果無と一本だたら


今年もあと10日あまりとなりました。年賀状も書かなきゃ、大掃除もしなければと思うのですが、いまひとつ積極的に動こうという気になりません。気温が低いので寒い思いをしたくないというのが先にたつからでしょうが、このあたりワニやカメとあまり変わりありません。

なのに鳥たちは元気です。なんでこの寒いのに飛び回れるのでしょうか。あちこち飛び回らないとエサにありつけないからかも。それは一理ありそうです。積極的に行動しないと、この時期には昆虫などはそうそう見つかりませんから。

で、あるならばカメ変じて鳥になるためには、おなかをすかせばいいのかも。腹が減っても料理をするのは面倒なので、外食が増える→ 行動的になる。この図式でいきましょう。しかし外出ばかりしていては大掃除はできそうもありませんが……

とはいえ、今日12月20日は、「果ての二十日」という「忌み日」だそうで、この日にはそもそも外出や仕事を避けるべき日なのだそうです。

なぜ?と思って調べてみると、どうやらこの日には「一本踏鞴(いっぽんだたら)」という妖怪が出るとされている日だからだそうです。日本に古来から伝わる妖怪の一種で、和歌山県の熊野の山中などに棲み、一つ目で一本足の姿をしているということです。が、他の地方にも出没し、これはまた違う姿をしているらしいです。

それにしてもなぜ12月20日なの?というところを調べてみたのですが、どうもその理由はよくわかりません。

ただ、この一本だたらの伝説は紀伊半島に多いらしく、その中でも、奈良県の伯母ヶ峰山というところに、猪笹王(いのささおう)という鬼神がいたという伝説があり、この中に具体的な日にちが出てくるようです。

この鬼神も一本足で、背中に熊笹の生えた大イノシシの姿をしているそうで、もともとはイノシシだったものが大悪さをするので、地元の狩人に撃ち倒されといいます。ただし、同じ奈良県でも川上村の猪笹王の前身はイノシシではなく老いたネコとされているということです。

伯母ヶ峰山の猪笹王のほうは、里の人に殺されたことを恨んで亡霊となったもので、一本足の鬼の姿になって峰を旅する人々を襲っていました。

ところが、あるとき、丹誠上人という高僧によってその悪事が封印され、凶行はおさまりました。しかし封印の条件として年に一度、12月20日だけは猪笹王を解放することを条件としたため、このことからこの日が「峰の厄日」という厄日に指定されたというのです。

無論、伝説の世界の話であり、だからなんで12月20日なの?という答えにもなっていないのですが、所詮はおとぎ話の世界の話なので日にちの件はこれ以上突っ込むのはやめにしましょう。

この一本足の妖怪の話は、すぐ近くの和歌山と奈良県の境にある、「果無山脈」というところにも残っています。「果無」は「はてなし」と読みます。こちらに出る一本だたらは、皿のような目を持つ一本足の妖怪で、これも12月20日にのみ現れるといいます。

この「果無」という地名をとって「果ての二十日」という言葉がでてきたのではないかとする説もあるようで、だとするとこちらのほうが伝説の元祖なのかもしれません。

一方では、果無の名の由来は「果て」、つまりその年の暮れである12月の下旬にもなると人通りが少なくなります。なので「果て」に人が「い無くなる」ということで「果無」と呼ばれるようになったという説もあります。

12月下旬って人が少なくなるのかな~とも思うのですが、現在のようにやれクリスマスだ忘年会だといって外出するのが多いのに比べ、大昔には家内の大掃除などに精を出し、静かに正月を迎える準備をしていたでしょうから、たしかに人通りは少なかったのかもしれません。

この果無山脈はどこにあるのか調べてみたところ、どうも紀伊半島の中央部に位置する山々のことのようです。

南紀白浜にある田辺市から北東に12~13kmほど行ったところに行者山、三里ヶ峰、虎が峰といった山々がありますが、これを「虎ヶ峯山脈」というそうで、これが果無山脈という説と、さらにその東にある笠塔山も含めさらに東側の和田ノ森山から、安堵山を経て、熊野川のある熊野本宮あたりまでの山脈をさすという説があるようです。

このあたりは、その昔大和国と紀伊国の国境だったそうですが、朝廷のあった大和国からみれば確かに「最果て」です。しかし、いずれの山々もせいぜい1000m位の高さしかなく、「果無」というほど険しい山塊ではありません。

こういう山々に何故「果無」という名前がつけられたかについてですが、江戸時代の地誌「日本輿地通誌」では「谷幽かにして嶺遠し、因りて無果という」と書かれているようで、これを訳すと「行けども行けども果てなく山道が続いていて困ってしまう」という意味になります。

私自身も、30代のころに「熊野詣で」に行ったことがありますが、確かに熊野の山々は幽玄な雰囲気を漂わせており、けっして高い峰々はないのですが、そういう山々が延々と奥深くまで続いていく雰囲気で、たしかに、「行けども行けども」といった感じであり、「果無」という名前がつけられたのもわかるような気がします。

しかし、ここの地元の人たちに伝わる民俗伝承では、この「果無」の名の由来は地理的な特徴からではなく、この地方に伝わる妖怪一本だたらの怪異譚によるものとしているようです。

それによると、果無山脈にはある怪物が棲んでおり、その怪物は「ハテ」つまり、年末20日過ぎになると現れ、旅人を喰ったことから、峠越えをする者がなくなったといいます。「いなくなった」は「ナシ」になったとも言いかえることができますから、「ハテ」に「ナシ」になる峠ということで、この山々を「ハテナシ」と呼ぶようになったというのです。

前述の奈良県の伯母ヶ峰山の一本だたらは、大イノシシの化け物でしたが、この地方では、このほかにも電柱に目鼻をつけたような姿をしている一本だたらがいるという伝説があり、こやつは、雪の日に宙返りしながら一本足の足跡を残すといいます。

いかにも怪しげな振る舞いで不気味ですが、大イノシシバージョンの一本だたらほど凶悪ではなく、こちらは意外にも人間には危害を加えないそうです。

人に危害を加えないといえば、なぜか一本だたらは、郵便配達員だけには危害を加えないという話もあります。妖怪も郵便を配達してもらっているからなのでしょうか。それとも郵便貯金を持っているから?

このほかにも和歌山の熊野山中にも別の一本だたらがいるとされ、こちらのほうはその姿を見た者はない幻の妖怪で、雪の降り積もった上に幅1尺ほどの足跡が残っているのを村人がたびたび見るのだとか。なお、人に姿を見せない一本だたらは、広島の厳島にもいるとされ、こちらも人に姿を見せたことはないということです。

さらに和歌山県の白浜町や田辺市のある西牟婁郡には、「カシャンボ」という一本だたらがいます。このカシャンボは、カッパの一種ということで、もともとは川に棲んでいてこれは「ゴーライ」と呼ばれていますが、これが山に入ると、山童の一種である「カシャンボ」に変身するのだということです。

2004年春には、田辺市の富田という地域の田んぼの中で1本足の「カシャンボ」の足跡が発見されて大騒ぎになったそうで、これは「富田のがしゃんぼ」と呼ばれ、やれ一本だたらの復活だ、それカシャンボの再来だとかいろいろ地元の人の間では話題になったということです。

そういえば、私が育った広島の山奥にも、「ヒバゴン」と呼ばれる類人猿?の目撃談がたくさんあり、複数の足跡が発見されたとして、地元紙の中国新聞などで一時期かなり騒がれました。最近とんとお話を聞きませんが、ヒバゴンさんお元気でしょうか。

これらの紀伊半島に残る一本だたら伝説が、このほか日本のいたるところに伝承されている一本だたらの元祖かどうかはっきりしたことはわからないようですが、全国の中でも和歌山や奈良での伝承がとくに集中していることから、このあたりが発祥であることは間違いないでしょう。

おそらくは紀伊半島での伝承が日本各地に飛び火していったものと思われますが、直近では海を隔ててすぐ隣の高知県に「タテクリカエシ」という妖怪がいます。こいつは手杵(てきね)に似た形をしているといい、手杵とは、あのお月様でウサギが餅を突くときに使っている真ん中が細くなっている棒状の杵のことです。

この手杵の形をした「タテクリカエシ」は夜道をごろごろと転がる妖怪だそうで、タテクリカエシは、「立て繰り返し」のことのようです。この妖怪は伝えられている形は違うものの、伯母ヶ峰山の一本だたらと同じものだという説もあります。

静岡にも一本だたらがいます。県西部の浜松市天竜区の川上にいる一本だたらは、誤って片足を切断して死んだ木こりの怨みが妖怪になったということで、やはり一本足であり、雪が降った日の翌日などに山中に片足のみの足跡が残っているそうです。

ここからほど近い愛知県の設楽町の一本だたらは、大雪が降った晩などに山奥にある山小屋の周りなどで「ドスンドスン」と音を立てるそうで、翌朝には2尺(約60センチメートル)ほどの片足のみの足跡が残っているとか。

さらに、北陸の富山市や岐阜県北部の飛騨地方、岡山の倉敷あたりに伝わる一本だたらはいずれも「雪入道(ゆきにゅうどう)」と呼ばれているもので、一本足だけでなく目も一つ目であり、これも雪の降った翌朝の雪上に足跡を残すといいます。

このほか和歌山の伊都郡のかつらぎ町に出る一本だたらも、雪の上に足跡を残す小児のような妖怪で「雪坊(ゆきんぼ)」と呼ばれており、愛媛県北宇和郡の松野町のものは「雪婆(ゆきんば)」というそうです。

こうしてみると、一本だたらだとされる妖怪の伝承の多くは「雪」にちなんだ名前が多く、雪の降った翌日に雪の上に足跡状の痕跡を残すことに共通点があるものが多いことがわかります。

これはおそらく、この「果ての二十日」が年末の寒い時期で雪の多い時期であり、この時期に雪が降れば、何等かの動物の足跡が残るためにれが人目に触れることも多く、片足などを失った動物などの足跡を、一本だだらと勘違いしたことなどに由来するものでしょう。

そして、これらの伝承の発生地はやはり紀伊半島を中心としたその周囲の県に多く、それが東北や九州などの遠くにまでは及んでいないことを考えると、やはりその発祥の地が紀州あたりであるということは間違いないのではないかと思われます。

「果ての二十日」といった具体的な日にちも、紀州に近く人口密集地で国都でもあった京都や奈良にこの伝承がもたらされ、妖怪のような怪しい話が大好きだった都人の「忌の日」として一般化したのではないでしょうか。

このように紀州で発祥したと考えられる一本足妖怪は、この地に古くから伝わる山の神や道祖神のご神体がそもそも一本足だったからという説もあるようです

また、お隣の国、中国にも一本足の妖怪で一夔(き)または山魈(さんしょう)という名前の妖怪がいるそうです。もともとは殷(いん)の時代に信仰された神様だそうで、夔龍とも呼ばれる龍神の一種でした。

一本足の龍の姿で表され、その姿は鳳凰(ほうおう)とともに中国で出土する銅鏡等に刻まれているそうで、鳳凰が雨の神様であったように、夔龍もまた降雨に関わる自然神だったと考えられているようです。

後の世には一本足の牛の姿で表されるようになりましたが、これは牛が請雨のために龍神に捧げられた生贄であったためと考えられています。中国の歴史書によると、この夔は牛のような姿をしていますが、角はなく、脚は一つで体色は蒼であり、水に出入りすると必ず風雨をともなったといいます。

これは私の推測なのですが、紀州といえば高野山を修験道の場として開いた空海こと弘法大師が思い浮かびます。この空海は9世紀の初頭に遣唐使として中国に渡っており、真言密教などの仏典を数多く日本に持ち帰っていますが、そうした中国の書の中にはこうした中国の神話に出てくる神様のお話も記載されていたのではないかと思うのです。

これを空海自身が広めたのかその取り巻きが広めたのかはわかりませんが、紀州といえば日本全国の中でも一番雨の多いところです。空海が広めたかもしれないこの雨の神様、夔の伝説は、降雨に慣れた紀州の人々にはわりとすんなりと広まっていった、と考えればこの地のあちこちに一本だたらの伝説が残されているわけがわかります。

もっともこういう説を唱えているのは私だけで、他にどんな学者さんがこうしたことを言っているわけではありません。

ただ、「古事記」に出てくる一本足の神様で、「久延毘古(くえのひこ)」の「クエ」という音は、夔の古代中国での発音kueiと似ており、関連があるのではないかという指摘があるようです。

「鵺(ぬえ)」という古代妖怪もいることから、クエは夔が変化したもので、やがてこれが鵺になり、そして一方では紀州では一本だたらとして広まっていった、つまり一本だたらと鵺のルーツは同じ夔であるという可能性だってあるのです。

ただ、説として根強いのは「一本だたら」の「だたら」は、その昔「タタラ師」と呼ばれた「鍛冶師」に通じるのではないかというものです。これは鍛冶師は、片手で「たたら」と呼ばれる鞴(ふいご)を扱い、火の加減や刀の曲がり具合を片目で見るという重労働から、職業病として片目や片脚になることが多かったためではないかといわれています。

一本だたらが出没する場所の近くには鉱山跡が多いと指摘する学者もいて、鉱山の近くには鍛冶師も当然たくさんいただろうと考えられます。紀州の山の中は京に近いことからたさくさんの鍛冶師がいたと考えられ、こうした鍛冶師の祀り神として一つ目の一本だたらが崇められるようになったのではないかという説です。

なお、これは、天目一箇神(あめのまひとつのかみ)というもともとは神様だったものが零落した姿であるという人もいるようです。

中国の史書で「韓非子(かんぴし)」という有名な法家の思想書がありますが、この中に、夔が一本足であるかどうかについての議論が行われているそうです。そして、この書についての議論の結論は如何にと問われた孔子はこういったそうです。

「夔は一本足ではない。夔は性格が悪く人々は何も喜ばなかったが、誰からも害されることはなかった。なぜなら正直だったからである。だから「一本足」であるかどうかという議論はそもそも間違っている。「一足」が正しいのだ」と。

なにやら寓話めいているというか、はぐらかされているとうか釈然としない回答ですが、私なりに解釈すると、「錆びた刀はたくさん持っていても仕方がない、一本切れるものを持っていれば良い」ということを言いたかったのではないかと思います。つまり人間は突出した才能が一つあればよいのだ……とも。

………… 何はともあれ、今日20日は忌の日ということで、もうこれからの外出は控えようかな、と考えていたりします。

たまには外出をやめて家に引きこもり、何かやりたいことをひとつだけやる、というのも良いかもしれません。やはりそのひとつは、もっとも自分が得意とするものが良いでしょう。私の場合、いつでもどこでも寝れるというのが得意技ですが……