アイスランドのはなし

iceland2今日は、アイスランドの独立記念日だそうです。

1944年のこの日に共和国として発足しました。ヴァイキングが創った国でしたが、13世紀以降、隣国のノルウェー及びデンマークの支配下に置かれていました。が、19世紀に入って独立運動が展開され、結果として、1874年に自治法が制定されました。

そして、1918年にデンマーク国王の主権下ではありますが、立憲君主国、アイスランド王国として独立を果たしました。

その後の第二次世界大戦においては、中立を宣言し、戦火に巻き込まれないことを方針とし、国を守る武装勢力としては軍隊を作らず、国家警察の拡充で対応しました。とはいえ、この時点で国家警察は60名にすぎませんでした。そんな中、大戦中の1940年4月、かつての宗主国デンマークがナチス・ドイツの侵攻作戦により占領されます。

このため、翌5月には、イギリス軍が中立であったアイスランド侵攻を行い、全土が占領されました。これは北大西洋の通商路保護のため、ドイツ軍の先手を打って、要衝の地であるアイスランドを確保するもの措置でした。その後、6月からはアメリカ合衆国が代わって占領を継続しました。しかし、二次大戦が終わると、連合国軍は撤退しました。

こうして、1944年6月17日には、アイスランドは、主権を持っていたデンマークからも完全分離・独立を宣言し、新生「アイスランド共和国」として、初代大統領にスヴェイン・ビョルンソンが選出されました。以後、現代に至ります。

現在では「もっとも汚職が少ない国」と言われている国です。国家元首である大統領は国民から直接選挙されますが、政治的な実権はなく、象徴的な地位を占めるに留まります。政治的な実権が無いため政党の推薦を受けず、政治的な公約も掲げられません。少し性格は違いますが、日本の象徴天皇のような存在といえなくもありません。任期は4年。

1980年には、ヴィグディス・フィンボガドゥティルが直接選挙によって選出された世界初の女性大統領となりました。現在は、2012年6月30日に行われた大統領選挙の結果、5回目の当選を果したオラフル・ラグナル・グリムソン氏が大統領です。

政治権限はありませんが、2008年以降にヨーロッパを襲った金融危機では、同国銀行口座に金を預けていたイギリス人やオランダ人の預金を国税を使って守る、という政府が提示した法律案を拒否し、2度にわたって署名せず、人気を集めました。

アイスランドは、その昔の米ソの冷戦の時代にアメリカ合衆国と国防協定を締結してアメリカ空軍基地を設置し、この基地は「アイスランド防衛隊」とも呼ばれ、冷戦下の重要な戦略拠点になっていました。

しかし、冷戦終結から10数年を経た2006年、アメリカの「地球規模の戦力再編成の一環」による米軍の完全撤収が両国で合意に至り、約1200名の将兵とF-15戦闘機4機が段階的に撤収、ケフラヴィーク米軍基地が閉鎖されました。

以後、現在も国土防衛は、警察隊と沿岸警備隊だけがこれを担っています。従って、NATOの加盟国ではあるものの、自国軍は所持しておらず、世界でも希少な「軍隊を保有していない国家」です。歴史上、一度も軍隊を保有したことがないことになります。

ただ、まったく武力を保持していない訳ではなく、沿岸警備隊がある程度の兵器を持っています。イギリス軍と交戦した事もあり、自国の国益のためには躊躇なく武力行使できます。「軍隊ではない」自衛隊を保有している、日本とどこか似ています。

また、一応、「アイスランド防衛庁」というものがありますが、これは外務省の傘下におかれてている防空レーダーシステムを司る機関で、領空の監視を行っているだけです。

このほか、同じく外務省に属する、「アイスランド危機対応部隊」があります。こちらは国外に平和維持目的で派遣する部隊で、警察や沿岸警備隊、その他の部署から選ばれ、ノルウェー陸軍において軍事訓練を受けて派遣されます。部隊規模は80名程度で、今までにコソボ、アフガニスタン、スリランカなどに派遣されました。

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アイスランド沿岸警備隊の船

このように大規模な軍隊は保持していません。が、持っていないのではなく、持てない、というのが本音でしょう。実は、アイスランドの人口は30万人強しかありません。この人口規模では、軍隊を持てないのは当然ですし、持ったとしても運営は大変です。ちなみに、日本の自衛隊は、陸海空に統合幕僚監部を加えて22万人ちょっとの隊員がいます。

1億3000万人をこれで割ると、国民590人あたりに隊員ひとり、という計算になりますが、同じ比率で計算すると、アイスランドに必要な人員は500人ちょっとです。仮にこの規模のものを持っていたとしても、軍隊とはいえないでしょう。従って日本とは比較の対象になりません。

が、島国という点では日本と同じです。グリーンランドの南東方、ブリテン諸島やデンマークの自治領であるフェロー諸島の北西に位置します。アイスランド島が主な領土であり、イギリスとのタラ戦争の舞台にもなった漁業基地であるヴェストマン諸島、北極圏上にあるグリムセイ島などの周辺の島嶼(とうしょ)も領有します。

高緯度にあるためメルカトル図法の地図では広大な島のように描かれますが、実際の面積はフィリピンのルソン島や、大韓民国とほぼ同じです。グレートブリテン島の約半分、または日本の北海道と四国を合わせた程度の面積です。

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白い部分は氷河 右下(南東部)にあるのは、最大規模のヴァトナヨークトル氷河

火山島でもあります。多くの火山が存在し、温泉も存在しており、豊富な地熱を発電などに利用しています。一方で、噴火による災害も多く、2010年には、南西部のエイヤフィヤトラヨークトル氷河の火山が噴火し、欧州を中心に世界中で航空機の運用に大きな影響を与えたことは記憶に新しいところです。

首都はこちらも南西部に位置するレイキャヴィークです。人口約12万人ですが、周囲の市を含めた首都圏全体で約18万人です。アイスランドの全人口の約6割がこの一帯に集中しています。低い所得税率、ヨーロッパとアメリカの中間という地理条件、充実したインフラストラクチャー網を活かして外国資本の積極誘致を行っています。

市内の暖房・給湯システムは地熱の熱エネルギーのみで維持されており、自然エネルギーとの共存が図られています。他にも燃料電池自動車に水素を供給する水素ステーションを建設し、それを利用した路線バスを世界で初めて運行するなど、クリーンエネルギー政策の点では世界をリードしています。

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 レイキャヴィークの町並

アイスランドは、このレイキャヴィークを中心とした金融立国であり、国家経済全体が金融に強く依存しています。このため、世界金融危機の影響を強く受けて2008年に債務不履行となりました。

しかしその後、自国通貨、アイスランド・クローナが暴落したため輸出額が増加し、かえって景気が回復することになりました。2012年度以降、2~3%台の経済成長を達成し、経済危機の直後には8%を超えていた失業率も4%台で推移しています。

産業のほうをみてみましょう。火山性の土壌であるため、大地は肥沃とは言えません。また、かつて大規模な森林の乱伐が行われたこともあり、現在の森林面積は国土の0.3%しかありません。従って天然資源は乏しく、塩が唯一産出する鉱物資源です。木材がとれないので、非常に高価な輸入材に代わってコンクリートがほとんどの建築に利用されています。

なお、農業生産も行われてはいるもののほとんどが輸入に頼っています。行われている農業も牧畜が主であり、ウール製品の評判は世界的にも高いようです。一方では、漁獲資源が豊富で、漁業が古くから盛んです。アイスランド本島付近周辺は、暖流の北大西洋海流と北極方向からの寒流がぶつかり潮目を形成しており、世界有数の漁場となっています。

このため漁業は、古くからアイスランドの基幹産業であり、漁業が雇用の8%をまかなっています。当然漁獲量は多いわけですが、近年はタラなどの漁獲量が減少しているため市場に出回る魚の価格は上昇を続けています。アロンガ・ハドック・カレイ・ヒラメなどが獲れます。日本は大量のカラフトシシャモを輸入しています。

漁業国であることも日本と似ていますが、このほかにも捕鯨賛成国である点も同じです。かつて国際捕鯨委員会を脱退したこともありましたが、現在では再加盟しています。その後、「調査捕鯨」の名目で細々と捕鯨を行っていましたが、2006年には業を煮やしたのか商業捕鯨の再開に踏み切っており、ヨーロッパ諸国から非難されています。

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アイスランドの捕鯨船

もっと産業を振興させたいという観点からEUへの加盟も模索しています。が、漁業資源に頼っていることから、加盟により漁業統制を失うことを懸念しています。かつてEU加盟国から熱烈なラブコールがあったのにもかかわらずこれを拒否しました。一方では、捕鯨国であることがEU加盟国の反発を招き、加盟が流れたという見方もあるようです。

前述のとおり、2008年の金融危機で自国貨幣である、アイスランド・クローナの暴落しました。この国は小国であるため、複数の政府閣僚らは、自国だけではこれへの対処が困難との見解を示し、2009年7月、アイスランドは再びEUに加盟申請をしました。

この当時の政府は約3年での加盟を目指す、としていましたが、先の3月、現在の政府は、正式に欧州連合(EU)への加盟申請を取り下げると発表しました。自由化を求めEUへの加入を促進しようとしていた与党の社会民主同盟が2年前の選挙で敗れ、それまでは野党だった、中道右派連立政権が政権を取り、彼らが掲げていた公約に従った格好です。

EUへの加入が取沙汰されるくらいであり、意外にも工業国であり、先進国といえるでしょう。その原動力となっているのが、国内のおよそ4分の1の電力(約24%)をまかなっている地熱発電です。

地熱発電の割合が多いのは、アイスランド本島が大西洋中央海嶺上にあり、日本と同じく火山活動が活発で、地熱発電の熱源には事欠かないためです。さらに、特に島の南部は西岸海洋性気候に属するために年間を通じて降雨があるので水力も使いやすく、このため、残りの76%の電力は水力発電によるものです。

1990年代後半からはこうした豊富な電力を使いアルミニウムの精錬事業も活発になりました。アルミを溶かすためには大量の電力を必要とします。このほかにも一般家庭の電力やシャワーを温めるエネルギーを全て地熱発電でまかなったり、発電所の温排水をパイプラインで引き込んでそのままお湯として利用できたりする家や施設もあります。

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レイキャヴィーク郊外にある地熱発電所

アイスランド本島には多くの温泉が存在しますが、この温泉を活用した暖房設備などが整備されたり、お茶を沸かすにも温泉が使用されたりします。このように、化石燃料を使うことが少なくなっているため、首都レイキャヴィークは世界的にも「空気のきれいな都市」とされています。

1980年代からは、さらに再生可能エネルギー発電への切り替えを推し進めており、エネルギー政策先進国として世界から注目を浴びています。現在では国内の電力供給のすべてが水力、もしくは地熱から得ており、火力・原子力発電所は一切ありません。このあたりが日本とは一味違うところです。日本ももっと自然エネルギを活用すればいいのに……

アイスランドは、今後さらに2050年までには化石燃料に頼らない水素エネルギー社会を確立することを目指しており、既に実施されている燃料電池自動車のバスの運行、水素ガス供給ステーションの建設をさらに加速させる計画だということです。

このほか、近年では工業の多様化に取り組んでおり、ソフトウェア産業やバイオテクノロジーの開発にも努めており、とくに医薬品の輸出が盛んです。

観光も拡大し続けており、豊かな自然を生かした、エコツーリズム、ホエールウオッチングなどが国内で流行しているだけでなく、海外の人々をも魅了しています。2003年には日本からチャーターでの直行便が就航され、年間日本人観光客数は就航前の約3倍になったというデータもあります。現在は円安なので少し下火になっているかもしれませんが。

ただ、アイスランド国内の道路整備状況はお世辞にも良好とはいえず、これが少々観光開発のネックになっています。これは、都市のほとんどがアイスランド本島の海岸近くに存在しているためであり、島の中央部は舗装路もない無人地帯です。

しかも、道路網は総延長13000kmほどもありますが、うち35%しか舗装されていません。ただし、国道1号線(リングロード)が一部未舗装ではあるものの、アイスランド本島を一周しており、その総延長は約1,400kmです。また、氷河に閉ざされている内陸部にも国道26号および35号が貫通しており、4WDクルージング愛好者のメッカとなっています。

自動車以外の交通手段としては、アイスランド国内には鉄道はなく、あとは飛行機です。物価が高い傾向にあるアイスランドですが、航空運賃は安く設定されています。レイキャヴィークのすぐ西側にはレイキャヴィーク空港があり、本島を含め周辺の島などの空港を合わせると、全部で20ほどの空港があり、ケプラヴィーク国際空港もあります。

観光の拠点としてはこのほか、ヘクラ山を含む多くの火山が活動し、多くの間欠泉や温泉が見られます。間欠泉の中で最大のものがゲイシール間欠泉で、その名前が英語で間欠泉を意味する単語geyserの語源になりました。

ただ、ゲイシールは、最近は不定期な噴出になってしまっています。一方、ゲイシール間欠泉から数百メートル程しか離れていないストロックル間欠泉は、ほぼ5~10分おきに噴出し、沸騰した熱湯を20メートル上空まで吹き上げており、こちらのほうが人気あるようです。

また、レイキャヴィークの南西約40kmに世界最大の露天風呂「ブルーラグーン」もあります。最近、よくメディアで取り上げられていて話題になっています。自然に湧出する温泉ではなく、隣接する地熱発電所が汲み上げた地下熱水の排水を再利用した施設です。アイスランド国内はもとより欧米各国からも多くの人が訪れます。

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ストロックル間欠泉

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ブルーラグーン

さらに「氷河」も観光のウリです。アイスランドの地表の約11%を覆っており、その多くの氷河は火山を覆うようにして存在しています。このため、氷河の下で火山活動が起きると、溶けた水が氷河湖決壊洪水を引き起こします。1996年には、ヴァトナヨークトル氷河の地下の火山が噴火し、一帯が氾濫し、国道1号線 (リングロード) の数か所を破壊しました。

氾濫後、氷河の流れに取り残された高さ10メートルの氷山もいくつか見られたそうです。が、こうしたことがいつも起るわけではなく、そのダイナミックな景色をみようと世界中から多くの人が訪れます。

中でも最大のヴァトナヨークトル氷河は面積が8,100km²で単独でも国土の8%以上を占めています。沿岸は入り江や湾やフィヨルドで深く入り組んでおり、西部のフィヨルド地帯は観光客に大人気です。

さらに、アイスランドのオーロラ観察のメッカでもあります。レイキャビクから少し離れただけで見ることができる場所場があるそうで、民家もまばらで夜は真っ暗なため、観察にはもってこいです。オーロラの見える他の地域、アラスカやフィンランド北部などでは、冬の夜にはマイナス20~30度にもなるそうですが、レイキャビク近郊では最も寒くてマイナス2度くらいなので日本の冬とそれほど変わりはありません。

なので、特別な装備もなくオーロラが観察でき、かつ少々条件が悪くともそれなりに観察できるのも特徴だそうで、確実にオーロラを見たいという人はアイスランドに行くべきでしょう。

このようにアイスランドは、観光地としても見どころ満載で、しかも治安も世界一いいといいます。日本はだいたいいつも第5位くらいですが、それより更に安全ということこになります。しかし旅行において注意すべきは、現金決済が著しく少なく、クレジットカードしか使えないことです。これは、この国ではクレジット機能付きIDカードやインターネットバンキングなどが普及しているためです。

その背景には1980年代に経済の中心が漁業で、水産物の価格に振り回され、物価がインフレーションとなったことがあります。このため、決済が不足気味の現金から小切手やクレジットカードへ切り替わっていきました。日本では現金のほうが主であり、クレジットカードのほうがあまり使えません。真逆です。

その日本との貿易ですが、アイスランドの貿易全体に占める日本との貿易の割合は微々たるものです。そのうち、日本への輸出のは水産物が主で、逆に輸入は自動車の他に、地熱発電用の蒸気タービンなどです。

一方、アイスランドの主な貿易相手国は、輸出国が、イギリス、ドイツ、オランダ、アメリカであり、輸入元は、 ドイツ、アメリカ、スウェーデン、デンマークなどです。主な輸出品目には金額ベースで6割以上を占める魚と魚の加工品、次いで2割を占めるアルミニウムの地金及びアルミニウム製の製品です。

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アイスランドの氷河

さて、このアイスランドという国を形作ってきた「アイスランド人」という人種についても少しみていきましょう。文化的には北欧圏に属し、特に宗主国であったノルウェーとデンマークの影響が強く、このためこれらの国にルーツを持つ人も多いようです。

しかし、主としてケルト系のアイルランド人が開拓を行った歴史もあり、血統や言語にはその影響が最も色濃く残されているようです。そのためスカンジナビア諸国とは似て非なる独特の文化を持ちます。

また、独立後から冷戦の間はアメリカ軍が駐留していたため、その影響も大きいようです。地理的に孤立していることもあり、ここ100年の人口推移はわずかな移民と世代交代による増加があるのみであり、そうした意味では、純粋な和民族が大多数の日本と似ています。

比較的長寿な点も似ており、平均寿命は男性78.0歳、女性81.4歳であり、世界第8位。男女の平均寿命の差が小さいことが特徴であり、このほか男女平等の度合の調査で、アイスランドは5年連続世界一です。また2010年より、同性婚が認められるようになりました。

アイスランド人の名前は姓がないという特徴を持ちます。名前は「ファーストネーム+父称」で構成され、アイスランドの電話帳はファーストネーム順に編集されています。男性の場合「父親の名の属格+ソン(-son)」、女性の場合「父親の名の属格+ドッティル(-dóttir)」となり、それぞれ「~の息子」「~の娘」という意味になります。

アイスランド出身の著名な歌手、ビョークの本名「ビョーク・グズムンズドッティル」は「グズムンドゥルの娘ビョーク」という意味になります。

識字率は99%以上と高水準です。冬場は極夜となることなどから、外出は少なくなり、家にこもり読書にふける人々が増えます。このため、1人あたりの書籍の発行部数は世界的に見てもかなり多いといいます。

多くの人々が文学や詩に親しむ環境にあり、人口数十万の国ながら多くの文学者や音楽家を輩出しています。近年は上述のビョークのほか、シガー・ロス、ムームらアイスランド出身の音楽アーティストたちが世界的に人気を集めています。

アイスランド語が公用語です。一方で、英語とデンマーク語を小学校から習うため、国民の大半はトライリンガルです。このアイスランド語はドイツ語、オランダ語、英語などと同じゲルマン語の一種です。アイスランド語は、アイスランド(氷島)に由来して、「氷島語」略して「氷語」とも言ったりします。

ただ、9世紀にノルウェーから移住したヴァイキングがもたらしたものであり、他の北ゲルマン語(デンマーク語・ノルウェー語・スウェーデン語)の中ではノルウェー語と一番近いようです。ただし、使用範囲はアイスランドのみで使用人口は約30万人にすぎず、一億3千万の日本とは比較になりません。

アイスランドに初めて入植し、ここで越冬したのはヴァイキングの「インゴールヴル・アルナルソン」だと言われています。一方の、 現在の国名「アイスランド」はアルナルソンよりもやや古い9世紀ころ、ノルウェー人の「フローキ・ビリガルズソン」という人物が、沿海に流氷が浮んでいるのを見て名付けたと言われています。

それまで島は完全な無人島でした。紀元前300年頃に古代ギリシア人によって発見されていたという記録があります。

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インゴールヴル・アルナルソン

中世アイスランドの書物、「植民の書」によれば、793年、ヴァイキング時代がはじまったとされます。ヴァイキングたちは自国のことを「ウルティマ・トゥーレ」と呼んでいましたが、ヨーロッパ人は、アイスランドやグリーンランドのような地域は漠然と「極地」、「北の果て」と呼び、ほとんど存在すら忘れ去られていました。

その後、9世紀末から10世紀にかけて、ノルウェー人とスコットランドおよびアイルランド(現イギリス)のケルト人らがフェロー諸島を経由して移住し、定住し始めました。新しい国を目指した移民たちは王による統治ではなく、民主的な合議による自治を目指しました。これが930年に発足した世界最古の民主議会「アルシング」です。

アイスランド人が今も、国家の誇りとしている議会であり、これについては後述します。このアルシングによる統治が続いた約300年の間、アイスランド人は更なる新天地を目指したといわれています。

そして、アメリカ大陸を発見したのも彼等だといわれています。コロンブスではなく、アイスランド人の「レイフ・エリクソン」と呼ばれる人物だというのが現在では定説です。これはコロンブスによる「発見」よりおよそ500年も前のことでした。

レイフ・エリクソンは、970年頃に生まれ、1020年頃に没したとされます。彼もまたヴァイキングであり、スカンディナヴィアおよびバルト海沿岸に原住した北方系ゲルマン人です。ちなみにヴァイキングは、別名ノルマン人ともいわれます。

レイフは、グリーンランドを発見し、最初の定住を試みたといわれる父、エイリークの長男としてアイスランドで生まれ、グリーンランドで育ちました。

「サーガ」と呼ばれる古文書によれば、若い頃に祖父の故郷ノルウェーに渡って滞在し、ノルウェー王との会見からキリスト教に改宗、ここで学んだこの宗教を持ち帰ってグリーンランドに教会を建てました。おそらく、アイスランドでも布教に取り組んだでしょう。

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「サーガ」 1350年頃に書かれたとされている。

この頃アイスランドからグリーンランドへの航海の途中で西に流された者がおり、その人物から「西」に木材が多くより豊かな島があるらしいとの噂が流れました。これを信じたレイフは、997年に探検航海に出ます。この漂流者のルートをたどって西に赴くと、最初に岩に覆われた陸地があり、彼らはこれを「岩の国(ヘルランド)」と名づけました。

次に南下したレイフらは木に覆われた陸地を見つけ、こちらは「森の国(マルクランド)」と名づけました。さらに海を南に下った彼らは、小麦の自生する豊かな国へとたどり着いき、今度はここを「ブドウの国(ヴィンランド)」と名づけました。そしてここに前線基地を置き、一旦グリーンランドに帰りました。西暦1000年のことであったといいます。

このブドウの国、ヴィンランドでは、川にはサケが遡上し、定住するのに好適な土地であるように思われたので、まもなく数百人の入植者がグリーンランドからヴィンランドに向かいました。しかし、レイフたちが「スクレリング」と呼んだ先住民との関係もあってヴィンランドの入植地は長続きせず、やがて放棄されてしまいました。

グリーンランドに帰ったレイフ自身は父の後を継ぎ、西海岸にあった入植地の有力者としてその後の人生を送ったようです。

その後、彼らの到達した国々のことは、上述の「サーガ」に書かれ、後世に伝えられました。ただ、文書に書かれただけで地図はなく、正確な場所がどこかよくわからなくなってしまいました。しかし、その後の研究により、レイフらが最初にたどりついたヘルランドはグリーンランドの西、つまりカナダのバフィン島であったことなどがわかってきました。

また、そこからは南に向かったということは、森の国、マルクランドとはカナダ最東部の、ラブラドル半島にあたると考えられます。そうすると、ブドウの国とされたヴィンランドはどこか、です。ブドウがあったということから類推すると、その植生北限はずっと南にあるはずなので、北アメリカのかなり南のほうであったと学者たちは考えました。

おそらくは、ニューヨーク州からメイン州あたりまでの範囲、おそらくはニューイングランドあたりであったろうと推定され、これが、アメリカ大陸を発見したのがレイフらだったという説が提唱される理由です。

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アイスランドと、グリーンランド、北米との位置関係(メルカトル図法のため、実寸ではない)

そして、その後、実際にヴァイキングの定住地跡と思われる遺跡が、カナダ北東部のラブラドル半島の東にある、ニューファンドランド島から見つかりました。現在ではこの島こそが、ヴィンランドであったとする意見がほぼ定説となっています。

ニューファンドランド島北西部のランス・オー・メドー村で発見されたこの遺跡は、もともとこうした9~10世紀に造られたものではないかといわれていました。1960年代以降、ここで次々に、ヴァイキングの女性が使う糸車や鍛冶屋の跡、イングランド製のボタンなどが発見され、これらの分析からヴァイキングの遺跡であることが明らかになりました。

ランス・オ・メドーの入植地は少なくとも8つの建物からなっており、鍛冶と溶鉱炉、船作りを支えた製材所なども見つかっており、現在では「ランス・オー・メドー国立歴史公園」として世界遺産に登録されています。

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世界遺産 ランス・オー・メドー

ここでの発掘で得られた遺物のミトコンドリアDNAの解析ではさらに、アイスランド人のDNAが発見されています。ミトコンドリアDNAは母から子へのみ受け継がれるため、アイスランド人がアメリカ大陸に上陸した際に彼らに従った女性のミトコンドリアDNAが、彼女たちの子孫に受け継がれていたものと考えられるそうです。

従って、クリストファー・コロンブスの大航海時代における「発見」に先立つこと500年前にすでにアメリカに上陸していたヨーロッパ人がおり、それがレイフ・エリクソンらヴァイキングであったということはほぼ定説として学者たちに受け入れられています。

ただし、レイフらヴァイキングたちが発見した新しい陸地を「新大陸」という概念で捉えたかといえば、これについては疑問符がつきます。また、当時は地理上の発見を行ったものが主権を宣言する慣行もなかった上、定住化も失敗に終わったためアイスランド人による領有もなされませんでした。

従って、彼らが新しい大地に到達したという情報は、ヨーロッパ諸国で広く共有されることはありませんでした。で、あるがゆえに、それを知らないコロンブスらが新大陸を求めて船出したのは当然、ということになります。そのため、レイフ・エリクソンを「アメリカ大陸の発見者」と表だって扱うことはあまりないのが現状です。

さて、話をアイスランドの本国に戻しましょう。アイスランドでは、ノルウェー人やケルト人らの移民によって入植が進んでいき、「アルシング」という統合議会ができた、と上で書きました。

このアルシングは、当初「シング(民会)」と呼ばれており、しかし全島共通の法律や規則というものはなく、それぞれの出身国の法律が各々の定住地域で用いられていました。

しかし、やがて本島各所での交易が発展するにつれて、それぞれ法律がバラバラでは不便という声も高まり、全島共通の意見調整機関の創設の必要性が声高く叫ばれるようになっていきました。そして、930年に定住地域ごとの「シング」の代表が集まり、レイキャビクの近くの丘ではじめて開催されたのが、「アルシング」です。

ただ、このアルシングが発足したてのころは、まだ立法と司法の機能を有していただけで、行政は各定住地域の自治に任されていました。そんな中、ちょうど西暦1000年に、アルシングの場で古い信仰を守る人々とキリスト教への改宗を主張する人々との間で激しい論争が巻き起こりました。

1000年頃のアイスランドは、北欧神話の神々への信仰を守ろうとする人々と、ノルウェー王オーラヴ1世の強い求めに従ってキリスト教へ改宗しようとする人々が増え、この2派が激しく対立するようになっていました。このためこの年に開かれたアルシングの場でも激しい論争が交わされ、互いに武器に手をかけて戦いを始めかねない雰囲気となりました。

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 かつてのアルシングの様子(19世紀の絵)

まさにそのとき、会場の近くにある2つの火口で同時に火山活動が始まり、溶岩流が農家や神殿を襲っているという報告が届きました。このうちの1つが、現在も活発な火山活動を続けている「ヘトリスヘイジ」です。山ではなく、台地上の地形ですが、現在でも活動は活発で、多くの穿孔から水蒸気が立っています(が、1000年以降噴火はしていない)。

火山灰の降る中、アルシングに集まった人々はこの噴火は古い神々の怒りの表れだと口々に言い合いました。そんな彼等に対し、キリスト教徒の代表、スノリ・トールグリムソンは、「たしかに、かつてのアイスランドは古来からの神々怒りによる火山活動でできた。だとするならば、今、神々は、何に対して怒っているのだ。」と人々に問いかけました。

これに対してキリスト教派の人々は口々に、昔ながらの古い考え方に怒っているのだ、と声を高めましたが、一方の北欧古来の宗教を守るべきとする人々は、いや邪宗のキリスト教に神が怒っているのだ、と言い始めたことから、国を二分しかねない状況となっていきました。そして、それぞれ別の法を宣言しようとする事態にまで至ります。

このとき、アイスランドの東地区の有力者であった「シーダのハル」という人物が、アルシングの立法の宣言者(現在で言うところの法務大臣)、「ソルゲイル」に銀貨60枚を贈り、2派それぞれが容認できる妥協点を宣言してほしいと依頼します。

このソルゲイルという人は、聖職者でありゴジ族という部族の族長でした。人々の篤い信頼を受けて法の宣言者となっていたのでしたが、彼はこの依頼を受け、仮小屋で一昼夜毛布の下で無言の瞑想を続けました。そして熟考した結果、翌朝、「法律の岩」とされる場所で、平和を維持する唯一の方法は同じ法律と同じ宗教を皆が守ることだと宣言します。

この「法律の岩(ログベルグ)」とは、アルシングが開催されていたとされる岩山であり、人々はそれまでもここに集い、会議や議会演説などが行ってきていました。

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アルシングの議席跡とされる場所

彼はここで、その妥協案としての結論を読み上げる前に、まず、全土に対する1つの法を定めることでこの問題を解決することを、集まった人々に約束させました。そしてその上で、「皆キリスト教に改宗せよ、洗礼を受けていなければこれを受けよ」と宣言しました。

ただし、古来の宗教の信者は、非公式に自分たちの宗教を信仰できることとしました。また、3つの妥協点を示しました。それはすなわち、生まれたばかりの子供の遺棄、馬肉食、異教の犠牲祭を許可することでした。ただ、これはキリスト教徒にとってはあまりにも野蛮な儀式であったため、数年後、これらの容認はすべて廃止されました。

こうして、その後アイスランドの国教はキリスト教となりました。この採決の後、ソルゲイル自身もキリスト教徒になり、彼がそれまで祀っていた北欧古来の神像も、偶像であるとして、滝に放り込みました。そして、この滝こそ、現在、ゴーザフォス(「神の滝」の意)、または「ゴジの滝」として知られる、アイスランドにおける最も壮観な滝の1つです。

アイスランドの北中央部のミーヴァトン地区に位置し、その上流のスキャゥルファンダフリョゥト川の水が、30m以上の幅で高さ12mの位置から流れ落ちています。

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ゴーザフォス

以後、新しい国は王による統治ではなく、民主的な合議である民主議会「アルシング」による統治が長く続きました。その後、1262年、ノルウェーによる植民地化によりアルシングは事実上機能を停止し、さらには1380年に支配権がデンマークに移り、異国民による長い支配が続きました。

この間、アルシングも形式上存続していましたが、アイスランドの自国からの独立を恐れるデンマーク国王、クリスチャン7世によって1800年には禁止されました。しかし、19世紀になるとさらに独立志向が強くなり、アルシングは1847年に復活します。

その後、第一次世界大戦によってヨーロッパに戦火が渦巻き、相対的にデンマークの国力が落ちたため、アイスランドは完全自治を回復し、アルシングは議会政府として機能するようになりました。そして、第二次世界大戦でデンマークがナチス・ドイツに占領されたことでアイスランドは解き放たれ、1944年に独立を宣言し、現在に至っています。

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現在のアルシング会議場

現在、アイスランド国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が1件、自然遺産が1件存在します。文化遺産のほうは、スルツェイ島といい、アイスランドの南にある無人島です。1963年に海底火山の噴火により出現しました。日本の西之島と並んで、海底火山の噴火から新島を形成した典型例として有名です。

陸上、淡水、沿岸および海洋生態系などの動植物群集の進化の過程が、生態学的、生物学的に貴重なものだとされて、文化遺産に決定したものです。

一方、ユネスコの世界遺産(自然遺産)に登録されている「シンクヴェトリル」は、アイスランドの国立公園地域です。場所は、40キロ南西にレイキャヴィーク、45キロ西にアクラーネスが位置する、という位置関係です。

アイスランドは、そのほぼ中央部に南北に地表に乗り上げた海嶺が走っており、これは世界でもめずらしい場所です。海嶺とは、通常は海の底数キロメートルにある海底山脈で、海嶺部分で大陸プレート下のマントルが上昇し、左右に分かれて水平に進んでいる場所です。一般に「ホットスポット」と呼ばれています。

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 アイスランドの大地の割れ目

ユーラシアプレートと北アメリカプレートに引っ張られてできた「割れ目」であり、西部は西に、東部は東に引っ張られる形で、国土が年に2〜3cmほど広がり続けており、この割れ目に沿った各地で「ギャオ」と呼ばれる独特な岩肌の大地の裂け目が見られます。そして、シンクヴェトリルは、その割れ目の中では最大規模のものです。

実はここが、930年、ノルウェーからの移住者によって、アルシングが開催された場所です。アルシングの開かれた場所の後ろには高い崖がそびえており、また岩に囲まれていることで遠くまで声が届くことからこの地でアルシングが開かれたとみられています。

シンクヴェトリルとは「議会平原」という意味です。そして、かつてアルシングが開催された場所に、現在は国旗が掲揚されています。2004年には世界遺産に登録されました。登録基準の一つは、「現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠」だそうです。

アイスランド観光の際は、ぜひここを訪れることをお忘れなく。

はぁ、疲れた……

Thingvellir

 世界遺産 シンクヴェトリル