一日一日と残る時間が減っていく中で、気持ちがざわついている。
特段、焦る必要もないのだが、妙に落ち着かない。
ふと、子供のころに、徒競走のスタートラインに立っていた時のことを思い出した。
小学校のころの運動会のときのことだ。
どきどきしながら、号砲が鳴り響くのを待つ。
時間にすればほんのわずかなものなのだが、その一瞬が一生続くのではないかと思えるほどに長かった。
今の状況に似ているような気がする。
スタートを切るときに出るアドレナリンは、興奮を掻き立てる。
帰国後に確実に変わっていくだろう運命に身構え、神経も過敏になっているのだろう。
一方、走り出したあと、ゴールに向かうまでの時間は長いとはいえない。
足裏で地面を掴む感覚、コーナーで遠心力を感じての焦り、最後の直線で白いテープを目視したときの興奮。
感じるのはそれくらいで、気が付けばあっと言う間に白線を駆け抜けている。
そしてレースを終えたあとになって、スタートダッシュが甘かった、足が前に出ていなかった、手が振れていなかった、と後悔の念が次々とわいてくる。
ほとんどは、勝負に負けたあとの記憶だ。
そう、徒競走で一番になったことは、一度もない。
これまでの人生と似ている。
しかし、障害物競争は得意だった。
いかに途中にある障害物を乗り越えるかをあらかじめ計算し、その通りやることで、何度か一番になった。
つまり、肉体派ではなく、頭脳派だった。
もともと子供のころから身体能力は高くはなかった。
運動はきらいではなかったが、小学校高学年になるころから肥満になり、何かと避ける傾向にあった。
しかし歩くことは好きで、小学校では2キロ半、中学校では3キロの道のりを歩いて学校に通った。
高校では自転車通学が認められていたが、4キロの道のりを歩いていくことも多かった。
なぜだっただろう、と思い返すに、歩きながら考え事をするのが好きだったし、日々変わりゆく風景を味わいたいという気分があったのだと思う。
あのころは、そうした時間が楽しみで仕方がなかった。
高じて、山登りが好きになったし、20代からはマラソンもやるようになった。
就職してからの余暇は貴重なものだ。できるだけその時間を楽しみたい、という理由で始めたような気がする。
休みの日、家の中にいてぼーっとしているよりも、外に出て体を動かす、自然に触れてその息吹を感じる。
それだけでより豊かな時間が持てる。今あらためてそうした時間の大切さを思う。
ほとんど隔離状態の今では、それも思うようにならない。
しかし、もう少しで本来の自分の姿に戻ることができる。
日本に帰ったら、改めてそうした豊かな時間を取り戻したいと思う。
とはいえ、こうしている間も、次々と時間は流れてゆく。
一生もまた一瞬のことである。
だから、こんなところで、と思わないで、何か自分のためになることをみつけよう。
できるだけ今を大切に。
いつも素敵な時間を過ごしている、そんなふうになりたいものだ。