今日は何の日?を見ると、今日2月5日は1971年(昭和46年)にアポロ14号が月面に軟着陸を成功させた日ということのようです。
ところで、軟着陸ってそもそも何だ?と少々疑問になったので調べてみると、これはソフトランディング(Soft Landhing)の邦訳のようで、飛行機などが、緩やかに降下して安全に地面に着陸をすることをさしているようです。
反対語はハードランディング(Hard Landing)で、これは「硬着陸」ということで、こちらは飛行機などが急激に降下し地面に叩き付けられる形で着陸をすることをさすということなので、あまり使うことはない言葉かもしれません。航空機事故などで、車輪が出なくて「不時着」しました、などというような状態をさすのでしょう。
宇宙開発においてもこれと同等の意味で使われるようで、軟着陸は、月や火星などの衛星・惑星に探査機や着陸船を衝撃を和らげて着陸させること、硬着陸は逆に衝突させるほどではないにせよ、なんとか無事に着陸できる状態のことをさすようです。
アポロ14号そのミッション
ということで、アポロ14号は無事に着陸したので軟着陸ということなのですが、よくよく調べてみると、かなり深刻なトラブルがあった末の着陸だったらしく、物理的にはソフトランディングであったとしても、宇宙飛行士たちの心理的にはかなりハードなランディングだったようです。
1960年代から始まったアポロ計画では、1969年のアポロ11号で初めて月面着陸に成功し、その二年後の1971年には、三度目の月着陸を目指すアポロ14号が打ち上げられ、月着陸船アンタレス(Antares)に乗った、アラン・シェパード Alan Shepard、スチュアート・ルーザ Stuart Roosa 及びエドガー・ミッチェル Edgar Mitchell の三人の宇宙飛行士が月面の周回軌道に入りました。
そして目標降下地点をみつけ、まさに月面に向かって降下中、突然月着陸船の中にあるコンピュータが着陸中止の信号を受け取りました。地球上のNASA が調べたところ、そんな指令は出でいないことがすぐにわかり、その原因を急遽調べると、それはどうやら着陸船内の着陸中止スイッチの回路から出されたものであることが判明。
しかし、宇宙飛行士の誰もが着陸中止スイッチには触れていないこともわかり、このことから、NASAのオペレーターは、着陸船の振動が回路のハンダ(半田)を剥がし、その小さなかけらなどが着陸スイッチの機械回路の中を動き回って接点をショートしたため回路が閉じたのではないか、と推論します。
そこで、オペレーターは、「スイッチの操作パネルを叩いてみろ」と着陸船に指示し、いちばん近くにいる乗員の誰かが、実際にパネルを叩いてみたところ、半田の欠けらは接点を離れたらしく、この着陸中止信号はすぐに消えたということです。
しかし仮に、この半田のかけらの問題が降下エンジンの始動後に再発すれば、コンピュータはこの信号を正しいものと判断して月着陸船の上昇ステージのエンジンを噴射し、月周回軌道に戻すシークエンスが動きかねません。
NASAのエンジニアと、このころアポロ計画のソフトウェア開発を全面的に支援していたマサチューセッツ工科大学(MIT)のメンバーなどのソフトウェア担当チームは、着陸までのごくごく限られた短い時間内でこの問題の一番確実な解決策を導くことに迫られます。
そして、コンピュータのプログラムを修正して信号を無視することを思いつき、これを着陸船に指示したため、飛行士たちはぎりぎりのところでこの修正を完了でき、なんとか無事に着陸船のエンジンを月への降下に向けて作動させることに成功しました。
このトラブルの原因は極めて低い次元のもので、対策も「パネルを叩く」というローテクで対処し、しかも頼りにしていたコンピュータプログラムを無視せざるを得なかったというこの教訓は、その後のNASAにおけるハードウェアとソフトウェア開発の両面においてかなりの影響を与えたといわれています。
ところが、アポロ14号アンタレス着陸のトラブルはこれだけではありませんでした。
エンジンを逆噴射して月面への着陸のための降下を続ける中、今度は月面に照射して照準を定めるためのレーダーが故障したのです。レーダーが正常に作動しない場合、着陸船は極端な場合大きな岩石の上に降りてしまい、機体が横転するなどの事故が起こりかねません。
このトラブルにあたってもNASAとMITの面々が地球から遠隔操作でいろんな対策を講じた結果、なんとかギリギリ着陸の直前になってレーダーは無事作動させることができ、こうしてアンタレスは無事に月に着陸することに成功しました。
アンタレスは、同じくトラブル続きで結局月面着陸を果たせなかったアポロ13号の着陸予定地だったフラ・マウロ高地に着陸し、乗組員のシェパードとミッチェルは2回の月面歩行を行い、地震計を月面に設置するなどの作業を行いました。
この装置を運ぶ際には初めて、手押し車が使用されました。これは 実験用具や標本などを持ち運ぶ手押し式のカート (Mobile Equipment Transporter, MET)であり、その後のアポロ15号の月面着陸では初めて動力で動く月面車が用いられましたが、動力はなかったとはいえ、月面を初めて「走った」車輪付きの車であり、”Rickshaw”(人力車)の愛称で呼ばれました。
2回目の船外活動では、直径300mのコーン・クレーターと命名されたクレーターの縁まで到達することを目指しましたが、二人の飛行士はクレーターの斜面の地形が起伏に富んでいたためにクレーターの縁を見つけることができませんでした。
しかも酸素が無くなりそうになったため結局引き返さざるを得ませんでしたが、その後2009年に月面探査衛星のルナー・リコネサンス・オービターが撮影した画像によれば、彼らが実際に到達していたのはクレーターの縁から約30メートルの地点だったことが明らかになったそうです。
このミッションにおいてシェパードとミッチェルは月面で様々な科学分析装置や実験装置を展開・作動させ、約45kgの月の標本を地球に持ち帰り、一方もう一人のルーザは月面に降り立つことはありませでしたが、月軌道上の司令船キティホークから写真撮影を行い多くの写真を地球に持ち帰りました。
こうした正規の任務とは別に、この辺がユーモアにあふれたアメリカ人だなと思わせるエピソードなのですが、シェパードはこの日のために特注した、折りたたみ式の特製の6番アイアンのゴルフクラブとゴルフボール2個を着陸船に持ち込んでおり、これを月面で打っています。
2つ目のボールを打った時に「何マイルも何マイルも飛んで行ったぞ」と叫んだといいますが、後の計算では実際の飛距離は200~400ヤード(約180~360m)と見積もられています。
また、ミッチェル飛行士は月面で使うスコップを使って「やり投」を行ったといい、本人曰くこれが、人類史上初の「月面オリンピック」となりました。
神との出会い?
ところで、このミッチェル飛行士なのですが、その後地球に戻る乗員との間での超能力 (ESP) 実験を独自に行うなどの奇妙な行動をとったという記録が残っており、地球に帰還後の1972年10月には、NASAと海軍を辞め、ESP(超能力)研究所を設立し、自ら所長となっています。
その後、イギリスの音楽専門ラジオ局のインタビューに答え、「アメリカ政府は、過去60年近くにわたり宇宙人の存在を隠ぺいしている。また、宇宙人は奇妙で小さな人々と呼ばれており、われわれ(宇宙飛行士)の内の何人かは一部の宇宙人情報について説明を受ける幸運に浴した」と語り、この発言にUFOマニアやゴシップ好きのテレビ局が飛びつき、一時期かなり話題になりました。
この、エドガー・D・ミッチェル(Edgar D Mitchell)という人は、1930年のテキサス州ハーフォード生まれといいますから、今年でもう83歳になられます。
カーネギー工科大学を卒業後、マサチューセッツ工科大学で航空航法学と宇宙航法学の博士号を修得しており、経歴を見る限りは立派な人であることから、いかがわしげな研究所の設立やいろいろと物議を醸し出す発言を繰り返したりしているとはいえ、UFOや宇宙人の存在を信じているという人達がこの人を持ちあげたがるのは分かる気がします。
とはいえ、ほかにも「月面で神に触れた」とか、月へのミッションにおいて「テレパシー能力が増幅されることも発見した」といった不可思議な発言も繰り返しており、アポロ14号の同僚飛行士、ミッチェルとシェパードとの間では、「何も言葉を交わさないのに、彼の考えていることが直接わかった」などと語っています。
どうやらアポロ14号による宇宙飛行がその後の彼を「狂わせてしまった」と思わせるようなふしがあり、このほかにも、「神とは、宇宙霊魂あるいはコスミック・スピリット(宇宙精神)である」とか、「宇宙知性(コスミック・インテリジェンス)」なるものが存在するなどの発言を繰り返しています。
この人の頭はおかしいとか、狂っているとかいうのは簡単なのですが、調べてみると、アポロ計画によって月面に降り立ち、地球に無事に帰ってきた宇宙飛行士の中には、帰還後急に宗教にめざめたり、あるいはかなり奇矯な行動に出たり奇妙な発言をする人も多く、また精神に支障をきたした人もいるようです。
最初に月に降り立ったアポロ11号以降、そうした人を順番にピックアップしてみましょう。
アポロ11号
エドウィン・ユージン・オルドリン(Edwin Eugene “Buzz” Aldrin Jr.)空軍軍人。ニュージャージー州モントクレア出身。
月面への第一歩を船長のニール・アームストロングとオルドリンと果たした人物です。どちらが踏み出すかについてオルドリン自身に相当な葛藤があったらしく、最終的にはアームストロングの経歴がオルドリンより上であったことなどから、アームストロングが月面の第一歩を踏み出すことになりました。
あまり知られてはいないことのようですが、オルドリンはイギリスの秘密結社「フリーメイソン」のメンバーであり、月面ではこの会に由来する聖餐式(せいさんしき)を行っています。フリーメイソンは、その歴史が古代エジプトまで遡るといわれ、これも古代エジプトの神、オシリスとイシスに供物を捧げる儀式だそうです。
オルドリンは「月面に降り立った二人目の人類」という名誉を「自身の敗北」と感じたらしく、地球帰還後、うつ病を患ったといい、薬物中毒にもなり、入院を繰り返したといいます。
その後も「科学と宗教はそもそも対立するものではない」とか、「科学は神の手がいかに働いているかを、少しずつ見つけだしていく過程である」といった哲学的な発言をしており、月面に降り立つという特異な経験がその思考に何等かの影響を与えたことをうかがわせます。
アポロ14号
前述のエドガー・ミッチェル Edgar Mitchell参照。
アポロ15号
ジェームス・アーウィンジェームズ・アーウィン(James Benson Irwin)空軍軍人、牧師。
ペンシルベニア州ピッツバーグ出身。最終階級は空軍大佐。
1971年7月26日アポロ15号で月面着陸。退役後、ハイフライト基金キリスト福音教会所属牧師として世界中を歩いて布教を行ないました。
その後、第2の人生をノアの箱舟探索に捧げようと考え、トルコのアララト山標高5165mにまで出かけ、旧約聖書に記述されているノアの箱舟を探しだそうとしているといいます。
月では、「臨神体験」をしたと語っており、この人も月で「不思議体験」をしたのではと思わせますが、「神は超自然的にあまねく偏在しているのだということが実感としてわかる」といった発言には多少不自然さもありますが、ごくまっとうな人のようにも思えます。
が、キリスト教に帰依する聖職者とはいえ、ノアの箱舟探しは少し突拍子もない感じもします。
アポロ16号
チャールズ・デューク(Charles Moss Duke, Jr.)は、アメリカ空軍の准将。月面を歩いた12人の宇宙飛行士の中では最年少。
デュークは、1972年にアポロ16号の月着陸船パイロットとなり、この飛行で、彼と同僚飛行士のジョン・ヤングは3回の船外活動を行い、デュークは月面を歩いた10人目の人物となりました。アポロ17号でも月着陸船の予備乗員を務め、累計265日間もの間、宇宙に滞在し、合計で21時間28分の船外活動を行っています。
この人も宇宙からの帰還後、熱心なキリスト教徒になり、刑務所内の教会で布教を行うなど活発な活動をしています。「科学的真理と宗教的真理という二つの相克をかかえたまま宇宙に行ったが、宇宙ではこの長年悩み続けた問題を一瞬で解決することができた」と述べており、宇宙の体験と「神の存在の認識」をダブらせるような発言をしています。
…… 以上のように、月を歩いて帰ってきた彼らは不思議と「神の存在」を異口同音にとなえるようになり、これは同じNASAに属した宇宙飛行士であることから、もしかしたらNASAそのものがそうした精神世界に関する教育を彼らに施していたのではないのかと疑ってしまいます。
がしかし、無論そんなことはあろうはずもなく、だとすれば最初に「臨神体験」をしたというオルドリンが後輩飛行士たちに何等かのレクチャーでもしたか、とも考えられなくもありませんが、どうやらそういう事実もなさそうです。
月を歩くという特殊な宇宙体験が何を彼らにもたらしたのか?先端科学の諸分野の最高峰的な人材だった彼等が、何故にこれほどまでに神を語るのかについては科学的にいろいろ類推することはできます。
極度の精神的ストレスによる重圧、あるいは耐えられない精神的抑圧への自己防御としての精神的逃亡、はたまた宇宙旅行による酸欠、または酸素濃度の変化などから来る物理的な脳細胞の損傷、幻視体験といった後遺症、興奮状態からくる精神の変容といったことも考えられるでしょう。
が、科学を逸脱した考え方をするならば、彼らが月に降り立ったとき、科学を超越した何かが存在し、それを感じることで彼らの精神が変容していったということもまたありえるように思います。とはいえ、その何かについてこの項で結論づけるつもりもありませんし、また月面にも行ったことのない我々にはそれを想像することさえできません。
リーディングによって20世紀最大の預言者といわれたエドガー・ケイシーは、月は地球の水域と人体内の水との両方の活動を司っているといった意味の霊的な啓示を残しているそうです。
だとすれば、月の地面に降り立ち地面に直接触るという行為は、きっとその何等かの不思議な力を人体に及ぼすに違いありません。それによってこれら宇宙飛行士たちの精神構造に何等かの変化が起きたと考えれば、その後の彼らの数奇な人生航路の変更もわかるような気がします。
そう考えると、私自身も月へ行ったらどう変わるのかがどうしても知りたくなります。が、残念ながら生きているうちには月には行けそうもありません。月に近づく、あるいはもっと身近に感じるのは夜空のそれを眺めることしかないようです。
なので、次の良く晴れた夜を選び、月が出ていれば月光浴をしてみることにしましょう。案外と宇宙飛行士が感じたような何等かの神性を感じることができるかもしれません。
次の満月が待ち遠しくなりました。