となり、ある一定量以上の添加では白銀色となります。

古代のいわゆる「神鏡」とされるものも、「銅鏡」であり、これは錫の添加量が多いため、白銀色の青銅であることが多かったようです。ただ、錫の添加量が多いほど硬度は上がりますが、それにともなってもろくもなります。なので、青銅器時代の青銅製の刀剣は鏡などよりは錫の量を減らしており、これにより、黄金色程度の色彩でした。

また、銅鏡の場合、さらに時代が進んで中世・近世になると、錫の量をグンと減らして強靭な赤銅色の青銅として鋳造し、さらにその表面を水銀で磨いたうえでアマルガムを生成させ、鏡面とするようになりました。

しかし、いくら錫の量を減らしても、結局青銅は大気中で徐々に酸化されます。そして表面に炭酸塩を生じながら緑青となります。このため、年月を経た銅器はどんなものでもいずれはくすんだ青緑色、つまり前述の青銅色になります。

ちなみに、現代の日本の硬貨はアルミニウムでできている1円硬貨を除く、すべて銅を含む合金です。5円硬貨は、銅に亜鉛20%以上を含ませたもので、いわゆる真鍮(しんちゅう)ですが、正式には「黄銅」といいます。

また、上述のとおり、10円硬貨は銅と錫等の合金の「青銅」ですが、その品位は銅95%に対し、錫が1~2%、そしてこれに3~4%の亜鉛が混ぜ込まれます。

さらに、50円硬貨、100円硬貨は、ともに銅75%、ニッケル25%であり、こちらは「白銅」と呼ばれます。そして500円玉の組成は、銅72%、亜鉛20%、ニッケル8%で、これは「ニッケル黄銅」です。

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日本では、江戸時代以前より、金や銀で硬貨をつくる、本位貨幣制度を採用していました。が、日米和親条約締結後に、大量の金流出問題が起きたこと、また明治時代以降も金銀硬貨の海外への流出が問題となったことから、その後自由本位制度に移行し、金銀は使われなくなりました。

以後、補助貨幣では銅や銅合金を中心とした素材が用いられ、素材の価格と製造費用が額面を上回らない様に選ばれています。が、実際にはすべてそうなるとは限らず、硬貨ごとの発行益は、だいたい次の程度のようです。

1円 -13円
5円 1円
10円 -32円
50円 30円
100円 27円
500円 457円

500円玉が一番儲かるようになっているようですが、10円や1円のマイナスはそれ以外のこれらの硬貨で補っているわけです。銅を用いる理由は、金や銀よりも製造コストが安いためであり、別段銅を有事のためにストックする、といった意図はないようです。

しかし、硬貨の発行は金属の備蓄を目的に含む場合もあり、それに対応する素材が選ばれることもあります。たとえば1933年に日本が発行した「昭和8年銘」の10銭と5銭硬貨は純ニッケル素材でしたが、これは予測される有事に備えて、兵器の材料として不可欠なニッケルを輸入する口実としてあえて素材を変更したものでした。

いわば軍需物資のストックの隠れ蓑であり、実際に戦争中は流通していた銀貨やニッケル貨を回収して紙幣やアルミ貨、錫貨に置き換えました。しかし、戦争の進行に伴い欠乏する航空機用アルミニウムを捻出すべくアルミ貨を順次小型のものに置き換え、最終的にはアルミ貨を全て回収するために陶貨の発行までも準備されました。

日本以外でも戦時下の非常事態の緊急硬貨として陶器や樹脂製の硬貨を使用したりする国はあります。硬貨の代用品として郵便切手を用いる国もあるくらいです。流通を目的としない収集家向けの硬貨を発行する国もあり、クリスタル製のものや、宝石をはめ込んだ物など、単なる装飾品に近い硬貨もあります。無論、これらは全て法的に有効な通貨です。

しかし、明治期以降の日本では記念硬貨も含め、金属以外のものを硬貨にしたことはありません。しかも現在では日本の硬貨にはもれなく銅が使われており、それだけ、江戸時代から続く長い歴史を持つ、金属貨幣に対する愛着があるのでしょう。

また、物価の安定、経済成長、雇用の改善、国際収支の安定などを図る上においては、硬貨と言えどもきちんとした品質を保つ、ということが秩序だった経済の構築につながるわけであり、そうした考え方に基づけば、金銀に次ぐ、希少資源である銅を使っている、というのは納得がいきます。

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ところが、この銅は、現在の日本では産出されていません。そのほぼ100%が輸入です。

古くは、弥生時代にも、原材料は輸入に頼っていた時代があり、大陸から輸入した銅で銅鐸、銅剣、銅鏡などの青銅器が鋳造されていました。

しかし、698年、長門の国、現在の山口県で銅が初めて産出されるようになってからは次々と銅山が発見され、その後17世紀に発見された足尾銅山や別子銅山などによって国産銅生産は非常に活発になりました。ちなみにこの長門国の銅山は、奈良の大仏を鋳造するために開発されたものです。

1680年代中頃には50もの銅山から年間およそ5400トンの銅が産出され、ピーク時の1697年における年間およそ6000トンという産出量は当時世界一であったと推測されています。

生産された銅のおよそ1/2から2/3は長崎から海外へと輸出されており、当時の日本にとって重要な輸出品目でしたが、その後日本の銅生産量は減少の一途をたどり18世紀中旬には産業革命を迎えたイギリスに抜かれて二位となりました。

さらに明治に入ると新規産業技術の導入や機械化などによって日本の銅生産は持ち直しますが、チリやアメリカ、アフリカの大規模鉱山の開発が始まるとそちらが世界の主流となっていきました。その後、公害問題や採算性の悪化により1970年代頃から閉山が相次ぎ、1994年までにはすべての銅鉱山が閉山しました。

現在は世界最大の産出国であるチリを始め、同じく南米のペルーやアメリカなどからの輸入に頼っています。

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しかし、これらの国の銅が未来永劫産出されていくかといえば、これはかつての日本と同じくいずれは枯渇して行く可能性があります。過去の銅生産量の成長率と、現在の世界における推定埋蔵量を比較すると、単純計算では銅は2040年頃には新たな産出はなくなると言われています。

リサイクルすればいいじゃない、という人もいるかもしれませんが、全世界の銅需要におけるリサイクルされた銅によって賄われている率はわずか9~10%程度であり、また合金との合わせ技でその使用量を制限したとしても、枯渇までのカウントダウンは止まりそうもありません。

銅は、送電線のみならず、IT機器に不可欠な金属で、経済が発展すればするほど、急カーブで増える性格を持つ金属といわれます。高度なIT社会である日本やアメリカの1人当たり年間銅消費量は約10キロ程度で、今後は大きくは伸びないと思われます。

が、これからさらに経済発展していくと考えられる中国、インドの人口は日本の10倍もあります。もしこの両国だけでも、現在の日米並みの銅の消費量になったら、銅資源のガブ飲みに近い状態となり、世界全体の年間消費量は著しく減る可能性があります。

銅だけでなく、その他の貴金属も使い切ってしまうことが予想されており、マンガン、亜鉛、鉛、ニッケル、スズ、モリブデン、タングステン、アンチモン、コバルト、リチウム、銀、白金、インジウム、金、ガリウム、パラジウムなども、2050年までには現有埋蔵量がゼロになるといわれているようです。

ならば、あとは地下を掘り、大深度からの銅の産出を試みるか、海底深くに眠っているかもしれない資源開発を行うしかなくなります。が、地下の大深度開発や海洋開発は遅々として進んでおらず、現在の技術水準ではこれらの場所で新しい鉱山を見つけることは至難の業のようです。

と、すればあとは残っているのは宇宙開発ということになります。一番近いところでは月ということになるのでしょうが、果たして間に合うでしょうか。アメリカはもうすでに月探査・月面開発はあきらめてしまっていて、そのベクトルは火星に向けられています。

またロシア連邦宇宙局は、2025年までの有人月面着陸と、2028年~2032年の月面基地建設を柱とした長期計画を発表していますが、それが成功したとしても2050年までにはわずか20年足らずです。この間に月面から大量の鉱石を運んでくるロケット技術が開発されているとは、とても思えません。

従って、銅のような持続可能性の低い鉱物については、これをできるだけ使わないように別の金属で代替させるか、新たな合金技術を駆使して銅に近い物質を生み出していくしかありません。

かつて大量にあった銅を使って大砲が作られた時代から、代わって登場した鉄によって産業革命が興って時代が変遷していったように、おそらくはこれからはさらに金属工学や物性物理学といった分野がもてはやされ、これによって生み出された新素材が主流になる時代になっていくのだと思います。

それにしても銅などの貴金属が枯渇するといわれる2050年ころになってもまだ、我々の結婚生活は50年にも足りません。金婚式を迎えていないのです。なので、どうせ生きていないなら、それまでに新しく創出された金属でもってその前にお祝いをしたいと思います。

どういう金属になるのかわかりませんが、とりあえず「超合金」としておきましょう。来たるこの「超合金式」まで、さらにこの結婚生活が続くことを祈り、今日の項は終わりにしたいと思います。

2015-1873