サムシング・ブルー


先日、NHKの朝のニュースで、「幸せを呼ぶハチ」の話題を流していました。

高知に北川村という村があります。県南東部、室戸岬にほど近い村で、県庁所在地の高知市や北部の徳島市から遠く離れ、高齢化と過疎化に悩んでいるといいます。

その山村が村興しとして、2000年に開園したのが、「モネの庭マルモッタン」。フランス、画家モネの花園にちなんだもので、フランス。・ジヴェルニーにある実際のモネの庭を北川村の自然を生かし再現したものです。

フランスにも行き、実際のモネの庭の管理責任者にも指導を得ながら再現を試みたそうで、「光の庭」、「水の庭」、「花に庭」の三つがあります。もともとの土地は、柚子ワインを生産するワイナリー誘致のためのものだったそうで、バブルの崩壊により用途が未定となっていたものだとか。

苦労してモネの庭を再現した甲斐あり、テレビで見る限りはモネの絵そのもののように見えました。開園以来100万人以上の人たちが訪ねるようになったそうですが、さらに、最近は見つけたら幸せになれる「青いハチ」も見られるようになり、話題になっているといいます。




体は黒色で、鮮やかな青緑色の斑紋があるのが特徴。青い色であることから「幸せを呼ぶハチ」と呼ばれており、これは絶滅危惧種に指定されている「ルリモンハナバチ」という種です。ナミルリモンハナバチともいい、7月から9月ごろまで楽しめるといいます。

一応、全国に生息している、といわれているようですが、大分など一部の県では絶滅危惧種に指定されています。どちらかといえば中四国・九州での目撃談が多く、四国でもここのように一部の地域でみられるようです。

ケブカハナバチという別のハチの巣をみつけて産卵し、幼虫はこのハチが餌として確保したものを食べて成長します。労働寄生といい、特殊な生態なゆえに、数が少ないのでしょう。

「モネの庭マルモッタン」でも希少ゆえに見ると幸せになれる、といつしか言われるようになり、全国から独身者が集まるようになったといい、ホームページなどでもアピールし、さらなる集客を図っていく予定だそうです。

ルリモンハナバチ

青色をした虫ではこのほか、「幸運の蝶」としてよく知られる、オオルリアゲハがおり、こちらは通称「ユリシス」の名で親しまれています。オーストラリアやソロモン諸島で見られ、「見ると幸せになれる」「1日の内に3回見るとお金持ちになれる」「肩など体にとまると、より大きな幸福が訪れる」というジンクスが伝えられています。

わりと大型の蝶で14cmほどもあるといい、飛ぶとき表の翅は光を反射し、その光は数百メートル先にも届くといいます。残念ながら日本では見られないようですが、別の蝶で、アオスジアゲハという種がおり、これは街中でも普通に見ることができます。青い筋が特徴のアゲハチョウなので、街を歩くときは気を付けて探してみてください。

ユリシスアオスジアゲハ

このほか、幸せを呼ぶ青といえば、「青い鳥」の物語があります。2人兄妹のチルチルとミチルが、夢の中で過去や未来の国に幸福の象徴である青い鳥を探しに行きますが、結局のところそれは自分達に最も手近なところにある、鳥籠の中にあったという物語で、聞いたことがある人も多いでしょう。

こちらはベルギーの詩人、劇作家、随筆家のモーリス・メーテルリンク作の童話劇で、無声映画時代から何度も映画化されているほか、演劇やテレビドラマなどでも良く取り上げられるモチーフです。

その昔、ザ・タイガースのシングル曲に「青い鳥」というのがありましたが、講談社の児童書シリーズにも同様のものがあるほか、劇団名や学校などの教育機関で使っているところも多く、日本人は青い鳥が好きなようです。実際、日本にはオオルリやコルリ、ルリビタキやカワセミといった青い鳥が多く、幸せが棲む国なのかもしれません。

このように、「青」という色は昔から幸せの色とされることが多いようですが、「あお」と訓じられる漢字として蒼および碧もあり、伝統的には藍(あい)や縹(はなだ)もあります。縹は聞きなれないかもしれませんが、ツユクサを表すことばで、露草の花弁から搾り取った汁を染料として染めていた色をさします。

一口に青といっても、ほかにもいろいろなものがあり、たとえば、水色・空色と呼ばれるような明度が高く彩度の低いもの、淡い色合いのものもあれば、紺色や藍色、群青色などの明度が低く、濃い色合いのものなどもあります。

我々が一番良く目にするのが晴れた空の青色ですが、こちらも太陽や雲との兼ね合いでさまざまな色の変化を見せます。青く見えるのは、光の波長より小さな空気分子が短い波長をより多く散乱するためで、これを「レイリー散乱」といいます。

1904年の ノーベル物理学賞受賞者、レイリー卿は、イギリスの物理学者で光の散乱の研究から空が青くなる理由を見つけ出しました。日中は太陽の光のうち波長の短い青色が多く散乱されてわれわれの目に届くため青く見える、といった原理はその後光学計測にも用いられるようになり、光工学の上で大きな発展をもたらしました。

通常海は青いものと思われていますが、こうして目にする青さのほとんどは、青空が映っているからであり、他の状況では海はさまざまな色に変わります。晴れた日に屋上などから斜めに俯瞰して見た海の色は、真上からみた海などに比べてずっと青く見えたりしますが、これも光の散乱の程度による違いです。

一方、水中ではすべてのものが青に見えます。これは水は長波長の可視光をより多く吸収するためです。このため、ある程度の深さに生息するサンゴ礁のような白いものでも、反射光に青が多く含まれるため青みがかって見えます。



こうした空や海というのは、ある意味、地上とは全く別の世界です。そこで見える青色は、洋の東西を問わず、古代から日常とは異なった別世界の色とされる傾向があります。非日常的な世界であり、死後の世界を連想させるためか、忌避されることさえあり、ときに死体の色を連想させます。

また、人類は長いあいだ、この青色を自分たちで作り出すことができなかったため、謎の多い色、とされてきたむきもあります。石器時代を通じ、青は作り出すことも難しく、青く染色されるものはほとんどありませんでした。

火を燃やし後にできる炭の色である黒はどこにでもあり、また光を最も反射する白、鮮やかさな花の色である赤の3つの基本色は古代社会からありました。しかし、青はその他の色に甘んじ、色の分類的機能に加わることもほとんどありませんでした。

古代ギリシャでは色相を積極的に表す語彙そのものが少なく、青色を表すためには2つの言葉、キュアノス (kyanos)とグラウコス(glaukos)が用いられました。

また、この二つの意味の差は曖昧でした。前者のキュアノスは、実はシアン(cyan) の語源です。鉱物のラピスラズリの深い青色をさして用いられたもので、「青」というよりも明度の低い暗さを意味し、現代的な感覚では黒色、紫色、茶色をも表しました。

紀元前8世紀末、ギリシャの吟遊詩人、ホメロスはその深みを神秘的なものや、恐ろしげなもの、または珍しいものを形容するのに、このキュアノスを好んで使用しています。

一方、グラウコスは瞳や深い海の形容として用いられましたが、キュアノスも似たような暗い色のイメージです。が、こちらはどちらかとえいば、緑色、灰色、ときに黄色や茶色に近いイメージで、とはいえ、こちらも本来の青色というよりも、むしろ彩度の低い、濁った青色を意味していました。

緑内障を表す英語グローコーマ(glaucoma) の語源はこのグラウコスであり、どす黒い青く変色した目の色をイメージしたもののようです。多くの場合、失明の危機をもたらす緑内障などの疾患をわずらったくすんだ人の瞳の色を表すのに用いられていました。

古代ローマでも青はあまり注目されず、青とされるラテン語のカエルレウス(caeruleus) は現在で言うところの、蝋(ロウ)の色、あるいは緑色、黒色を表していました。初期のころの蝋は現在のような動物由来の黄色みがかったものではなく、植物由来の緑色がかったものが多かったためのようです。

このように、青色というとどちらかという暗いイメージがあった古代では、青色は忌避すべき色でした。ローマでは青は喪服の色ですらあり、仇敵であるケルト人やゲルマン人などの野蛮さを象徴する憎むべき、もしくは回避すべき色でした。

青い瞳を持つことは醜さのひとつのようにみなされ、帝政期ローマの政治家・タキトゥスは、前ローマ時代にブリテン島に定住していたケルト系の土着民族、ブリトン人の軍隊を「幽霊の軍隊」と呼びました。彼らが青く体を染めていたためです。

また、古代ローマの博物学者、大プリニウスはこのブリトン人の女性が体を青く染める風習を持っていることを「忌まわしい儀式」と批判しています。

現在のみならず、古代ギリシャ、古代ローマにおいても雨後に虹はみられましたが、彼らも虹の色をさまざまに分類したにもかかわらず、そこに青が加えられることはなかったといいます。

こうしたヨーロッパだけでなく、中国でも青は人のものではないという意味合いがありました。中国中部、豊都(ほうと)にあったとされる「鬼城」の門は、道教であの世とこの世を結ぶ門であるとされる青色に塗られており、手を触れると死期が近づくといわれていたそうです。

もっとも、これ以外の国の民族では、藍で青く染めることが日常的に行われ、青ないし緑は神秘さや異世界の色を表すことも多かったようです。とくに中東やエジプトでは魔除けの色であり、また死者を守る葬儀や名誉の死と結びついた「尊厳色」でもありました。

現在の中近東、メソポタミア地方の古代都市バビロンにあった、イシュタル門は世界7不思議の一つとして数えられていました。青い彩釉煉瓦で彩られていたからです。また、インドで最も偉大な詩人とされるカーリダーサは、シヴァ神の肌の色を青と表しました。

このほか、旧約聖書では神の足元もしくは玉座には常に青いサファイアがあったとされており、青は高貴な人物の象徴として使われていたようです。




このように中東やエジプトでは青は貴重な色とされていたのに対し、ヨーロッパでは暗く陰気な色として扱われ、こうした傾向は12世紀ごろまで続きました。

あれほど文明が発達していたのに、青空の色の原因については究明されることすらありませんでしたが、それが急に説明されるべきものと考えられるようになったのは「12世紀ルネサンス」以降でのことです。

ルネサンスの勃興期である12世紀は、西欧世界がイスラム文明と接触・遭遇し多時代です。その成果を取り入れ、消化し、その後の知的離陸の基盤とした大変革期であり、それまでのキリスト教とゲルマン文化の結びついた中世文化が大きく変化し発展しました。

イスラム圏との接触からキリスト教的世界観にも変化がもたらされ、芸術、思想上の大転換が起こり、その後の14世紀の本格的ルネサンスの先駆となりました。

このため、ヨーロッパではそれまでの控えめな地位にあった「青」は、数十年のうちに最も美しい色だとされるまでになる大変化を遂げます。この時期、絵画の中の聖母マリアの服装は喪に服す暗い青や黒から明るい青へと変化し、マリア崇敬とともに青の地位も向上していくことになりました。

聖母マリアのシンボルカラーである青は、すなわち純潔をあらわすようになり、なにかひとつ青いもの(Something Blue)をつけていれば幸せになれる、とまで言われるようになりました。

このサムシング・ブルーは目立たない場所につけるのが良いとされており、白いガーターに青いリボン飾りをつけたものを用意するのが一般的であるとされました。また、「二人の誠実な誓い」という意味としても使われるようになり、結婚式の花嫁が身に着けるものとされるようになりました。

この風習は現在まで受け継がれています。結婚式の当日に「なにか新しいもの」「なにか借りたもの」「なにか古いもの」のほかに、「なにか青いもの」を加えた4つを取り入れることで、永遠の幸せが続く、といわれるようになったのがそれです。

結婚式における欧米の長年の慣習が日本にも輸入されたもので、最近ブライダル業者がさかんにこれを喧伝しています。

由来はよくわかっていませんが、元はマザーグースの次の詩ではなかったか、といわれているようです。

「なにかひとつ古いもの~なにかひとつ新しいもの~なにかひとつ借りたもの、なにかひとつ青いもの~、そして靴の中には6ペンス銀貨を」

マザー・グース (Mother Goose) は、英米を中心に親しまれている英語の伝承童謡で600から1000以上の種類があり、17世紀の大英帝国の植民地化政策によって世界中に広まったものです。日本でも大正時代に北原白秋が紹介してことで、広まりました。

こうしたこともあり、最近は結婚式では、青いものを用意する、というのが流行っているようです。そのひとつとして、「幸福の青いチョコレート」を配ることも多くなり、とくに“ケルノン ダルドワーズ”は大人気で、「福のチョコレート」の販売は毎年、No.1の人気を誇っています。

フランス西部・ロワール地方の小さな街、アンジェの老舗ショコラトリー“ラ・プティ・マルキーズ”が生んだ名物チョコで、国際菓子展で最高のブルーリボン賞を獲得というお墨付きをとっています。

このほか、岩手県一関市の世嬉の一酒蔵が販売している“サムシングブルー”も最近有名になりつつあり、こちらは青い色のビールです。藻の色素を原料に用いたそうで、味もフルーティーで女性にも飲みやすく、2016年には、「おとりよせ大賞」に輝いたとか。

このほか、最近は遺伝子組み換えによって「青いイチゴ」というのもあるそうです。寒さに強いイチゴを作ろうとしたら、偶然にできてしまったといい、こちらは氷点下の過酷な気候を耐え抜くことが出来るため、冷凍庫に入れてもペーストっぽくならないようです。

これからの寒い季節に結婚式を迎えるあなた。青いビールで乾杯し、青いイチゴの載ったウェディングケーキでファーストバイト、引き出物には青いチョコを…というのはいかがでしょうか。

とまれ、青いビールを飲みすぎて青ざめないよう、くれぐれもご注意を。