宮島にて


先日山口の実家へ帰った際、日帰りで広島へ行く機会にめぐまれました。広島にいるタエさんの独身時代のお友達たちが、それぞれの誕生日の際に集まって「女子会」をやるのですが、12月は彼女の誕生月でもあり、その誕生会がタイミングよく我々の帰省の時期と重なりました。

そんな会にヒゲオヤジが参加すると集中砲火を浴びそうなので、わたしは丁重に参加をご辞退申し上げ、ひとり静かに、懐かしの宮島へ行くことにしたのです。

宮島は我々二人が結婚式を挙げた場所でもあり、子供のころから慣れ親しんだいわば心のふるさとのような場所です。

瀬戸内海に浮かぶそこはいつ行っても美しく、島へ上陸するたびに心が洗われるような気分になるのが大好きで、もう何回行ったでしょうか。子供のころからのときから数えると少なくとも20回以上、おそらくは30回以上は渡っていると思います。

対岸にある「宮島口」からはフェリーが出ていて、このフェリーには二つ種類があります。ひとつはJRが運用しているもので、もうひとつは「松大汽船」が運行しているもの。この組み合わせも昔から変わらず、どちらも同じ運賃だし、船の構造もほとんど同じです。

なぜ二つあるのかよくわかりませんが、二路線あってもそれなりの採算がとれるほど多くの観光客が訪れるということなのでしょう。

初めての人はこの二つのどちらに乗ればよいのか迷うようですが、お互いの運行時間が15分間隔ぐらいできちんとずれていて、宮島口についたときに一番早く出る船に乗ればよいのです。が、どういうわけか、私が宮島へ渡るときにはJRのほうが多いような気がします。どういうめぐりあわせなのでしょうか。

この日は朝から快晴でしたが、お昼ぐらいから少し雲が出てきて、洋上からの眺めもいまひとつすっきりしませんでしたが、それでも東に目を転じればカキ養殖の筏の間に瀬戸内海の美しい島々が見え、また西のほうをみると、近年その湾岸がずいぶんと開発された広島市内の景観が見えます。

広島は私がかつて住んでいたころに比べて、どんどん海の埋め立てが進み、ここに高架橋や橋をめぐらして交通の便が図られ、遠目にこれらをみるとなるほど近代化された都市になったな、というかんじがします。

近隣の山口県や島根県などの過疎県からの移住者も増えているためか、人口もどんどん増えているようで、宅地はいくらあっても足りないようです。

よく広島では「家が山に登る」といわれますが、広島市街を囲む山々の斜面の多くは開発が進み、こんなところにも家が……というようなところにまで団地ができており、これらの家々が立ち並ぶ山々の様子も宮島へ行くフェリーの上からまざまざと見ることができます。

島へ渡ると、いつものようにそこは観光客で賑わっていました。平日だったため、それでも少なめだったのでしょうが、今年は「平清盛」がNHKで放送されているせいか、やはりいつもよりもお客さんが多いような気がしました。

初めて宮島へ渡る人が驚くのが、本物の鹿がいること。奈良の中心部にもいるので、これを見たことのある人は驚かないようです。が、初めて鹿を見て、しかも手で触れることができることに驚く人も多く、おとなしい鹿を「拉致」してうれしそうに一緒に写真を撮っている観光客をみるといつもほほえましい気分になります。

亡くなった最初の妻を初めて宮島に連れて来てこの鹿をみせたときも、本当にうれしそうで、はじけるような笑顔であったことなどが思い出されます。

この日は特にどこを散歩しようと決めていたわけではなかったのですが、足は自然と厳島神社の本殿のほうに向き、たくさんの観光客が海の上に浮かぶ大鳥居をバックに記念写真を撮っているのを尻目に、社殿入口の回廊に到着。

前回ここへ来たのは確か今年の正月だったと思いますが、そのときはまだあちこちで前年の台風で壊された回廊の部分修理を行っていました。今はその修理も完了し、きれいなまままの本来の姿がそこにありました。

回廊を進むうち、雅楽らしい音が聞こえてきます。あー聞き覚えのある音だな、と思ったらやはり、この日本殿では結婚式が行われていました。羽織紋付の新郎と白無垢の新婦がちょうど神殿のほうに向かって「誓いの言葉」を述べているところで、その両脇で神官たちがひちりきなどを奏でています。

宮島でのこうした結婚風景はそう珍しいものではないのですが、一日に二~三組しか予約が入れられないはずで、案外とタイミングよくこれを目にすることができません。なのでラッキーといえばラッキーなのですが、なんのことはない、我々自身も4年前、ここで同じように結婚式を挙げ、声高らかに誓いの言葉を吟上しています。

新郎が誓いの言葉をのべているちょうどその最中にお賽銭をして手を合わせ、今度はおみくじです。前回来たときは「凶」を引いてしまったので、今日はそのリベンジのつもりでしたが、引きあてたのは「平吉」というもの。

良くも悪くもない運勢で、少しホッとしました。この宮島のおみくじには結構「凶」が含まれています。また、「平吉」などというのは私も初めてですが、結構変わった占い結果が出るので、厳島神社へ参拝される方はぜひこれを楽しみにしてもらいたいものです。

おみくじの紙も真っ白な細長の紙に黒字で占い結果が印刷されているだけのシンプルなもので、他の神社のおみくじのように紋章やら模様やらは一切入っておらず、何か特別なご宣託が得られたような気分になります。

参拝を済ませ、あとはもうとくに用事もないので、紅葉谷と呼ばれる場所のほうへブラブラと歩いて行きました。その名の通りモミジの名所として知られますが、私は一度も紅葉の季節にここへ行ったことがありません。

神殿近くのモミジはもうほとんど散っていたので、紅葉谷のほうももうあまり残っていないだろうと期待していませんでしたが、とりあえず行ってみようと思い、そこへ行く脇道へ入ったところの四つ角で、「大聖院」と書かれた矢印標識を見かけました。

そういえば行ったことがないよな、と思い、行ってみることに。後日調べてみたところ、この大聖院(だいしょういん)は真言宗の御室派という一派の大本山だそうで、別名「多喜山(滝山)ともいわれ、正式名称は「多喜山大聖院水精寺(すいしょうじ)」という名前だそうです。

宮島で最古の歴史を持つ寺院であり、厳島神社の別当寺として祭祀を司り、社僧たちを統括してきた由緒ある寺院だそうです。

これまで宮島を訪れていた目的は神社への参拝が主であり、神社以外のお寺にはあまり興味がありませんでした。

しかし、調べてみるとなかなか歴史の古いお寺さんらしく、古い仏像もたくさんあるようです。観音堂にはご本尊の十一面観世音菩薩があるそうで、このほか勅願堂というお堂にも波切不動明王という像があり、このほか、三鬼大権現、七福神、一願大師など数多くの仏像が安置されているとのこと。仏像好きの人はそそられるかもしれません。

このお寺ができた由来ははっきりしていないようですが、伝承では、806年(大同元年)に空海が宮島に渡り、島の最高峰「弥山(みせん)」の上で修行した際に開基したといいます。鳥羽天皇の勅命の祈願道場にもなったことがあるというのですが、そのありがたみは今一つピントきません。が、ともかく古くて由緒あるお寺さんであることには間違いありません。

しかし、空海と宮島の結びつきは、史実としては確認できないそうで、文献上では、1177年(安元3年)の「伊都岐島水精寺勤行日記注進状案」及び同年の「太政官牒案」にこのお寺のことを示す「水精寺」という名前が出てくるのが最初だとか。

1887年(明治20年)には、火災で大部分の伽藍が焼けてしまい、現在あるお堂群はその後整備されたもののようです。

後日タエさんに聞いた話では、2006年(平成18年)の11月には宮島・弥山の開創1200年を記念してダライ・ラマ14世がこのお寺を訪れて大きな話題になったとか。このときはダライ・ラマを交えて本尊の弥勒菩薩の開眼法要が営まれたそうで、ダライ・ラマ見たさに多くの人がここまで参拝に来たといいます。

小高い山の斜面にある本坊へ行くためには、少し急な階段を上っていきます。上りきったところで振り返ると瀬戸内海が見通せ、なかなかの眺め。入口に仁王門と御成門があり、これをくぐると、勅願堂、観音堂、摩尼殿、大師堂、霊宝館など多くの堂宇があります。

弘法大師が開いたという「大師堂」の地下には人工洞窟の遍照窟があり、中へ入るとそうですね、2~300体のお地蔵さん?が据えられていて圧巻です。が、ものすごい霊気があって私は数分しかここにいられませんでした。

このほか境内には至るところに小仏像が祀られ、500羅漢なるものもあったりして、独特の景観です。けっして古いものではなく、最近作られたものが多く、近代的な服装を着てメガネをかけたお地蔵さんなどもあって、ちょっと笑えます。

このお寺もそうですが、各地で「弘法大師」が開いたというお寺や温泉などは実は弘法大師、すなわち「空海」個人のとった足跡とは必ずしも一致しません。

弘法大師に関する伝説が残る場所は、北海道を除く日本各地に5000以上もあるそうで、歴史上実際に空海が歩いて回った場所の数をはるかに越えています。

中世以降、日本全国を勧進して廻り、真言宗や浄土教を説いて回った遊行僧である高野聖(こうやひじり)が、弘法大師が開いたと宣言した場所も多いようですが、こうした場所や事象が弘法大師が結び付けられたという事実はむしろ少ないようです。やはり空海の幅広い分野での活躍を通じての尊崇がこうした場所と空海を結びつけたのでしょう。

弘法大師「ゆかり」とされるものはお寺だけでなく、仏像などの彫刻、聖水、岩石、動植物など多岐にわたりますが、特に温泉などのいわゆる「弘法水」に関する伝説は日本各地に残っています。

弘法水とは、弘法大師が杖をつくと泉や温泉が湧き井戸や池となった、といったアレです。日本全国で千数百件にのぼるといわれており、わが修善寺温泉もそのひとつです。場所やそのいわれによって、「独鈷水」「御加持水」などと呼ばれることもあります。

弘法大師が発見したといわれている温泉はこんなにもあります。

あつみ温泉(山形)
大塩温泉(福島)
芦ノ牧温泉(福島)
出湯温泉(新潟)
瀬戸口温泉(新潟)
清津峡温泉(新潟)
関温泉(新潟)
燕温泉(新潟)
川場温泉(群馬)
法師温泉(群馬)
修善寺温泉(静岡)
伊豆山温泉(静岡)
湯村温泉(山梨)
鹿塩温泉鹿塩温泉(長野)
海の口温泉(長野)
赤引温泉(愛知)
龍神温泉(和歌山)
関金温泉(鳥取)
湯免温泉(山口)
千羽温泉(徳島・四国八十八か所23番札所近く)
清水温泉(徳島)
東道後温泉(愛媛)
まむし温泉(福岡)
杖立温泉(熊本)
熊の川温泉(佐賀)
波佐見温泉(長崎)

このうち修善寺温泉以外では、郷里の山口にある湯免温泉を私はよく知っています。日本海側の長門市近くにある温泉で、あるとき地元の人が弘法大師の夢をみて、その中で大師がここほれホイホイと言った場所を覚えていて実際に掘ってみると温泉がでたのだそうで、「夢」にみた温泉ということで、湯免温泉(ゆめおんせん)と呼ばれるようになったとか。

これ以外の温泉もだいたい似たようなホラ話の上に成り立っているようで、これらの中に本当に弘法大師が掘り当てたものがあるのかどうかもわかっていないようです。

多くは弘法大師が亡くなったあとに、開湯伝説を地元の人がでっち上げたものが多いのでしょう。弘法大師の徳を広めたという高野聖たちの中には、離農して坊主になった人が多く、この中には山師的なものもおり、こういう坊主たちが温泉を探り当てた際に弘法大師の名前を語ったというのも多いのではないかと思われます。

温泉だけでなく、このほかにも弘法大師が由来とされる伝説や伝承としていろんなものがあります。「平仮名」もその一つと言われ、「いろは歌」も弘法大師が作ったといわれています。無論根拠はありません。

このほか、お灸、讃岐うどん、手こね寿司、九条葱、なんてのもあり、ある場所では水銀鉱脈を発見したとか、弘法大師はダウジングができたという伝承もあります。

ダウンジングとは、90度に曲げた針金を両手で持って、水道管などが埋まっている場所の上へ立つとこれが、開くというアレです。こうした水銀の鉱脈の発見やダウンジングなどは弘法大師が温泉を掘り当てたという伝承の延長から出てきたものだと思います。

さて、弘法大師論議はこれくらいにしましょう。

大聖院を跡にして、その次には紅葉谷にも行ってみましたが、やはりここの紅葉はほとんど終わっていました。それでも何ヶ所かはきれいな紅葉を見ることができ、安芸の宮島の秋をほんの少し味わうことができました。

そのあと厳島神社のすぐ近くにあり、豊臣秀吉が作ったという千畳閣へ登りました。実際には800畳ほどしかないといいますが、いつ来ても広大な大伽藍であり、そこから見える美しい瀬戸内海は秀逸です。しかし最近、海側の樹木が成長しすぎて海の眺めが少しスポイルされているのが気になりました。

そして千畳閣を最後に再びフェリーに乗って本土へ帰りましたが、振り返ってみると今回の宮島訪問の中で、大聖院はなかなかの印象でした。隠れた名所というべきか、過去に30回以上も宮島へ行っているわたしにとって初めての場所でしたが、なんというか趣きのある場所でした。

私はどちらかというと霊感のあるほうなので、その場所の「気」のようなものに敏感です。が、ここはそれほど気が強い場所というかんじはしませんでした。ただ、訪れて気持ちのいいと感じる場所はやはり何等かのパワーがあるといいますから、大聖院もまた隠れパワースポットなのかもしれません。

とくに遍照窟という洞窟の中は独特の霊気にあふれていて、おそらく他の霊感のある人は何をかを感じることができるのではないでしょうか。ご興味のある方はぜひ訪れてみてください。

さて、今日はこれくらいにしたいと思います。

今年もあとわずかになりました。私が行った宮島はお正月には大勢の参拝客でにぎわいます。お正月気分を味わうために行くのも良いでしょうが、このようなあまり観光客がいない時期を選んでじっくり歩く宮島もなかなかいいなと思いました。ぜひみなさんもトライしてみてください。

運がよければ、我々のように厳島神社で結婚式を挙げるカップルに出会えるかもしれません。いや、あなた自身が宮島で結婚式を挙げてはいかがでしょうか。