秋の夕空に ~西伊豆町

今年3月に伊豆に越してきてから、先週の11日でちょうど7ヵ月になりました。東日本大震災があった日と同じなので、この日になると毎月のようにテレビでなんらかの追悼の番組やニュースをやっていて、その都度、ああ○ヶ月経ったか……と思い起こされます。

我々にとっては記念すべき日ですが、被害に遭われた方々にとっては忘れられない日であり、「記念」という言葉は軽すぎて、使うのもはばかられます。「記憶に残すべき日」という意味なのでしょうが、どうもこの「記念日」というのは良いことがあった日という意味合いのほうが強いような気がします。

「終戦記念日」は、戦争が終わったのでこれを祝うという意味合いで記念日なのでしょう。片や「関東大震災」のあった日は、「震災記念日」というのでしょうか。あまり言わないような気がします。

事故や事件、災害はいったいいつになったら「記念日」と呼べるようになるのでしょうか。東北のこの震災の日も「記念日」と呼べるようになるまで、あと何十年もかかるのかもしれません。もしかしたら、我々が生きているあいだにはとても記念日などとは呼べないのかも。

さて、その我々の引っ越してきた伊豆では、最近よく空を見るようになった、というのは口癖のようによくこのブログでも書いてきました。四六時中空を眺めているわけではありませんが、毎朝今日は富士山がみえるかな、と遠くの空を眺めるのが習慣になっているせいか、そのついでに富士山とは違う方向の空を見ることも多くなったためでもあるようです。

そのせいかわかりませんが、山を下りて普通に市街を通っているときも空が気になります。とりわけ、夕日のきれいなときには、空を仰ぎたくなり、ふとみると、真っ赤な夕焼けで染まっていることもままあります。

昨日の伊豆もそうでした。最近見たこともないようなウロコ雲が真っ赤に染まり、えも言われないような色合いでした。残念ながらカメラもケータイも持参していなかったのでこの美景を記録できませんでしたが、これからはちょっとした外出でもカメラを携帯することを心掛けたいと思ったものです。

この夕焼けですが、なぜ赤く見えるかというと、その原因は夕方になると太陽の入射角が浅くなるため、その光が通過する大気層の距離が長くなるためだそうです。

太陽が普通に空の上を通過しているときには、太陽と自分の間にある空気層の長さは限られていますが、夕方近くになって太陽が水平線(地平線)に沈むころになると、太陽までの距離は「無限大」とまではいいませんが、天上にある時と比べればはるかに遠くなります。

太陽の光のうち、青い光は障害物に衝突すると吸収されやすくなるため、この大気層の距離、言い換えれば空気の厚さが増せば増すほど、青い光だけが減少していき、代わって黄や橙、赤などの光だけが目に届くようになり、太陽が沈む方向の空が赤く見えるわけです。

……と、理論で説明されるとなんとなくわかったような気にもなるのですが、じゃあ何故毎日夕焼けを見ることができないの?と聞かれると答えに窮してしまいます。

その理由はどうやらその夕方になると太陽までの距離が長くなる大気層に含まれているチリやらなんやらの不純物のせいのようです。

大気中にそういう不純物が多ければ多いほど赤くなるのだそうで、1883年には世界中で鮮やかな夕焼けが確認されましたが、これはその年に噴火したインドネシアのクラカタウ火山の噴火で大気中に障害物が撒き散らされたためです。

大気中の不純物が多ければ多いほど、はるかかなたに沈む太陽からの赤い光がその不純物にあたって、あっちこっちに散乱しやすくなるため、きれいな夕焼けになる、ということのようです。

夕焼けになると翌日はお天気になることが多いとよく言いますが、これは「不純物が多いにも関わらず遠くにある太陽が見える」ということであって、夕焼けが起こるときにははるかかなたの西の空の空気も澄んでいる(けれどもチリは多い)。その澄んだ空気がやがてやってくるということなのでしょう。

このあたりになると説明していてもなんだかわからなくなってきてしまいますが、これ以上によくわからんのが同じく空気がきれいなところでよくみられる「グリーンフラッシュ」という現象で、これは見通しの良い場所で、夕焼けや朝焼けの太陽の上端が緑色に光る現象です。

このグリーンフラッシュが見える条件として大事なのは、ともかく「空気が非常に澄んでいること」だそうで、こうした環境下では通常より大気層に青い色があまり吸収されず、とくに緑色の光は届きやすいのだとか。

そして、夕日が沈む直前に赤色の太陽が地平線(もしくは水平線)で隠されたとき、太陽の中央は赤いにもかかわらずその周辺の一部では緑色の光が透過できる部分があるためこの部分だけが緑色にみえ、「瞬く」のだそうで、非常に稀な現象だということです。

そこまで稀だ非常に珍しいとか言われると一生に一度でいいからどんなふうに見えるのか見たくなります。

しかし、空気がきれいなところということになると、当然高い山の上か離島のような場所になってしまいます。高い山の上にはあまり人は住んでいないことから、やはり目撃されるのは島であることのほうが多いようで、日本では小笠原諸島、身近な外国としてはハワイやグアム島で比較的多く目撃されているとか。

ハワイやグアムでは、グリーンフラッシュを見た人は幸せになるという言い伝えがあるのだそうですが、私がハワイにいたときには見た記憶がありません。幸せにはなるにはまだちと修業が足りないのかも。

日没や日が昇る時にはこのグリーンフラッシュ以外にも「珍現象」が見られることが多いようで、そのひとつに、「太陽の蜃気楼(Sunset Mirage)」というのがあり、これは、太陽が「ダルマ」状になって二つ重なって見える現象です。

これを見ることのできる条件としては「蜃気楼」と同じように太陽の見える方向の空気の層に温かい部分と冷たい部分があること。この二つの空気層が重なることで、大気中に一種の「プリズム」のようなものができ、これによって遠くにあるものが複数以上みえるようになるみたいです。

沈む太陽が二つ見える、というのは何か「ラッキー」なかんじしますよね。きっとどこかの星では太陽が二つあって、それが別々に沈むのが見えたりもするのでしょうが、それもきっと幻想的な景色でしょう。

ちなみに、火星の夕日は地球の夕日とまた違う意味できれいらしいです。火星の大気にはチリが大量に含まれているので、このチリの影響で長い波長の散乱が常に卓越するため、地球とは反対にピンクの空の中を夕日が沈んでいき、その夕日の色はなんと青い!のだそうです。もし生きているうちに火星旅行が日常になったら、こちらもぜひ見てみたいものです。

さて、この夕焼けですが、日本では秋の夕焼けはとりわけ美しいそうです。その理由は秋になると大気がカラッとしてきますから、大気中の水分が少ない、つまり空気が澄んでいるという状態が多くなるためです。

空気が澄んでいればより遠くまで見通せるようになり、夕方にはとくに遠くに沈む太陽との間にある大気層に青い光が吸収されやすくなります。そして、条件が整えば赤っぽい光がそこにあるチリに散乱され、きれいな夕焼けになるというわけ。

また日の長かった夏に比べて、仕事が終わるころにはもう真っ暗になっていることも多い秋ですから、夏に比べて日没をより意識しやすくなるため、夕焼けを目にすることが多くなるともいいます。

この夕焼けは芸術家たちのインスピレーションも掻きたてるようで、歌や文学でも夕日にちなんだものも多いですよね。動揺の「赤とんぼ」や「夕焼小焼」もそうですし、映画の「オールウェイズ三丁目の夕日」なんてのもありました。

フランスの画家、フランソワ・ミレーの「晩鐘」も夕日の中、一日の農作業を終えた夫婦がお祈りをしている場面を描いたものですが、なんともいえない秋の哀愁が表現されていて見ている人の心をゆさぶります。

そういえば北島三郎の「与作」も一日の労働を終えたあとの歌でした。「よさぁくぅ~よ~さぁくぅ~、夕日がぁ泣いている~ ホーホー」でしたっけ。きこりの与作が夕日の中で斧をふるう手を休めて夕日を眺めているのが目に浮かぶようです。昔、会社勤めをしていたころ、仕事が終わるとよくこの歌を口ずさみながら、帰宅していましたっけ。

それにしても、日没や夕焼けをみることができる時間というものは、ものすごく短いものです。昨日我々がみた素晴らしい夕焼け空もクルマを走らせているほんの十数分で終わってしまいました。

しかし、そんな短い時間の自然のショーをうまく町興しに利用している場所もあります。島根県の松江市、宍道湖にある「島根県立美術館」もそのひとつで、ここは「夕日のみえる美術館」として有名です。

この美術館では、ロビーの西側をすべてガラス張りにし、夕日観賞のために一般開放しています。普通、美術館といえば夕方5時くらいには閉まってしまいますが、ここは夕日が沈むまで館内に入ることができます。

美術館の外の湖畔側にはたくさんのオブジェが展示され、夕日とともにこれを写真撮影するには絶好のロケーションであり、また館内の2階の展望テラスと1階のロビーから見る夕日は素晴らしいそうです。

宍道湖を一望できるこの場所からは、日中でも刻々と移り変わる宍道湖の表情が楽しめますが、夕方になるととくに美しい夕陽がロビーを黄金色に染め上げるとか。

家内のタエさんが松江生まれなので、私も行ったことがあってもよさそうなものですが、残念ながらまだ行ったことがありません。ぜひ行く機会を作りたいものです。

この島根県立美術館は、「日本の夕日百選」にも指定されているそうです。

この「夕日百選」ですが、「特定非営利活動法人日本列島夕陽と朝日の郷づくり協会」というNPO法人が選定しているそうで、どんな活動をしているのかなと思ったら、全国各地の夕日がきれいな場所の旅館やホテルとタイアップして、その旅館などがある場所の町興しに関与している団体さんみたいです。

我が伊豆では、どこが百選になっているのかなと、調べてみると西伊豆町の「大田子浜海岸」と「堂ヶ島海岸」だそうで、私はまだどちらも行ったことがありません。ぜひ行かねば。

ちなみに私の郷里の山口では、萩市の「笠山」と「菊ヶ浜」、山陽小野田市の「きららビーチ焼野」と「竜王山公園」だそうです。私にはなるほどとうなずける場所で、とくに後者のきららビーチ焼野と竜王山公園は、瀬戸内海に浮かぶ島々の中を行き交う船を見ながら夕日を見ることができるというロマンチックなシチュエーションで、素晴らしいものです。

山口に行く機会がある方、ぜひ訪れてみてください。

さて今日も上天気です。運がよければきれいな夕焼けがみれるかもしれません。今日もし出かけるとしたらカメラを絶対忘れないようにしましょう。みなさんも秋の日には、カメラを常時携帯することをお勧めします。そして良い写真が撮れたらぜひ教えてください。

ちなみに俳句においては、「夕焼け」は「朝焼け」とともに夏の季語だそうで、秋の夕暮れを詠むときは「秋の夕焼け」という特別な季語を使うそうです。

俳句ではありませんが、最後に、清少納言が「枕草子」の中で夕日を詠んだ文章を引用して今日は終わりにしたいと思います。

「秋は夕暮れ 夕日のさして山の端いとちかうなりたるに、からすのねどころへ行くとて三つ四つ、二つ三つなど飛びいそぐさへあはれなり」