メンタリズム?

昨日、夕食時にテレビを見ていたら、「メンタリズム」なるパフォーマンスをやっている番組がありました。出演者の一人、Daigoさんによると、メンタリズムとは、科学や心理学などを駆使し、人が「あり得ない」と思っている現象を現実に作りだすことだといいます。

マジックとは何が違うのかというと、人間の錯覚などを利用して意識を操ることで、マジックのようなパフォーマンスを行うのがメンタリズムなのだとか。人の深層心理を読み取ってコントロールしているために、あり得ないと思っていることが目の前で起こすことができるのだということでしたが、では、超能力なのかそうでないのか、というところについては、はっきりしたことはおっしゃいませんでした。

これに対して、一緒に番組を見ていたタエさんは、いや、あれは超能力だ、超能力を持っているけれども、それを隠して、マジックのようなショー仕立てにしているけれども、本当はすごい力を隠し持っている人たちなのだ、といいます。

たしかに、わざとマジックや心理学の応用技術のように「見せかけ」ているようにもみえ、本当は超能力を持っているのだが、わざと、それを人にわからないようにしている、というふうにも思えるのですが、じゃあいったい何のため?

ひところはユリゲラーさんなどが、スプーン曲げなどを披露したことで、「超能力」が流行りことばにもなり、「オカルトブーム」ともいわれましたが、そういうブームも去り、いまや普通に「超能力」といっても誰も驚かなくなっているから? というふうに考えれば、視聴率をとるためのパフォーマンスと受け取れなくもない。

それにしても、すごい能力を持っている人たちが、それだけでは食っていけなくなるような世の中なのかな~ と思うと、ちょっと寂しい気持ちもしますが、みなさんはどうお思いでしょうか。

私が思うに、超能力的な能力は多少の違いはあるとしても、誰もが持っているものであり、メンタリズムを主張する人たちはおそらく、普通の人たちよりもその能力がかなり高いのだろう、と解釈しています。

先日読み終えた、「魂の真実」の著者、木村忠孝さんは、目の真裏の左右大脳半球の正中線上にある、松かさ状の内分泌器官である「松果体」についてふれていて、この器官の持つ光受容蛋白質(光に感応して、視覚に関するエネルギーを発生させるタンパク質)が目の網膜の光受容蛋白質に似ていることをとりあげ、「本来は感受性が強く、光によって作用し、発生学的にも目と類似点があるが故に、第三の目とも呼ばれています。」と書かれています。

ほとんどの哺乳類では、単なる内分泌器官となっていて、光受容機能は失われているそうですが、古代人はこれに「覚醒」という意味の「エピフィンス」という名前をつけ、インドのヨガではアージュナー・チャクラ、すなわち「第三の目」と呼び、霊的なものを探求したレネ・デカルトは、松果体のことを「魂の玉座」と位置付けていたそうです。

そういえば、昔手塚治さんの漫画で、「三つ目がとおる」というのがありましたが、この主人公はおでこに三番目の目があり、普段はばんそうこうがそこに貼ってあって普通の少年ですが、いざというときにばんそうこうをはがすと、超能力を発揮する、というものでした。手塚さんもお医者さんでしたから、松果体のことをよく知っていて、それを題材にしてこの漫画を描いたのだろうと思います。

特定の刺激を松果体や間脳に与え続けると、より多くの波長の電磁波と同調できるようになり、通常眼に見えないものが見えるようになるといわれているのだそうです。修善寺で温泉をみつけた弘法大師、空海は、その昔室戸岬で、普賢菩薩求聞持法という修業をしたそうで、これは、一定の作法に則って真言を百日間かけて百万回唱えるというもの。

これを修した行者は、あらゆる経典を記憶し、理解して忘れる事がなくなるのだそうですが、この修業を終えた空海はその後、数多くの奇蹟を残しています。この修業、松果体や間脳に刺激を与え続けるのと同じ効果があったと木村先生も書かれていますが、と、いうことは、「メンタリズム」などの超能力的なパフォーマンスを持った人たちは、そういう修業をしてその能力を身につけたかのかもしれません。

あるいは、先天的に普通の人とは違った松果体を持って生まれ、「三つ目がとおる」の主人公のような超能力をもとから持っている人がこの世にいても、おかしくないようにも思えます。

「魂の真実」における木村先生の主張のひとつは、我々の肉体などのように目に見える物資は、粗い振動数の低い波動帯でできている世界にあるのだそうで、素粒子のように目に見えないものは、よりきめの細かい振動数を持ちより高い波動帯の世界にあるのだということ。当然のことながら、粗い波動帯に住む我々には、振動数の高い波動帯の世界は目に見えません。そして、その振動数の高い波動帯でできている世界の中に、霊の世界もある、といいます。

無論、波動帯はひとつではなく、波動の違う波動帯がたくさんあるわけですが、その一つ一つに一個の天地、世界があると木村先生はおっしゃいます。

たとえば、あるひとつの高い振動数を持つ、波動帯でできた世界があるとします。元の世界に残る者からは、その世界を見ることはできませんが、その世界に住み、同じ振動数でできた体を持った人にとっては、我々の世界で我々の世界の物質をみるのと同じように、その世界の物質(我々にはみえない)を普通にみることができ、触ることもでき、普通の生活ができるといいます。

この世界の住人は、振動数を自由に変更することができ、そのことによりその世界からより高い波動帯の世界へ行くことによって、突然消えたり、現れたりすることもできます。
つまり、我々がいうところの、幽霊さんは、それができる世界の人ということになります。

振動数の変化は、時空の変化にもなります。つまり、私たちが現れたり、触れたりできるこの世界以外に、数多くの世界がその世界と重なり、また隣り合わせして存在しているというのです。

さらに、振動数の高い世界においては、精神活動を作動させる波動帯と、周囲の環境を形作る波動帯がより近似しているので、意識や思考することによって、それによって発生するエネルギーによって、周囲の環境や世界を作ることが可能になるといいます。つまりは、これが霊界であり、波動帯の違う霊界が数多くあり、それらの世界が重なりあい、また同時に私たちの世界ともつながっているというわけです。

現世における私たちの体は一定の周波数を持っていますが、それは細胞自体が周波数を持っており、その集合体として肉体が存在するためです。木村先生によると、肉体だけでなく、この世にあって、我々が見ることができる物質は、すべて波動がいろいろな形に姿を変えたものにすぎないのだそうです。ある波動とある波動が干渉、交叉し、いろいろな形や色となって現れる。色は波動の内容や働きを知らせる表現方法なのだそうで、色の種類や統合、区分、変化の仕方によって、一見してその働き、機能を知ることができるのだとか。

肉体の場合、細胞エネルギーは光となって体外に放射されており、これをバイオフォトン、バイオプラズマと呼ぶそうで、一般的には、「オーラ」として知られています。この我々が放射しているオーラは、考えや気分、感情によってその振動数波長が変わるため、当然色も変わります。つまり、オーラの色をみることによって、その人の今の状態がわかるといいます。

昨夜テレビに登場した「メンタリスト」さんたちは、もしかしたら、一見して他人のオーラなどが見える人たちなのかもしれません。あるいは第三の目の機能がすごく発達していて、相手に触るだけで、その相手が思っていることが瞬時にわかったり、目隠ししていても相手の持っている物質が放つ振動数波長でそれが何であるか当てたりすることができるのかもしれません。

そういう能力が自分にもあることを信じたいものです。もし本当にあるのならば、訓練をしてみたいかも。ただそれによって、これまで見えなかった世界が突然見えるようになったとしたら、それはそれでちょっと、怖いものはあります。

興味は尽きませんが、この話題については今日は、これくらいにしておきましょう。