噴火と野次と…

気のせいか、今年は秋の進行が速いような気がします。

庭のヒガンバナも例年より早く開花したようで、いつもだと10月になってようやく、といったところが、今朝ほどの段階ではもうほぼ満開です。

ふもとのヒガンバナもさぞかし見頃だろうし、撮影に行きたいなと思っているのですが、いかんせん今年は手が…

カメラを構える利き腕がまだ十分に回復していないので、せっかくの季節なのに野外撮影もままならないわけですが、それでも身近なもので気になるものがあればなるべく撮影するようにしています。

とくにきれいな夕焼けが窓から見えると、手が痛いのにカメラを抱えてついついシャッターを切ってしまいます。

この季節には夕焼がきれいになります。季節が冬に近づくにつれて、空気が乾燥し、空気中に水分が少なくなってくることが理由です。

太陽光線が大気中の微粒子にぶつかると、“散乱”と呼ばれる現象が起こり、一部の波長が四方八方に散らばります。“レーリー散乱”という、とは先日も書きました。

大気中の成分の主なものは酸素と窒素ですが、これらは極めて微小で、太陽光の波長の1000分の1ほどしかありません。従って、色の中でも波長の短い青と紫から先に、これらの粒子にあたって散乱していきます。昼間、空が青く見えるのはこのためです。



一方、赤や橙色といった波長の長い色はほとんど散乱しません。唯一太陽の部分だけが赤色に見えるはずですが、光り輝く太陽は眩しすぎてこれを直視できる人は普通いません。このため日中、赤や橙色は際立たないというわけです。

ところが、日没時には、太陽が真上にある日中に比べて、相対的に太陽までの距離が長くなります。必然的に太陽光が目に届くまでには時間がかかり、かつ通過する大気層も多くなります。このため、波長の短い青は、我々の目に届くころにはほとんどが散乱してしまって見えなくなってしまいます。

代わって、波長の長い赤や橙色は散乱しにくいため残り、我々の目には届きやすくなります。厚い大気に遮られて明るさもぐっと弱められるため、赤い太陽はより見えやすくなる、というわけです。

しかし、春から夏にかけては、大気中に水分が多く、この赤や橙色も吸収してしまいます。結果として、夕方でも青でもない赤でもないどんよりとした灰色の空になりがちであり、このため、夕日もあまりきれいな色になりません。

ところが、秋や冬の時期、大気が乾燥するようになると、赤や橙色を吸収する水分が少なくなります。赤や橙色はより目に届きやすくなり、よりクリアで綺麗な夕日や夕焼けがみえることになります。つまり、この時期、夕焼けが美しく見えるというのは、大量の澄んだ空気がある、ということになります。

それが大量に西側にあり、それが翌日こちらにやってくる場合、「晴れる」可能性が高くなります。秋晴れの前日に夕焼けが多いのはこのためです。

もっとも、いかに赤く見えるか、ということについては、大気中に含まれる塵も影響しているようで、大量のちりが大気中にある場合には、赤や橙色の光がそれにあたって散乱しやすくなるため、より鮮やかな夕焼けになる、ということがいわれているようです。

1883年、世界中で鮮やかな夕焼けが確認されましたが、これはこの年に噴火したインドネシアのクラカタウ火山の噴火により大気中に障害物が撒き散らされたため、といわれています。同じ現象は1991年に起こった今世紀最大規模の噴火、フィリピンのピナトゥボ火山噴火のときにも確認されています。

日本でも夕焼けが多かったという声が多かったようですが、とくにアメリカ西海岸においても同様の現象が観測されているといいます。もっとも火山噴火の影響の場合は朝夕関係ないはずなので、必ずしも夕焼けばかりではなく、朝焼けも多かったのではないかと推察されますが…

ところで、火山といえば、2014年9月27日に御嶽山が7年ぶりに噴火しました。山頂付近にいた登山客が巻き込まれて死者58名、行方不明者5名という被害をもたらしたこの噴火からちょうど3年が経ちます。

あれからもう3年も経ったか、と唖然とする一方で、当時見たニュース映像などが脳裏によみがえってきたりして、改めて火山噴火は恐ろしい、と思う次第。

ネットに、この当日に登山中だった人たちのツイッターが残っていたので見てみたところ、「御嶽山、噴火しました ((( ;゚Д゚)))」といったのんびりとしたものから、時間が経つにつれて緊迫感が増し、“やばいなんだこれなんだこれ”、“火山弾降ってきた”、“これどうすんだ…避難小屋から出れない…“というふうに刻々と変化。

“噴火がとまらねぇ #” “今は火山灰で体真っ白になって、外は真っ暗で明かりないとなにも見えない…”

この人たちは、本当に助かったのだろうか、と思わせる投稿の数々で、あらためて、SNSというのはスゴイなーと、感心してしまいます。

臨場感あふれる実況をマスコミの人ではなく、普通の人がやってできる、というところが、こうしたSNSのスゴさですが、ツイートだけでなく、写真や映像まで配信されているものもあり、あぁ時代はここまで来たか、とさらに感心するしだいです。

1991年に雲仙普賢岳が噴火した際には、まだこうしたSNSはなく、代わって多くのマスコミがこうした映像を流していましたが、そのマスコミ等報道関係者を中心として43名の死者・行方不明者の犠牲を出しました。

こうした災害報道の在り方については当時からいろいろ問題視されていて、火山噴火だけでなく、土砂災害や地震災害の取材、台風などの現地レポートなどについても、取材しているマスコミ自らが危険にさらされていることを顧みない、という批判が相次いでいます。

非日常的事象に対して関心が向くのは人間の本能であり、仕方がないというべきかもしれませんが、いわゆる「野次馬」とは、こうした人間本来の本能が行動となって現れた現象です。

野次馬的興味をきっかけに一転して、事件が解決したとかいったことも、ときたまあったかもしれません。しかし、本質的に、野次馬行為は社会に対して肯定的事象をもたらすものではありません。事件や事故の現場に集まることで、救援者や問題解決にあたっている責任者の業務に支障を来たすことのほうが多いようです。

最近ではマスコミだけでなく、一般人が大規模な火災現場や事故現場などに自動車で乗りつけたりするケースも多く見られます。消防車や救急車の到着が遅れる、野次馬の整理や誘導に警察官の人員を割かれる、被害者の肖像権を無視した興味本位の撮影が行われるなどといった害も少なからず発生していて、以前にも増して社会問題となっています。

この「野次馬」ですが、語源は「親父馬(おやじうま)」で、文字どおり「歳を取った馬」を意味します。本来は歳を取った馬や御しがたい馬を指すことばですが、いつの頃からか「おやじ-うま」が「やじ-うま」へと転訛しました。

歳を取った馬は先頭に立たず若い馬の後をただ着いていくだけであることから転じて、自分とは直接関係の無い他人の出来事を無責任騒ぎ立てる人や、物見高く集まって囃し立てる、面白半分に騒ぎ立てる人を指し示す意味で使われるようになりました。

野次馬行為に及ぶような心根(こころね)を「野次馬根性」と言い、また、「野次る」という表現もあり、これは「野次馬」が動詞化されたもので、「やじを飛ばす」も同様です。



野球やサッカーなどのスポーツでのファンによる野次はつきものですが、政治の世界においても野次は日常的に飛ばされています。

言論を生業とする政治家ならではの絶妙な応酬を評価するものとして、野次は「議会の華」という言葉があるくらいで、むしろ野次を肯定的にとらえる向きもあります。

1920年(大正9年)の第43回帝国議会で、原敬内閣の大蔵大臣、「高橋是清」は海軍予算を説明していました。「陸海軍共に難きを忍んで長期の計画と致し、陸軍は10年、海軍は8年の…」と言いかけましたが、このときに、三木武吉(みきぶきち・後年の三木武夫元総理とは別人)が「だるまは9年!」とヤジを飛ばした、といいます。

これは、高橋大臣のあだ名が「だるま」であり、中国少林寺の高僧、達磨大師壁に向かって九年間座禅し、悟りを開いた、という故事にかけたものです。そう言われてもピンとこず、たいして面白くないように感じますが、現場に居合わせた彼らは、なかなか機知に富んだギャグとして受け取ったようです。

このときの議会場は爆笑に包まれ、高橋も演説を中断して、ひな壇にいた原敬総理を振り返って「やるじゃないか」と言いたげに苦笑いしたといいます。普段から謹厳なことで知られる加藤高明や濱口雄幸(いずれも後年の総理経験者)までが、議席で笑い声をあげたといいます。

この三木さんは、別名「ヤジ将軍」といわれるほど野次の名人だったそうで、別の逸話もあります。

当時の原内閣のある閣僚が、何の抑揚もないお経のような調子で、提出法案の趣旨説明をだらだらとしていたところ、一区切りついたところで一声、「次のお焼香の方、どうぞ」とやったそうです。議場は爆笑に包まれたといい、こうした絶妙なヤジの入れ方は絶妙でした。

このほか、吉田茂首相の演説にもよくヤジが飛んだといいますが、あるとき、衆院本会議で演説中に野党議員から「それでよく総理が務まるなあ」といヤジが飛びました。これに対して、すかさず与党席から応酬で飛んできたヤジが「お前でさえ代議士が務まるようなもんだ」、でこちらも一同大爆笑に終わったということです。

この当時の国会答弁はわりとのほほんとしたところがあったようです。ヤジは国会の潤滑油でもあり、「こいつ、やるな」と議場全体がニヤリとすれば、中だるみした国会に活が入り、会議は進み、ということがよくあった、といわれています。



ところが、最近の国会の野次はどちらかといえばシリアス、あるいはダイレクトなものが多く、あまり面白くありません。

その中でも比較的面白いものとしてはこんなものがあります。

1990年、自民党の大野明・運輸大臣がリニアモーターカーの実験線について説明していると、「迂回するな」というヤジが響きました。大野大臣の父、伴睦は自民党の初代副総裁であり、政治力で東海道新幹線のルートを変更させ、「岐阜羽島」駅を設置させたことで有名です。

このヤジに対して大野明代議士は、少しも騒がず、「迂回(鵜飼)は長良川だけです」と答えたといい、妙意即答のこの答弁に拍手が沸き起こったといいます。

しかしこうしたヤジがいつも会場を和ませるとは限りません。アメリカでは、発したヤジが「不適切である」として、懲戒や謝罪に追い込まれることもよくあるようです。

2009年9月9日、共和党議員ジョー・ウィルソンは、アメリカ合衆国議会上下両院合同会議で医療保険改革について演説中のアメリカ合衆国大統領バラク・オバマに対して、「嘘つき!”You lie!”」)とヤジを飛ばしました。

オバマ大統領のプランの効果に疑問を呈した発言だったようですが、議会開催中に「嘘つき」というのは穏やかではありません。案の定、同国下院は9月15日、ウィルソンに対する譴責(けんせき)決議を賛成240、反対179の賛成多数で採択しました。ちなみにこの医療保険改革こそが、現在トランプ大統領が廃案にしようとしている、「オバマケア」です。

日本でもこうしたヤジが議員の進退に影響を与えた例があり、1978年(昭和53年)2月、衆議院予算委員会において、自由民主党の浜田幸一衆議院議員が日本社会党の安宅常彦議員を「強姦野郎!」と野次りました。

平時から過激な発言の多い浜田議員のことでもあり、社会党は当初、浜田を懲罰委員会にかけると息巻いていましたが、当の安宅が提訴を取り下げてほしいと言ってきました。党が詳しく事情を聞くと、確かに女性問題があり、もみ消しのために内閣官房長官田中六助に金の工面を依頼していた事実が発覚しました。

このため安宅常彦議員は結局、社会党から公認を受けられず、その後政界を引退することになったといいます。思い起こせば、浜田さんの発言や行動というのは何も考えていないハチャメチャなもののようで、実はその裏に確固たる理由がある、ということはよくありました。

さらに記憶の新しいところでは、2014年(平成26年)6月18日に、東京都議会本会議において、塩村文夏都議が浴びた「セクハラ野次」です。

塩村議員の演説中に「自分が早く結婚したらいいじゃないか」「産めないのか」といったセクハラ野次が発せられ、欧米メディアが取り上げるまでの大きな問題となりました。ご記憶の人も多いでしょう。

発言者のうち一人が特定され謝罪し、この件は落着したようですが、何とも品のない、かつウィットのかけらもないヤジです。

マスコミが報じなければなかなか我々も耳にすることのないこうしたヤジですが、たまに報道されたりする場合に聞くヤジには、どうも程度の低いものが多いような気がします。戦前の三木さんのような機知に富んだヤジならもっと聞いてみたい気がしますが…

さて…

御嶽山噴火から3年、そしてこのセクハラ野次からも早3年… 初の女性都知事・小池百合子氏が率いる「都民ファーストの会」は都議会に君臨し、女性議員の立ち位置も変わってきているようです。

その「都民ファーストの会」は「希望の党」に発展しました。次回の国政選挙で、日本の政治にはたして大噴火はあるでしょうか。