3月は、人事異動の季節です。
ここ伊豆のような地方でも、地元新聞をみると、どこそこの市町村でどういった人事異動があったか、といった細かい記事が載ります。
際立って大きな産業がない土地柄ゆえ、官公庁のお役人の動向が、地元の産業の行方に影響を与えやすいということがあるからでしょうが、都道府県レベルの新聞でも県職員の移動状況などが新聞に掲載されたりします。また、大手の経済新聞などでは、大企業の管理職のその年の移動状況などが掲載されたりもします。
いわば春の恒例事業のようなかんじであり、もう慣れっこになっている、という人も多いでしょうが、こうした人事異動というのは、いったいいつ頃からあるのでしょうか。
日本企業の人事異動の慣行は、江戸時代の参勤交代制度から来ているのではないか、という人もいるようです。いわずもがなですが、参勤交代とは、各藩の正室と世継ぎを人質として江戸に残し、多くの藩士を引き連れて、大名が一年おきに江戸と自領を行き来することを定めた制度です。
その移動のためには莫大な金がかかるため、当然、遠方の藩ほど不利になります。強大な力を持つ藩ほど外様に置く、というのがこのシステムの巧妙なところで、それによってその強大な勢力を長年にわたってそがせることができたわけです。
無駄な移動を義務付け、長期間家族から離れて住ませることを習慣化する、というこうしたシステムは、徳川250年に渡って続き、確立されました。そうした慣例の一部が明治政府の成立以後も引き継がれたのではないか、という説は、正しいのかもしれません。
もっとも、明治政府の人事異動が参勤交代制度と関係していた、という証拠は何もないわけですが、少なくとも地方の人間と中央の人間を入れ替えることのメリット、というのは新政府も感じていたのではないでしょうか。
ひとつには、地方の情勢がわかるし、逆に中央の人間を地方に派遣することによって、中央の権威を全国に知らしめる、ということができるわけで、成立間もない脆弱な政府にとっての人事異動にはそれなりの効果があったはずです。その成果に味を占め、以後、国家ぐるみで人の異動が現在に至るまで続いている、とうのが私の推測です。
これが当たっている、当たっていないにせよ、そろそろこうした習慣は時代遅れなのではないか、思うわけですが、その理由は、明治維新以後、150年を経た現代の官僚社会、あるいは日本企業における環境は、海外との関わり、という一点においてだけでも著しく変わってきており、諸外国にも例をみないこうした制度がいかにも古臭く見えるためです。
現在における、役所や会社が人事管理戦略の中核的な要素の一つとして人事異動を実施する理由を考えてみたとき、主には以下のようなものがあげられます。
①能力開発や後進の育成、人事面での活性化
本人の能力を伸ばし、ゆくゆくは組織のトップを担ってもらうためには、事業のすべての分野と機能を経験する必要がある、とする考え方です。たとえトップにならなくても、優秀なジェネラリストを育成したいのはどこの企業も希望するところではあります。コスト面を考えれば、一人の人間が多数の仕事をこなせるほうが効率的、というわけです。
②マンネリ化を防ぐため
人事異動することで組織員に新しい刺激を与え、マンネリを防ぐ、というのがもうひとつの理由です。一つの業務に長期間携わることによって発生する慢心の防止、あるいは取引先との不正防止といった側面もあり、人事異動によって常に組織をリフレッシュさせておきたい、という理想はどこの組織にもあるでしょう。
③不平等をなくすため
地方への転勤にあたっては、当然“人気のある都市“や”不人気な僻地“があります。同じ場所に長期間勤務させず、定期的に交代させれば、不平不満をなるべく公平化できる、という考え方があり、多くは2~3年、長期でも5年程度で入れ替えが行われます。
ただ、問題を起こした人物に対する懲戒としたり、会社に不都合な人物を僻地にやる、という場合もあり、この種の転勤はいわゆる「左遷」です。逆に、活躍が認められ、地方の大都市や大きな部署に異動となることがあり、これを「栄転」とも呼びます。
人事異動のデメリット
以上がだいたい人事異動の目的といわれていることですが、では、そのデメリットとは何でしょうか。近年日本も国際化が進み、こうした人事異動を毎年恒例行事のようにやっていては、いずれ先細りになる、大きな改革を、と叫ぶ声が官民ともに高くなってきました。その理由について、上の3つについてそれぞれみていきましょう。
①能力開発や後進の育成、人事面での活性化?
近年、どんな業種においても、ビジネスが専門化する傾向にあります。ひとつの業種を掘り下げることで、より付加価値を見出していく、といった方向に舵を切る業態も多く、従来のように、様々な事業を経験し、幅広い知識を持つ社員を多数育てることがはたして企業にとって重要か、という疑問が出てきています。
同じ分野の部署に継続的に勤務させ、より深いスキルと経験を養わせる、いわば昔からの職人を養成するようなやり方がむしろ必要になのではないか、という声が高まってきているようです。
2~3年おきに職務を転々と異動するだけでは、浅薄な知識と技能しか蓄積できません。専門スキルの欠如は、とくに、今後世界の企業と渡り合っていく上で必要とされる分野においては、効率と技能における大きなネガティブ要素を与えることになります。
②マンネリ化を防ぐため?
マンネリ化を防ぐために人事異動を行う、という現在の体制は、日本固有の社会風土、終身雇用の慣習に基づいていると思われます。新しい職に就いて新たな挑戦に直面し、新たな物事を学べば、チームは新しいアイディアの恩恵を受ける、というわけで、言葉を変えればうまく組織レベルの「気分転換」をやっているわけです。
これによって組織内部における公平性を保ち、不平不満を和らげることで長期雇用を実現してきたわけで、極めて日本的な発想です。業績の上がらない社員は、別の仕事で業績を上げる機会が与えられる、という側面もあり、企業がそのような入れ替わりの機会を提供することで、従来はマンネリ化を防ぐことができる、とされてきました。
しかし、うまくやって行けない社員は隔離されるということが起き、また業績不振の社員をたらい回しにするというこが行われるようになってきており、こうした処遇は逆に、組織の別の部門に負担を与えることになります。
近年、パワハラやセクハラといった、強者による弱者の「いじめ」が社会問題化しており、こうした問題を放置し続ける組織における人事異動は、けっして業績向上につながることはないでしょう。
③不平等をなくすため?
地方転勤を伴う人事異動に関する大きな問題のひとつとしては、 家族を残して単身赴任する、というケースが多くなることです。日本ではそれがあまりにも普通のことですが、英語には「単身赴任」に相当する言葉すら存在しません。
総務省の統計によれば、日本の企業社員人口全体における単身赴任者数は約2%ほどだそうで、年々増加しており、現在では100万人を超えるといいます。単身赴任による家族の分離は、本人と家族の両方のストレスになりますが、また多くの場合、二世帯分の家賃を払わなければならず、収入面でも大きな負担になります。
海外との関わりが増える中で
以上のように、現代日本の人事異動は大きな問題を抱えていると思われますが、このほかにも、人事異動があるたびに、各組織で長年関わってきたプロジェクトや顧客との関係が壊れる、ということがあります。
事業の継続性が失われ、仕事が中断されだけでなく、異動によってこれまでにまったく経験したことのないような分野を担うことになり、大きなストレスを感じながら仕事を継続している、という人も多いでしょう。
日本では企業だけでなく、官公庁でも、同一の人間に多数の職務を経験させることを是としており、一人の人間に豊富な経験と特別な教育を施して、専門家として育てる、といった海外のようなやり方は行われていません。
競争社会に生き残るためだ、と称して、社員に短期間で一から学ぶことを強いている組織も多く、よくあれだけのことを短時間で覚えられるな、という職場をよくみることがあります。
短時間で知識を押し込むということは、非効率であるだけでなく、非常にストレスの溜まることでもあり、やる気の低下にも繋がりかねないわけで、場合によっては学習不消化のまま現場に送りだされることもあります。顧客や同僚にとって、仕事がわかっていないスタッフとやりとりしなければならないことは、大きな弊害といえるでしょう。
以上のような人事異動に関する問題は、異動の際の引継ぎのプロセスのプログラム化で補うことができる、とはよくいわれることですが、前任者から後任者への重要な情報とスキルの引継ぎを行う、といったことは単純に明文化できるようなものではなく、ある種の「フィーリング」に拠るところも多いものです。
引き継ぎがうまくいった場合は、その人事異動は成功しますが、大抵の場合、異動を機にして業務の中断が起き、直後に深刻な効率の低下が起こることも多く、とくに人身を預かるような分野では、重要な事柄が見落とされることで大きな事故がおきる、といったこともあります。
近年、日本の職場風土もかなり国際化が進み、外国人と一緒の職場にいる、という人も増えていると思いますが、そうした同僚のみならず、海外の顧客との取引においても、人事異動によって背景を充分に知らずに出たり入ったりする社員と仕事をしなければならないことは、大きなフラストレーションとなっているようです。
アメリカにおける人事
では、そうした取引の中でも最も多いと思われるアメリカの人事異動、というのはどうなっているのでしょうか。
これについてはまず、アメリカでは日本のような「年功序列」といった風土はなく、伝統的に「職務等級制度」が根付いています。
これはどういうことかといえば、たとえば、ひとつの製品を作る技術部門があったとします。一つの製品を作るためには、基本的なコンセプトの企画・構想から始まって、ラフデザイン、ディティールデザイン、試作、製造、検品、販売、といった風に手順を追って製品化していくわけですが、通常はそれぞれの分野におけるエキスパートが存在します。
また、それぞれの分野においても、新入社員のようなスキルがまだ未熟な人間から、中級クラス、上級クラス、監督クラス、といったレベルがあるわけであり、アメリカではこうした各分野において、職務レベルの分析を行って等級(グレード)を設定するのが普通です。
こうした明確化された職務とそれに紐付けられた等級に最も適合する人材を社内あるいは社外から公募で探し出して、職務に据える、というやり方をとっており、各職務の給与レベルは、会社のある地域や同業他社の給与調査結果を基にしてそのレンジが決められていくというのが最も一般的です。
ということは、日本のような年功序列社会における全社共通の基準というのは、アメリカの会社の中には存在しないということになります。つまり、デザイン部門の課長の給与レベルと製造部門の課長の給与レベルは、決して同じではないのが普通であり、日本のように同じ課長だから、給料は同じ、ということはまずありえない、ということです。
こうした事情があるため、社内での異動というのは現実的ではなく、むしろほぼ不可能に近いといってよく、デザイン部門の課長はデザインで磨き上げてきたスキルや実績があるからこそ、その部門の長になっているであり、もしこれが製造部門に異動になった場合は、そこの課長として必要とされる要件を満たしていないので、不適格ということになります。
従って、アメリカでは、日本のように辞令一枚だけで、一方的に異動・転勤させる、といったやり方をしている民間企業はほとんどなく、人事異動というのは、せいぜい官僚組織や軍隊ぐらいが行っているだけなのではないかと思われます。
ただ、例外がないわけではなく、社員に転勤を伴う異動を打診することもあります。が、そのような場合でも強制ではなく、転勤せずにその地に残り続けることも選択肢に入っており、本人には転勤または現在の場所に居続けるかどうかを判断する権利、また自由が認められていることがほとんどです。
ただし、転勤を選ばずに今の場所に居残る選択をした場合は、転勤によって発生する昇進や昇給といったアドバンテージは、はなから棒に振ることになります。
しかし、それはむしろ当然のこととして、社員も納得済みのことがほとんどです。転勤して昇進したり昇給したりするよりも、自分の家族や友達のいる現在の居場所に暮らし続けたいというのは、大きな変化を望まない、今の生活環境を守りたい、と考える人にとってはあたりまえのことです。
このあたりのことは、最近日本でも増えていて、地方へ転勤させられるのが嫌だから会社を辞めて転職した、というケースが多々あるようです。ただ、アメリカのように職務等級制度が一般化していないため、別の会社に移っても前の会社でのスキルが認められず、給料が下がる、といったケースがあります。
アメリアの民間会社では、日本以上に社員の生活基盤や家族・友人関係に重きを置く傾向が強く、日本のように辞令一本で移動させる、ということは難しくなっています。
また、アメリカは日本のように均一化した国民性を持っているわけではなく、人種のるつぼといわれるほどに多様な人種が住んでいるので、人の思考や論理も非常に多様化していて、それこそ千差万別、十人十色です。このような社会で、日本のように毎年年度末に人事異動を整然と行う、ということはまったく現実的ではありません。
アメリカだけでなく、おそらく多くの欧米諸国も同じような事情であり、人事異動という文化は世界的にみても、かなり珍しい制度ではないでしょうか。
国際化の中での新しい人事交流を
しかし、そうした日本社会に入り込んでくる外国人も増えてきており、とくに海外に支店などを置く日系企業へ入社する人も増えてきているようです。そうした人の中には、せっかく自分は日系企業に勤めているのだから、一度は日本で仕事をしてみたい、日本で暮らしてみたいと思っている外国人も多いようです。
最近はよく日本ブームということがいわれているようで、実は日本人が考えている以上に日本で働いてみたい、と考えている外国人が増えていると思われます。日本に来れば、人事異動があるよ、と押し付けるのではなく、相手の気持ちや希望、境遇を尊重した人事を行うのであれば、日本行きに手を挙げる外国人は多いと思われます。
「グローバル人事」が昨今の流行り言葉となっています。日本行きに手を挙げた外国に強力な戦力として十分な力を発揮してもらうことができ、それにあわせた評価と処遇を行うことこそが、優れたグローバル人事といえます。
一方で、従来からの日本的な人事異動は、専門的な人材を育てず、ビジネスの阻害になること多くなってきており、こうした状況が長く続けば、いずれは日本企業は弱体化していく、という見方をする専門家も増えているようです。
いまこそ旧来の人事異動制度を見直し、グローバル人事へとパラダイムシフトしていくことこそが、日本の生き残る道なのかもしれません。