「今日は何の日?」というテーマを売りにしたサイトがたくさんあります。そうしたサイトに今日は「お見合い記念日」と書いてあるのを見て、当ブログの今日のテーマもお見合いだな?とにらんでいた方、当たりです。
その昔、若いころに、渡辺昇一さんの「知的生活の方法」という本を読みましたが、この中に「リソースフル」な人間になるための方法が書かれていたように記憶しています。
リソースフルとは、発想力豊か、というほどの意味だったと思いますが、最近、このリソースフルに焼きが回ったのか、ブログを書くにあたってもなかなか良い発想が出ず、ついついこういうサイトを見てしまいます。もう一度渡辺さんの本を読み返して、「リソースフル」を取り戻す努力が必要なのでしょう。
さて、とはいえ、せっかく見つけた面白そうなテーマなので、今日のお話は「結婚」にまつわるお話としましょう。
まずは、今日がなぜ「お見合いの日」なのかというと、1947年(昭和22年)の今日、結婚紹介記事を主に扱う「希望」という雑誌を出していた出版社が、東京の多摩川の河畔で集団お見合いを開催したことを記念したことにちなんでいるそうです。
戦後間もないころのことであり、戦争に私生活を蹂躙されたために婚期を逃した20~50歳の男女386人が参加してお見合いを行ったのだとか。お見合いの結果がどうであったのかよくわかりませんが、現在と比べるとかなりの高率での結婚成立に至ったのではないかと推察されます。
ちなみに、私の父も戦争にとられ、シベリアに抑留された後に帰国し、旧建設省でダムの仕事をしていたころの山口県で母とお見合いをして結婚しています。このころは、そういう若いカップルをみつけては結婚させる、おせっかいなおじさんおばさんが結構いたようで、私の父もその当時住んでいた官舎近くの村の誰かと懇意になり、そこから来たお見合いの話に乗ったようです。
確か昭和25年ころのことだったと思いますが、このころの日本の平均初婚年齢は男性が26才、女性が23才くらいだったようです。
その後平成に入るまでは、だいたい男性が26~28才、女性も23~26才くらいまでには結婚していたようですが、平成に入ってからはだんだんと初婚年齢があがり、平成22年の段階では男性の平均が30.5才、女性が28.8才となるなど、もうじき男女とも初婚年齢が30才を超えようかという勢いです。
先進国の中では、日本は結婚率の高い国のひとつだそうで、正式婚の数は、1978年以降、平成16年に至るまで年間70万件台を維持しているということですが、未婚率は年々上昇しており、30代前半で未婚の男性の割合は1960年の9.9%から2005年には47.1%まで上昇しているとのこと。
生涯未婚率も上昇しており、2010年時点で男性19.4%、女性9.8%となり、男性の5人に一人、女性の10人に一人は一生結婚しないという時代になりました。
ちなみに婚外子、つまり結婚していないシングルマザー、シングルファザーの子供の数は全体の2%程度だそうで、フランスなどのように半数以上が結婚せずに子供を産んでいる国に比べればかなり低率のようですが、これも年々増加しつつあるのだそうです。
結婚しない理由
このように、平均結婚年齢が年々上昇し、未婚率が上昇して非婚化・晩婚化が進んでいる要因については、いろいろな原因が取沙汰されています。
一般的には女性の高学歴化や社会進出が言われ、女性が自身で相当程度の収入を得られる社会になり、「結婚しないと生きていけない」というような状況ではなくなったことが原因とされます。
また、不況などの影響もあって、結婚して子供ができたらその育児が困難になる、という理由や、「どうしても結婚しなければならない」という社会通念が希薄化しているのではないかという指摘もあり、女性の社会的身分が男性と肩を並べるようになったことも、結婚への意欲を削ぐ原因になっているのではないかといわれています。
働く女性にとっては、「出産」は大きな負担であり、一時的なリタイヤのあと、再び復帰できるのかを心配する向きも多いのではないでしょうか。
ジャーナリストで、ライターの「白河桃子」さんという方がいらっしゃいますが、女性たちの年代別ライフスタイル、未婚、晩婚、少子化などをテーマに執筆活動を続けられておられます。
「婚活時代」という本を旦那さんである現中央大学教授の山田昌弘と共に書かれ、この中で使われた「婚活」という言葉は、2008年度に続き、2009年度も新語・流行語大賞にノミネートされ、社会に影響力を持つワードとして注目されました。
旦那さんの山田さんのほうも、成人後や学卒後も親と同居し続ける未婚者のことを「パラサイト・シングル」と命名するなど何かと最近話題になることの多いご夫婦です。
この白河さんは、「婚活アドバイザー」を自称していらっしゃって、そうした活動の中でいくつもの婚期を遅くしてしまった男女の例を見てきた結果、近年なぜ結婚が晩婚化しているのか、なぜ結婚しないのかについて、以下のように分析しておられます(筆者要約)。
○女性の視点から見て、男性と同居することの魅力の減少(男性の収入の不安定化)
男性の場合、収入が低くて将来の見通しが不安定だと、結婚率が低くなります。結婚を安定させるだけの収入がないのに、結婚どころではありませんし、まして子育てができるような見込みも立ちません。
1990年頃までは、男性は年功序列制度により、収入が低くても将来収入が増える見通しがありましたが、1990年代に入り、ニューエコノミーへの転換やグローバル化という大きな社会変化がありました。これにより、正社員や一部の専門職とは別に、パートやアルバイト、派遣社員などの非正規社員・周辺的正社員などが必要な状況へ社会構造が変わっていきました。
この結果男性の収入は全体的に低くなり、将来の見通しがたたない不安定な状態になっていき、女性からは結婚相手として魅力に欠ける相手と映るようになっていったというわけです。ただし、女性の場合は、年収はそれほどなくても結婚はできると考える人が多いためか、収入と結婚率の間には相関関係はみられないといいます。
○男性の視点から見て、女性と同居することの魅力が減少
一方では、男性で正社員の職についていて収入が良くても、男性自身が結婚しない、結婚したがらない人も増えており、結婚に特にメリットを感じない、女性と暮らすことにあまりメリットが感じられない、と考えている男性も増えているといいます。
現代では、家庭で自炊をしなくとも外食産業や中食(コンビニ等)などが発達し、家事においても洗濯機や調理器具などの便利な家電製品が数多くあり、女性に頼らなくても、男性だけで十分に快適な生活が成り立ちます。独身男性の視点から見て、女性と同居することのメリットが減少しているというわけです。
○社会的圧力の減少
かつての日本には、「結婚して一人前」とする周囲からの社会的な圧力がありました。たとえば、「結婚しないと出世が遅くなる」というのは多くの企業であたりまえであり、独身をつらぬこうとするだけで勇気が必要であったといいます。
これは、扶養義務を持たない「身軽な」人間を要職に就けることに企業経営者が抵抗を感じていたためであり、結婚適齢年齢までに結婚することを「義務」とするような社会的な風潮があったためです。若手女性社員は男性社員のお見合い要員と見なされるような風潮もあり、企業が結婚相手を世話することも多く、結婚は企業が従業員を統制する手段でもありました。
しかし現代では、男性はそのような社会的な圧力は受けることは少なく、企業からの結婚話の斡旋は逆にセクハラやパワハラの問題となる可能性もあり、仮にそういった申し出が会社の上司からあったとしても、とくに男性の場合、女性よりも収入は良いことが多いため、いくらでも結婚の回避や先延ばしが安易になってきています。
○社内恋愛、社内結婚、お見合いなどの機会の減少
従来、社内恋愛は大切な出会いの場でしたが、近年は就職氷河期が続き、女性社員も採用が減り、インフォーマルな付き合いとはいえ、社内恋愛も減ってきました。若い男女が社内でふれあう機会の減少に伴い、社内結婚も減少しました。
同時に前述のように社会的な圧力が減り、知人などから勧められて「お見合い」の席に着く人も減ったため、結婚相手としての異性と巡り合うきっかけも減ったことが結婚率の低下につながったと考えられます。
○女性の専業主婦志望と男性の共稼ぎ希望との齟齬
「女性も収入をもたらして欲しい」という望みを抱く男性も以外に増えていることに女性が気づいていなかったり、応えようとしていないことも考えられます。白河氏独自の調査では、女性が専業主婦を希望していることを嫌がる男性も統計的に増えてきているそうで、結婚後も、女性が労働し、収入を家庭にもたらして欲しいと考える男性が増えているといいます。
白河氏による2005年の調査では、66%ほどの男性が、女性にも収入をもたらして欲しい、と思っており、女性に専業主婦になって欲しいと望んでいる男性はわずか12%にすぎないという結果が出ました。
ただし、女性に年収800万だの1000万円という高収入ではなく、手堅く仕事をして数百万円程度を稼いでくれることを男性は期待しているようです。近年の不況下では、ひとりの人間が収入を100万円増やすことも至難であるので、女性の稼ぎの有無で、一家の生活状況は大きく変わるというわけです。
……いかがでしょうか。未婚のあなた、結婚しない理由として心当たりのある原因があったでしょうか。私も白川さんのご意見にはだいたい賛成ですが、とくに「社会的な圧力の減少」というのはインパクトが大きいように思います。
こういう考え方は時代錯誤だ、といわれてしまうかもしれませんが、企業のみならず、一般的にも結婚を社会の一員となるための「義務」というふうにとらえる風潮は全くなくなっており、私はこのことが最大の原因のように思います。
まさか結婚を法制化するなんてことはできないにせよ、結婚することによって経済的なことや育児の面でいろんなメリットが出てくるような法律を造り、社会的にみても若い人の結婚を後押しをするようにすることが促すことが、少子高齢化が進む日本では必要なことではないでしょうか。
離婚率の上昇
しかし、我が国ではせっかく結婚しても、離婚する人も増えているといいます。は平成元年から平成15年にかけて連続して増加しているそうで、平成18年の離婚件数は約25万件、「人口千人あたりの、一年間の離婚件数」、すなわち「離婚率」は平成17年で2.08件ということです。
離婚率が3.39であった明治時代に比べればかなり減っていますが、これは、明治時代の女性は処女性よりも労働力として評価されており、再婚についての違和感がほとんどなく、嫁の追い出し・逃げ出し離婚も多かったことや、離婚することを恥とも残念とも思わない人が多かったことが理由とされています。
1000件のうちの、2.08件というと少なそうにみえますが、これは、厚生労働省の統計による「その年1年間の離婚率」にすぎません。全国の「その年の離婚件数」を全国の「その年の新規婚姻件数」で割ると、マスコミなどでよく言われているように「3組に1組が離婚」となり、この比率は「生涯のどこかで離婚する割合」にかなり近くなるといいます。
また、厚生労働省「平成21年 人口動態統計」をみると過去40年間の婚姻数が3202万人、であり、同じく30年間の離婚数が748万人となっており、この数字をもとにすると離婚率は23%となり、このデータの中にはもっとも婚姻数が多い1970年代のデータが含まれているにもかかわらず「4組に1組が離婚」という衝撃的な数字になっています。
こうした離婚の原因ですが、法務省が整理した「司法統計」によれば、離婚の申し立てにおいて、夫からの申し立て理由で最も多かったものは「性格の不一致」であり、これに次いで「異性関係」、「異常性格」の順が多いのだそうです。
また女性からの申し立て理由だけを取り上げると、その一番はやはり「性格の不一致」ですが、これに次いで、「暴力をふるう」、「異性関係」の順が多くなっており、DV(ドメスティックバイオレンス)が増加している社会風潮がこのデータからも見て取れます。
離婚の子供への影響
ところが、離婚について、どう思うか、という調査をしたところ、意外なことに離婚に対しては罪悪感を感じている人が多いようです。
内閣府が平成19年に行った「男女共同参画社会に関する世論調査」によると、「相手に満足できないときは離婚すればよいか」との質問に対して、賛成派(「賛成」と「どちらかと言えば賛成」の合計)は46.5%にとどまったのに対して、反対派(「反対」「どちらかといえば反対」の合計)は47.5%となり、賛成派を上回りました。
この調査は毎年行われており、反対派が賛成派を上回るという結果が出たのは23年ぶりだそうで、賛成派は1997年に行われたときの54.2%をピークに毎回減り続けており、一昔前に比べると、離婚をあまりよくないことだと考えている人が多くなってきているようです。
その理由についてはいろいろ取沙汰されているようですが、やはり原因として一番大きなものは、夫婦の間に子供がいた場合、離婚が子供に与える影響をおもんばかってのことではないかと考えられます。
かつて、離婚は子供に何の影響も与えないと考えられていましたが、アメリカの心理学者ジュディス・ウォーラースタインは、親が離婚した子供を長期に追跡調査して、子供達は大きな精神的な打撃を受けていることを見出したといいます。
子供達は、両方の親から見捨てられる不安を持ち、学業成績が悪く、成人してからの社会的地位も低く、自分の結婚も失敗に終わりやすいなどの影響があったといい、これはアメリカの研究結果ですが、こうした研究結果を日本の離婚予備軍も目にすることが多くなったと考えられます。
バージニア大学のヘザーリントン教授が1993年に行った実証的研究では、両親がそろっている子どものうち、精神的に問題が無い子どもは90%であり、治療を要するような精神的なトラブルを抱えている子どもは10%であるのに対して、両親が離婚した子どもではトラブルを持っている子供の比率は25%という高率でした。
このほかにも離婚が子どもに悪影響を及ぼすことについて、スウェーデンやイギリスなどの多くの国で大規模な追跡調査が行われた結果、悪影響が実際に存在することが確認されたそうで、親の離婚によって「壊れていく」子どもたちの症例が多数報告されたそうです。
逆に、子供から引き離された片親が精神的なダメージを受ける「片親引き離し症候群(PAS)」という病気まであるそうで、離婚によって子供から引き離される親の心理的なダメージも相当なものと考えられます。
ケンブリッジ大のミッシェル・ラム教授は、離婚が子どもの成育にマイナスの影響を及ぼす要因として、次の5つを挙げています。
① 非同居親と子どもとの親子関係が薄れること
② 子どもの経済状況が悪化すること
③ 母親の労働時間が増えること
④ 両親の間で争いが続くこと
⑤ 単独の養育にストレスがかかること
ラム教授によれば、子どもの健全な発育には、父親の果たす役割はかなり大きいそうで、こうした調査結果などを踏まえて、欧米各国では、1980年代から1990年代にかけて家族法の改正が行われ、子どもの利益が守られるようになったといいます。
日本も批准した「子どもの権利条約」では、その対策として、①子供の処遇を決めるに際しては、年齢に応じて子供の意見を聞くこと、②別居が始まれば両親との接触を維持すること、を求めているそうです。ところが一方、子供の側からみた「子どもの権利」は、日本では裁判規範とはされず、裁判所によって無視されているそうで、国際機関から再三勧告を受けているといいます。
「子供の権利」とは、「両方の実の親との関係を維持する権利」であり、それだけでなく、「基本的な食事の必要を満たし、国家がお金を出す普遍的な教育を受け、体のケアを受け、子供の年齢と発達の度合いから見て適切な刑事法の適用を受け、人間としての独自性を発揮する権利」まで含まれています。
このほかにも、子供が虐待から身体的にも精神的にも感情的にも自由になることを援助することまで含まれており、こうした主旨の権利の主張が子供側からあった場合でも裁判所がこれを無視できる国というのは、先進国とはいえないのではないでしょうか。
父親と母親が争って相手を非難しあっているとき、きっと子供自身もまるで自分が非難されているように感じていることでしょう。
傷つき引き裂かれるであろう子供の心を思いやり、たとえ離婚がやむを得ないとしても、子どもの利益を最優先し、離婚後もきちんとコミュニケーションを行って、協力して子どもを育てていく、というのが全世界ルールとなっています。
先進国では、離婚手続きの一環として、育児計画の提出を要求されることが多いといいます。離婚時に詳細な育児計画を決めておけば、その後の多くの争いを予防できるためであり、日本でもこうした制度を取り入れていくべきだと思います。
負け犬の遠吠え?
さて、とはいえ、離婚はまず結婚しなければできないもの。世にはまだまだたくさんの独身者がいます。
前述の白河桃子さんは、近年の女性の結婚観が、従来通り結婚への願望は抱きつつもDVをはたらくなどのダメな男性をできるだけ避けたいというふうに変化している、と指摘されています。
そして、こうしたダメな男を避け、たくましく一人で生きていこうとする女性たちをむしろ応援したいとする女性活動家も増えています。
「だめんず・うぉーかー」などを書いた漫画家の倉田真由美さんなどもその一人です。28歳で結婚し、一子となる男児を出産後に離婚し、さらに自らの連載上で未婚のまま第二子を妊娠していることを発表されるなど、いろいろマスコミをにぎわせている方ですが、シングルマザーとしてのその生活を明るく笑い飛ばし、多くの独身女性の支持を得ています。
また、エッセイストの酒井順子さんも未婚女性を応援しています。2003年(平成15年)に出版したエッセイ集 「負け犬の遠吠え」において、30歳代超・子供を持たない未婚女性を指してこう表現する事で逆説的にエールを送り、この「負け犬の遠吠え」は2004年度流行語大賞のトップテン入りも果たしました。
日本では、結婚・子育てこそ女の幸せとする価値観が根強い一方、結婚よりも仕事、家庭よりもやりがいを求めて職業を全うする女性が増加の一途を辿っています。
この結果、気が付いた時には「浮いた話の一つもない30代」という女性が、昔ならば「ダメ女」の烙印を押されるところが、現在では相応の社会的地位を得て安定した生活を送っています。酒井さんは、こうした女性を半ば自嘲的に「負け犬」と自称し、この「開き直り」の姿勢がまた若い未婚女性に大いに受けました。
職場では相応の地位を獲得しながらも結婚できないというジレンマに陥り、それでもそうした人生を悲観することなく明るく生きていく……それでホントにいいのかぁ?と問いたくもなります。
しかし、近年では主夫の増加など、女性だけでなく、男性の社会における役割も変化してきている時代であり、伝統的な価値観だけに縛られて生きる必要性もまたありません。
現在、スウェーデンでは56%の人が未婚のまま出産するか、あるいはその多くはそのまま生涯未婚を通すそうです。フランスでも半数以上が未婚のまま出産を行っているとのことで、こうして生まれた「婚外子」は年々増加しつつあるのだそうです。
こうした中で結婚しなくても夫婦と同等の権利になれる制度が法的に定められているからではありますが、案外とこうした社会形態が今後の日本にも定着する未来形なのかも。
別々に暮らしてはいても、夫婦として子育ての責務はきちんと全うし、子育てが終わった後のちに、本当に愛し合い一生連れ添いたいとお互い思った場合のみ結婚を行うという考え方もあってもよいと思います。
あるいは我々が死ぬころにはそれが日本社会一般の常識になっているのかもしれません。一生連れ添いたいと願っていても、その日までどちらとも元気でいるとは限りませんが……