沼津 ~沼津市

中央に見えるのは、沼津港大型展望水門「びゅうお」

昨日、沼津NEOPASAのことを話題にしましたが、私にとって、沼津というのは何かと縁のある土地です。学生時代に2年間を過ごした町であり、また初めての自動車免許を取ったのもこの町。さらに30数年を経て伊豆に住むようになり、何かと沼津に出かける機会も多くなりました。

この「沼津」という町の名前は、この地が富士山からの地下水のために、沼が多かったことに由来しているといい、「津」は港のことですから、沼の多い港、ということのようです。沼津市内に、浮島という地名の場所があり、現在でも水田の広がる農業地帯ですが、弥生時代(3世紀)にはここも沼地であり、そこを開発して、原始的な稲作が行われていたようです。

水が豊富であるということは、つまりは地盤が緩いということでもあり、このため東海道新幹線は沼津市内を通ることなく、東海道本線よりも北側の愛鷹山麓のほうに造られることになりました。

沼津は、港に適したなだらかな海岸線を持っており、このなだらかな海岸線に沿って道路ができ、かつ狩野川河口近辺の比較的水深のある海は漁港として発展したころから、陸運と海運の拠点として人の集まるところとなりました。

7世紀には既に郡衙や国衙(律令政治の元、政務がとりおこなわれた役所)があり、やがて「沼津宿」と呼ばれる宿泊街が形成され、近年になって周辺地域との合併により現在の姿になりました。

東京や横浜からも比較的近く、高速道路を使えば、一時間半から二時間で都内へ出ることができます。伊豆の入口の町としては熱海と同様に知名度が高く、海産物が豊富なので、ぶらっと東京から沼津へクルマを飛ばしてやってきて、おいしいお魚を食べて帰る、なんてことが比較的簡単にできることから、日帰り観光地として昔から人気のある町でした。

バラエティの大御所、タモリさんも、かつては沼津のマリーナに自家用のヨットを持っていて、休日になると来ていたようです。今はどうやら東京のほうのマリーナに舟を係留されているようで、かつてほど頻繁に沼津には来られないようですが、ご自分の船を操船されて沼津まで航海されたこともあるようです。

かつて、タモリさんの船が置いてあった沼津マリーナでは、「タモリ茶碗(カップ)」なるヨットレースが毎年のように開催されていて、今年もその4回大会が8月19日に開かれました。

タモリさんはこの大会の「言いだしっぺ」だそうで、今も「名誉会長」を務められており、今年の大会にも顔を出されたようです。過去には沼津市の観光親善大使もおやりになったことがあり、今も沼津にはよく来られるようで、町のどこに何があるかもよくご存知で、テレビでも何度か沼津の様子を語られるのを聞いたことがあります。

このタモリカップ、今年は過去最多の80艇が参加したそうで、そのエントリーは6種に分かれていて、そのネーミングはちょっと笑えます。

1. いいともAクラス 「大会主旨を正しく理解している船」
2. いいともBクラス 「まあまあ普通に走れそうな船」
3. いいともCクラス 「ちょっとだけ早そうな船
4. いいともDクラス 「そこそこ早そうな船」
5. イグアナクラスA 「わりと早そうな船」
6. イグアナクラスB 「速そうな船」

前夜祭や表彰式のときに一般公開のパーティも催されていて、事前に申し込めば参加できるみたい。今年は、「日本一のサルサバンド」なる催しもあったみたいで、楽しそうですね。来年もあるなら、参加してみようかしら。

芸能人としては、このほか山田邦子さんのお父さんが沼津出身だそうで、その関係で山田さんも過去に沼津の観光大使を務めています。

このほか、沼津に縁が深い人としては、作家の井上靖などもいます。井上さんは沼津出身ではありませんが、天城湯ヶ島の出身で、その出身校が旧制沼津中学校(戦後の静岡県立沼津東高等学校)であったそうで、2003年の文化勲章受章時に、沼津の名誉市民賞が授与されています。

初期の作品に「夏草冬涛」というのがありますが、これは沼津の学校に通っていたころの井上さんご自身の経験をもとに書き下ろされた青春記です。

このほか、太宰治も、1932年に、沼津南部の、静浦というところに滞在して「思ひ出」を執筆しており、また、1947年には西伊豆の三津で「斜陽」の第一章から第二章を執筆したそうで、沼津とは縁の深い作家のひとりです。

政治家では、総理大臣を務めた宮沢喜一さんが、戦前、大蔵省の官僚だった若かりしころ、沼津税務署の所長を務めており、政界に入ったのはこの沼津税務署長を辞したすぐあとだったようです。

また、明治時代の海軍大将で、西郷隆盛の弟の西郷従道も沼津に縁あります。太宰治が宿泊していた沼津南部の静浦あたりに別荘を持っており、このため、この近くにある瓜島という島は今でも地元の人から、西郷島と呼ばれているとか。

ちなみに、この静浦には、かつて皇室の沼津御用邸もあって、これは大正天皇のご療養のために建てられたもの。今は「沼津御用邸記念公園」という海浜公園として整備され、一般公開されています。

面白いところでは、漫画「サザエさん」のお母さんの「磯野フネ」は、沼津出身という設定になっているそうで、原作者の長谷川町子さんは、沼津といえば「魚の町」というイメージを持っていたのではないでしょうか。

このように、沼津という場所は、東京在住の人にとっては、「ちょっと」遊びに行ったり、気分転換に行ったり、あるいは療養に行ったりするにはちょうど良いほどの距離の場所にあるようです。

かといって、熱海や伊東のようにとりたててめぼしい温泉街があるわけではなく、温泉と言えば、沼津市の最南端にある「戸田温泉」がやや有名な程度。

このほかの観光スポットとしては、伊豆三津シーパラダイス、淡島マリンパークなどの水族館のほか、東名沼津インターチェンジを出たところの道路の両側に広がる、「沼津ぐるめ街道」などが有名なところ。

沼津の名産品といえば「干物」ということになるようで、このグルメ街道には、干物を売りにするお土産物屋さんと、大小の食事処が立ち並んでいて、ここへ来るだけのために東名を飛ばしてくる人もいるようです。

最近狩野川への津波の侵入を防ぐために造られた、沼津港大型展望水門「びゅうお」も最近の沼津でのメジャーな観光スポットです。このすぐ近くにある「沼津市場」には海産物のお土産品のお店やお食事処が立ち並ぶ一角があって、観光客で賑わっているそうです。残念ながら私はまだ行ったことがないので、今度行く機会があれば、またレポートしてみましょう。

このほかの観光スポットといえば、昨日レポートしたNEOPASAくらいでしょうか。

先日、このブログでも紹介した「大瀬崎」は、ダイビングをやる人にとってのメッカですが、一般観光客向けかどうかといえば少し疑問。でも、海水浴場としてはよく賑わっているようです。富士山もよくみえるポイントなので、隠れた観光スポットといえるかも。

また、山好きの人には、市の南西部にある香貫山という小高い山から南につらなる、通称「沼津アルプス」とよばれる山々は、手ごろなハイキングコースとして人気があるようです。これも以前、このブログで紹介しましたネ。こちらも私自身まだ未経験ですが、もう少し涼しくなったらチャレンジしましょう。

……と、ここまで沼津の「観光大使」になったつもりで、せいぜい頑張って沼津のアピールをしてきましたが、正直言って、伊豆や静岡県内にあるほかの観光スポットに比べて地味なイメージが強い町です。

しかし、地元に住んでいる人にとっては、そこそこ、というかかなり住みやすい町のようで、その要因のひとつとしては、やはり、第三次産業がさかんで、それに群がる大小の商業施設が多いこと、そして市の収入も大きく税金なども比較的安いことなどがあげられるでしょう。

戦後まもなく大手電気機械メーカーが多数進出したため、これが市の産業の核になり、もともと「海軍の町」として栄え、ここで育った中小企業が近年の大手メーカーの進出を支えることで、調和の取れた産業構造が形成されました。

首都圏の100km圏内である事や、沼津ICや国道1号などのメジャーな交通インフラが整っていることも有利であり、浮島沼辺りの国道1号沿いに倉庫街があって、こうした物流施設は地域の商業を支えています。

鉄道でも東海道本線と御殿場線の分岐点であり、交通の要衝です。新幹線駅そのものはないものの、隣接する三島市と富士市には駅があり、その中間位置にあることから、鉄道による県外からのアクセス性も良好です。

ただ、西湘バイパスが小田原箱根道路と直結するなど、競合する相模湾岸の道路の整備の結果、首都圏から沼津を経由しないで伊豆半島へのアクセス人が増えているといい、そのへんが観光地として今一つぱっとしない理由なのかもしれません。

このほか、全国紙の支局、郵便事業の統括支店、東京電力の支店が置かれ、金融機関もスルガ銀行と静岡中央銀行の2行が本店を設置しています。百貨店や大規模な商店街などがあり、商業の売上高も静岡や浜松に次ぐ規模であり、三島市や裾野市、駿東郡清水町、長泉町と市街地が連続し、都市圏を形成することで、静岡県東部の拠点都市として発展してきました。

ただ、沼津市の中心部、沼津駅の周りは、最近なんだか元気がありません。沼津駅の南に少し離れて位置する「アーケード名店街」は、かつては高級商店の並ぶ通りだったといいますが、今は「シャッター通り」化しています。個人経営の店が多いことや、最近西隣の富士市のほうが元気になり、あちらへ人が流失しているということで、沼津市全体の人口が減少しているためのようです。

先日も、沼津駅の南側に長年鎮座していた、「西武百貨店」が撤退するという発表がなされたばかりで、沼津中心街の地盤沈下は歯止めがきかない格好で、その活性化などは遠い夢物語のように思えます。

とはいえ、大規模な工場や商業施設が多いためか、市の財政状態至って健全なようで、人口減少に伴う衰退化を防ぐために、周辺市町と政令指定都市構想の話も出てはいるものの、周りの市町もこれまた財政が健全なために、合併なんて必要ないじゃん、という雰囲気になっているみたいです。

県内外の他の市町村では財政も悪化しているところが多くなっている中、なんとも贅沢なことです。

南海地震の発生により、駿河湾一帯の町が壊滅的なダメージを受ける可能性もあることなどが、取沙汰されていることでもあります。必ずしも政令指定都市になる必要はないかもしれまんが、今のうちに、協力できるところは協力しておいて、来るべきときのための備えをするとともに、お互いの「町おこし」を協力してやる、という機運が生まれてほしいもの。

せっかく第二東名という大きなインフラが整備されたのですから、これを機に津波被害の出るおそれのある現在の町の中心部を、東名高速や第二東名のある、より山側へ移転し、新たなる地域活性化を図る、なんてのもいいんじゃないでしょうか。

もっともあんまり沼津の中心街が北へ行くと、修善寺に住む我々のアクセスがしずらくなります。しかし、もっとおしゃれな町ができるなら、少々遠くなっても大歓迎です。沼津市長さん、少し考えてみてもらえませんか?