前回のブログで少し触れたとおり、およそ2週間、約半月にわたって、手術入院しておりました。
原因は右手の骨折です。
「舟状骨」といい、手の関節8つある「手根骨」という骨の1つで母指(親指)側にあり、手根骨の中でも重要なものの1つです。船底のように彎曲をしており、船のような恰好の骨ということで舟状骨と言います。
舟状骨は、母指の列にあるため他の指の列とは45度傾いて存在します。そのため、通常のX線(レントゲン)写真の撮り方では骨折箇所が見えにくく、見逃されてしまうこともあります。事実、私の場合も、初診ではただの脱臼と判断され、整形外科では対処の余地なしと判断されました。
それなら整骨院でみてもらおうとしたところ、病院での診断書が必要といわれ、再度同じ病院を受診したところ、たまたま手が専門の先生がおられ、骨折と告げられました。
舟状骨の骨折は、放置すると偽関節になりやすいのだとか。偽関節とは、骨折した骨がつかず、関節のように動くものをいいます。私の場合もここの部分がぶらぶらした状態で痛みを伴うので、いったいなんだろうと思っていました。
https://www.joa.or.jp/public/sick/condition/scaphoid_fracture.html
公益社団法人日本整形外科学会HPより
スポーツや交通事故などで手首を背屈して手をついたときによく起こるといいい、私の場合、いつの日だか野外で樹木の伐採をしていたとき、切り株につまづいて右手をひどく地面に突いたような記憶があります。
数か月前のことだったようですが、そのときは骨折しているとは思わず、捻挫したと思ったまま放置したため、偽関節になってしまったようです。
急性期では、手首の母指側が腫れ、痛みがある、といいますが、あまりその記憶もありません。急性期を過ぎると一時軽快しますが、放置して骨折部がつかずに偽関節になると、手首の関節の変形が進行し、手首に痛みが生じて、力が入らなくなり、また動きにくくなっていくといいます。
なので、みつかったのは手が動かなくなる直前で、もしかしたらこのあとさらに手が不自由になっていくタイミングだったかもしれません。
初期には普通のX線写真でも発見されにくいことが多く、これが偽関節になる原因の1つです。私の場合、さいわいにも発見され、CTやMRIをとってさらに詳しい検査をしたところ、骨折部分の壊死もなく、手術をすれば完治する、という判断がなされました。
ただ、舟状骨は血行が悪いため、非常に治りにくい骨折の1つです。早期に発見された場合、ギプス固定で治療することになりますが、この固定は長期になることが多いため、最近では特殊なネジによる固定を行って治療期間を短縮することが積極的に行われており、私の場合もそれです。
折れてしまった部分は削除することになりますが、それでは短くなってしまうので、自分の腰骨を削って移植する「骨移植」が必要といわれました。単に手だけの手術かとおもっていたら、だんだんと大がかりになってくるのをみて、あー、これはこういう機会に自分の体のメンテナンスをしろ、というメッセージなのだと思ってあきらめました。
骨移植に使用する骨は、亡くなられたドナー、または組織バンクで無菌化・保管されている提供者の体から利用される場合もありますが、患者自身の骨、または人工の骨が利用される場合のほうが多いようです。骨移植によって、新しい生きた骨が成長する骨格ができますが、「自家骨移植」の場合、患者自身の内部の骨から作られた移植片を使いますから、くっつきやすく、合併症などが起こりにくいといわれます。
手術は全身麻酔で行われます。麻酔の状態と患者の回復は、麻酔科医によってモニタリングされます。次に執刀医が、骨移植が必要な部位の皮膚を切開します。その後、移植する骨を移植部位にあわせて整形します。ピンやプレート、ねじなどを使用して、移植する骨が固定されます。移植骨がしっかり固定されたら、切開部は縫合で閉じられ、包帯で傷口が覆われます。
と、いえば簡単に聞こえますが、私の場合、偽関節部分を削ってフレッシュ化した部分に腰骨からとった移植骨をあて嵌め、固定する作業にかなり手間取ったそうです。通常のピンだけでは足りず、もう一本固定のためのワイヤーが必要になったとのことで、通常なら2~3時間で終わる手術が4時間もかかりました。
手術後の一夜は経過観察室で過ごしましたが、翌日には大部屋に移り、傷が治癒するまでおよそ2週間の入院を余儀なくされました。骨移植からの回復は、移植の規模やそのほかの条件によって決まります。通常、回復には2週間から3ヶ月を要します。この間、右手はギブスで固定されていますが、2週間後にいったん抜糸のためにギブスを外します。
抜糸後あらためて新しいギブスをはめ、退院しましたが、ギブスが完全にとれるまでにはさらに4週間かかるそうで、さらに最大半年間、激しい運動を避ける必要がある、と医者先生にはいわれました。
回復を待つ間、手術を行っていない部位の筋肉を運動させることで、体を良好に保つことができます。また回復プロセスを促すために、健康的な食事を心がけることが必要とされますが、いかんせん、手術したのが利き手の右手だったために、現在は食事をはじめとして多くの日常的作業を左手で行う、ということになっています。
いわば、にわか左利きであり、いまのわたしは「左ギッチョ」です。
この何気なく使っている「ギッチョ」ということばですが、調べてみると「毬杖(ぎっちょう)」からきています。これは、先端に槌がついた木製の杖を振るい、木製の毬を相手陣に打ち込む、平安時代の童子の遊びが起源です。左利きの人が毬杖を左手に持ったことから、ひだりぎっちょう、左ギッチョといわれるようになった、といわれているようです。
毬杖はその後形骸化し、江戸時代頃までは正月儀式として残っていましたが、無論現在はほとんど行われていません。
英語では「サウスポー(southpaw)」です。野球やボクシングなどスポーツ競技の左利き選手や、楽器などの左利き演奏者のことをさします。英語でサウス(south)は南を、ポー(paw)は動物の前足を意味します。
その昔、野球場は、午後の日差しが観戦の妨げにならぬよう、バッターからピッチャーを向く方向がやや東向きになるよう設計されるのが一般的でした。このため、右投手が投げる球はほぼ北側から飛んでくることになりますが、左投手の投げる球は南側に近い方角から飛んでくることになります。
投手のその手を動物の前足に例えたことから、南(south)から左手(paw)で玉を投げる投手のことをサウスポーと呼ぶようになったようです。
が、アメリカ南部出身のピッチャーに左腕投手が多かったためサウスポーと呼ばれ始めたという説もあるようです。200年以上も歴史があるといわれる野球のことであり、そのはじめのころに使われるようになった用語のようですから、どちらがほんとうなのかよくわかりませんが。
それはともかく、野球では左利きの人は重宝がられます。スポーツにおいては、左利きであることが有利に働く場合が多く、野球だけでなく、ボクシング、相撲、柔道など直接人と勝負するスポーツや一対一で必ず対戦するようなスポーツにおいては左利きであることが有利に作用します。
これは、右利きと左利きの人口比から左利きが右利きと対戦する機会が多いのに対して右利きは左利きと対戦する機会が少ないからです。右利きにとっては慣れないフォームの相手と戦う不利に加え、左利きが逆方向・逆回転の攻撃をしてきます。このため、多くのスポーツで左利きを利点として戦う選手がトップクラスにいます。
一対一競技だけでなく、サッカーやアイスホッケーといった相手側と対称のコートで行う団体球技の場合、右側には右利きの選手、左側には左利きの選手を配置するのが有利であるとされるようです。
統計では成人人口の8%から15%が左利きであり、また、わずかながら女性よりも男性の方が左利きが多いという統計結果もあります。この割合は古今東西を問わずほぼ一定だといいます。
左利きは全ての動作を左手で行うと思われがちですが、文字を書くのは右でも、ボールを投げたりするのは左を使うなど、動作によって使う手が異なる場合もあるため、実際には右手で行う動作をすべて左手で行う「完全な左利き」は少ないそうです。
古代の壁画や石像を見ても右利きの方が圧倒的に多かったことが確認されており、このため左利きが生まれるのは文化・教育・食事など後天的要因によるものではないことが分かっています。しかし、なぜ左利きが少数なのか、なぜ10%前後で変動がないのかについては、これほど科学技術や医学が発達した現在でもはっきりとした理由が分かっていません。
左利きが発生する要因とされている説のなかには「自然選択説」があります。これは、人類の長い「戦い」の歴史の中で、左利きの戦士は左手に剣を持ち右手に盾を持って戦うため、心臓を危険にさらし致命傷を負う確率が高くなり、従って右利きの人間より生き残る率が低くなった、という説です。
しかしこの説では、利き腕が遺伝することを前提としていますが、利き腕に関わる遺伝子の存在は確認されていません。また盾を使ったとされる年代や地域は限定されるほか、盾がまだない石器時代から左利きが少数であったこと、盾が廃れた近代になっても左利きが増えないことなどを説明できません。
このほか、DNAや染色体異常などの突然変異により左利きが生まれるとする「突然変異説」もありましたが、右利きと左利きでDNAや染色体に変化がないことは証明されています。
また、左利きが生まれることによって、人間は生物の「種」として多用化することになり、未知の環境変化対して「種の自己防衛」になる、という説もあります。が、利き腕の差異があるだけで、はたして種が守れるのか、という点において議論が分かれるようです。
このほかにもいろいろ説がある中で、もっともらしいのが「脳の半球説」です。ご存知の通り、脳の右側は左半身を、左側は右半身を制御していますが、脳の左側は人間が持つ特有の能力「言語」も制御しています。このため、脳の左側が制御する右半身の方が発達しやすくなる、という説です。
他の霊長類のなかには人間のような話し言葉を使うものはおらず、利き腕の偏りが見られないこともこの説を後押ししています。また、90%前後の右利きの人は言語を制御するのに脳の左半球を使っていますが、左利きの人は左半球の場合と右半球の場合があり可変であることが多いといいます。
左利きの人が脳卒中の発作に見舞われた場合、右利きの脳卒中患者よりも復帰が早いそうで、左利きの人のほうが左右の脳を有効に使っている可能性があります。
この説を裏付けるため、右利きの脳と左利きの脳の基本的な違いを脳スキャンで確認するいくつかの研究が行われています。その結果、通常の脳の特定部位が各作業に使われている状態で、右利きの人の脳は非常に集中的に使われていましたが、こうした集中化は左利きの人の脳ではあまりみられなかったといいます。
このことから、左利きの人の脳は、脳の各所に機能を分散する度合いのほうが高く、一点に集中させる度合いが低いらしい、ということがわかっています。
これに関連してか、利き腕と脳についてよく言われる説で右利きは理論に優れ、左利きは芸術など感性に優れるとよくいわれます。
前述のとおり人間の左脳は言語野など理論的なものがあります。対して、右脳には感性を司る部位があります。利き腕と脳はクロスした太いつながりがあることが考えられ、左利きの人は、感性が優れているのかもしれません。もっとも、左利きの人は理論的ではない、ということもなさそうですが。
ちなみに、人の言葉を巧みに真似することのできるオウムの90%は、左足利きだそうです。このことからも、ことばを操るということと、脳の働きには何等かの関係がある可能性がうかがわれます。
2004年、英ベルファストのクイーンズ大学博士・ピーター・ホッパーが行った研究によると、人間が右利きになるか左利きになるかは妊娠10週間目の頃に決定しているとされ、これは新発見である、といわれました。
ホッパー教授が、妊娠中の女性1000人に超音波走査を実施した結果、例えば10週間目から12週間目の頃に胎児が左手の親指よりも右手の親指を頻繁に吸っていた場合、子供はほぼ確実に右利きとして生まれてくるという関係性が明らかになったといいます。
スピリチュアル的には、ちょうどこうした胎児の発生の時期、生まれ変わる魂は地上にいる父母を選んでその胎児の中に「滑り込んでくる」といい、この時点で親子関係が決まるといいます。同時に、その後この世に生を受けて一生を送る間の利き腕についての選択肢もこの時期に与えられるのかもしれません。
しかし、右利きの多い中、左利きで生まれてくるということは、多くの試練にさらされることになります。道具や機械、楽器など、世の中の製品のほとんどは、右利き用に設計されている、といってよく、これは左利きにとって不便なだけでなく、生きていく上においては危険性が高くなる、といってもよいかもしれません。
また一般に左利き用の製品は右利き用に比べ割高であり、生涯にわたって経済的負担を強いられる、ということもあるしょう。
個人差は多く見られますが、大人になるほど利き手の変更は困難です。このため、こうしたビハインドを補うため、日本を始めとする世界の多くの国で、「利き手の変更」を行なわせようとすることが多いようです。
幼少時に周囲の人物が、箸や鉛筆を右手で使うように強いるわけですが、しかしこの「矯正」は本人が望んだものではありません。「矯正」の指導をする親が激しく叱ることも多く、このため、うまく腕を動かせないストレスが加わるなど、心理的な悪影響が少なくないようです。
洋の東西を問わず、かつては左利きを身体障害者と考える人・地域は多く、さらには知的障害の一種のように扱われることもありました。西欧では20世紀前半までは、利き手の矯正はかなり高い比率で行われており、時には厳しい体罰を伴ってでも矯正されていました。
近年、左利きは障害ではないことが広く知れ渡ると同時に個性のひとつとして考えられるようになったため、矯正する親の割合は減ってきました。しかし、現在においても文字筆記上の不便さから学校受験などで不利になると考え、また生活上の不便を考えて、子供に矯正を促す親も多いようです。
一方では、上の「脳の半球説」を信じ、我が子をクリエイティブな能力のある子供に育てようと、右利きの子供をわざわざ左利きにしようとする一部の親もいます。その効果?のほどはよくわかっていませんが、「変更しようとする」ということは、つまりその子は既に右を多用しているわけです。
心身共に著しい成長を遂げつつあるこうした幼少期に、強い影響力をもって親がその成長に関与することがはたしてその子にとって良いのかどうか、いずれどういう影響を与えることになるのか、という面を理解した上で矯正にのぞんでいるのでしょうか。
ただ、子供のころからそうした「試練」を克服することこそがその子の人生にとってはプラスになる、という考え方もしかりであり、その良否のジャッジはそれぞれの家庭で考えるべき問題なのでしょう。もっとも、そうした是非をそれぞれでよくよく考える、ということが大前提なように思いますが。
一方では、「右」と「左」とにそれぞれ意味をもつ文化では、右手左手を使い分けが定められている場面もあり、それを無視すれば礼儀やマナーに反することにもなるため、子供が左利きの場合、あえて利き手を右にしようとする場合もあります。
時と場所によっては、利き手にかかわらず右手でなければならないことがある場合もあり、例えばインドでは左手は一般的に排便の処理をする「不浄の手」であり、食べ物を左手で食するのは多くの場合マナー違反です。
また、日本の多くの「道」や文化では利き手に関わらず、右優位のしきたりが決まっている事があります。書道・茶道・花道・剣道・弓道等や日本料理等においては、時に左手を使うことがルール違反やマナー違反になることもあるようです。
とくに武道の場合には、右手を優先することが時には危険回避の為に有効な場合もあるようです。敵としての相手には圧倒的に右手使いが多いわけであり、これに対して左手で対処すると命を落としかねない、というケースもあるのかもしれません。
もっとも、日本の場合、利き手の概念に囚われず、”「道」としての心を培う” ことが大事、とする分野も多いようです。そのあたりの文化的な違いについては、他の国との比較において研究してみると面白そうです。
さて、病後はあまり手を使わない方がよさそうなので、今日はこれくらいで。
このテーマ、少し面白そうなので、次回気が向けばまた続編を書いてみるカモ、です。