祝ハロウィン!

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明日はハロウィンだそうで、昨今は町のあちこちでおばけカボチャのディスプレイやら、魔女やお化けを模した人形などが飾られることが多くなりました。

ほんの十年ほど前までは、これほどの盛り上がりはなかったように記憶しているのですが、最近は10月末日になると、あちこちで仮装パーティが開かれることも普通になり、東京では渋谷の交差点などでいろいろな仮装をした外国人が集結し、これに対して機動隊が出動する、といったことも風物詩になりつつあるようです。

近年のハロウィーンの経済効果は1100億円に上るといわれており、バレンタインデーの1080億円、ホワイトデーの730億円を抜き去って、すでに6740億円のクリスマスに次ぐビッグイベントとなっているそうです。

その「元凶」はというと、1970年代に、「キディランド」が、ハロウィン関連商品の店頭販売を開始したことのようです。玩具製作会社のタカラトミーのグループ企業で、同社の玩具だけでなく、他のキャラクター玩具や関連書籍などを置いている店で、若い人には人気があります。

キディランド原宿店における販売促進の一環として、ハロウィン・パレードを開催したのが嚆矢といわれているようで、毎年恒例行事となりました。原宿表参道といえばファッションの発信地であり、流行に敏感な若者たちがこのハロウィンという一風変わった催しに飛びついたことで、全国に広まるようになっていったのでしょう。

無論、クリスマスなどと同様に、日本では宗教的色彩はかなり薄い行事です。このため、その意味を知りながら騒いでいるといった人は、実はほとんどいないのではないでしょうか。

もともとは、全ヨーロッパ人のご先祖様といえる、ケルト人たちの「サウィン祭」というお祭りであり、彼等の1年の終りは10月31日でした。この夜は夏の終わりを意味し、冬の始まりでもあり、死者の霊が家族を訪ねてくると信じられており、同じくこの時期になると有害な精霊や魔女などが地下から這い出して来ると信じられていました。

ケルト人たちが31日の夜、こうした魔物たちから身を守るために被るようになったのが仮面であり、またその仮面に合わせて仮装をすることもありました。そして、魔除けのために焚き火をしましたが、さらに時代が進むと焚火のかわりに、野菜をくりぬいた中に蝋燭を立ててランタンとする、「ジャック・オー・ランタン」を作るようになりました。

この野菜は、現在ではカボチャが主流となっていますが、カボチャを使うようになったのはこれが豊富に収穫できたアメリカで普及したためであり、その昔、ヨーロッパ諸国ではカブの一種である「ルタバガ」を使っていました。

日本産のカブにも似ていますが、別種であり、日本では「カブラ」という場合もあります。原産地はスウェーデンとされ、北欧からロシアにかけて栽培され、重要な栄養源となっていたものですが、やがてスコットランドに移入され、他のイギリス各地や北アメリカにも広まっていきました。

現代ではこのカボチャのランタンは、アメリカからヨーロッパに逆輸入されて使われているようですが、アイルランドなど一部の地域では今でもこのルタバガを使っているそうです。アメリカにジャック・オー・ランタンの風習を伝えたのもこのアイルランドからの移民といわれています。

ハロウィンのこのほかの行事としては、魔女やお化けに仮装した子供たちが近くの家を1軒ずつ訪ねては「トリック・オア・トリート(Trick or treat)」つまり、「お菓子をくれないと悪戯するよ」と唱える、というものがあり、お菓子がもらえなかった場合は報復の悪戯をしてもよい、とされています。

これは、古くは9世紀のヨーロッパのキリスト教における「ソウリング(Souling)という儀式が由来といわれおり、この時代のキリスト教では、11月2日が「死者の日」でした。

「ハロウィン」の語源は、カトリック教会で11月1日に祝われる「諸聖人の日(古くは「万聖節」とも)」の前晩にあたることから、諸聖人の日の英語での旧称”All Hallows”のeve(前夜)、”Hallows eve”が訛って、”Halloween”と呼ばれるようになったとされています。

一方、この万聖節が終わった翌日の11月2日は逆に「死者の日」とされ、キリスト教徒は「魂のケーキ」を乞いながら、村から村へと歩きました。ケーキといっても現在のようなものではなく、この時代には、 香辛料と干しぶどう入りの甘いパンを指します。

キリスト教徒が物乞いをし、このケーキをもらうときには、それと引き換えにその家の亡くなった親類の霊魂の天国への道を助けるためのお祈りをすると約束します。これが「魂のケーキ」であり、毎年11月2日になると、村人たちはそのためにこのパンケーキを焼いて訪れるキリスト教徒を待っていました。

古くはケルト人たちも上述のサウィン祭の期間中に徘徊する幽霊に食べ物とワインを残す古代の風習を持っていましたが、この風習がキリスト教会によってこの魂のケーキの分配に変えられたともいわれています。

魂のケーキの分配は、ヨーロッパにおけるキリスト教の広まりとともに奨励され、広まっていきましたが、これが、現在の家庭では、カボチャの菓子を作り、子供たちはもらったお菓子を持ち寄ってハロウィン・パーティーを開く、あるいは、近所の家を巡っては「トリック・オア・トリート」を繰り返して菓子をせびる、というふうに発展したわけです。

元々は11月2日に行われていたものですが、これが時代が下るにつれ、日にちの近い、10月末日のハロウィンと習合するようになったものでしょう。

私が20年ほどまえにアメリカにいたころにもハロウィンになると近所の子供たちが様々な仮装をして下宿にやって来ていたかと思います。確か何等かのお菓子を用意して待ち受けていたような記憶がありますが、なかなか楽しい行事ではありました。

ただ、日本ではこの「トリック・オア・トリート」の風習だけは伝わらず、おばけカボチャをかざる習慣と仮装の習慣だけが定着しました。

中身を理解せず、うわべだけを取って身につけるというのは、海外の風習の良いとこどりをすぐにする日本人の悪い癖ではあります。が、ハロウィンになると仮装をして町を練り歩く、というこの風習が逆に日本に滞在している外国人に大ウケしました。

いまやこうした在留外国人だけでなく、この季節になるとそれを目当てに多くの外国人が来日するといい、渋谷の交差点などで仮装しているのは日本人よりも外国人のほうが多いようです。仮装行列はアニメやコスプレとともに日本発のポップカルチャーとまで言われつつあります。

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このように、日本では仮装だけがハロウィンの行事として定着しましたが、実は「トリック・オア・トリート」と似た日本独自の行事があり、これは「ローソクもらい」といいます。

子供たちが浴衣を着て提灯を持ち、夕暮れ時から夜にかけて近所の家々を回って歌を歌い、ローソクやお菓子を貰い歩く、というもので、欧米で行われているトリック・オア・トリートとかなり似ています。

ただ、全国的な行事ではなく、北海道の富良野や函館、江差などの道南地方や札幌市など家々の密集する地域、およびその周辺の市町だけで行われているようです。時期は七夕の7月7日、あるいは旧歴の七夕である8月7日におこなわれるようです。

七夕というのは、元々は農作業で疲労した体を休めるため休日という意味合いが強い行事ですが、七夕のときに吊るす短冊は、お盆や施餓鬼法要で用いる佛教の五色の幟(のぼり)とも関係しているといわれ、そういう意味では、「死者の日」が起源である、トリック・オア・トリートとも似ています。

函館の古い習俗を記した安政2年(1855年)の「函館風俗書」という博物誌には、七夕の習わしとして、子供たちがめいめいに「額灯籠(四角い形をした行燈風の灯籠)」を差し出して、柳に五色の短冊をつけて、笛や太鼓を鳴らし囃し立てて歩くようすが描かれているそうです。

ローソクもらいの習俗が北海道に根付いた説のひとつとしては、青森県の青森ねぶた、弘前ねぷたとの関連があげられており、灯籠を見せて歩く習わしは、「ねぶたッコ見てくれ」と練り歩く青森県のねぶたの習わしに似ているようです。

津軽地方では戦前までのねぶたの照明はローソクであったため、ローソクをもらって歩くことが習慣となっていたそうで、青森の西津軽、北津軽といった地方では「今年豊年 田の神祭り」などと唱え、家々を廻ってローソクをもらって歩いたり、ねぶたをリヤカーに乗せ「ローソク出さねばがっちゃくぞ」などと言いながら各家を廻り歩いていたそうです。

現在北海道で行われているローソクもらいにもそうした風習の名残が見て取れ、ローソクもらいの日には、学童前から小学校低学年の子供たちが缶灯籠や提灯を手に三々五々集まり、7人前後の集団となって、囃し歌を歌って、ローソクもらうために近隣各戸を訪ねあるくといいます。

無論、子供たちは当然お菓子を貰うことを期待しているわけですが、引越してきたばかりの人など、この行事を知らない人は囃し歌の通りにローソクをあげてしまうので子供ががっかりしてしまうことあるそうです。ただ、逆に菓子を準備していない家は菓子代としてお小遣いをあげる家もあるそうで、現代っ子にはこちらのほうが嬉しいのかもしれません。

とはいえ、最近のように物騒な世の中であることを反映し、最近では治安の悪化や火災の心配などからこうした行事を行わなくったところも多いといい、また人間関係の希薄さも手伝ってローソクもらいをするところは確実に減少しているようです。場所によっては日が沈む前の明るい時間帯に行う地域も増えてきているといいます。

このローソクもらいに関連して、「お月見泥棒」という行事をやるところもあるようです。これは、いわゆる「お月見イベント」であり、こちらはお盆や七夕ではなく、中秋の名月の夜に行われます。

十五夜の夜、飾られているお月見のお供え物を、この日に限って盗んでいいというもので、かつて江戸時代の子供たちは、竿のような長い棒の先に釘や針金をつけてお団子を盗んだといいます。この風習は、その昔は子供たちは月からの使者と考えられていたことからきており、この日に限り盗むことが許されていたためだといいます。

お供えする側も縁側の盗みやすい位置にお供えするなど工夫していたといい、現在では「お月見くださ〜い」、「お月見泥棒でーす」などと声をかけて、各家を回りお菓子をもらう風習が残っているようです。

各地にこの風習が残っているようですが、一般的、といわれるほどまでは普及しておらず、福島や茨城、千葉などの農村部でみられるほか、東京の多摩地区、甲府のほか、愛知県や三重、奈良、大阪、大分などで似たような風習があるとか。ほかに、鹿児島の与論島や沖縄の宮古島でも同じようなものがあるといいます。

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しかし、こうした日本の「ローソクもらい」や「お月見泥棒」では、ハロウィのような仮装は伴いません。ハロウィンで仮装をしてトリック・オア・トリートをやるのは、時期を同じくして出てくる有害な精霊や魔女から身を守るためでしたが、日本では自らが化けるという発想はなく、もっぱら火や鳴り物で魔物を退散させるという行事が多いようです。

一方、ハロウィンで仮装されるものには、魔物を退散させるためには目には目ということで、一般的には「恐ろしい」と思われているものが選ばれる傾向があります。

たとえば幽霊、魔女、コウモリ、悪魔、黒猫、ゴブリン、バンシー、ゾンビなどの民間で伝承されるものや、ドラキュラや狼男、フランケンシュタインのような欧米の怪談や恐怖小説に登場する怪物などです。

日本でもこうした怖いもの、恐ろしい者に扮するということは昔から行われており、その代表例がお化け屋敷であり、そのルーツは江戸時代の見世物小屋にあります。へび女やタコ女・タコ娘、手足のなりだるま女に奇形動物、生人形といった不気味なものが江戸の庶民は大好きでした。

お化けに扮するというのもそうした見世物小屋の見世物の中から出てきたものと考えられますが、ただ日本では、こうした「仮装」は欧米のハロウィンのような年中行事とは習合しませんでした。

こうした見世物小屋でのお化けや、お伊勢参り、富士登山などの宗教における集団参詣の仮装、あるいは民衆踊りの際に仮装などなどで、それらの多くは単独で普及したものがほとんどで、年間行事とは無縁です。

また、江戸時代の京都では、人気芸妓が歴史上の人物や物語の登場人物に扮して祇園などを練り歩く、ということが行われたいたそうで、途中で馴染み客から「所望!」という呼び声が掛かると、立ち止まって役にちなんだ舞を披露する「ねりもの」と呼ばれる仮装行列がありました。

一方の欧米では、いわゆるカーニバル、と呼ばれるものの中で仮装が普及しましたが、このカーニバルとは何かといえば、そもそもこれはカトリックなど西方教会の文化圏で見られる「謝肉祭」と呼ばれるお祭り行事のことです。

カーニバルの語源は、ラテン語のcarnem(肉を)levare(取り除く)に由来し、肉に別れを告げる宴のことを指しました。「断食の前夜」の意で、カトリックでは、イエス・キリストの受難に心をはせるためにこのとき断食を行っていました。もっとも現在では「食事制限」になっており、1日に1回十分な食事を摂り、あとの2食は少ない量に抑える程度です。

その断食祭りがなぜ仮装につながったかについては諸説あるようですが、その昔のカトリック信者たちは、その祭りの最後に自分たちの日頃の罪深さを大きな藁人形に転嫁し、それを火あぶりにして閉幕するというのがお決まりだったといいます。そして、やがては自分たちがその藁人形そのものに扮するということが行われるようになったのでしょう。

このほか欧米では仮装舞踏会や仮面舞踏会がなどでも仮装をしますが、これらもそもそもは婚礼などのめでたい行事の一環として行われていたものであり、ハロウィンやカーニバルと同様にお祭りごとの余興として発展したものです。

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このようにただ一口に仮装といっても、その中身やそれが行われるようになった背景には文化の違いあります。日本と欧米それぞれの歴史があるわけですが、ただ、最近ではそうしたものがごっちゃになり、何が何だかよくわからなくなりつつあります。

仮装とコスプレの違いは何か、といわれて、それは何とすぐに答えられる人も少ないのではないでしょうか。仮装の定義としては、「着用者の本来の属性・立場とは異なる服装をするもの」ということになり、一般的には、自分の立場を秘匿し別人であることを装う「変装」とは区別されます。

また「扮装」という言葉を使うこともありますが、これは主に演劇や舞台芸術における衣裳を指します。近年では、仮装に用いられるこうした衣服・装身具の一式を衣裳やコスチューム等とも言いますが、この「コスチューム」なるものの定義によっては、従来の仮装が「コスプレ」になる、というのが一般的な解釈のようです。

そもそもこのコスチュームなるものは、SFの世界から出てきたものです。1960年代後半のアメリカでは、「SF大会」とよばれるイベントがSFファンの間で開かれるようになり、この頃の人気番組、「スタートレック」などのSF作品に登場する人物の仮装大会が行われていました。

日本においてもこのアメリカで主に開かれていたSF大会の影響を強く受けた日本SF大会が1960年代末から1970年代から行われるようになり、この中のプログラムのひとつとして、「コスチューム・ショー」が取り入れられていました。最初にこのショーが行われたのは1974年の京都大会だそうで、翌年からは毎年行われるようになりました。

1978年に神奈川県芦ノ湖で開催された第17回日本SF大会の仮装パーティーにおいては、当時はファンの一人だったSF評論家の小谷真理やひかわ玲子らで構成されたファンタジーサークル「ローレリアス」が、「火星の秘密兵器(創元SF文庫)」というSFの登場人物に扮した格好で参加しました。

これを見た参加者がその姿を見て、この当時に日本で流行っていたアニメ「海のトリトン」の仮装だと勘違いし、本人らも強く否定しなかったことから、いつの間にか、日本のコスプレ第1号は、海のトリトンだ、と言われるようになったそうです。

実際にはその後も毎年行われている日本SF大会の中で出てきた別のアニメキャラのコスプレが第一号なのでしょうが、それが何だったのかはもううあやふやになっており、ともかくも日本のコスプレ第一号や海のトリトンということになりました。また、以後、毎年のようにこうしたコスプレのコンテストが行なわれるようになりました。

ただ、この当時はまだSFの主人公になりきる、「架空の人物に扮する」という行為をする人達は、活字でのSFファンが多勢を占めていた当時において特異な存在であり、ともすれば異端とみなされる、という風潮もありました。

このためコスプレをやる連中というのは、自称「SFファン」とする一般のSFファンとは一線を画す、少数の限られた嗜好団体でした。

しかし、SFファンというのは、これらのコスプレファンも含めてそもそもがかなりオタッキーな連中であり、かなりマニアックな知識持っている反面、何かと白い目で見られることも多く、こうしたSFファンクラブというものに対しては、何かしら一見識がないと参加しづらい、という一面がありました。

これに対して、コスプレというのは、ひと目みただけで、それが何者なのか、というのが想像できるという特徴があり、このため、それまでハードルの高かったSFのコミュニティーに、「単に参加してみたかっただけ」というライトなSF層にも受けました。

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その後、「仮装」という見た目がわかりやすい形でSF大会へ参加するこうしたライトSF層の人々が増え、それまで「覗き見」だけだった者らも取り込んでSFファン層はどんどんと厚くなってきました。

一方では、こうしたSFとは別に、日本独特の文化である、「漫画」の世界でもコスプレは行われるようになっていきます。同人(同好の士)が、資金を出して漫画雑誌を作成、共同で販売するという、いわゆる「同人誌」の即売会等でもコスプレは行なわれるようになりました。

このころから、単にアニメの仮装と呼ばれていたマンガやアニメの扮装をすることをコスチュームプレイと呼ぶようになり、元は少女マンガの同人作家やファンがコミケ(同人誌即売会、コミックマーケットの略)をお祭りの場として派手な格好をしていた中から、アニメのキャラクターの扮装をする者が現われ、徐々に増えていきました。

1977年になってこうしたコミケにおいて、上述の「海のトリトン」の衣装をした少女が登場して注目を集めましたが、これがSF大会とコミケの世界が合体した最初の出来事だったようです。その次の回には「科学忍者隊ガッチャマン」のコスプレが登場し、徐々に広まっていきました。

その後、こうしたSFの世界とコミケの世界の融合は続きます。1979年にテレビで放送されるようになった「機動戦士ガンダム」はかなりSF色の強いアニメであり、ガンダムの登場人物になりきるコスプレファンの中には多くのSFファンが包含されていました。

1970年代後半に大ヒットしたSF映画「スター・ウォーズ」の人気により、アメリカでもコスプレはさらにポピュラーとなり、「機動戦士ガンダム」などの日本のアニメも人気を博しました。

これによりアメリカ全土で行なわれるようになったアニメコンベンションなどのイベントでは日本の漫画やアニメのキャラクターに扮する光景が見られるようになり、SF大会におけるコスプレと双璧をなすようになっていきました。

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一方の日本でも1990年代にはコスプレの人口は増大し続け、コミケのコスプレイヤーは1991年には約200人、1994年に約6000人、1997年には約8000人を数えました。その後ヒットしたアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」の流行もあり、こうしたコミケなどの世界は「サブカルチャー」とまで言われるようになっていきます。

これと同時にコスプレという用語・行為も普及し、1990年代初頭のビジュアル系バンドブームの火付け役となるX JAPANのライブではファンによる凝ったコスプレが披露され、これがまた、コスプレの流行に拍車をかけました。

この頃から商業資本もコスプレに着目するようになり、従来、コスプレ衣装はコスプレイヤーによる自家製によるものしかありませんでしたが、これを既製服として製作・販売する業者が現れ、「コスチュームパラダイス(現・コスパ)」と呼ばれるようなコスプレを専門に製作するような会社も現れました。

こうした業者が製造するコスプレ衣装は、製作者の技術に出来が左右される自家製の物に対してかなりハイレベルで、しかも一定レベル以上の品質を保っていたために人気を集め、ブランドを確立することに成功しました。以後、これを真似るコスプレ衣装製作業社が増えた事で市場はさらに拡大していきました。

イベントについても、それまではコミックマーケットを始めとする同人誌即売会や、日本SF大会等において付随的に行われていた状態から、コスプレ単独のイベントも開催されるようになりました。

形式としては、コスプレをしてダンスミュージックやアニメソングに合わせて踊る「コスプレダンスパーティーや、コスプレイヤー同士が互いに交流や撮影を行ったり、アマチュアカメラマン(カメラ小僧)に撮影の場を提供する撮影会などがあるようです。

模型メーカーによって射出成形で大量生産されるプラモデルに対し、少数生産向きの方法で作られる組み立て模型を「ガレージキット」と呼び、個人やグループ、小規模なメーカーなどで作られますが、こうしたガレージキットにおいてもSFやアニメのフィギアは人気です。

ミニチュア模型で有名な造形メーカー、海洋堂は、こうしたガレージキットを製作する小規模製造業者を集めた「ワンダーフェスティバル」と呼ばれる見本市などを開催していますが、ここにも多くのSFファンやアニメファンが訪れ、彼等の中に混じって行われるコスプレのパフォーマンスが人気を博すようになっています。

2003年からはテレビ東京系のテレビ愛知が主催となって、名古屋市内を会場とし、世界各地の著名なコスプレイヤーを日本に招いて「世界コスプレサミット」が開催されるようになっています。このコスプレサミットは2005年は名古屋市内だけではなく愛・地球博会場でも行われました。

2005年に紀宮清子内親王が黒田慶樹と結婚した際に、結婚披露宴で着用したウェディングドレスは、「ルパン三世 カリオストロの城」のヒロイン、クラリス姫だったそうで、いまやコスプレ文化は皇室にまで浸透しつつあるようです。

また、日本発のコスプレは世界に進出しつつあります。欧米諸国を始め、東アジア諸国ではコスプレを行なう層が増えており、各国で行われているコスプレサミットなどにおいては、日本人から見ると想像もつかないほどの盛り上がりとなっているところもあります。

日本人のコスプレに対するイメージは、とかく「オタクがやるもの」になりがちですが、これに対して、外国人のイメージが「何かになりきってみんなで騒ぐのは最高」という、いわば変身願望の延長線にあるもののようで、そのイメージの違いは甚大です。

お隣の中国でも、日本の漫画やアニメを愛好する者によるコスプレが流行っているそうで、コスプレは中国語では「角色扮演」と書くそうです。中国政府は「国家事業」としてコスプレイベントの全国大会である角色扮演嘉年華(コスプレカーニバル)を毎年主催しているといいます。

しかし、中国にはもともと様々な題材で仮装して劇を行う文化があり、日本発の角色扮演もわりとすんなりと受け入れられる土台があったようです。同好会を作って数人でキャラクターに扮し、昔ながらの「寸劇」を行うことも普通に行われており、日本作品のコスプレも大人気だといいます。

いま何かと問題になっている、南沙諸島に駐留している中国兵士たちにも、いっそのこと甲殻機動隊のコスチュームや甲冑を着せたりさせれば、諸外国からの批判も多少和らぐかとも思うのですが、どうでしょう。しかし、逆にGIジョーや、スターウォーズキャラの扮装だと、さらにアメリカの怒りを買い、扮装が紛争に化けてしまうかもしれませんが。

なので、どうせ日本の真似をするなら、彦ニャンやクマモンなどのゆるきゃらにすれば、何かと話題のタネになるかと思うのですが、そこのところ、森元首相似の周金平さん、いかがでしょうか。

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