紅葉、落葉そして進化……

紅葉の季節になりました。といっても、まだまだ始まったばかりであり、ここ修善寺の紅葉も観光協会さんのHPを見る限りでは、その見ごろは11月下旬から12月上旬ぐらいみたいです。一般的には紅葉が始まってから完了するまでは約1か月かかるそうで、一番の見頃は始まってから20〜25日ごろということです。

修善寺には紅葉の見どころがたくさんあるようで、修善寺温泉街の紅葉もさることながら、弘法大師が修業をしたという奥の院や、修善寺自然公園、そして修善寺虹の郷などがあるようですが、観光客の方も知らないような場所がまだまだあるかも。

これから季節が進んでさらにきれいになったこれらの紅葉をまた見に行って、レポートしたいと思います。

ところで紅葉といえば、一般には落葉樹のものですが、常緑樹にも紅葉するものがあるそうです。しかし、落葉樹と同じ季節に紅葉とするとは限らず、時期がそろわないため目立たないことのほうが多いようです。

ホルトノキという常緑時は、常に少数の葉が赤く色づくので紅葉とわかるそうですが、このほかにも秋になると紅葉する草や低木の常緑樹もあって、これらのものをひっくるめて「草紅葉(くさもみじ)」と呼ぶこともあるようです。

とはいえやはり我々が目にすることが多いのは、落葉樹の紅葉です。しかし、この落葉樹も同じ種類の木であっても、生育条件や個体差によって、赤くなったり黄色くなったり、その色の変化は千差万別です。

また一本の木でも紅葉の色が違う部分があり、我が家の庭に植えたトウカエデという種類は、秋だけでなく他の季節でもいろいろ色が変わるだけでなく、同じ木なのに部分部分で紅葉の色が違ったりします。

それにしてもなぜ秋になったら、木々の葉っぱは色づくのでしょう。また、なんで秋になると落葉がおこるのでしょう。気になったので色々調べてみました。

紅葉のメカニズム

……その結果、紅葉の理由は諸説あって、なぜ秋になると色づくかについてはどれも定説といわれるものはまだないのだそうです。落葉については、後述しますが、秋から冬にかけての厳しい気候に対応するための植物の反応です。

紅葉も落葉も「化学的なメカニズム」は明らかになっていて、紅葉は葉っぱに含まれている、「クロロフィル」の減少がその主な原因です。「葉緑素」ともいい、光合成をすることで空気中の二酸化炭素から炭水化物を合成して葉っぱ内に貯めこむ、というお話は小学生でも知っています。

で、このクロロフィルですが、秋になり、寒くなって日照時間が短くなると葉っぱの内部で分解されやすくなります。またこういう季節になると、葉っぱの付け根の茎との境に「離層」という特殊な水分を通しにくい組織ができ、この離層ができることによって、葉っぱには糖分(水溶性のブドウ糖や蔗糖などの糖類)やアミノ酸類が蓄積されるようになります。

落葉がおこる前、離層の形成のため葉っぱに溜められるようになった糖分やアミノ酸類で造られた「酵素」はクロロフィルの代わりに光合成を行うようになります。その結果として葉っぱの中に新たな「色素」が作られ、その過程で葉の色が赤や黄色に変化し、紅葉になるのです。

紅葉の色が、赤かったり黄色だったり、褐色だったりするその違いは、それぞれの酵素を作り出すまでの気温、水湿、紫外線などの自然条件の作用によってできる酵素系の違いとその量の違いによるものです。

酵素は光合成によっていろいろな色素を作り出しますが、例えば赤色は、主に酵素から作り出される色素「アントシアン」に由来するもので、これはブドウ糖や蔗糖と、紫外線の影響で発生します。

一方、黄色は色素「カロテノイド」によるもので、これは若葉ができるころから既に葉っぱに含まれていますが、秋になってクロロフィルが分解することによって、より目立つようになるものです

褐色の場合も、原理は黄色の場合と同じですが、カロテノイドよりも「タンニン」性の物質や、それが複雑に酸化重合した「フロバフェン」と総称される褐色物質の蓄積が目立つケースです。

黄葉や褐葉の色素成分は量の多少はありますが、いずれも紅葉する前の新緑のころから葉っぱに含まれており、本来は紅葉になるべきものですが、アントシアンの生成が少なかった場合には黄色や褐葉になるのです。

落葉のメカニズム

さて、次は落葉です。秋になると葉っぱと茎の間に「離層」という植物細胞が変化したものが生成されるということは前述のとおりです。

この離層は、色素のカロテノイドと同様に、初夏から盛夏の深緑のころの葉っぱが盛んに生長する時期に作られはじめます。そして、この離層こそが葉っぱと茎が離れやすくするための装置であり、植物はこれを秋までに用意することで落葉に備えるのです。

「離層」は、細胞は葉っぱで作られる植物ホルモンの一種で、「オーキシン」という物質に敏感です。オーキシンは植物の生長を促す植物ホルモンで、春から夏の間にはたくさん作られて茎のほうに送られていますが、これが秋になると寒くなったり日が短くなったりといった季節的条件の変化がストレスになって、その供給量が減ります。

葉からのオーキシンが減ると、「離層」の細胞はれを敏感にキャッチし、その形が「間延び」したようになり、この間延びした部分にはここから樹液が漏れないように「コルク質」が充填されていきます。

ご存知の通り、コルクはもろくて手で揉むとパラパラになりますよね。葉っぱと茎の間の離層が間延びし、ここにコルクが貯めこまれるようになると、やがて葉っぱの重さを支えられなくなり、ぽっきり折れて落葉がおこるというわけです。

植物の葉っぱというものは、本来は低温、特に凍結に弱く、また「気孔」といって二酸化炭素を取り込み、酸素を放出する「穴」があるため乾燥にも弱いものです。低温や凍結によって気孔を収縮されたりふさがれたりといったストレスは、葉っぱ内のオーキシンの製造量を減らす原因となります。

この結果として、日本のような温帯・亜寒帯のような秋になって温度が低くなる地域では、落葉する植物も多いわけです。

しかし問題は、なぜ木々は秋になると葉っぱを落とすのか、です。

その答えは、低温または乾燥という厳しい環境条件に耐えるために、そうした環境に弱い葉っぱを落として「休眠」に入るためです。一般的には寒くなるために休眠するわけですが、こうした正常な理由による落葉のほかに、周辺環境が塩害にあったり、極端な虫害が生じた場合にもその防御反応として落葉が起こる場合もあります。

よく秋でもないのに葉っぱが黄色くなったり赤くなったりして葉っぱが落ちてしまうのをみかけますが、それはその植物が何かの病気にかかっているか、何等かの環境変化を受けてストレスを感じているからと考えて間違いありません。

本来葉っぱそのものは、大きくて薄い方が効率はよいといいます。薄いほうがたくさんの葉っぱを蓄えることができ、大きいほうがたくさんの光合成をおこなうことができるためです。

大きくて薄い葉っぱは、熱帯雨林などの植物にたくさん見られます。しかしこうした熱帯植物は乾期や寒冷期など不適な季節に対応できません。これを耐えるためには、葉っぱを小さくし、厚くするというのがひとつの方法ですが、温帯地方に多く見られる「常緑樹」は熱帯より涼しい温帯の環境変化に対応するよう進化した植物です。

一方、落葉樹は、温帯よりもさらに厳しい寒さとなる地方において、葉っぱを小さくして厚くしたものの、それだけでは秋から冬にかけての寒さに耐えられなくなり、葉っぱを維持することをあきらめた植物です。

常緑樹の葉っぱは樹種にもよりますが、普通は数年の寿命があります。これに対し、落葉樹は、そんなおんなじ葉っぱを何年も持っていられるかい!そんなの捨てちまって、冬の間の数か月だけ死んだふりしてりゃあいいじゃん、ということで、葉っぱを「使い捨てる」道を選んだというわけです。

もったいないかんじはしますが、逆にいえば、自分の好みの時期だけ葉っぱを維持すればいいわけで効率的といえます。このため温帯から亜寒帯の地域では、秋になって葉っぱを落としやいよう、常緑樹よりも大きくて薄い葉っぱを持つ落葉樹のほうがだんだんと増えていきました。

ちなみに、サクラや梅も落葉樹ですが、秋までには葉っぱをすべて落とし、この様態で春先のまだ寒い季節に花を咲かせます。

これは、こうした季節での開花には低温や乾燥によるリスクが伴うものの、春先には虫が飛来してくることも多くなることから、花粉を運んでくれる昆虫に自分の花を見つけてもらいやすくするためです。まだ葉っぱがなく目立ちやすい時期に花をつけるほうが昆虫は花を発見しやすいのです。

こういう花を「虫媒花」といいますが、「風媒花」というのもあり、これは葉っぱを落として風通しがよくなるために、この時期に花を咲かせ、風によって花粉を飛ばしやすくなることで受粉効率がよくなる花です。

虫媒花、風媒花のいずれも葉っぱを落とす時期に咲き誇ることでより確実に種が保存されることを目指した植物であり、このため、他の落葉樹よりも早々と葉っぱを散らしていきます。桜の葉っぱがまだ秋になるかならないころから色づいて、他の落葉樹に先だって散ってしまうのはこのためです。つくづく、うまくできているもんだなーと感心してしまいます。

紅葉と進化

紅葉と落葉のメカニズムについては、だいたい以上のとおりです。しかし、そもそも木々はなぜ紅葉するのか、についてはまだはっきりとした科学的な説明の定番といえるものはないのだそうです。

ご存知のとおり、植物も人類他の動物と同様に、長い時間をかけて進化してきました。その進化の過程において、「紅葉」の進化的要因や進化的機能については、これまでは普通に葉っぱの「老化現象」にともなう「副作用」であると説明されてきており、あまり研究の対象にはなってこなかったといいます。

ところが、イギリスのウィリアム・ドナルド・ハミルトンという生物学者が、1999年(平成11年)に北半球の262の紅葉植物とそれに寄生するアブラムシ類の関係が調べたところ、紅葉色が鮮やかであるほどアブラムシの寄生が少ないという事実を発見しました。

前述のように紅葉の原因は、アントシアンやカロテノイドなどが葉っぱの内部で合成されるためですが、このためには光合成などの大きなコストがかかる一方で、特段、紅葉すること自体が直接害虫への耐性を高めるわけではありません。

ところが、アブラムシは樹木の選り好みが強い昆虫で、長い間の研究で一部の種は色の好みもあることがわかってきました。こうした研究結果からハミルトン博士は、植物の紅葉は自分の免疫力を誇示する「ハンディキャップ信号」として進化してきたのではないか、と考えました。

つまり、赤や黄色に変色する木々は、「十分なアントシアンやカロテノイドを合成できる俺様は、耐性が強いのだから、寄生しても繁殖することはできないぞ」と呼びかけているとみなせる、というのです。

ハンディキャップとは、そもそもスポーツやゲーム等において競技者間の実力差が大きい場合に、その差を調整するために事前に設けられる設定のことですが、競技に限らず様々な競争的な場での立場を不利にする条件を指す言葉として用いられます。

そもそもは弱い立場にある場合に、他の強い者に対抗するために与えられるアドバンテージのことですが、ハミルトン博士は植物の紅葉も一種のハンディキャップではないかと考えたのです。

前述の例えでは、植物は「耐性が強いのだから、寄生しても繁殖することはできないぞ」と強がっていると書きましたが、これは「僕はもともとアブラムシ君たちよりもずっと弱い立場にあるんだよ。だから、秋になったら君たちに食べられないよう、ハンディキャップとして君たちの嫌いなアントシアンやカロテノイドを合成させてもらうよ。」というふうに主張しているとも解釈できます。

つまり、ハンディキャップ信号というのは、危害を加えるものに対して自分がその対抗手段として何等かの「ハンディキャップ」を持っていることをアピールするための「信号」というわけです。

植物の場合、アブラムシなどの動物に対して自らが弱い立場にあることを示すハンディキャップが「紅葉」ではないかとするこの説は、実はこれより前から動物に関しても研究されていました。その典型的な例として挙げられるものにガゼル(アフリカなどに棲むウシ科の動物。鹿に似ている)の跳びはね行動(ストッティング)に関する研究というのがあります。

ガゼルは、捕食者であるライオンやチータによって狙われていることを悟ると、最初のうちはゆっくり走って逃げはじめますが、その途中で突然急に高く跳びはねるといいます。

一般的にみれば、より捕食者に見つかりやすくなるこの行動は、動物学者にとっては不可解な行動であり、なぜそんな行動に出るのかというのは長いこと議論の対象になっていたそうです。しかし、多くの学者は、その行動は他のガゼルにチータの存在を知らせているのだろうと説明づけていました。

ところが、1975年にイスラエル人の生物学者でアモツ・ザハヴィという人が、このガゼルの行動は、他の仲間より自分が健康で調子が良い個体であるということを捕食者に示し、捕食者がそれを追うことを避けなければならないようにするために行なっているのではないかと主張したのです。

つまり、健康な個体であるガゼルは、捕食者であるチータに、「俺はこんなにも元気なんだから、追っかけたって、最終的にはあんたの苦労は実を結ぶことのないよ。追跡はムダだぜ。」と知らせており、捕食者に対して、無駄なエネルギーを避けたほうがいいよ、とアピールするために、わざと高く跳ねるという行動に出たのではないか、というのです。

この結果、捕食者であるチータは、ガゼルの行動から健康か健康でないかという情報を得ることができ、捕獲する前にその難易度を図ることができるため、逆に調子の良いガゼルは追わないといいます。そして実際に、チータはストッティングを行わずすぐに逃げ出すガゼルのほうを狙うことが多いことが観察されているといいます。

この植物や動物が出す「ハンディキャップ信号」に関する理論は、「ハンディキャップ理論」とも呼ばれていて、ほかにもいろんな研究が始められているそうです。

「羽を広げるクジャク」もオスがメスに自分のエサの確保の能力や肉体能力を誇示しているのではないかと考えられる一方で、羽根を広げれば他の肉食系の動物に目立つ行為になることから、ハンディキャップ信号の一種ではないか、それを積極的に示すことが直接自己の生存や繁殖の何等かの利益になるのではないか、という研究がされているそうです。

オスがメスに自分のエサの確保の能力や肉体能力を誇示しているのではないかという考え方は、指標説(優良遺伝子説)というそうですが、これはクジャクのオスは肉体的な能力を誇示するためにその羽のきらびやかさをMAXまでメスにみせているという考え方です。

これに対して、ハンディキャップ理論では、例えば羽根を大きく広げるオスは、寄生生物への耐性があり栄養状態が良いことをメスに知らせているのではないか、と考えるわけです。

別の考え方もできます。「僕は無理をすれば、もっときらびやかな羽を持てるんだよ、でもそんなに無理しすぎると逆に羽根のほうに精力を使い果たしてしまって、「アレ」をするときに元気がなくなるので、この程度にしているんだよ」と他の種よりも「やや小さ目」に羽根を広げて、より生殖機能が高いことをメスにアピールしているといるのではないかという説です。

メスはより大きく羽根を広げるオスよりも、適度な大きさときらびやかさしかみせない、「謙虚な」オスのほうが、「元気なオス」と考えてこちらを選択するのではないか、というわけです。

逆説的な、見方によってはかなりひねくれた考え方ですが、従来通りの観察で物事を解釈するのではなく、別の観点から生物の進化の過程を明らかにしようとするアプローチで、なかなか面白いと思います。

この辺の話は、人間にもあてはまるような気がします。最近は、マッチョで粗暴な男よりも、少し痩せていて体力はなさそうだけれども、頭がよさそうで優しくしてくれる男性のほうを女性は好みます。

実際、こうした研究は、ヒトに関してもなされています。人間は多くの場合、男のほうが女よりも背が高く体格が良いのが通例ですが、これもクジャクと同様に普通に考えれば、男は食べ物の確保の能力や肉体能力を誇示するために女性よりもたくましくなると考えることができます。

しかし、ハンディキャップ理論に即して考えると、例えば、男は酒やタバコといった習慣性薬物を摂取する率が女性より高いといったことや、バンジージャンプのような自らを危険にさらす行動も女性よりも高い比率でやりたがる、といったこともハンディキャップ理論に基づけば、何らかの進化した本能の表現ではないか、と考えるわけです。

ヒトに関するこうした研究に結論が出たわけではなさそうですが、ハンディキャップ理論に基づいたこうした研究が進めば、近い将来、こうした研究から人類の進化に関しては驚くべき発見がなされるようになるかもしれません。

男性が女性よりも大きいのはもしかしたら、精神的には女性よりも繊細でよりか弱い生物であることのハンディキャップなのかもしれません。「僕は君たちより弱いんだよ。だから大切にしてね。」

いずれにせよ、次々と新説が現れるということは、人間はさらに進化しているということにほかならないわけで、このハンディキャップ理論という考え方が出てきたこと自体が人間の進化のあらわれなのかもしれません。

さて、今日は紅葉や落葉の話に端を発しましたが、だんだんと怪しい方向に進みだし、生物の進化の話にまで発展してしまいました。いつもの話ですが反省至極です。明日からは初心に帰って真面目にやろうかな。でもまた脱線するかもしれません。お許しください。