今年は維新からちょうど150周年ということで、NHKでは、西郷隆盛を題材にした「西郷どん!」が放映されています。
一昨年の2016年9月8日に制作発表が行われ、林真理子の小説を原作に、脚本を連続テレビ小説「花子とアン」などを手がけた中園ミホが担当することが発表されました。
「大河ドラマ」は、1963年(昭和38年)から放送されているNHKのテレビドラマシリーズです。
第一作とされている「花の生涯」放送開始時には、「大型時代劇」という名称で呼ばれていましたが、年を重ねるごとに歴史ドラマとして注目されるようになると「大型歴史ドラマ」の名称が用いられるようになりました。
あるとき、読売新聞が「大河小説」になぞらえて「大河ドラマ」と表現したところ受けがよく、その後一般的にも「大河ドラマ」の名前で親しまれるようになりました。NHKは「大型歴史ドラマ」にこだわっていたようですが、1977年(昭和52年)の「花神」からは、公式に「大河ドラマ」の名称を用いるようになります。
以後、「大河」の名で定着し、毎年嗜好を変えて制作が続けられていますが、今年の「西郷どん!」はその57作目になります。
大河ドラマは、NHKとしても看板番組であるため、年明けの放送開始から1年間は、関連する番組を随所で放送します。とくに、「その時歴史が動いた」、「歴史秘話ヒストリア」といった、歴史教養番組、娯楽番組で取り上げられ、その年の大河ドラマの主人公にまつわる話が紹介されます。
また、NHKでは近年、「大河ドラマ館」なるものを提供するようになりました。自治体や地元経済団体等の協力で作られる展示施設で、ドラマで使用された衣装や小道具や出演者・ストーリー・歴史背景などを紹介するパネルの展示や番組出演者を招いたイベントなどが実施されます。
大河ドラマの舞台となる地域における観光に寄与するだけでなく、ここでの集客力はドラマ本体の評価に左右される面もあり、NHKとしても最大限にこの「大河ドラマ館」のPRに力を注いでいます。
今年の「西郷どん!」でも、西郷隆盛の出身地である鹿児島市内の加治屋町の旧鹿児島市立病院跡地において約1年間、「大河ドラマ館」が開館されるそうです。
このように天下の国営放送が力を注いでいるだけに、世間の注目度も高く、毎年のように、今年の大河ドラマの視聴率はどのくらいだった?といった報道が流れます。
筆者が調べたところ、過去における視聴率のベスト5は、次の通りです。
1位 39.7% 独眼竜政宗 主演:渡辺謙 題材:伊達政宗 1987年
2位 39.2% 武田信玄 主演:中井貴一 題材:武田信玄 1988年
3位 32.4% 春日局 主演:大原麗子 題材:春日局 1989年
4位 31.9% 赤穂浪士 主演:長谷川一夫 題材:大石内蔵助 1964年
5位 31.8% おんな太閤記 主演:佐久間良子 題材:ねね 1981年
一方、ワースト5はというと、
1位 14.5% 竜馬がゆく 主演:北大路欣也 題材:坂本龍馬 1968年
2位 14.1% 花の乱 主演:三田佳子 題材:日野富子 1994年
3位 12.77% おんな城主 直虎 主演:柴咲コウ 題材:井伊直虎 2017年
4位 12.0% 花燃ゆ 主演:井上真央 題材:杉文 2015年
5位 12.0% 平清盛 主演:松山ケンイチ 題材:平清盛 2012年
となっており、ワースト5のうち、2本がここ5年以内に放映された中に入っている点が気になるところです。ただ、視聴率30%越えというのは、現在ほどインターネットの普及やレンタルビデオなどによるメディア供給が進んでいいない昔の話であって、最近のドラマだと、10~15%というのも普通です。
16~20%だとまぁまぁ、20%を越えるとヒットといわれますから、これまでのところ、15~16%で推移しているといわれる「西郷どん」は、そこそこ健闘しているといえるでしょう。
ボーイズラブ?
「西郷どん!」の放送が決まったころのNHKの発表によれば、この物語では、明治維新の立役者・西郷隆盛を勇気と実行力で時代を切り開いた「愛に溢れたリーダー」として描く、とされました。
ところが、この「愛」というのがかなり話題となりました。というのも、制作発表の会見の中で、脚本を担当する中園さんが、「原作には師弟愛や家族愛、男女の愛、BL(ボーイズラブ)までの色々な愛がある」と述べたためです。
ボーイズラブとは、日本における男性(主として少年)同士の同性愛を題材とした小説や漫画などのジャンルのことです。英語にはそうした言葉はなく、和製英語です。1990年代中盤~後半に使われるようになったもので、中園さんがこれを要素として加えると明言したことが波紋を呼びました。
BLは元々、女性向けの男性同性愛をテーマとした漫画小説混合雑誌「JUNE」の言い換え語だったようです。
この雑誌「JUNE」は、「耽美(たんび)」と呼ばれるような男性同性愛を主題にしており、その後雑誌名である「JUNE」そのものが男性同性愛を示すようになっていきましたが、これをきっかけに同様の題材の作品を掲載する雑誌も増えました。
しかし一方では、「JUNE」という言葉がわかりにくい、といった風潮も出てきたため、やがて、「ボーイズラブ」と呼ばれるようになり、のちにBL(ビーエル)と略されるようになり、現在に至るまでにはこちらで定着するようになりました。
現在、BL作家、編集者のほとんどは女性、また読者の大多数も女性といわれます。ゲイの男性向けの作品とは一線を画しており、独自の世界を築いているといえますが、一方ではそれほど確固とした概念ではなく、ボーイズラブとそれ以外のジャンルを明確に分けることはむずかしいとよく言われます。
たとえば「やおい」といわれる別のジャンルがあり、こちらと混同されることも多いようです。
「やおい」ってなんだ?どうもこの手の話題にはついていけない、という方も多いと思いますが、こちらも、男性同性愛を題材にした女性向けの漫画や小説などの俗称です。ただ、ボーイズラブの作品に正統派?が多いのに対し、こちらは、こうした主流派作品をパロディ化したものが多いようです。
漫画家を目指す「卵」の作品が多く、漫画を雑誌の専門家からは「ヤマがない」「オチがない」などと批評されています。「ヤマもオチも意味もない」を略して「ヤオイ」、または、ひらがなにして「やおい」という呼称で広まりました。ストーリー構成に必要な「ヤマ(山、山場)無し」「オチ(落ち)無し」「イミ(意味)無し」の3つが無いという意味です。
ようするに中身のない、ペラペラな内容の同性愛ストーリーということであり、このため、BLは基本的に商業的に正当な出版筋を通して世に出るのに対し、「やおい」の場合は、二次創作の多い同人誌やウェブ上の作品で発表されることが多いようです。
とはいえ、BLとは同じテイストの作品群であることは間違いなく、現在では、このヤオイを含めて、BLというジャンルが成立しつつあります。漫画、小説、ドラマCD、アニメ、ゲームといった異なるメディアで広く浸透しつつあります。
なんでこんなもんが流行るんかな~と、世のオジサンたちには少々理解しがたいと思うのですが、かくある私もその一人です。しかし、一方では、男役も女役もすべて女性が演じる「宝塚歌劇団」があれほど熱狂的に受け入れられているのをみると、男性愛に特化したジャンルもまた、ありなのかな、と思ったりもします。
インターネットを通じた新しいメディア分野は次々と登場してはその拡散が加速しており、娯楽もまた多様化している、と考えれば不思議なことではありません。
BLの広がりと反発
それにしてもなぜそれほどの広がりを見せているか、ですが、BLの場合、男女の組み合わせでは表現できなかったり、受け入れられにくい、また男同士でしか表現できない関係性を描くことができ、その点が魅力であるといわれているようです。
少々エッチな表現を含む作品も多くあり、そのあたりの「きわどい」駆け引きが魅力、という支持者が多いといいます。その一方で、単なる仲のいい男同士で性的な要素はない作品が好きだという人もおり、「二人がエロい関係にならない状態で想い合ってる程度のほうが萌える」という人も多いようです。
2000年代には、こうしたBL作品が電子書籍で出版されるようになり、携帯電話で読めるようになりました。このため、店頭で購入するのが恥ずかしい、といった人も気軽に買えるようになり、どこでも読めるようになったこともブームの背景にあるようです。
さらに、スマホや携帯電話の進化に伴い、BLゲームのアプリも作られるようになったことで間口が広がったことなども関係しているようです。
ブームに伴い「BL」の意味もさらに拡散し、現在では、上述の「やおい」も含めて、男性同性愛作品は、広く浸透するようになりましたが、やはり「同性愛作品」という色眼鏡で見る人も多く、軋轢も生まれました。
2008年には、大阪府の堺では、ボーイズラブ小説が収蔵・貸出されていることを非難する「市民の声」が高まり、これによって、同市の市立図書館に所蔵されていたBL作品の廃棄が要求される、といった「事件」も起きました。
結果として、ボーイズラブとされた5500冊の本が開架から除去されましたが、この事件以前に福井市立図書館でも、「ジェンダー図書」が、「市民の声」によって図書館から排除される、といった事件も起きています。
福井市のケースでは、逆にこうし排除に対して、「表現の自由」の侵害だ、とする声が高まり、一部市民によって住民監査請求が出され、その結果、図書は間もなく戻されました。
こうした堺市や福井市における特定図書の排斥をきっかけに、その後報道やネットで賛成反対様々な意見があがるようになります。BLが図書館にあることへの批判や、BL読者を嫌悪するような意見もあった一方で、「図書館の自由」や「表現の自由」を守りたい、として多数の市民団体や市民が反対の声をあげるようになりました。
反対派の主な意見としては、図書館員が共有する基準を持たず各々の判断で選んだかのように一貫性がない、といったもので、暗黙の差別があらわになる除去リストによって、排除行われた点が問題である、と主張しました。
実際、堺市の例では、市が示した排除理由が「過激な性描写」でしたが、性描写のない本、ほとんどない本も含まれていました。また、「挿絵」も理由として挙げられましたが、挿絵に裸や性表現のない本や、そもそも挿絵のない本も含まれていたといいます。
その結果、堺市立図書館は「青少年への提供は行なわない」と発表。方針を撤回し、請求があれば18歳未満にも貸し出す方針を決め、発表当日から提供を再開しました。この発表で市側はまた、「拙速で、判断を誤った」と開陳しましたが、その後も「BL図書は収集・保存しない」という措置は継続されているようです。
「西郷どん!」の制作発表においても、こうした事件が過去にあったにもかかわらず、脚本家さんがBL要素を加えると明言したことで、物議を醸したわけですが、民放ならまだしも、国営放送で放映される番組、しかも看板番組ではちょっとまずいよな、と私なども思うわけです。
ただ、NHKにおける性表現というのは、一昔前に比べると格段に変化しており、ちょっと前だと、キスシーンなどというものはまったく考えられないものでしたが、最近では、朝ドラでも普通にそうしたシーンがあります。性表現だけでなく、暴力シーンなどについても、「憲法で保障された表現の自由」の範囲内として許容する傾向は強まっているようです。
BLと暴力を一緒くたに論じるのは、これまた乱暴ですが、特定秘密保護法などによって、国民の表現の自由が束縛される傾向が強まっている現代だからこそ、逆にそうしたまだ「手がつけらていない」ジャンルにおける自由を守ろうとする動きも強くなるのでしょう。NHK内部においてもそう考える人が多いに違いありません。
2014年の「美術手帖」の特集では、こう述べられています。
「BLのどこに魅力を感じるかは十人十色だが、 特筆すべきは”関係性”の表現にあると言えるだろう。」「描き手/読み手の心を時に癒し、時に興奮させ、 ジェンダーやセクシュアリティーに対する固定概念を揺さぶり、 愛することや欲望の発露について思考をめぐらせるきっかけとなる。」
エッチでふしだら、いやらしい、というふうにストレートに反応するのではなく、「人間愛」という観点からみてどうなのか、について思考をめぐらすことのほうが重要だ、というわけです。人間は他の動物のように本能に反応するだけの動物ではありません。そうした行為の意味を、人だけが持つ特性、「考える」ことで読み解くことが大事だと思います。
日本独特の「衆道」
ところで、BLと同じ、とひとくくりにすると、なお叱られそうですが、「ゲイ(gay)」と呼ばれる概念についても、何かと物議を醸しだすことが多いようです。男性の同性愛者一般をさす用語ですが、その原義は「お気楽」「しあわせ」「明るく楽しく」「いい気分」「目立ちたい」といった感情を表すものだといい、そもそもは人間愛から出てきたものです。
「不品行」「不道徳」といった含意を担わされていた時代もありましたが、現代では、主にホモセクシュアリティーに関わる人や行動、或いは文化を表現するためのものとされるのが一般的です。
この「ゲイ」について論じ始めるとまたまた長くなるのでやめますが、もともとは欧米から入ってきた概念であり、日本に根付くようになったのは、ごくごく最近のことです。
一方、日本では、もとから、「衆道」と呼ばれる文化がありました。いわゆる「男色」ですが、庶民一般を対象にしたものではなく、武士同士のものをルーツとしており、欧米の「ゲイ」とは明らかに異なる風習といえます。「衆道」とは、「若衆道」(わかしゅどう)の略であり、別名に「若道(じゃくどう/にゃくどう)」、「若色(じゃくしょく)」ともいいます。
そもそもは、平安時代に女人禁制の場にいることの多い僧侶や公家の間で発生した習慣です。この時代、「主従関係」だけでなく、「売買関係」としても性欲処理目的の男色が行われるようになり、その後、中世室町時代以降の戦乱の世では、戦地に赴き、「男環境」になることの多い武士の間で広まりました。
「衆道」の原義は、そもそも部下・小姓などが、主君に忠義を果たして命を捧げて死ぬことというものでしたが、時代が進むにつれ、男色を好む上司・主君への「出世の手段」にも利用されるようになっていきました。
にもかかわらず公の場でもはばかれるようなものではなく、江戸幕府の公式令條にも「衆道」の呼称が使われており、幕府も公認の行為として認められていました。
江戸時代中期(1716年ごろ)に、「武士の心得」として書かれ、「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」で有名な「葉隠」にも記述があり、兄分である「念者」と弟分の「若衆」という義兄弟的男色の心得が説かれています。
「互いに想う相手は一生にただひとりだけ」「相手を何度も取り替えるなどは言語道断」「そのためには5年は付き合ってみて、よく相手の人間性を見極めるべき」としており、まるで結婚相談所のアドバイスのようです。ただし、この当時、弟分は誰でもいい、というわけではなく、若衆の多くは美貌を持つ少年でなければならなかったようです。
このほか、相手が人間として信用できないような浮気者だったら、付き合う価値がないので断固として別れるべき、といった記述もありますが、一方では「怒鳴りつけてもまとわりついてくるようであれば、切り捨つべし」といった武士らしい「命懸けの恋」についての心掛けも書かれています。
江戸の時代の武家社会においては、それまでの「主従関係」に加え、こうした「同輩関係」の男色も見られるようになったのが特徴であり、元々は武士の世界だけでのものでしたが、やがては、庶民の間にも広がりを見せるようになりました
江戸の町は女性よりも男性が多く、男余りだったことで知られています。江戸末期の統計では、1721年(享保6年)の江戸の武家を除いた町人人口は約50万人で男性32万人に対して、女性18万人と2倍近く圧倒的に男性人口が多かったそうです。
これは、地方から出稼ぎに来る男性が多く、その一方で江戸入りを許される女性は少なく、これは「入り鉄砲に出女」の縛りもあったためでしょう。街中で女性をみかけることは稀でした。結婚しようにも相手がいなかったため、独身男性で溢れていたといい、時代劇では巷に女性がわんさかいたようによく描かれますが、それほどには女性はいませんでした。
江戸の天下太平が進んだことで、武士を筆頭に人々が戦場に出ることはほとんどなくなり、戦地で小姓を相手に性欲処理する、といったケースも激減したことから、衆道は江戸で普及しました。そして、元々江戸でだけでの風習だったものが、やがては「江戸の流行」として地方にも伝わるようになっていきます。
これに対して、諸藩においては衆道を厳しく取り締まる動きも現れるようになり、江戸初期には既に各藩で衆道を制限するようになりました。特に姫路藩主の池田光政は家中での衆道を厳しく禁じ、違反した家臣を追放に処しています。
さらに、江戸時代中頃になると、君主への忠誠よりも男色相手との関係を大切にしたり、美少年をめぐる刃傷事件などの諍いが発生するようになります。次第に江戸だけでなく、全国的な問題にまで発展するようになっていったため、江戸時代後半になると幕府も規制に乗り出し、各藩もこれに同調したため、衆道は余り目立たなくなりました。
加えて、江戸や地方の大都市の悩みであった「女性不足」は、娼婦の売春によって賄われるようになりました。こうした、いわゆる「妓楼」が普及したため、地方の主要都市では女性人口自体が増加し、男性が男色をする必要がなくなると衆道は急激に衰退していきました。
さらに、維新が成立し、明治の時代になって、これにとどめを刺したのが、明治5年(1872年)に発令された「鶏姦条例」です。
「鶏姦」とは、アナルセックスのことであり、この時代は?男性同士の性交渉を意味しましたが、法を破って、男性同士の行為に及んだ者は「鶏姦罪」に問われ、平民が鶏姦を犯した場合は懲役90日が課されるようになりました。
ただ、華族または士族が鶏姦を犯した場合は本人の名誉の問題も絡んでくることから、懲役期間の縮小が考慮され、また、鶏姦「された」側にある者が15歳以下であった場合は処罰の対象にはなりませんでした。
とはいえ、「加害者」となる成人男子が男色をすることが著しく制限されるようになったことは間違いなく、これによって、以後、昭和・大正の時代を経て、現在に至るまで、男性同士の性愛はタブーとなり、地下深くに潜伏する行為となりました。
ただ、鶏姦罪の規定は、明治15年(1882年)1月1日をもって消滅しています。従って、明治5年以後の9年間は日本で唯一、男色行為が刑事罰の対象とされた時期となっています。
ちなみに、鶏姦罪が廃止されたのは、旧刑法草案に関わった、お雇い外国人で、フランス法学者のボアソナードが「ナポレオン法典」に男性間の姦淫の規定がない、と主張したことや、合意に基づくものは違法ではない、といったことを助言したことが背景にあり、司法省もこれに同意したためでした。
薩摩における衆道
ところで、この鶏姦条例ができたきっかけは、明治5年白川県(現熊本県)より司法省に「県内の学生が男色をするが勉学の妨げなどになり、どのように処罰すればよいか」との問い合わせがあったことだったといわれ、南九州で盛んに行われていた学生間の男色行為を抑えるためでした。
法律では規制されていましたが、薩摩藩など南九州では男色は引き続き行われており、事実上はザル法化していたといいます。
しかも、これらの地方では、法に定められたのとは異なり、万一発覚した場合でも、鶏姦された側、即ち「女」として男根を受け入れた側が罰せられることが多く、姦通する側はほとんどとがめられることはなく、社会的にも許容されていたといいます。
こうした悪しき風習がはびこっていた理由として、とくに薩摩においては、「郷中(ごじゅう)」というものがあり、ここが男色文化の温床となっていたという指摘があります。
郷中教育は、薩摩における独特の青少年の教育制度であり、薩摩では、領内を100以上の「外城」に分けて、屯田制度をとっていました。この「外城」は一般に「郷」といわれ、各郷ごとに「郷中」という青少年団体が構成され、年齢に応じて、大きく「稚児(ちご)」、「二才(にせ)」に分けられました。
さらに「稚児」は、6~7歳から14~15歳までの元服前の少年で、10歳までを「小稚児」、それ以上を「長稚児」といいました。「二才」は、元服してから妻帯するまでの青年たちで、年齢的には、14歳くらいから25歳くらいまでの青年になります。
二才は、稚児に剣術を教えたり、薩摩武士としての人間形成を担いましたが、マンツーマンの指導を重視したため、両者は当然、親密な関係になります。稚児が他郷の二才と交際することは禁じられていたといい、こうしたことから、男色の風習が深まっていったと考えられます。
中には、美しい稚児を「さま付け」で呼ぶこともあったといい、他の郷の二才たちに奪われないように寝ずの番をつける二才がいた、といった話も残っています。
ここで衆道を経験した青年たちが、地方における社会進出を果たし、ひいては中央進出していった結果、江戸で男色が流行した、とする説すらあるようです。
薩摩などの九州南部の旧藩の青年が、江戸に出稼ぎなどで出たことが、そもそも江戸時代の衆道の普及の発端だ、とする説であり、鹿児島出身の方は、えーっと思われるかもしれませんが、薩摩において、男色が普通に行われていたことをうかがわせる記録も残っています。
そのひとつが、明治 5 年(1872)に出された新聞であり、「鹿児島県の男色衰ふ」というタイトルのこの記事には、「もともと鹿児島では男色の悪弊があったけれども、最近はだいぶ衰えてきており、その代りに妓楼(遊郭)を設けようと考える輩が増えてきた」といったことが書かれていました。これ以前から男色の習慣があったことをうかがわせます。
「西郷どん!」においてもそうした郷中における、西郷とその兄弟、郷中仲間たちとの生活が描かれていますが、西郷隆盛や大久保利通といった幕末維新の偉人たちもまた、そうした風習の残る中で成長したことは間違いありません。
だからといって、「西郷どん」に男色の趣味があったかといえば、そういう史実はないようで、大久保についてもまたしかりです。また、郷中制度そのものも「同胞愛」を育むために根付いた風習であり、必ずしも性的な行為を誰しもがしていたというわけではないわけであり、そこのところは、「忖度」して考えるべきでしょう。
現在放映されているドラマのほうでも、筆者がこれまで見てきたところでは、当初心配?されたような、描写はないようです。
もとより、そんなものを期待しているわけでもありませんが、ときに濃厚に描かれる男同士の泥臭い関係についても、それを匂わせるようなところはありません。
むしろ北川景子さん演じる篤姫や松坂慶子さん演じる幾島と西郷どんとのやりとりなど、男女関係の描き方が巧妙で、かつ西郷隆盛役の鈴木亮平と島津斉彬役の渡辺謙さんとの関係も面白く、毎回目が離せません。
「ヤマ無し」「オチ無し」「イミ無し」とはほど遠い出来であると思うのですが、このあとさらに激動の幕末になっていく中、どのようなストーリー展開が期待できるのでしょうか。
「愛に溢れたリーダー」がどういうふうに描かれていくのか、着目したいと思います。