今日、7月31日は「ブルームーン」です。
これは、「ひと月に2回満月がやってくる」というものであり、今日はその2番目です。
月の満ち欠けは約29.5日周期。基本的に1カ月に1回しか満月にはなりませんが、誤差による月の周期のずれにより、数年に1度ブルームーンとなります。残念ながら、必ずしも青く輝く月が見えるわけではないそうですが、ブルームーンといえば、アメリカの有名クラフトビールがあります。
なので、今宵は彼女と二人で、ブルームーンビールを飲みながらブルームーンを眺めたりすると、よりロマンチックな気分になれるかもです。ちなみに、2015年7月は、2日と31日が満月。前回は2009年12月2日と31日。次回は2018年1月2日と31日です。
実は、今日は亡くなった先妻の誕生日でもあります。生きていれば満51。若くして逝ってしまってから、今年でもう11年、来年でひとまわり12年です。
人生のサイクルは12年くらいで1周することが多いとよく言われます。干支もまた12年で繰り返します。これはこのスパンで人生のアップダウンが繰り返すということを昔の人が身をもって感じ、生み出した暦なのではないかと思います。
この干支と関連づけて生み出された占いが四柱推命であり、これを簡略化したものが、六星占術だと聞いたことがあります。ほかに12年サイクルの「春夏秋冬暦占い」というのもあるそうです。
確かに自分の人生を振り返ってみても、ほぼ12年のリズムがあるように思えます。先妻が亡くなったのは、私にすれば、六星占術でいうちょうど12年サイクルの最後にあたる「減退」の年であり、いわゆる「大殺界」のおわりでした。
占いの好きな方はよくご存知でしょうが、この大殺界というのは、12年サイクルの人生のうちの最後の3年間にあたる期間で、運気の流れが良くないとされる時期です。それぞれ、陰影・停止・減退と呼称され、何を始めるにも何をやるにもよくないとされ、これらの年には特に注意して慎重に行動するべきである、といわれます。
今年の私はこの大殺界のどまん中、「停止」であり、すべてが空回りに終わり、八方塞がりの状態とされます。仕事も大きな成果は期待できず、過去の遺産を食い潰して生きていくことになるそうで、この時期は何もせず、ただおとなしく耐え忍ぶしかない、といいます。
ま、あたっていなくもありませんが、それほど現状がひどいというわけでもありません。が、すべてが順風満帆かといえば、そうでもなく、確かに物事が滞り気味です。
振り返って12年前の今頃を思い出すと、このころは現在よりもはるかに状況は悪く、確か先妻の病気が発覚したころでした。仕事も手につかず、辛い日々でした。そして、翌年の大殺界最後の年で「減退」でしたが、この年は身内や知人の不幸が相つぐ、とされます。そして、まさにその通りとなりました。
従って、私としてはこの大殺界なるものを肯定したい側なのですが、だからといってこれを人に押し付けようとは思いません。生活のリズムは人それぞれであり、従って人生のリズムも色々あるはずです。何も12年サイクル説を頭から信じる必要はないと思います。
ただ、悪い事があるかもしれないよ、ということは心に留め置き、一応心構えだけはしておいたほうがいいのかも。何ごとも起こらずに大殺界が終わればそれはめでたしめでたしで、何も心構えせず、もう少し気を付けておけばよかったと、後で後悔するよりはマシでしょう。
長く生きていると不思議なもので、その昔は感じとることができなかったような時間の流れのようなものが読めるようになってきます。人生経験が豊富になったためもあるでしょうが、もしかしたら次にはこうしたことが起こるかもしれない、と思い、予防線を張っていたら案の定、その通りになった、ということが最近よくあります。
上の四柱推命や六星占術のような占いはそうした「宇宙の理」のようなものを、長い間に人々が感じ取り、それをわかりやすく説明したものなのかもしれず、案外と人は知ってか知らずしてか、そのルールにのっとって生きているものなのかもしれません。
ルールといえば、誕生日というのもひとつの決まりごとです。ただ、もともとそうしたものが定められていたのではなく、人類が生活するために「暦」というものを発明してから発生したものです。従って大自然の中にもともと定まっているものではなく、春に生まれようが冬に生まれようが、その生まれた日がその後の人生に影響を与えはしません。
しかし、地球を含めた惑星系は、規則正しく太陽のまわりを周回しながら、それぞれが影響しあっているのではないか、そしてそれは人の生にも影響を与えているのではないか、と昔の人は考えました。潮の満ち引きが月によって引き起こされるように、確かに星と人の間には何か定まった物理関係がありそうです。
そこで生まれたのが西洋・東洋の占星術であり、これらは生まれた人の誕生日とその日の惑星の運行状況から運命を占います。六星占術しかり、四柱推命しかりであり、このため、その占いに従えば、誕生日の同じ人の人生は自分の人生と同じ、ということになります。
しかし100%同じか、といえば、まず生まれた場所が違います。その地理的な位置関係の違いは、惑星の運行からの占い結果にも影響を与えそうです。加えて、育った環境も異なり、生まれ持った能力も後天的に与えられる教育に大きく左右されます。
従って、同じ誕生日だからといってまるで同じ人生にはならない、というのがこれらの占いを信じる人達の主張です。確かに一理あります。また、生まれた年が違えば、星の運行の状況は違います。従って、もし人の一生が星々の影響を受けるのなら、誕生日が同じでもまったく同じ人生になるとはいえません。
ただ、同じ誕生日に生まれた人のその時の天上の太陽の位置は同じです。誕生日の「日」とは太陽のことです。つまり、我々が住んでいる地球が一年365日をかけてこの太陽の周りを回ることを基準として、この「日」というものを決めているわけです。従って、同じ誕生日の人は、生まれたときの黄道上の太陽の位置が全く同じ人ということになります。
だとすれば、我々のすぐ近くにある数ある星の中でも最も巨大なこの恒星からの恩恵の度合いはほぼ同じということになり、ゆえに同じ日に生まれた人の太陽から受ける影響はほぼ同じではないか、とする説はある程度の説得力をもちそうです。
太陽の影響によって生まれた時に与えられた基礎的な性格が同じだとすれば、相似的な人生を歩むのではないか、その一生に類似点が出てきてもよさそうだ、ということはなんとなくいえそうです。
それでなくても、同じ誕生日の人というのは、なにかと親近感を感じるものです。そこで、私と同じ誕生日の人にどんな人がいるか、ウィキペディアで調べてみました。
私は3月3日の雛祭り生まれですが、同じ誕生日を持つ人としては、有名なところでは、電話機の発明者であるアレクサンダー・グラハム・ベル(1847~1922年)、小説家の正宗白鳥(1879~1962年)、第81代内閣総理大臣、村山富市(1924年~)などがいます。
他にもっと若い世代では、元サッカー選手のジーコ、アナウンサー徳光和夫、タレントの栗田貫一、マッハ文朱、坂口杏里(女優、坂口良子の娘)なんて方々も誕生日が同じです。
同じく太陽を基調に占いの原理を定めている西洋占星術では、それぞれ同じ「魚座」ということになります。「水」の星座であるため、流れて形を変えていく水のように気分が変わりやすい反面、なににつけても柔軟性があり、感受性が強くて、詩情豊かとされます。
2~3のウェブ占いによれば、この中でも、3月3日生まれは、「多才で想像力に富み、鋭い感性と理解力に恵まれている」といった長所がある一方で、「決断力に欠け、飽きっぽい、情に流されやすい」どの短所があるといいます。
そういわれてみればそのようなそうでないような。上であげた有名人にも当てはまるような気もしますが、身近な人ではないので判然としません。ただ、このほかの3月3日生まれの人のリストを眺めていたところ、有名か無名かは別として、やたらに画家や漫画家・作家、俳優や脚本家、映画俳優といった芸術関係に携わる人が多いのに気がつきました。
私自身も写真家のはしくれです。「想像力に富み、鋭い感性と理解力に恵まれている」ということは芸術家に不可欠な才能であり、案外とこの占いは当たっているのかもしれません。
また、やたらにAV女優とされる人も多く、数えてみると9人もいました。一応「女優」であることから芸術性も求められるのかもしれませんが、「情に流されやすい」ところと関係があるのかもしれません。
ちなみに、亡くなった先妻の誕生日は今日、7月31日ですが、この日もやけに女優・俳優になった人が多い年です。名のあるところでは、石立鉄男、和泉雅子、岡崎友紀、ウェズリー・スナイプスと言った人達ですが、数えると声優も含めてなんと、15人もいました。
先ほどと同じく、ウェブの占い結果をみてみると、7月31日生まれは、独立心が強い野心家で、創造力があり、独創的、粘り強いなどの性格を持つとされ、これは確かに一般的に俳優の素質として必要な性格といわれているものと一致します。
実は、亡くなった家内も高校時代には演劇部に入っており、高校を卒業して亡くなるまでも大の演劇ファンでした。私も何度もいろんな演劇に連れ出されましたが、懐かしい思い出です。亡くなるまで、いろんなドラマの脚本をネットで集める、ということに執着していたようで、その名残が私のパソコンに今も残っています。
このほか、俳優ではありませんが、数々のミュージカルに出演した、元歌手でアイドルの本田美奈子さんも同じ誕生日で獅子座生まれです。家内と非常に共通点の多い人で、生まれたのも同じ東京で、年齢は家内より3つ下ですが同年代といえます。亡くなったのも本田さんが2005年、家内が2004年と前後しており、いずれも都内の病院です。
やせて華奢な体つきなどもそっくりで、気のせいか顔つきも似ているような気がします。死因も、種別は違えど癌だったというのにも奇縁を感じます(本田さんは白血病という血液の癌、家内は子宮頸がん)。
選んだ職種も育った環境も違ったわけですが、誕生日以外では生まれも育ちも東京、という一致点があります。しかも演劇という共通項もあり、性格も似ているようです。母親思いで、気さくな人柄というところは共通しており、本田さんと生前親交のあった関係者は「決して人の悪口を言わない人だった」と口を揃えますが、わが妻も同じでした。
人との絆を大切にする人であったともいい、家内も住んでいた家の周辺住人との絆を大切にし、ずいぶんと可愛がられていました。唯一本田さんとの違いは、彼女は私と結婚して一児を設けましたが、本田さんは生涯子供を持つことはありませんでした。が、とても子供好きであったことが知られています。
私のひとりよがりかもしれませんが、これほど共通点が多い人もめずらしく、もしかしたら「類魂」とよばれる二人だったかな、と思ったりもします。
これは、輪廻転生の概念のひとつで、あちらの世界ではそれぞれの霊魂は特定のグループに属し、そこで人生経験を共有し霊的進化の道を進むという考え方です。 英語のgroup soulの訳語で、カタカナ書きでグループ・ソウルとも書かれます。
グループ・ソウルを「類魂」と訳したのは、横須賀の海軍機関学校の英語教官であった浅野和三郎だといわれており、この人は、心霊研究家として有名な人でした。
ケンブリッジ大学で講師を続けながら、心霊研究をしていた「フレデリック・マイヤース」という人がいましたが、この人が、その死後、霊媒士のジェラルディン・カミンズという人にグループ・ソウルの詳しいことを伝えたとされます。
カミンズは、これを故マイヤースによる「霊界通信」としてとりまとめて発表しました。そして、このカミンズの著書にあったgroup soulを浅野が「類魂」と翻訳したものです。
浅野和三郎は、東京帝国大学英文学科を卒業後、海軍機関学校で英語教官をしていましたが、1915年(大正4年)の春、三男が原因不明の熱病になった際に、三峰山という女行者から平癒するだろう、と言われてその通りになりました。このことから、心霊研究に傾倒するようになり、海軍軍機関学校を退官し、実践的な心霊研究をするようになりました。
この話は長くなるので端折りますが、その後国際的にも活躍し、国内でも心霊主義(スピリチュアリズム)の啓蒙活動を行い、名古屋・大阪・東京に「心霊科学協会」を設立しており、日本の心霊学研究の草分けとされる人です。ちなみに、浅野が海軍機関学校を退官したあとに、嘱託教員として英語教師を引き受けたのが芥川龍之介です。
一方、マイヤースのほうですが、こちらも心霊研究科として名を馳せた人であり、このひとも大学を退官までして、精力的に心霊研究を行ったことで知られ、その学術的水準の高さを評価されていた人です。
彼が創案した「超常 supernormal」「テレパシー telepathy」などの用語は現在も使われており、単にオカルト的な興味からではなく、科学的なアプローチから心霊現象を解き明かそうとしました。霊によるものとされる現象について、厳密な科学的調査や実験を行ったことでも知られています。
このマイヤースが死後、霊媒士のカミンズに伝えたという「類魂説」によれば、魂というものは、一つの例外もなくあるグループ・ソウルに所属しており、そこから枝分かれして、地上に行って肉体を持つ人間の中に入り、そこで成長します。
その成長を通じて様々な経験を積み、死後、再びグループに戻って、その経験を他の魂にも伝え、それによってグループ・ソウル全体もまた霊的な成長を遂げることができます。
また、彼によれば、グループ内の魂同士の親和性は家族以上のものであり、その一つが地上で生きている間は、グループ全体で当人の霊的成長を支えるといいます。そして、その支えてくれる一部のソウルはともに地上に降り、その人間の成長を助けます。そしてこれこそが、「守護霊」です。
マイヤースは、この類魂説を、生前から唱えていたという意見もありますが、これらの研究を死後に深め、発展させたものであるとされています。一方でその生前には、潜在意識とテレパシーによって心霊現象を説明しようとし、識閾下の部分での相互のコミュニケーションが存在するに違いないと考え、テレパシーなどの研究を行っていました。
「識閾(しきいき)」というのは「意識と無意識の間」のことで、「識閾下(しきいきか)」というのは要するに「半無意識」のことです。
マイヤースの生前の学説では、個々の精神的存在は思念のグループを構成し、この中で「半無意識に」互いに影響を与え合うとしていましたが、死後の彼のメッセージでは、よく似た霊魂が霊界には複数存在し、これらが集合体を形成する、と発展しました。
そしてこの集合体は自分と一心同体ともいえるほどの存在であり、それらをまとめてグループ・ソウル、と呼びました。趣味、性格、嗜好、見た目など、全てが一致する霊の集団であり、霊格にもよりますが、それ以外にも生前に培われた経験や記憶、磨かれた才能、感情までも共有することが出来る、ともしています。
この理論に従えば、同じグループ・ソウルから出て、地上に降り立つ霊がひとつではなく、複数である、ということもありうるはずであり、そのうちの例えば2つの霊をまとった人間が、まったくよく似ている、ということはありうるわけです。従って、私の家内と本田美奈子さんがグループ・ソウルであった、ということもありえるかもしれません。
もう亡くなりましたが、俳優であると同時に心霊研究家でもあった、丹波哲郎さんは、このグループ・ソウルこと、類魂のことを分かりやすいように「蜂の巣」にたとえています。
蜂の巣は、中に20匹・100匹・1000匹など色々な数の蜂が住んみ、大きさも色々ですが、同じように魂の集まりも大小様々です。例えば1000匹で構成さる蜂の巣があったとして、そのうちの1匹は巣の外で花がどこにあるか、蜜がどこにあるかを探して巣に戻ります。
巣に戻った蜂は、他の999匹の蜂にその情報を伝えますが、この1匹の蜂が経験した知恵は、これにより巣の中のすべての蜂が等しく持っていることになります。同様に、グループ・ソウルの中から「分霊」されて外へ出て行った霊は、地上に降りて生まれ変わります。
それが私たちです。やがて幼稚園から小中学校へと進み、ある者は高校・大学を出て、就職したあと社会で揉まれて歳をとります。
やがて死に行きますが、そのとき魂は再びグループ・ソウルに戻り、その生から死までのすべての経験をグループに伝えます。こうして類魂は全体的にまたひとつ成長します。全体が一つの魂によって学び、再び外に出た分霊が戻っては全体の精神的成長を助けます。
このほか、心霊研究者たちがよく例えるのは、この類婚こと、グループ・ソウルはコップの中の水と同じだ、ということです。もしコップの中に落とした一滴の水に色を付けていたとすれば、その水はやがてコップの中で溶け出し、水の全体に広がっていきます。最初は色がはっきり見えていますが、そのうち浸透が進み、全体が均一になります。
傍目には無色透明に見えますが、このとき実際には全体がその一滴の水によってほんのり色づいており、正確な色量テストをしてみれば、そのほんの少量の水が全体を変えたことがわかるはずです。これが、すなわち類婚の概念というわけです。
丹波さんが挙げたもう一つの例では、この類婚の考え方は五本の指と同じです。この5本は全部自分の手です。そして、全て掌でつながっています。そして親指・人差し指・その他、それぞれはそれぞれの個性を持っています。
しかし一人の人間の血液や神経は共通です。小指が痛めば親指も痛みます。それぞれの指は別々ですが、掌でつながっています。これが「類魂」であり、一つの魂が苦しめば全体も苦しみます。一人で外へ出た魂が苦しんでいるとき、グループ・ソウルも苦しくなるので、彼を助けようとします。あるいは助けるために生まれつき彼に保護者をつけます。
これが、守護霊です。必ずしもグループ・ソウルの一員とは限らない、という説もあるようですが、同一人物を助ける守護霊同士はつながっているのが普通で、同じソウルグループから派遣される、とする説が有力です。
しかし、守護霊の役割は人を守る・助けるというよりも、生を受けた人の霊的目的を達成の手助けをすることとされます。従って、目的を達するために必要と判断されれば、生者にとって一見不幸・不運とされる出来事や不遇な環境を用意することさえあるといいます。
つまりは、かわいい子には旅をさせよ、というわけであり、「人の一生は重き荷を負うて遠き道を往くが如し(家康)」といった経験を通じて、グループ全体の質の向上が図られるわけです。
上述の浅野和三郎も当然、この類魂の概念を知っていました。しかし、霊媒による交霊会を何度も重ねるうちに、単純な再生説にしばし疑問を抱くようになります。
それは、もし招霊した霊がすでにこの世に再生していれば、降霊会での招霊には応じないはずだ、ということです。にも関わらず、彼が招霊した魂はことごとく会に降りてきて、やってこない霊は一人も存在しませんでした。
そこで記録をとってみたところ、300人の招霊で呼び出しできなかったのは2人であり、うち1人は菅原道真でした。もう一人は誰か不明ですが、いずれにせよ300分の2は低確率です。そして彼は菅原道真が招霊できなかったのはその霊格が高すぎたためと考えました。
これにより浅野は、日本の神道にある「分霊」の概念を採用し、新しく生まれた魂は、前世の魂の分霊であると考えるようになりました。そして、「前世の魂の未浄化な部分が第二の自我として分裂し次の魂を生む」という、「創造的再生説」を1930年に心霊雑誌「心霊と人生」において発表しました。
これをもう少し詳しく説明すると、類魂はリーダー格である「本霊」を中心に、数十から数千にもおよぶ分霊が集まっているとされます。分霊である魂が死後、ある一定の期間をすぎると、類魂と魂を一つにし、類魂との共同生活が始まります。
類魂の中に魂を溶け込んでもその霊魂としての個性は残り、消滅することはありません。すなわち、ある意味では類魂=自分であるわけです。そして類魂に属する霊たちには二つの意識があり、その一つは類魂全体の意識であり、これは分霊全員がもつ共通した意識です。そしてもう一つはそれぞれの霊の個性としての意識です。
そして時に、その一つの分霊が、類魂全部を進化させるため人間界に再生するわけですが、この際、グループには共通の意識を持つ「分霊」が多数居残っており、そのどれかを降霊会で呼び出してもこれに応じるため、人間界に再生している分霊とダブルことはないわけです。
この類婚を形成するそれぞれの分霊は、「本霊」に導かれます。これは類魂のリーダー的な役割をはたす霊で、それぞれの分霊よりも高度な霊です。この本霊は分霊へ生命を吹き込んで多数の魂を養っているとされ、「中心霊」ともいいます。
これについて、前述のマイヤースは、死後の霊界通信で、こうした本霊が存在するのは神が存在するとされる最高界である第七界の「超越界」より一つ下の、第六界「光明界」だと伝えてきました。
また、前述のとおり、分霊が死亡し、魂が類魂の中に溶け込むと、分霊が生前に体験した記憶や経験がグループ全体で共有されること、さらに分霊が類魂の存在を知るのは第四界の「色彩界」からだという情報ももたらしました。
さらに上の界である第五界の「光焔界」に上ると類魂の目的を知るとされます。そこからもうひとつ上の位に上がり、第六界の「光明界」に行く霊が本霊になり、グループ・ソウルを率いる立場になる、ということのようです。
このように、マイヤーズ通信では、霊界を七つの階層(意識レベル)から成るとしています。それを列挙すると次のようになります。
1.物質界 (the Plane of Matter)
2.冥府、ないし中間境 (Hades or the Intermediate State)
3.幻想界 (the Plane of Illusion)
4.色彩界ないし形相界 (the Plane of Colour or the Plane of Eidos)
5.火焔界 (the Plane of Flame)
6.光明界 (the Plane of Light))
7.超越界(彼岸) (Out Yonder, Timelessness)
我々の住んでいるこの世界は1.の「物質界」です。こうした世界は地球だけではなく他にもたくさんありますが、物質の振動数が異なるため、われわれの肉眼や機械的観測では捉えることができない、と言われています。そして「死」によって物質界を離れた魂は、2.の「冥府」を通過し、3.幻想界に赴くとされています。
死と同時に、魂は肉体より分離し、より精妙な霊的身体をまとって、「他界」に移行していきますが、冥府はそのスタート地点であり、さらに上へ行くための準備を行う段階ということのようです。が、そこでの過ごし方は、その魂の状態や死の状況などによって様々に違うということです。が、いずれにせよこのプロセスは一時的なもののようです。
そしてさらに進化向上を果たしたい魂は、色彩界、火焔界……と昇っていくわけです。ただし、ここでは七つの階層とされていますが、各階層から階層へ行く際には、その過渡的段階である「中間的境域」にとどまることもあるということで、各層はさらに細かい層に別れていて、魂のレベル毎にその各層に属するともいわれます。
また、7.の「超越界(彼岸)」は、「宇宙の外」とも表現される神の領域ですから、一般的に「霊界」とされるのは、幻想界、色彩界、火焔界、光明界の四つということになります。
なお、分霊の霊格は同一とする説と、それぞれ違いがあるという説もあるようですが、前述のように幻想界が更に細分化されているとするなら、その霊格に違いがあっても不思議ではないでしょう。
分霊が地上の物質界に降りてくると、同じグループ・ソウルから「守護霊」がともに派遣されてきて我々を助けてくれわけですが、この守護霊がどの階層から派遣されてくるかについても、ケースバイケースのようです。
霊格の高い霊が派遣されてくる場合もあり、比較的低い次元の霊がやってくる場合もあります。そのこと自体にも分霊を鍛える意味があるのでしょう。しかし、特別な場合をのぞき、同じ類魂から選ばれるとされ、別の類婚からやってくることはありません。
また、この類魂説では、生まれ変わりが必要な時期になれば、本霊から分霊に再び地上に生まれ変わるように促されるといいます。といっても強制的に再生させられるのではなく、再生するかどうかの選択は本人にさせます。
このとき、促されるままに魂の完成のために不足している経験を補うために、地上に再生する魂もありますが、さらに高度な精神生活を求めて形相界・色彩界へ上がる分霊もあるようです。本霊に許されればですが。
再生した際、幼少時から様々な才能を見せる人間は、類婚としての経験が豊富であるといわれます。なお、この再生には全再生と部分再生があり、これは霊的な成長に応じて決められます。全再生とはまだ魂として未熟な霊が個性を保ったまま、地上に生まれることです。未熟者なので再生回数は多くても8回、大抵4回ほどで人間生活を卒業するそうです。
一方、部分再生とは、魂が十分に成長し物質的な執着がある程度なくなっている場合です。霊性が十分に発達した霊は、カルマを若い類婚(分霊)に託し、彼等を地上に派遣して、自身は守護霊として当人の成長を見守ります。
このカルマは守護霊のものでもあるので、従ってややこしい話ですが、こうした半再生の場合、守護霊は物質界における分霊の一部でもある、ということになります。
一方カルマを託され、半再生した分霊は、そのカルマを解消するため、再び物質界で修業をし、その一生を終えると再びその修行の成果を類魂に返し、さらに必要ならば同じ分霊、あるいは別の分霊として何回でも再生を繰り返します。
この生まれ変わり回数に関しては諸説あります。350回くらいという説もあり、千回以上という説もあります。古い霊では3万回もの生まれ変わりをしている霊もあるとのことです。
しかし、生まれ変わる回数という議論は、意味がないことだと私は思います。なぜなら、生まれ変わる理由は類魂の成長のためであり、たった一回の生まれ変わりでも3万回の生まれ変わったのと同じくらい大きく類魂が成長するならば、それだけで意味が大きいからです。生まれ変わりの質の問題であって、数ではないわけです。
なお、1920年にイギリス人青年モーリス・バーバネルを霊媒として多くの霊界事情を語ったとされている高級霊、シルバーバーチは、この再生の問題を「再生の原理を全面的に理解するには大変な年月と体験が必要です」とも語っており、霊界においても輪廻転生の本質を理解することは重要であり、長い時間と経験が必要なこととされているようです。
この再生においては、ごく稀にですが、2つ以上の分霊が同時に肉体に宿るときがあるといいます。この場合をツインソウルもしくは双子霊とよびます。双子霊は同じ星に生まれる場合もありますが、別々の星で誕生する場合もあるといいます。
スピリチュアルカウンセラーの江原啓之さんによればノーベル物理学賞を受賞したキュリー夫妻は双子霊だったそうです。ちなみにマリー・キュリーは心霊現象研究協会(通称SPR)のメンバーでもあり、夫妻2人は、英国心霊主義協会の作家コナン・ドイルや物理学者ウイリアム・クルックスらとともに、しばしば降霊術の会に参加していたようです。
肉体的な違いはあるものの、元が同じ霊なので趣味や霊性がぴたりと一致するといいます。夫妻も、1894年春に初対面であったとき、マリーはピエールに自分と共通するところを多く感じたといい、そしてピエールも同じように感じていたと後に語っています。そしてその後の人生でお互いを高め合い、見事ノーベル賞を獲得しました。
このように、ごくごく稀に、地上で出会う幸運に巡り会えば、それは正に地上で天国にいるような感覚になり、その後も二人一緒に霊的進化を続けるといいます。
従って、我が妻と本田美奈子さんもツインソウルだったのかもしれません。この世では残念ながら巡りあうことはできませんでしたが、おそらくあの世で再会し、今はともに進化しつ続けているのでしょう。
実は、動物霊にも類魂は存在するといいます。動物霊は人間の類魂と違い、類魂の中にいったん溶け込むと個の霊としての意識がなくなり、類魂としての意識のみ残るとされます。
個の意識は消失するそうですが、ペットとして飼われていたときにその動物へ人が注いだ愛情は類魂全体に貢献し、より霊的な進化を促すとも。ただし、類魂と魂を一つにした動物霊たちが引き続き生まれ変わって、動物界に戻るかどうかは不明です。
が、私は、動物も再生を繰り返し、その霊性を高めていつかは人間になるに違いないと思っています。
ウチのペットのテンちゃんに注ぐ愛情もいつかは、ソウルグループ全体へ貢献するものだと考えるならば、それは決して無駄なものではないわけです。いつか何万年か何十万年かさきに人間として進化した彼女に会ってみたいもの。
その彼女はきっと亡くなった妻のように素晴らしい人物に違いありません。