駿河湾フェリー ~旧土肥町(伊豆市)


先週末、このブログで残暑お見舞いを書きましたが、そのあと、列島は急速に涼しくなり、昨日の夜などは、我が家の外気温は20度にまで下がりました。暑いのは彼岸まで、とよく言われますが、今年も例外ではなく、やはり涼しくなりましたね。雨もそこそこ降ったようなので、関東地方の水がめもちょっと一息つけたのではないでしょうか。

さて、先週、土肥金山のことを話題にしましたが、ここ土肥は、「駿河湾フェリー」が立ち寄る港でもあり、ここから駿河湾を横断して、清水港まで一日4往復の航行が行われています。所要時間は片道65分で、乗用車で清水まで行こうとすると東名高速を使ったとしても2時間少々かかりますから、伊豆西海岸からちょっと清水や静岡方面へ行くのには比較的便利な交通手段です。

しかし、ここ修善寺からだと、土肥港まで30分以上かかりますし、沼津や三島からではさらにそれ以上時間がかかります。さらに乗船までの待ち時間などを考えると、結局あまり時間差はなくなる、かな。さらに、船賃は片道2200円、往復3960円であり、東名高速の有料運賃が1300円であることを考えると、必ずしもお得とは言えない交通手段です。

この駿河湾フェリー、正式名称は、「エスパルスドリームフェリー」と呼ぶそうで、清水に拠点を置く、Jリーグの人気チーム「清水エスパルス」にあやかってつけた名前で、静岡市清水区にある海運会社の鈴与グループの傘下企業が運営しています。

平成14年4から一隻で運行をはじめ、好評だったためか平成17年7月からは2隻体制の運航になり、年間29万人もの利用者があったそうです。しかし、その後は利用者数が伸び悩み、さらに原油高騰などによるコスト上昇が経営に影響し、平成20年12月から1隻による運航に戻しています。

その後、利用者数は年間約15万人程度で推移しているようで、フェリーとしては結構厳しい運営状況みたい。年間15万人を単純に365日で割り、しかも一日の船便数8で割ると、一回の渡航者はわずか50人あまりになります。

無論、夏場などのレジャーシーズンなどにはもっと多くの利用者がいるのでしょうが、これから冬になると、利用者も減ってくるのかも。私も冬場は駿河湾から見える富士山がきれいそうなので、一度は利用者してみたいと思うのですが、正直なところ、一回乗ればいいかな~というかんじ。リピートはおそらくないでしょう。

……などと書くと、鈴与さんから、営業妨害だ!とお叱りを受けそうなので、このくらいでやめておきます。が、お客さんを増やすためにはもっと工夫が必要でしょう。

たとえば今は、65分で清水まで行けるというスピードが「売り」なのでしょうが、これを倍ぐらいの時間にすれば、消費する油代が少なく済みます。その分、運賃を安くできるでしょう。この2時間あまりの時間をどうやって潰すかですが、私なら、もっと洒落たレストランを作って、富士山を眺めながらゆったりとお食事ができるスペースにするかな。

喫茶店でもいいと思います。2時間あれば、映画も放映できるし、ショッピングも楽しめるということで、お土産モノ屋さんを充実させる、という手もあるかと思います。無論、新に投資が必要になることなので、なかなか安易には踏み込めない領域でしょうが、そこは会社の経営ですから、鈴与さん、もう少し考えてみてはいかがでしょうか。

船好きの私としては、この駿河湾フェリーがもっと魅力的なものになり、何度も乗りたくなるような交通手段に生まれ変わってくれることを切に祈りたいところです。

しかし、この鈴与さん(正式名称は「㈱エスパルスドリームフェリー」だそうですが)、清水には、清水港クルーズが楽しめる、「オーシャンプリンセス号」という帆船ももっているようです。クルーズ船とはいうものの、通常は結婚式や宴会などのための「貸切船」としての営業しかやっていないので、時々催される特別イベント(クリスマスディナークルーズとか)などに参加しない限りはなかなか乗れません。

この船、実は結構由緒正しい豪華船だったようで、1974年にアメリカの大企業「ジョンソン・エンド・ジョンソン」の経営者のお兄さん、シェワード・ジョンソンという人が、自家用船としてデザインさせ、ポーランドで建造された帆船です。

このジョンソンさんが所有していた時代には、かの有名なJFケネディーの一族やエリザベス・テイラー等の多数の著名人が乗船したことがあるんだそうです。その後、1980年にギリシャの海運王のマルチノス一族の手を経た後、今のエスパルスドリームフェリーの所有となり、1996年(平成8年)より清水港クルーズを用途として運用されはじめたとか。

船には一流シェフが乗り、なかなかうまい料理を出すみたいで、伝統を感じさせる木造のキャビンと白い帆をかかげた優美な姿は、船フェチの私としてはぜひ乗ってみたいところ。クリスマスだけでなく、そのほかの季節にも時々一般向けにイベントを開催し試乗ができるようなので、そのうちチャンスがあったら乗ってみたいと思います。

鈴与さんのクルーズ船にはまだほかのものがあるようです。「ベイプロムナード号」という双胴船がそれで、こちらは、清水港内を周遊する遊覧船として就航しており、一日4回のクルーズが楽しめます。11時半と13時出航は、14時と15時の出航は35分コースだそうで、この10分の違いは何なのかな、と思ったら、11時半と13時のコースでは、船内で「船弁」なるお弁当が楽しめるのだとか。

ただし、「15人以上」という人数制約がある上、予約が必要だそうです。15人以下でもご相談によってはOKということなのですが、45分という微妙な時間が気になるところ。気になる「船弁」のメニューは、1800円から2900円の範囲で5種類のお弁当かお寿司が食べれるようです。値段的にはちょっと高いけれどもまあ、こんなものなのかも。

ちなみに、船弁なしの一般利用のクルーズ料金は、45分が1000円、35分が900円だそうで値段的にはまあ許せるかな、というかんじ。ですが、100円しか違わないのに、35分しかクルーズが楽しめないなんって、ちょっと不公平、などとケチなことを考えるのは私だけでしょうか。

この清水港クルーズ、さらには「ミニクルーズ」なるものもあって、こちらは、15分が450円、20分が500円のコース。結構お手軽です。ただし、鈴与さん(略称ですいません。正式名称が長いもんで)のホムペにははっきりしたことが書いてありませんが、こちらのクルーズに使うのは、おそらく「フェルケル号」とかいう20トン未満の小舟のようです。小舟といっても100人弱は乗れるようですが。

この「フェルケル号」のフェルケルとは、おそらく清水港の「日の出埠頭」の近くにある「フェルケール博物館」の名称からとった名前でしょう。「フェルケール」とはドイツ語で交通を意味し、この博物館の創設者、「鈴木与平」さんの大学の恩師の講座名からとったそうです。

鈴木与平?それってまさか……そうです。鈴与の社長さんです。「鈴与株式会社」は、物流業を営む株式会社で、持株会社の鈴与ホールディングスは、Jリーグのサッカークラブ清水エスパルスや、静岡空港を拠点とする航空会社フジドリームエアラインズを傘下におさめるほか、さきほどまで書いてきたエスパルスドリームフェリーもその関連会社。

おそらく清水、いや静岡県下でも一番古い企業のひとつで、その創業は江戸時代。幕末にもほど近い1801年(寛政13年)で、第11代将軍、徳川家斉のころです。創業者は「鈴木與平」で、無論、現在の社名はこの鈴木與平(与平)の名前を略したものです。以来、この会社の社長さんは、代々「鈴木与平」を名乗り、現在の社長さんは8代目になるとか。

もともとは、駿河国清水湊、つまり清水港で初代の与平さんが、船舶を利用した物流業「播磨屋」を創業したのがはじまりです。その後明治時代に日本郵船の母体となる「郵便汽船三菱」の代理店となることで、運送会社としての実績を積み、さらに安田火災海上(現・損保ジャパン)の母体となる「帝国海上保険会社」の代理店にもなり、船舶交通における保険業でさらに業績を伸ばしました。

さらには、倉庫業にも着手するなどその分野をさらに拡大しましたが、この倉庫部門は1918年(大正7年)には、「鈴与倉庫株式会社」として分離。鈴与倉庫は、本来の鈴与グループとは離れて独自の業務展開を行いましたが、その結果大成功して、物流会では知る人ぞ知る大会社になりました。その後1990年(平成2年)には、「株式会社富士ロジテック」と社名変更しましたが、現在も、鈴与本体との資本関係はあるものの、鈴与グループからは独立しています。

本体の鈴与のほうは、昭和に入ると、1929年(昭和年)に缶詰メーカーの「清水食品」、1933年に石油ガソリンスタンドを開設するなど多角経営をスタート。1936年(昭和11年)には「株式会社鈴与商店」に改組。

その後も、1941年(昭和16年)には清水食品をベースとして、薬品のインスリンを開発し、「清水製薬」を設立。戦中にも「鈴与建設」を設立(1944年(昭和19年))、戦後すぐの1950年(昭和25年)には「鈴与自動車運送」等を設立するなど、「戦争にも負けない」企業として、静岡県を代表する総合複合企業への発展していきました。

1991年には、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)参戦を目指して設立された清水エスパルスの運営母体「エスラップコミュニケーションズ」(筆頭株主はテレビ静岡、並びに市民後援会)の運営に参画。1997年にエスラップコミュニケーションズが経営難に陥り倒産(清算)したのを受けて、1998年からその受け皿会社「株式会社エスパルス」を鈴与がオーナー企業として設立し、事業譲渡を受けます。

今や全国的に広まっている「セルフ式ガソリンスタンド」ですが、これも鈴与が全国に先駆けて1998年に始めたもので、「セルフ24」という看板をご覧になった方も多いでしょう。

さらには、2007年、静岡空港を拠点とするリージョナル航空事業への参入を表明。2008年6月、フジドリームエアラインズを設立し、2009年の静岡空港開港と共に就航開始しています。

私は別に鈴与さんの宣伝マンではありませんが、学生時代の2年を清水で過ごしており、あちこちに「鈴与」のマークのある倉庫が立ち並ぶのをみて、「地元の誇り」とまでは思いませんでしたが、清水を代表する大企業として畏敬の念をもっておりました。

その鈴与さんが経営する「フェルケール博物館」ですが、その前身は、「清水港湾資料館」といい、当館は、昭和53年7月20日(海の記念日)から財団法人として運営されていました。

もっぱら港および海事関係の資料を集めて展示していたようですが、私自身、学生の頃、入ったことがあるかな~?とほとんど記憶にないので、かなり規模の小さな博物館だったのではないでしょうか。この当時は、もしかしたら、鈴与さんの投資はなかったのかも。

この博物館ですが、その昔「清水港線」と呼ばれる国鉄の貨物線を中心にその駅や貨物ヤードがあった場所を再開発した、「清水マリンパーク」のすぐ近くにあります。

市や県、運輸省などのお役所が主導をとり、臨海公園として新たに生まれ変わった清水マリンパークは、西欧の城壁風の歩道に囲まれたイベント広場や、ボードウォーク、ヨットハーバー、スケートボードパークなどの設備があり、展望台からは清水港が一望にみえて、とても気持ちの良い公園です。

そのすぐ近くには「エスパルスドリームプラザ」があります。ここもやはり鈴与さんが関与してできた施設で、サッカーショップやフットサルコートなど、清水エスパルスと関連した施設のほか、映画館やレストランの施設があり、サッカーファンならずとも一般観光客でいつも賑わっています。

フェルケール博物館のほうも、鈴与さんがもともとあった財団にテコ入れし、平成3年5月3日に開館しましたが、展示品としては、前身の「清水港湾資料館」が保有していた港および海事関係の資料をさらに充実させました。また、絵画や彫刻、写真やシルクといった美術品展示も行っており、博物館というよりは美術博物館的な存在に仕上がっているようです。

残念ながら私はこの博物館もドリームプラザにも入ったことがありません。が、隣接する清水マリンパークは何度も仕事で足を運んだことがあり、いつ行っても清水港からの風が潮の香りを運んできて、とても気持ちのいい場所です。

周辺にはちょっと洒落たレストランなどもたくさんあり、海をみながらお食事をしたい方、ちょっとリゾート気分を味わいたい方は、ぜひ行ってみていただきたい、おすすめの場所です。

ちなみに、この清水マリンパークのある一帯は、清水港日の出地区といって、その総称は「日の出ドリームパーク」と呼ぶようです。旧国鉄の跡地を利用した区画なので、その開発にはお役所が関わって第三セクター形式で開発したのに対し、ドリームプラザやフェルケール博物館がある一帯は鈴与さんが独自に開発した地域みたいです。

どうせなら、一緒に開発すればよかったのに……と思うのですが、まあ、開発された年代も違うみたいですし、お互いすぐ近くにあるので、相互利用もわりとスムース。何よりもいろいろ楽しめる施設が同じ場所に集まっているのは良いことです。

駿河湾フェリーの乗り場は日の出ドリームパークの一角にあります。ですから、駿河湾フェリーに乗って、清水まで行き、そこでひと遊びしてから伊豆へ帰る、ということも可能。そう考えると、我々にとっての駿河湾フェリーは結構、魅力的なものなのかもしれません。

しかし、静岡や清水の人がこれに乗って果たして土肥まで来るかどうか。土肥港のほうの観光の魅力がいまひとつなのが気になります。駿河湾フェリーがなくなったりしないよう、土肥港にももっと頑張ってほしいもの。もっとも土肥港の管理者は「伊豆市」ではなく、「静岡県」のようですが。どちらでもいいから、もっと魅力的な土肥港を考えてくださいな。