死者の日

今日、11月2日は、カトリック教徒の人たちにとっては、「死者の日」として死者の魂のための祈りを捧げる日とされているようです。古くは「万霊節(ばんれいせつ)」という言い方をしていたようで、これに対するのが「万聖節(ばんせいせつ)」であり、全ての聖人と殉教者を記念する日で近年は「諸聖人の日」と呼ばれています。昨日11月1日はその「諸聖人の日」でした。

私はとくにキリスト教徒でもなく、仏教徒でもないので、特段この日にお祈りを捧げる習慣はありませんが、日本だけで45万人もいるというカトリック信者さんたちにとっては、今日は死者のためにミサを捧げる大切な一日なのでしょう。

「教会暦」というのがあって、これは典礼暦(てんれいれき)ともいわれ、カトリック教会では、伝統的にその一年が待降節(アドベント)から始まり、「王であるキリスト」の祝いで終わるサイクルになっています。この間、主なものだけで20以上の「典礼」が行われ、それらの中には、我々もよく知っている「主の降誕」、つまりクリスマスや、復活祭なども含まれます。

この「死者の日」もそのひとつであり、他の典礼と同様にこの日にカトリック教会では「ミサ」が行われます。他の典礼日には聖書朗読の内容がだいたい規則によって決まっているそうですが、死者の日に関してはとくに固定されておらず、死者のためのミサも自由に選ぶ事ができるそうです。

「レクイエム」というのもミサのひとつであり、これは死者の安息を神に願い捧げられるミサです。本来は死者を弔う儀式全体のことを指したようですが、ミサで用いる聖歌のことを単体で「レクイエム」と呼ぶことも多いようです。

「鎮魂曲」と訳されることがありますが、レクイエム自体には「鎮魂」、つまり魂を鎮めるという意味はなく、単に「葬送」「死を悼む」とかいった単純に「死者を送る」「死を悲しむ」いう意味しかないそうです。

この「死者の日」の由来ですが、かつてカトリック教会ではその教えとして、人間が死んだ後で、罪の清めが必要な霊魂は煉獄(カトリックでいうところの地獄)での清めを受けないと天国にいけないという考え方がありました。

こうした思想はやがて、死者は生きている人間の祈りとミサによってこの清めの期間を短くできるという考え方に変わっていき、「死者の日」を設けることで、その日一日さえ煉獄にいる死者のために祈れば、安らかに天国にいける、と考えられるようになっていったようです。

そもそもカトリックだけでなく、死者のために祈るという発想自体は世界中で古代から存在していましたが、キリスト教においてその歴史の中で死者の日というものを取り入れたのは、11世紀のころといわれています。フランスのブルゴーニュ地方にあるクリュニー修道院の院長で「オド(オディロン)」という人がそれを始めたそうです。

イタリアには、11世紀に国王とともに教会改革を推進した人で、神学者のペトルス・ダミアという人がいましたが、この人はカトリックでは聖人とされており、この人が記した「聖オド伝」には、死者の日について次のようなことが書かれているそうです。

聖地に巡礼に行き、そこから海路を渡って帰ってきたある巡礼者が、嵐に巻き込まれ、ある孤島に打ち上げられました。そこには一人の修道士が住んでおり、その修道士に助けられた巡礼者は、ある日その修道士から島にある岩の中をのぞいてみるように言われました。

その岩のすきまから煉獄の様子がみえるというのです。

言われたとおりに巡礼者が中をのぞきこみましたが、暗くてよくは見えませんでしたが、確かに中からは煉獄で苦しむ人々の声が聞こえるようです。そして修道士は巡礼者に向かって、私は悪魔が「死者のために祈られると死者の魂が早く天国へいってしまうから不愉快だ」とぼやいているのも聞いたことがあると語りました。

この話を聞いた巡礼者は修道士にお礼を言い、そして故郷に帰りその地の聖人として崇められていた「オド」にすぐに会いに行き、その話を伝えました。

その話を聞いたオドは、それ以後死者の霊魂のために祈りを捧げる習慣を始めたということで、その日が11月2日であったことからクリュニー修道院においては、この日を「死者の日」としてミサを捧げるようになったそうです。

そして、やがてこの習慣はクリュニー修道院から系列の修道院へと伝えられ、それがフランス全体に広がり、西欧全体へと広まっていったといいます。

こうして「死者の日」はヨーロッパ各国に浸透していきましたが、宗教改革の時代、イギリスでは、イギリス国教会がこの風習を否定したことから、死者の日は廃止されました。しかし他のヨーロッパ諸国では、プロテスタントが主流の国であっても廃止される事なく継続されました。

ドイツでは、宗教改革の中心人物で神学教授だった「マルティン・ルター」が聖書に根拠のないすべてのキリスト教の伝統行事をすべて廃止しようとしましたが、それでもドイツのザクセン地方の信者たちは、死者の日の習慣を廃止しませんでした。

死者の日は単なる教会暦の祝い日という枠を超えて、人々の文化の中に根付いていたためです。

同様にフランスでも死者の日は廃止されることはなく、現在でもこの日になると墓に飾りをほどこすといい、宗教改革がとくに進んだドイツでもこの日に墓に花を飾る地方が現存しています。

ただ、プロテスタント教会の多くはこの日を「死者の日」とは呼ばず、聖徒の日、諸聖徒日、召天者記念日などと別名にして礼拝を捧げる教会が多いということです。

ところで、この死者の日とハロウィンは何か関係があるのでしょうか。

結論からいうと、全く関係ありません。ハロウィン、あるいはハロウィーン(Halloween)は、ヨーロッパを起源とする「民俗行事」で、毎年10月31日の晩に行われ、そもそも日付が違います。

西ヨーロッパには、その古代に「ペイガニズム」と呼ばれる自然崇拝、多神教の宗教があり、この宗教では「死者の祭り」と「収穫祭」を重視しました。紀元400年ほど前にヨーロッパを席巻したケルト人は「「サウィン祭」というお祭りを行っていたそうで、これがハロウィンの由来ではないかといわれています。

その後、ヨーロッパを中心としてアングロ・サクソン系諸国で、盛大なお祭りとして毎年行われるようになりましたが、今日のようなハロウィンの習俗に落ち着いたのは19世紀後半以降と比較的新しく、とくにヨーロッパからの移民で作られた国アメリカで「非宗教的大衆文化」として広まったものだそうです。

ハロウィンという語感には、なんとなくキリスト教の行事のような響きがありますが、本来キリスト教のような近代的な宗教とは無関係で、どちからといえば古代宗教の色合いの濃い習慣のようです。

ただ、ケルト人は、自然崇拝からケルト系キリスト教を経てカトリックへと改宗していったため、11月1日を諸聖人の日(万聖節)としており、これと古くからの習慣を合わせ、ハロウィンはその前日の10月31日に行うようになったといいます。

そしてこの日は万聖節の「イブ」にあたることから、諸聖人の日の旧称“All Hallows”の前夜“eve”、すなわち、“Hallows-eve”が訛って、Halloweenと呼ばれるようになったということです。

ところで、この「死者の日」は、アメリカの「インディオ」にもその風習が残っているそうです。日本では、「お盆」にお墓の前で飲んだり踊ったりする習慣が、長崎などのごく一部の地方で残っているようですが、インディオでも同じような風習があるそうです。

ただ日本の場合は、各家のご先祖様を迎えるために飲食をするわけですが、インディオの風習では、ご先祖だけでなく、自分にとって関係深い人々を迎える、という思想のようです。そして、数日前からご馳走を準備し、呼びたい人の分だけ揃えるのですが、その時必ず一人前、余分に作るのだそうです。

その理由としては、生きている人間でも誰にも声をかけてもらえないような人がいますが、霊にもどこにも呼ばれない霊があり、自分たちの親しい人の霊を呼べば、その霊がこうした誰にも誘われないような霊を誘って連れてくるためだそうです。

そして自分の親しい人たちの霊にだけご飯を差し上げるのではなく、こうした「身よりのない霊」にも寂しい思いをさせない、ということで一人前余分なごちそうを用意するのだといいます。

生きている我々だって、パーティをやるときには一人誘えばその人が誰かを連れてくることがあります。 二人誘えば四人になることもあり、そうしてパーティは大勢の人で盛り上がります。インディオの世界では、それが生きている人間だけでなく、死後も同じと信じられているわけで、こうした優しい風習が残っていることにはちょっと感動します。

浮かばれない霊の中には自殺をした人とか、他にもあまり良い死に方をしたことがない人の霊も多いといいますが、そうした霊もひっくるめて、みんなお盆のときくらいおいでおいでよ、ご馳走があるよと呼んであげれば、そうした霊の中にはそれで浄化されて解放されるものもあるかもしれません。

そして、自分が死んだあとは、あちらの世界で迷っている霊を誘い、一緒に良い場所へ連れて行ってあげる。どうせいつかは死ぬなら、そういう心の広い霊になりたいではありませんか。