ぶきみの谷のアシモ

毎年お正月になると、日本の今後の技術開発はどうなるか、といった経済モノの特集番組が組まれます。そのひとつに、「ロボット」を特集したものがあり、新しいものとラーメンが大好きな私としては、ぜひ見ておきたいと思い、録画しておきました。

今朝、すこし早起きしたのでそれを思い出し、見てみたのですが、この特集番組のトップバッターは、本田技研工業が開発した二足歩行ロボット“ASIMO”でした。

予測運動制御によって重心を制御して自在に歩くことができ、階段の上り下りや駆け足し、ダンスまでできるロボットで、そのコミカルな動きをみたことのある人も多いことでしょう。

ASIMOの開発

「ASIMO」という名称はAdvanced Step in Innovative Mobility 略ということで、意訳すると「革新的モビリティ開発の旗手」ということになりますでしょうか。

その開発は1986年以前より秘密裏に行われていたそうで、最初のモデルは、「Eシリーズ」と呼ばれる下半身だけの実験型であり、その後、「Pシリーズ」と呼ばれる人型をした試作型を経て、「人型」にかなり近いモデルである「P2」が正式に発表されたのは、17年前の1996年のことです。

その開発の動機には、手塚治虫の鉄腕アトムがあったとされており、経営難に陥った時にマン島TTレースやF1レースなどの世界のビッグレースに参戦することを宣言し、従業員の士気高揚を図ることで経営を立て直したことでも知られる、創業者の本田総一郎さんの「遊び心」によりその開発にゴーサインが出たと伝えられています。

このP2が公表された当時、二足歩行ロボットは早稲田大学での研究開発が最先端と公表されていました、ホンダから発表されてそのベールを脱いだ時点で、ASIMOはこうした大学研究室の水準を遙かに凌ぐ人間型自律二足歩行ロボットであったことがわかり、世界中のロボット研究者がその水準の高さに仰天したといいます。

ASIMOの研究は、その後、さらに形状を人型に近づけたP3の発表を経由して、2000年以降、現行の形状に限りなく近い改良型モデルが次々と発表されました。

発表されたモデルは、見た目にはその形状はほとんど変わらないように見えましたが、それぞれ費用の軽減や軽量化がより進められており、2005年の「ASIMO 2005」では、旧型よりもさらにバランス能力の向上が図られ、従来モデルの歩行速度が、1.6km程度だったものを、このモデルでは歩行速度、2.7km/hにまで引き上げました。

またこのモデルからは、時速6kmで「走る」ことができるようになり、自動で受付案内やワゴンを使ったデリバリー作業等を行なえるようになるなど、単に二足歩行する「人形」からさらに「知恵」を身につけた知能型二足歩行ロボットへと変身しました。

2011年11月8日に発表された最新モデルでは、これよりもさらに重量が6kgも軽減され、最高速度も2005年モデルよりも3倍も速い、時速9kmに向上したほか、知能のほうも更なる進化を遂げています。

この最新型のASIMOの身長は130cm、重量は48kgであり、重量の対身長比をみると少々人間より重めですが、その動作は限りなく人間の生活に近くなるよう作られていて、人の動きを感知し、自律的に行動することが可能です。

例えば人を追従して歩行、手を出すと握手する、障害物を回避する、音源が何であるかを認識する、階段歩行などが行える、などなどであり、あらかじめ設定することにより音声認識と発音も可能だそうです。

また、3人が同時に発する言葉を認識することができるようになり、予め設置された空間センサーの情報を基に人の歩く方向を予測し、衝突を避けることが可能となったほか、手話をこなすこともでき、身体能力の向上により片足けんけんや両足ジャンプなどが連続して実行することまでできるようになりました。

私が見たこの番組では、このほか、ステンレス製の水筒のふたを器用に開けて紙コップ!に飲み物を注ぐ様子も放映されていて、とくに指先の柔軟性が向上し、「感触」を覚えることが可能となる圧力センサーなどの大幅な改良がはかられたことがわかります。

このASIMO、現状では販売の予定などはない「試作品」だそうですが、今後ともさらに改良を重ねて開発を続けていくとして、いったいどのあたりで「完成形」として発売することになるのでしょうか。

これについてのインタビューアーの質問に対するホンダ技研の開発担当者の答えとしては、「こうしたロボットは、人間をアシストする、ということを目的として開発されている以上、何等かの形で十分に人間の「代用」が務まるようになるほどの実用化がはかられてから」というものでした。

この答に対して、インタビューアーの「知花くらら」さんが、現状でも「ASIMOカフェ」なんてものに十分に使えるのではないか、と突っ込んでいましたが、紅茶やコーヒーの運搬をしながら客にお愛想ぐらいを言うことぐらいは現状のモデルでも朝飯前にできそうであり、私からみてもモデルの完成度はかなり高まっているようにみえました。

現状では販売はしていないものの、問い合わせに応じていろいろなイベントなどに貸し出されていて、2002年には、ニューヨーク証券取引所の始業ベルを人間以外で初めて鳴らしたこともあるそうです。

本田技研としては、今後はASIMOの技術を応用し、福島原発のような危険な現場で活用するアーム型ロボットも開発する予定だといい、また現状でも、ASIMOの技術を応用した一人乗りの小型ビークル、”UNI CAB” などの応用製品が試作されています。

このUNI CABは、ひょうたんのような外見を持つ、高さ60cmほどの電動乗用一輪車であり、東京モーターショーを一月後に控えた2009年9月24日に本田技研工業本社で初公開されました。

操縦桿などの操作装置は一切なく、その移動は、これに乗った人が「体重移動」をすることでコントロールでき、自動的にバランスを取るので静止したままでも倒れません。車輪のタイヤ部分は横向きに並べた複数の小径車輪で構成されているということで、小径車輪の回転で真横へも移動することができます。

バランス制御には二足歩行ロボットASIMO(アシモ)の技術を応用しているといい、テレビでも知花さんが試乗していましたが、ほんのちょっとの試し運転ですぐに運転できるようになり、室内をスイスイと乗り歩いていました。現状でも、足腰が不自由な人が室内の移動に使うのにも使えそうで、その実用化もそれほど遠くないようにみえました。

しかし、ASIMOのように車輪を持たず、二足歩行型で移動するロボットでは、まだ仰向けやうつ伏せに転倒した場合に起き上がることができないなどの問題もあるそうで、人間の生活環境に置くにはまだ多くの課題をクリアーする必要があり、実際にこうした人型ロボットを我々が身近で見ることができるようになるのはまだ少々先の話のようです。

なお、本田技研は、ASIMOの開発途中の段階で、ローマ教皇庁に人間型ロボットを作ることの是非について意見を求めたそうで、その結果として問題がないことを承認してもらったといい、今後のロボットの人間との共存における倫理性の問題までも視野に入れて今後の開発を行っていこうとしているようです。

アンドロイドサイエンス

こうしたASIMOのような「ロボット」と呼ばれるものにもいろいろなものがあり、その一般的な定義としては、「人の代わりに何等かの作業を行う装置」、もしくは、「人や動物のような機械」であり、これをもう少し詳しく書くと以下のようになると考えられます。

1. ある程度自律的に連続、或いはランダムな自動作業を行う機械。例・産業用ロボット、軍事用ロボット、掃除用ロボット、搾乳ロボットなど。

2. 人や動物に近い形および機能を持つ機械。「鉄腕アトム」や「機動戦士ガンダム」等のSF作品に登場するようなもの。いわゆる「人造人間」や「アンドロイド」と称されるものであり、広義には「パワードスーツ」なども含まれる。

日本では従来、ロボットというとASIMOにも代表されるような「2」を指す事が多かったようですが、近年では実用性の高い「1」のロボットのほうの研究が先行しており、日本の技術力は世界でもトップクラスといわれています。

しかし、「2」に関する研究も進んでおり、こうした研究では、単にロボットを機械と考えるだけでなく、「人間との共通点」あるいは「人間との相違点」について研究する「アンドロイドサイエンス」と呼ばれる学究分野の確立が進んでいます。

あまり聞き慣れない用語かもしれませんが、「アンドロイドサイエンス  (Android science)」
とは、生身の人間と、アンドロイドのような「人造人間」のような機械との相互作用やお互いの「認知」を調査、研究する学問です。

将来にわたって、もし見た目も動きも人間とほとんど寸分も違わないようなアンドロイドが開発されたとして、その内面的な面においても、社会的、心理的、認知的、神経科学的などのあらゆる面において優れたパフォーマンスを持っていると仮定しましょう。

そうしたアンドロイドが仮にできた場合、研究者はこうした優れたロボットを使って、生身の人間の被験者とこのアンドロイドの比較研究をすることが可能になります。

そして、その研究の過程では、人間とアンドロイドのどこが違っていて、どの分野においてどちらが優れているか、その違いを近づけていくためには何が必要かを研究していくことができ、その研究結果に基づいてよりそのアンドロイドに人間に近い生態学的な機能を与えていくことができます。

また、この研究の過程では、人間とアンドロイドとがお互いに共存していく上において、お互いにどのように認知しあっているか、例えばアンドロイドの行動が人間の精神面にどのように影響するのか、あるいはその逆で、人間の行動がアンドロイドの「精神回路」にどのような影響を与えるかがわかります。

アンドロイドと人間の被験者との相互作用をテストすることができるようになり、現在の認知科学と工学がより発達した将来では、アンドロイドと人間との関係だけでなく、その結果から人間同士の関係についても研究が進み、このことによってますます人間に酷似したアンドロイドの開発が進むと考えられています。

現状では、人間に限りなく近いアンドロイド、なるものは存在しませんが、今でこそそのギャップは大きいものの、将来にわたって人間と機械の差が縮まっていくとそれを比較研究できるようになると期待されており、ある段階からはその差はさらに飛躍的に縮めることができるのではないかといわれています。

過去の人間の技術力の発展と同様、将来のロボット技術においては、こうした比較→差の修正→進化→比較→修正→更なる進化、といった過程がだんだんと加速していくと考えられているわけであり、その結果としての「Xデー」にはついに、人間とアンドロイドはほぼ同じものになる、というわけです。

こうしたアンドロイドサイエンスという考え方はまだ確立されているわけではありませんが、ASIMOの開発においても似たようなプロセスが既に実践されています。

例えば人間が歩行するときの機能とASIMOの歩行の違いを研究した結果、その違いは「足」の構造にだけあるのではなく、上半身のバランスがその歩行に大きな影響があることがわかったといいます。

同様に、例えばロボットの「精神」について人間との違いを考えていく場合、それがシナプスなどの精神伝達機能だけによるものだけではなく、「脳」における機能をも考慮しなければ解決できない問題であることは誰しもがわかっています。

であるならばその違いを解消していくためには、脳の機能の解明がロボットに「精神性」を持たせるための最短の道であり、脳と同じ機能を持つコンピュータの開発においてこれに「思考」する能力を持たせ、これと人間の思考を比較するということもアンドロイドサイエンスの一環というわけです。

不気味の谷現象

ただ、こうしたアンドロイドサイエンスの確立が更に進み、「人間に酷似したロボット」が完成されるまでには、こうした人間の機能を「疑似的」に真似る装置の研究開発を進めるだけでは不十分であり、まだまだ現状の科学でも解明されていない問題や課題も多く、そこまでに至るには遠く険しい道のりが予想されます。

その道のりの険しさを予想させるもののひとつとして、「不気味の谷現象」というものがあります。

これは、ロボット工学者の森政弘・東京工業大学名誉教授が1970年に提唱した理論であり、人間のロボットに対する感情的反応についての現象です。

近年、とくに二足歩行ロボットの開発が進み、ロボットがその外観や動作において、より人間らしく作られるようになってきていますが、こうしたロボットに対して我々は、例えばASIMOのようなロボットに対しては、そのひょうきんな動き方などに「なんとなく」好感を覚え、ときには共感を持ってみることができます。

しかし、ロボットによっては、とりわけ人間にきわめて近いような形をしたものについては、「ぶきみ」にみえることがあります。

人間が話かけるとこちらを向いてにっこりと笑いながら、擬声によって「コンニチハ、ご機嫌いかが」とかしゃべってくれる「受付ロボット」などが開発され、テレビなどで公開されているのをご覧になったことがあるかと思います。

こうしたロボットは、合成樹脂などで人間の肌に限りなく近いような顔を作り、髪の毛などもできるだけ人に近づけた上で、顔の表情や口の動きなどを内蔵されたモーターで「自動制御」してできるだけ自然に見えるようにしたものです。

こうしたロボットは、ぱっと見た目には、まるで人間と寸分違わないようにみえるのですが、ひょんな拍子でこちらを向いたときに、「ギロッ」とこちらを見て「睨まれた」ように感じられることがあり、こうしたときには、それまで好意をもって見ていた見方が一瞬にして変わり、突然強い嫌悪感に変わる、といったことがあります。

このように、ロボットにはその外観や動作において、より人間らしく作られるようになるにつれ、より好感度があがり、共感を持てるようになっていきますが、その類似度がある一定の限度を超えると、突然、強い嫌悪感情がわいてきます。

このため、これよりもさらに人間に近づけようと更にその外観や動作に手を加え、見分けがつかなくなるほどに似せて作り込んでいくと、再びより強い好感に転じ、人間と同じような親近感を覚えるようになるといいます。

このロボットを人間に似せていく過程において、最初は外見と動作が「人間にきわめて近い」ために好感が持てるロボットが、ある時点で「人間と全く同じ」であるがゆえに、急激に嫌悪を感じるようになるといった人間の著しい感情の差異を森教授は、「不気味の谷」現象と呼びました。

今後「人間型ロボット」を開発していく上において、人間とロボットが生産的に共同作業を行うためには、人間がロボットに対して親近感を持ちうることが不可欠ですが、「人間に近い」ロボットは、逆に人間にとってひどく「奇妙」に感じられる場合があり、親近感を持てないほど「不気味」に映るものもあることからこうしたネーミングがなされました。

この現象は次のように説明できます。

まず、対象とするロボットが実際の人間とかなりかけ離れたルックスである場合、人間的特徴の方が目立ち認識しやすいため、親近感を得やすいものです。

SF映画がこの世に初めて出てきたころ、いろんな人間型のロボットが登場してきましたが、これらの多くは二足歩行するなど人間の形状は真似てはいるものの、表情などはなくその形はデフォルメされていて、その多くは「雪だるま」のような剽軽さを覚えます。

ところが、近年のSF映画に登場するロボットでは、その形状をかなり「人間に近い」ものに近づけているものも多くなり、こうしたロボット中には「非人間的特徴」の方が目立ってしまい、観察者に「奇妙」な感覚をいだかせるものがあります。

ちょっとSF古い映画で、「メトロポリス」という映画がありましたが、これに登場するロボットがまさにそれで、かなり人間に近い形状をしている分、その動きや「表情」などをみると、かなりの違和感を覚えます。

よりわかりやすい例えでは、こうした人間型ロボットが不自然に見えるのは、「病人」や「死体」と良く似ているからだといいます。

ただ、死体の場合、その気持ち悪さはわかりやすいのですが、ロボットに対して同じような警戒感や、嫌悪感を抱くのはなぜか、なぜそれが気持ち悪いのか、明確な理由がわからないために、実際には死体よりも不気味に感じるといったことさえあるようです。

これについては、動作の不自然さもまた、病気や神経症、精神障害などを思い起こさせ、否定的な印象を与えるからだろうという説もありますが、実のところよくわかっていないというのが実情のようです。

こうしたロボットを作りこんでいき、さらに人間に似せていくとその嫌悪感はなくなるというのですが、これもケースバイケースのようで、むしろ悪化するのではという意見もあります。

何故この「不気味の谷」の問題がロボット開発において問題かというと、こうした人間のロボットに対する感情が、ロボットを似せていくと、本当に言われているようにV字曲線のように肯定に向けて回復するのかが、実のところまだ誰にもわかっていないという点です。

本当に完全な人間に近づけば好感度が増すのか、そして「人間と全く同じ」になれば好感を持つのかに疑問が残るわけで、いまだかつて「人間と全く同じ」ロボットが作られたことはないため、これについては誰もまだ答えを持っていないというわけです。

また仮に「人間と全く同じ」ロボットができたとしても、ロボットだと聞けば不快感を持つかもしれませんし、ロボットが完璧すぎると逆に気味が悪くなる人もいるかもしれません。こればかりは、本物のロボットが登場してみないことには解決できない問題である、というのがそもそも問題なのです。

つまりは、そんな不気味なものを作って本当に人類のためになるのか、というわけです。

この「不気味の谷」の原理は、実はアメリカ映画のコンピュータ動画のキャラクターなどには既に適用されるようになっていて、映画を見るひとに良い感情を抱かせるためには、不気味の谷に落ちないように、登場人物には人間的な特徴をより少なくする、という技法が用いられたことがあるといいます。

例えば「トイ・ストーリー」における登場人物である人形は、かなり実際の人間よりもデフォルメされており、これがゆえに、たいていの子供はキュートな外見のエイリアンやウッディーが大好きなのだといいます。

これとは逆に、「ロード・オブ・ザ・リング」という映画に、「ゴラム」というキャラクターが登場しましたが、ゴラムの皮膚のきめと唇の周りに唾液のような不気味なものがまとわりついているような外観は、不気味の谷を意識した先進的なモデリングによって完成されたといいます。

このほかにも、「A.I.」というSF映画がありましたが、この映画では新型のアンドロイドがリアルに作られていることに多くの人々が不安を感じている、という設定の未来世界を描いていて、このため映画の中で「肉体祭り」と呼ばれる「ロボット破壊競技」を観衆が見て大喜びするというシーンがあります。

ところが、この引き裂かれる対象が大人のロボットではなく、リアルな少年のロボットになると、観衆はこのロボットが急に愛らしい人間のように思われ、これが破壊されると聞いてみんな静まり返る、というふうに描かれていて、これも「不気味の谷」の理論を応用した作品だといわれています。

こうした映画の世界の話だけでなく、アメリカのプリンストン大学では、猿を使った実証実験が行われ、この実験においては、5匹のカニクイザルに対し、猿の顔のデフォルメ画像と、実物に近いCG画像、実物写真のそれぞれを見せたそうです。

この実験では、猿たちがより多くみたのはデフォルメ画像や実物写真だったということで、実物に近いCG画像を凝視する回数は有意に少ないという結果が得られ、人間だけでなく、猿のような動物にも「不気味の谷」のような現象があるらしいことがわかってきています。

このように、不気味の谷現象だけでなく、人間に限りなく近づくロボットを実現しようとする過程ではまだまだ多くの課題がありそうですが、その開発の過程において、これまでは明らかになってこなかったまた別の新たな分野の問題が出てくることも十分に予想されます。

いつかこうした問題がすべてクリアーになった時代には、かつてのSF映画に登場したような人間とは全く区別がつかないようなロボットも存在していることでしょう。

そのころにはこうした精神的な問題や倫理上の問題もクリアーになっており、ロボットとの結婚なんてのも、普通に行われているのかもしれません。機械と人間が融合する、というのは現状では想像もできませんが、我々の孫や曾孫の世代ではそうした世界の実現も、もしかしたら、もしかして、です。

ただ、そのころにはもう人間はこれまでのような肉体を地上に持つことはやめていて、精神世界だけで生きる存在になっているかもしれません。そして地上のことはロボットにまかせ、じぶんたちは宇宙のはるかかなたまで飛んでいき、その世界の住人には現在の我々が「宇宙人」と呼んでいる存在のように見えるようになっているかも……

妄想は膨らみます。されど、されど……です。