明日から3連休でOFFという人も多いでしょう。
10月10日は、従来体育の日でしたが、「ハッピーマンデー制度」の適用により、10月の第2月曜日となったためです。2000年(平成12年)から適用されています。
そもそもなぜ10月10日だったか、ですが、これはこの日に1964年(昭和39年)に行われた東京オリンピックの開会式が行われたことを記念して、国民の祝日としたものです。オリンピックの2年後の1966年(昭和41年)から実施されていました。
その昔、私が子供のころには、運動会といえば、この体育の日か、11月3日の文化の日などの秋の日に行われることが多かったのですが、最近は春に行う学校のほうが多いようです。
これはどうやら秋には修学旅行や文化祭等の行事が行われることも多く、できるだけこちらと重ならないよう、行事は年全体に振り分けたい、という意向からきているようです。
かくいうウチの息子君の小学校中学校の運動会も春さきに行われていました。こどものころに秋の運動会を経験してきた私にとっては、春に運動会というのもなんだかな~と思ったものです。が、春にやる運動会が普通になっている最近の子供たちも、大人になってから、秋の運動会?それもなんだかな~と逆に思うのかもしれません。
それにしても、この運動会、海外にもあるのかな、と調べてみたところ、そもそもスポーツというものは欧米が発祥の地なので、各国で特定種目の競技会が行なわれているほか、それらを複合させたスポーツ競技会のようなものはあるようです。
ただ、日本の運動会のように参加者が一定のプログラムについて順次全体としてまとまりながら競技を行う形式の体育的行事はなく、また、ダンスや応援合戦といった「お遊戯ごと」まで含めた、お祭り的な雰囲気のものはないようです。
とはいえ、それぞれの国における伝承ごとに基づく伝統的なまつりのようなもの、たとえばハローウィンのようなものは当然ありますし、このほか運動会とはいえないかもしれませんが、日本の遠足に近い「ピクニック会」といったものはあるようです。ただし、もちろん運動会や競技会とは切り離されており、それだけが単独で行われます。
日本の運動会のように参加者全員がまとまって同一の競技・演技を行う形式の体育的行事は「近代日本独特の体育的行事」といわれ、始まったのは、明治時代です。ただし、当初は「競闘遊戯会」「体操会」「体育大会」などと呼ばれていました。その後1883年から東京大学で定期開催されるようになったものから「運動会」と呼ばれるようになりました。
こうした体操会、運動会は、日本画近代国家を形成する過程において、運動会は大きな役割を果たしたといわれます。明治期以降、地方自治制度の整備がすすむとともに、産業化も進展すると、そのなかでかつての伝統的な地域社会も再編成が必要となりました。
こうした村と村が合体する、といった統合が進む中で、運動会は人々を繋ぎ合わせる役割を担うようになり、学校に通う生徒だけでなく、その親や親せきなどの地域の大人たち、しかも子供を学校に通わせていない大人たちをも含めて運動会に積極的に参加するようになりました。
そうすることで学校を中心とする地域社会の連帯が再確認できたわけであり、これにより、地域のつながりはさらに強固となっていきました。そうした意味では運動会は地域社会の統合に不可欠なものでもあったわけです。
また、運動会は、従来村々で別々に行われていたお祭りを統合したような性格も持っています。従来のムラにおける「ハレ」の場に代わる役割を果たすようになり、それがまた地域社会の連帯感の強化に役立ったわけです。
日本で最初に行われた運動会は、定説によれば1874年3月21日、海軍兵学校で行われた競闘遊戯会であるとされます。イギリス人英語教師フレデリック・ウィリアム・ストレンジの指導によって行われたとされ、ストレンジは後に異動先の東京大学予備門でも運動会を開催しています。
ただし、別の説もあり、1868年に幕府の横須賀製鉄所において技術者・職工らによって行われたものが最初だと主張する人もいるようです。
いずれにせよ、明治初期のことであり、クラーク博士で有名な札幌農学校でも、1878年5月25日に「力芸会」と称する運動会が開催されました。ただし、クラーク博士は1876年に来日し、農学校での滞在はわずか8か月でしたから、この催しには参加していないと思われます。
その後、この力芸会は、わずか数年で北海道内の小中学校に広がったといわれます。そして、上述のとおり1883年からは東京大学で「運動会」が定期開催されるようになりました。その後、一橋大学を創設した初代文部大臣・森有礼も、こうした体育の集団訓練を大学で行うことを推奨しただけでなく、小中学校でも行うよう奨励しました。
この森有礼(ありのり)という人は、元薩摩藩士です。幕末には藩の洋学校である開成所に入学し、英学講義を受講するなどの英語通で、慶応元年(1865年)には、薩摩藩第一次英国留学生として、五代友厚らとともにイギリスに密航、留学しました。
維新後はその語学力を生かして外交官となり、明治18年(1885年)、第1次伊藤内閣の下で初代文部大臣に就任し、東京教育大学を経て現在の筑波大学となる、東京高等師範学校を創設しました。
この東京高師を「教育の総本山」と称して日本の教育改革を行うなど、現在にまで至る日本の教育政策の基礎を築いた人として知られています。とくに女性の教育に力を入れたことで知られ、現在の「指導要領」の元といわれる、「生徒教導方要項」を全国の女学校と高等女学校に配ったほか、「良妻賢母教育」こそ国是とすべきであるとの声明を出しています。
ただ、こうした森の急進的な考えは、この当時の大衆が受け入れるには少々早く、庶民の感覚とは乖離したものがありました。このため、森が設立した、日本最初の近代的啓蒙学術団体「明六社」にちなんで、「明六の幽霊(有礼)」などと皮肉られもしました。
しかし、近代国家としての教育制度の確立に尽力したその功績は大きいものがあります。
明治19年(1886年)には、学位令を発令し、日本における学位として大博士と博士の二等を定めたほか、教育令に代わる一連の「学校令」の公布に関与し様々な学校制度の整備に奔走しました。しかし明治22年(1889年)2月11日の大日本帝国憲法発布式典の日に国粋主義者・西野文太郎に切りつけられ、この傷が元で翌日死去。43歳の若さでした。
この森のおかげで日本の教育制度の改革は一気に進んだといえますが、その中で運動会についても奨励したため、全国の小中学校でもさかんに行われるようになりました。
大正以降、日本統治を経験した韓国、北朝鮮、台湾や中国東北部の学校でも、こうした運動会が開かれるようになり、現在においてもこの日本時代の名残で運動会が存在しているところが多いようです。
第二次世界大戦中は運動会の種目においても戦時色が強まり、騎馬戦・野試合・分列行進などが行われました。ただし、戦争末期には食糧難から運動場が農地化するなどして実施ができなくなったところが大半でした。
戦後も地域の人々を結びつける「祭り」としての機能は失わず、戦前にもまして盛んに開かれるようになりましたが、その中で、行われる競技の種目もかなり増えました。運動会と言えば、定番はかけっこ、といわれるくらい徒競走をやる学校が多いようですが、その派生競技として2000mもの距離を走る長距離走や、リレー走が生まれました。
リレーではまた、二人三脚、多人多脚リレーといったお遊戯的なものも生まれ、このほか障害走系競技としては、障害物競走、借り物競走、パン食い競走、ムカデ競争なども定番競技となりました。
このほかの定番競技としては、玉転がし、スプーンレース、棒倒し、玉入れ、騎馬戦、綱引き、バケツリレー、長縄跳び、などなどがありますが、フォークダンスなどの各種ダンスなどを演技目としてメニューに入れている学校も多いようです。地方によってはこれらに更にアレンジが加えられ、その地域独特の運動会になっているものもあります。
ただ、これほど運動会が広まった現在でも、昔ながらに踏襲されているのが、「紅白」ということであり、これは、参加者は赤(紅)色と白色の「対抗する2組」に分かれて競技を行う、というルールです。
この「紅白戦」のルーツは源平合戦といわれており、源氏が白旗を、平氏が紅旗を掲げて戦った際に用いられた配色が起源といわれます。対照的な色合いでもあることから、日本において、伝統的に対抗する配色として用いられるようになりましたが、と同時に日本の国旗の色でもあります。
これすなわち、日本では紅白はハレを意味し、縁起がいいとされたためです。現在でも祝いの席の紅白幕や紅白餅、紅白饅頭などの縁起物に用いられています。運動会もまたハレの場であり、この色を使うということは、やはりこの日がめでたいお祭りの日とみなされているからです。
このほかにも紅白の組み合わせは日本では至るところで見られます。水引の結びは紅白であり、また、お祝い事には、紅白餅や紅白幕はつきものです。また、NHK紅白歌合戦などでも紅白が使われ、野球やサッカーなどの練習試合も紅白戦で行われます。
さらに、たいていの小学校では、運動会に紅白帽を生徒に着用させます。生地の表面と裏面が赤と白の2色で分けられており、リバーシブルで使用でき、なんといってもただの布であるため安価です。
実はこの紅白帽は、昭和の中期・後期に活躍した喜劇俳優にして落語家で発明家でもあった「柳家金語楼」が発案したものです。彼が実用新案として登録したのが始まりといわれ、金語楼人気もあって、当初から全国に広く普及しました。
今日の日本においてもほとんどすべての小学校で採用されており、多くの生徒がこの紅白帽子をかぶり、体操着を着て運動会に参加します。ところが、日本以外の国では、体操着を着用する、という概念はありません。むしろ欧米では、こうした「制服」は人権に抵触する行為であり、「強要」であるとして否定的です。
また、日本と同じく運動会が行われるところの多い韓国では、赤という色が共産主義を想起させるため、もっぱら青と白で区別されているそうです。また、リバーシブルのものはないようです。このような紅白帽というものは、世界的にもめずらしく、日本独自のものといえるようです。
もっとも最近は、この紅白帽を使わず、鉢巻で済ます学校も増えており、また帽子を着用するとしても、赤色に代えて黄色・オレンジ色・ピンク・紫・紺色・青・水色・緑・茶色などさまざまな別の色が使われることもあり、これらは総じてカラー帽子と呼ばれています。
小学校や中学校ではまだ一般的ではありませんが、幼稚園や保育園で採用されていることが多いようです。
このほか、近年の運動会の特徴としては、応援合戦や、マスゲーム、組体操が行なわれることもあります。応援合戦は、学年単位やクラス単位、団単位で行う競技であり、BGMに併せて歌う、踊るなど、多様なパフォーマンスをし、チームやクラスを応援します。
紅白戦においては、こうしたパフォーマンスを得点に入れる場合と入れない場合があります。得点に入れる場合の採点基準は、声の大きさやその演目の難易度などを父兄や先生が評価することによりますが、応援合戦の場合、得点を争う、というよりも、チームの士気高揚を図る、団結力を生徒が自覚することが目的でもあります。
応援合戦のパフォーマンスの優劣を競う学校の中には、優秀なチームには賞が与えられる場合もあります。このため、生徒のなかにはこの賞を得たいがために、目指して放課後や休み時間まで練習して運動会に臨む子たちもいます。私も中学校のころに練習したような記憶がありますが、これはこれでなかなか楽しいものです。
こうしたパフォーマンスは、学校によっては、「マスゲーム」に代えるところも多いようです。これは、多人数が集まって体操やダンスなどを一斉に行う集団演技です。同調性の高い動作を行うことを特徴とし、集団における連帯性の高さを来場者に示す演目として実施する学校が増えています。
マスゲームは、ドイツ語のMassenturnen(マッセントゥルネン)が語源であり、これは「大規模な体操」を意味します。が、日本でいうところのマスゲームは、多人数を表す「マス(mass)」 と「ゲーム(game)」 を合わせた和製英語です。ところが、この和製英語は最近ではmass gameとして、国際的にも認知されるようになりました。
マスゲームというと、北朝鮮で何かのお祭りのときに行われるアレがすぐに思い浮かびます。10万人もの人を動員して1時間半にわたって行われるなど、特に大規模なことで有名ですが、こちらはもともと金日成の誕生や日本による植民地支配に対する抵抗を表すものとして創作されたという歴史を持ちます。
しかし、上述のとおり、もともとは、19世紀のドイツにおいて、効率の良い体操指導法として、号令によって一斉に体操する合同体操が普及したのが始まりです。
体操の有意義さを訴え、体操を普及させるためのツールとして、見せ物としてのマスゲームが発展したものですが、これが旧チェコスロバキア、オーストリア、スイスなどの外国にも広がり、ひいては世界的に行われるようになっていきました。
演技は多岐にわたり、整列や円陣などの態勢で、器械体操、組体操、新体操、バトントワリングなどや様々なジャンルのダンス、民族舞踏、人文字を作る、といったものを包括してマスゲームと呼ぶようです。
欧米の農業祭などでの行事として、馬に乗って行われるものもあり、ルールに従って馬を操り、統制の取れた動きを演じるほか、スペインのセビリア祭で行われるものも有名です。オリンピックなどの大規模なマスゲームでは、巨大ディスプレイなどの大道具や様々な小道具を使い、ストーリーを持たせた大規模なものとなります。
その昔、ルーマニアのチャウシェスク政権やティトーのユーゴスラヴィアといった社会主義国でも共産党員に共通意識を持たせる、といった意味合いで奨励されるようになりました。そして、同じ共産国である北朝鮮にもこれが伝わって、現在のようなものになりました。
一方の日本では、学校の運動会で行われるマスゲームも、一般には北朝鮮のものとおなじような、組体操やダンスを組み合わせたものです。ただ、日本の場合は、統一性を高めるため、体操着を着用し、体操帽をかぶるのが特徴です。
もっとも体操帽は脱げやすいので、最初からかぶらない学校もあります。また、内容によっては裸足になったり男子が上半身裸になって行う場合もあります。裸になる、というマスゲームは他国にはなく、これもやはり日本的なものです。
ところで、このマスゲームと組体操は何が違うのでしょうか。どちらも同じような気がしますが、どこが違うのか調べてみたところ、体操を基礎にして、「道具を使用せず人間の体を用いて行う集団芸術」という定義ではどちらも同じもののようです。
日本では組体操は、「マスゲームの一種」とみなされることが多いようで、その他のダンスなどと合わせて運動会でも「マスゲーム」として紹介されることが多いようです。
別名は「組み立て体操」または略して「組み立て」といい、体育の授業の一環として単独でも行われます。
ただ、歴史的な成立経緯をみると、ドイツが発祥のマスゲームよりも古いようです。初歩的な組体操は、紀元前2000年の古代エジプト文明の壁画に観察できるそうで、中国でも漢の時代の土偶にそれが見られるそうです。また、ヨーロッパでは中世以後のイタリアで祭日などに披露されたものが、組体操だといわれています。
19世紀にドイツで行われるようになったマスゲームはこれらを基にしているといわれており、日本でいわれているように、組体操はマスゲームの一種、という定義は少々違うようです。
ただ、日本でも元々は組体操という言葉が一般的だったわけではなく、明治期には、倒立や回転運動を含むものをタンブリングやピラミッドと呼んでいました。これが戦前までには「回転運動、組み立て運動」と呼ばれるようになり、床運動を基礎とした集団で行う近代リズム体操を加えて、「団体徒手体操」と呼ぶようになりました。
この床運動は、女子6人から30人位で行われていましたが、日本で生まれ世界に広がった男子新体操は、これを元にしたものです。男子6人程度で行われますが、これも組体操の一種といっていいでしょう。
この「組体操」に相当する統一された英語表現はまだないようですが、上述のマスゲームが、「mass game」とよばれるため、これと区別されるために、「mass gymnastic」という表現がアメリカの一部のマスコミで使用されることがあるようです。
ただ、これは集団で行われる体操であり立体的な組み立てを必ずしも含まないのでマスゲーム「mass game」に近い表現です。
だんだんと話がややこしくなるので、整理すると、マスゲームとは、ダンブリングやピラミッドといった立体的な組み合わせを含まないもの、また組体操とは、そうした立体的体操を含むもの、ということでいいのではないでしょうか。
ウィキペディアの記述にもそのあたりの混乱があるようなので、両者の違いについては、いまここで結論を出すのはやめましょう。一応ここでは、従来から日本でいわれているように、「マスゲームは組体操を包含する」ということにしておきましょう。
ところで、この組体操は、演目上の性質として高所からの落下、及びその衝撃で上肢切断、歯牙障害、せき柱障害などの事故事例が多発していることがわかっています。1983~2013年度の31年間に、学校の組体操において障害の残った事故が88件発生し、そのうち2012年度までの10年間で後遺症が残る事故は20件発生しています。
2012年度に小学校で起きた組体操による事故は6533件だそうで、さらに2013年度での事故事例は8500件超となっています。
静岡のある中学校では、ピラミッドを組んだあとに崩れ、下敷きになった生徒が頚椎骨折したため、両親が学校を相手に訴訟を起こしたこともありました。同様に各地で同様な事故が起こった結果、裁判沙汰に発展し、裁判所が学校側に賠償金の支払いを命ずる、という事例も増えてきました。
日本では国家賠償法に基づき、教員が国又は地方公共団体の公務員で、その職務を行うにあたって、故意又は過失によって違法に児童や生徒に損害を加えたときは、損害賠償責任を負うことになっています。ただし、損害賠償金を払うのは学校ではなく、国又は地方公共団体ということになります。
日本スポーツ振興センターによると、2013年度に組体操中の事故で災害共済給付制度で医療費が支給された件数は、全国の小学校で6349件、中学校で1869件、高校で343件にものぼっています。
学校側の責任問題にも発展するため、組体操を中止した学校も多く、相次ぐ事故の報告を受け、今年6月に文部科学省は全国の教育委員会に事故防止の対応を求める通知を出したばかりでした。
ところが、その矢先の先日の9月27日、八尾市立大正中学校で行われた体育大会で、10段ピラミッドが崩れ、下から6段目の男子生徒が右腕を骨折する、という事故がおきました。これにより、組体操に対する安全性が最近になって急にクローズアップされてきた感があります。
国際的には、五段を含めそれ以上のピラミッドの一斉崩落は事故の危険を伴うので、肉体的技術的訓練が高度に進んだメンバーしか披露できないそうです。が、日本ではこれに近い段数を生徒に強要しているところもあるようです。
人間ピラミッドは運動会の華、と言った向きもあるのでしょうが、危険を伴う人間ピラミッドを幼い生徒に行なわせることについては、父兄などからの反対意見も多数出てきており、組体操そのものも否定する向きも増えてきているようです。
そもそもは、高度に統率、指導された集団教育の成果を発表する目的で行われるものであり、教育の一環として行われてきたものがなくなるのは惜しい気がします。が、最近の子供は、バランスや筋力・筋持久力が衰えているのではないか、という意見もあり、そう聞くとなるほど事故が多いのはそのためか、とも思ってしまいます。
ただ、組体操すべてを廃止してしまうのではなく、これを団体で行わせることの意義や効果についての意見交換を学校関係者のあいだでしっかりとしたうえで、本当に危険なものは排除し、有益と思われるものは残すといった取捨選択をすればいいのだとも思います。
人間ピラミッドは、マスゲームの花形として世界中で行われており、スペインやブラジルのように子供の育成のために有効なものとして推奨しているような国もあります。
日本のこどもは人間ピラミッドもできないほどひ弱になった、といわれることのないよう、新しくできたスポーツ庁などでも、その存続に関しての議論を尽してもらいたいと思うしだいです。