パワーストーン


修善寺の温泉街から駿豆線の修善寺駅方面へ下る途中に、ちょっと変わった名前のバス停があります。その名も「うなり石」。バス停のすぐ隣には大きな石があり、どうやらこれがそのうなり石のようです。どうしてこんなへんな名がついたのだろう、と調べてみたところ、いろいろ諸説があるようです。

ひとつは、裏山から大きな石が転げ落ちてきて、これが転がったときの音が「うなる」程大きかったため、という説です。また、昔はこのあたり一面は原野であり、風の通り道でした。ある日弘法大師が石の傍を通った時にも強い風が吹いており、その風がこの岩に吹きつけ、唸るような音を出したので、大師がこれをうなり石、と名づけられたといいます。

どちらとも物理的な現象に基づいているのでもっともらしい説ですが、弘法大師にまつわる説としては、こんなものもあります。

その昔、このあたり一帯は湿地帯で、うなり石の傍にも沼があったそうです。このため強い風が吹くとこの石がうなりながら揺れ、みずしぶきがあげたため、そこを通りがかる人がたいそう怖がったといいます。その話を聞いた弘法大師が、このうなり石にありがたいお説教をしたところ、石はうなるのをやめ、静かになったとか。

重たい石が水の上で揺れるわけはないので、これはかなり脚色された「民話」だと思いますが、これらのお話からもここ修善寺は昔から風の強いところだったことが想像されます。我々の住む修善寺の裏手の山の上も冬場になると北西からの風が強く吹きつけます。

山の上から落ちてきた石というのも、風の影響で土砂が吹きとばされ、足場の悪くなった石が落ちてきたのかもしれません。

こういう昔話はここだけでなく、伊豆のあちこちにもまた全国各地にもあります。「石」は人間とのかかわりの中では神秘的なものとして扱われてくることが多かった物体です。

最近ではパワーストーンというのが流行っていて、石の中でもとくに宝石にはある種の特殊な力が宿っているに違いないということで、こういうパワーストーンをブレスレッドなどに仕立てて身に着けるのが流行っています。

その火付け役となったのが、2000年代に入ってからのいわゆる「スピリチュアルブーム」であり、このブームの火付け役ともいえる江原啓之さんが著書の中で勧めたことの影響なども大きいようです。

これを受けてスポーツ界や芸能界等の有名人がパワーストーンを身につけるようになり、これをみたそのファンたちもアクセサリーに加工されたいろいろな石を身につけるようになりました。

これらのアクセサリーに使われる石は、研磨前の裸石が販売されることも多く、また、水晶や紫水晶をカットせずにそのまま販売するもの、黄銅鉱のように母岩ごと採集して販売するものなどいろいろな販売形態が生まれ、その昔はただの石にすぎなかったものの多くが付加価値を持った商品に生まれ変わりました。

それぞれの石が持つパワーはそれを持つ人の「波動」と合う者と合わないものがあるといい、その石ごとの「パワー」を風水などの占いによって説明する「専門家」もあらわれ、自分の運気を高めてくれる石を探してこれを身につけることがひとつのブームにまでなりました。

ブームの影響によって価格が高騰している石もあり、そうした石は高値で取引されているようで、ここまでくると、その石の持っているパワーを期待してではなく、単に投機目的のための購入であり、不況とはいえ、ついにこうしたものまでが金儲けの対象か、と嘆かわしくなってしまいます。

そもそも「パワーストーン」という英語はありません。典型的な和製英語です。英語圏では、”Crystal” や ”Gemstone” ということばがよく使われますが、これらはどちらかとおいえば「宝石」という意味合いが強く、日本のようにそれそのものが何等かな不思議な力を持っている石、という意味合いに該当する単語はありません。

しかし、歴史的にみても、古来から様々な民族にのあいだで貴石や宝石には特殊な力があると考えられてきており、「ヒスイ」はマヤ文明やアステカ文明では呪術の道具として用いられており、日本でもヒスイなどの宝石が邪馬台国などの古代文明で何等かの儀式に使われていたことが分かっています。

こうした宝石の力についての考えが1970年代アメリカ合衆国でのヒッピー文化に取り込まれ、石に癒し、つまりヒーリングの力があると解釈されるようになると、いわゆる「ニューエイジ・ムーブメント(ニューエイジ運動)」がおきました。

この運動はアメリカのとくに西海岸を発信源として、1970年代後半から80年代にかけて盛り上がり、その後商業化・ファッション化されることによって一般社会に浸透、現在に至るまで継続しています。

その根源にあるのは、「霊性の復興」であり、物質的な思考のみでなく、超自然的・精神的な思想をもって既存の文明や科学、政治体制などに批判を加え、それらから解放されることを目的とし、真に自由で人間的な生き方を模索しようとする運動でした。

具体的には、瞑想法、前世療法・催眠療法等の心理療法やヨーガや呼吸法、さまざまな整体術等の身体技法、アロマテラピーなどの従来の医学とは異なる方法で超自然現象を解明し、人間の精神世界をを見つめ直そうとする手法が研究されるようになりました。

また、医学においても、近代医学による治療以外の方法で、身体的な痛みや心理的、社会的な苦痛をスピリチュアルな方法により軽減することまでも含めた「ホーリスティック医療」や「心霊治療」などが研究されるようになりました。

さらにこの延長としてチャネリングやリーディングといった方法による「あちらの世界」との対話を通じての癒し、輪廻転生、さまざまな波動系グッズなどについても科学的なアプローチをしようとする科学者が増えました。

こうしたアメリカでの運動は当然のことながら日本にも飛び火し、日本における現在のようなスピリチュアルブームの背景には、1970年代から80年代にかけてのニューエージ運動の流行があります。パワーストーンの流行りもまたその一環といえます。

しかし、日本においてはアメリカでおこったこられのいくつかはいわゆる「オカルト」と呼ばれる領域に属するものとされ、必ずしも本来の正しい意味での浸透はまだ途上にあるといえます。

書店などでもこうしたアプローチは、「宗教」や「精神世界」の書棚の中に置かれており、「スピリチュアル」という名のジャンルの確立はいまひとつの段階です。ひどい場合にはホラーや妖怪、怪奇現象といったジャンルに分類されている場合さえあります。

しかし、こうしたアメリカでブームとなった霊性回帰の運動とは全く関係ないかのように、パワーストーンだけはいわばファッションのように日本社会の中に浸透していき、「石による癒しの力」はこうした不況下にあって疲弊している日本人の心にはより一層届きやすいのでしょうか、これを信じている人もかなり多いようです。

石にはたしてそうしたパワーが本当にあるかどうかという真偽はさておき、石の中でも特に癒しの力が大きいと考えられているのが水晶です。

パワーストーンブームの中で「クリスタルパワー」という言葉が作られ、水晶による癒しの効果が説かれるようになりました。とくに江原啓之さんなどがパワーストーンの中には「鉱物霊」なる神霊が宿っており、とくに水晶には大きな力があることなどを主張されたため、多くの人が水晶を求めるようになりました。

この水晶とは、そもそもは石英(quartz、クォーツ)のことであり、二酸化ケイ素 (SiO2) が結晶してできた鉱物のうち、特に無色透明なものをさします。英語では“rock crystal”と表記され、「クリスタル」といえば水晶のことをさします。日本では古くは玻璃(はり)と呼ばれて、山梨県を中心とした地域で良質のものがたくさん産出され、「宝石」として珍重されてきました。

宝石としての水晶は、何の不純物のない無色透明なものも珍重されますが、不純物を含むことによっていろいろな色となるため、紅玉髄、緑玉髄、瑪瑙、碧玉などと呼んで飾り石とすることも多く、紫色に色づいた水晶はアメジストとして人気があります。同様に黄水晶(シトリン)も人気の高い宝石です。

しかし、このほかにも水晶は工業目的でも多用されており、その代表が時計に使われているのが「クォーツ(水晶の英名)」です。水晶は、代表的な「圧電体」であり、これに圧力が加わると電気が発生します。この発生した電気信号が極めて規則正しくくるいが少ないことから、水晶を「発振器」として利用したのがクォーツ時計です。

また、この原理を利用して、水晶微量天秤 (QCM) と呼ばれる微量質量を正確に測定するための装置の研究が行われているほか、古くはレコードプレーヤーのピックアップにもよく使われていたことを50代より古い世代の方はよくご存知でしょう。

こうした装飾品や工業目的以外にも、水晶は古くから人間の文化に深くかかわってきました。古代マヤ文明やその地域の原住部族においては、透明水晶を「ザストゥン」と呼び、まじない石として大切に扱いました。また、オーストラリア先住民の神話の中では、最も一般的な神の思し召しの物質、「マバン」として分類されています。

日本では、水晶を球状に加工した「水晶玉」が古くから作られ、その起源は明らかではないものの2000年前の遺跡といわれる奈具岡遺跡(京都府京丹後市)では水晶をはじめとする貴石を数珠状にする細工工房があったことがわかっています。この当時既に水晶を球形に加工する技術があったのです。

「水晶玉」の珍重は少なくとも弥生時代中期からにさかのぼる時代から始まっていたものと考えられ、こうした時代のその使用目的は呪術的なものではなかったかと推定されています。

装飾品などとして用いられる以外の水晶玉の呪術的な力については何も証明されているわけではありません。が、いわゆる「占い師」といわれる人々の多くは水晶玉をパワーストーンとして扱ったり、スクライング(scrying、幻視を得る占い)に用います。

古くから絵画などに何らかの意図を持って水晶玉が描かれることもあり、物語の世界においても何等かの力を持った石として登場することも多いようです。

私もこの水晶のパワーを否定するものではありません。しかし、技術者(科学者)としての立場からすると科学的に証明できていないものについて、その効用を第三者に勧めるということもまたあまり気のりしません。

しかし、クォーツが電気を加えることで非常に正確な信号を出すなどの、ほかの鉱物にはない独自な性質を持ち、また他の多くの宝石も独自の周波数を持ち、これと共振震動を起こす惑星や恒星があるという話を聞くと、こうした石には宇宙からもたらされた我々の知りえない何等かのパワーがやはり宿っているのではないかと考えてしまいます。

こうした宝石が醸し出す美しい色は、これを構成する元素同士の織り成す結晶系列が太陽光との結合で生まれるものであることなども考えると、宝石の成因と宇宙成り立ちの間にも何等かの因果関係があるのではないかとも思うのです。

宝石だけでなく、あらゆる物質には波動があるという「波動科学」についてもまだその研究の端緒についたばかりといい、従来の波動力学で説明されてきた波動に加えて「生命エネルギー」のようなものも波動で説明できるのではないかという研究も始められているといいます。

最近の素粒子研究によって宇宙は我々もまだ知らない素粒子で満ち満ちているということがわかっており、これらもまた何か波動のようなものを持っているとすれば、これらまだ解明されていないものどうしがいずれはどこかでつながり、いずれはそこから水晶の持つ本当のパワーが解き明かされるということも将来的にはあるのではないでしょうか。

エドガーケイシーは、他者による催眠状態において第三者からの質問により、主としてアカシックレコード(アカシャ記録)から情報を引き出し、個人の疾患に関する質問に対して、体を神経の状態や各臓器の状態また体の状態なども透かしたように話し病気の治療法などを口述する、いわゆるリーディングによって何千人もの患者を救った人として有名です(アカシックレコードについては要約不能なので、また別の機会に書いてみたいと思います)。

前述のアメリカで流行したニューエイジ運動はこのケイシーリーディングに影響を強く受けていると言われ、代替医療、ヨガ、瞑想、輪廻転生等のとくに東洋的な思想が西洋において普及するにあたり大きな影響を与えました。

そのエドガーケイシーが、水晶に関するリーディングをある患者に行ったところ、「水晶は体の力を集中し、多くの影響力が流入する経路を開いてくれる」という答えが得られたそうです。そして、「それを神の名のもとに、神の義の下にのみ使うならば、多くのものがそこから得られるだろう」とも。

水晶にどのようなパワーがあるのかはまだ我々も預かり知らないところです。しかし、このことから、そこには何か人類の知らないまだ未知の世界への入口があるような気がします。水晶のパワーを有効に使うことが正しい神の道を定めることならば、そこから宇宙は何故できたか?といった究極の命題も解明されるかもしれません。

水晶に人間に益をもたらすパワーが本当にあるかどうかは科学的にはわかっていません。しかし、私自身はわからないながらも、とりあえずそれを信じてみようかと思っています。