ケイリン ~旧中伊豆町(伊豆市)


先週末の土曜日のこと、修善寺から10kmほど北東に行った山奥にある、「サイクルスポーツセンター」へ行ってきました。

私はかつてここへ二回行ったことがあります。一度目は、日本橋で勤めていた会社の社員旅行でのことであり、20年ほど前のこと。二度目はそれから数年後のことで、このときは先妻と一人息子との家族旅行でのことでした。

昔のことを思い出して少しセンチになるのも嫌だな、とは思ったものの、その後ここがどんなふうに変わっているかを知りたく、またタエさんは一度も行ったことがないわけだし、まぁ行ってみるか、ということになりました。

あまり気乗りのしない再訪問だったわけですが、後を押したのは、この日がこのサイクルスポーツセンターで一年に一回、入場料がタダになる日だったということ。

もともと高い入場料ではないのですが(800円)、それでもラーメン一杯食えるじゃないか(しかもチャーシューメンクラスが)、という意地汚さも手伝い、重い腰を上げることにしたのです。

サイクルスポーツセンターは、伊豆市の旧中伊豆町に位置する施設で、開設は1965年6月といいますから、開園からもうかれこれ半世紀にもなります。競技用自転車に関する調査研究等を通じ、サイクルスポーツの普及を促進する、ということをお題目にした競輪関連の財団が建設したらしい。

現在も、入園料や施設の利用料などの収入のほか、JKA(旧日本自転車振興会)などの競輪運営団体の寄付金や補助などで維持補修費や運営費がまかなわれています。

もともとは、自転車競技を行うことを目的にした施設だったため、場内にはロード競技用5kmサーキット・トラックレース用400mピスト(走路)・MTB(マウンテンバイク)コースなどがあり、有料で一般開放しています。東京から近いこともあり、現在でもここでレース気分を味わうマニアも多いようです。

ただしピストなどの競走路を一般利用者が利用する際には基礎脚力検査が行われるそうで、基準を満たさない未熟者は落車などの危険が生じるため、利用が認められないこともあるとか。

日本の競輪界では、ここに隣接している日本競輪学校の卒業生も多いとのことで、こうした素人さんに使わせる場合でも審査基準があるとは、さすが名だたる日本競輪界のメッカだなぁと感心至極。

現在でも、現役の競輪選手などが走行訓練を行うこともあるそうですが、我々が行ったこの日も現役選手をゲストに招いたアマチュアの大会が行われていたようです。訪問時間が遅く、それらのレースは終了したあとであり、見ることはできませんでしたが……

また、ロード用コースは自転車による一般的なレースだけでなく、自動車・オートバイなどの試乗会会場として使われることもあり、「カーグラフィックTV」というBS朝日のテレビ番組などでは、撮影にも使われるということです。

もっとも、こうしたマニア向けの施設ばかりでなく、ファミリー向けの施設もあり、3~4m上の軌道上を走るサイクルアトラクション、変わり種自転車、水上自転車などなどの各種の遊具施設もあって、これらのはこの施設の方針として、基本的には「人力で動かす」ものばかりです。

しかし、サイクルコースターという子供向けのジェットコースターやメリーゴーランド、迷路といった遊園地施設も併設してあって、小さな子供でも楽しめるようになっており、我々が行ったこの日も、利用者のほぼ9割は家族連れでした。

施設内にはこのほかにも、レストハウス、体育館、多目的ホール、 流水プール、キャンプ場、パターゴルフ場、宿泊施設などがあり、さらには温泉入浴施設(露天風呂あり)まであって、「一日中楽しめる」が謳い文句になっています。

しかし、いかんせん古い! 遊具施設は20年前に私が来たときのものとほぼ変わっておらず、また建物群もかなり老朽化しています。

入場してすぐのところにあるメインエリアには、5kmサーキットを見下ろす、これはなんと呼ぶのでしょうか、展望デッキ?観戦デッキのような鉄骨で作られたかなり大規模な構造物があるのですが、これがもうボロボロに錆びていて、あちこちに鉄骨から剥離した錆びた部材が落ちています。

さすがに施設管理者も危ないと思っているのか、一応立ち入り禁止のロープが張られているのですが、全く近づけないわけでもなく、近寄ったところへ上から錆びた鉄骨が……なんて事故が起きなければいいが……と余計な心配までしてしまいました。

このサイクルスポーツセンター、実は当初、サーキットとして計画されていたそうで、その後紆余曲折を経て、日本競輪学校と同所の敷地となったという経緯があるそうです。同じ県内では、駿東郡小山町に「富士スピードウェイ」が1966年に開設しており、もしこちらが先行していなければ、伊豆にサーキットができていた可能性もあるわけです。

結局のところ、サーキット計画は見送られ、そのかわりに「競輪のメッカ」とすることで決着したようで、このため競輪の競技コースに加え、競輪選手を養成する「日本競輪学校」が建設されました。

ちなみに、私の広島の高校時代の同級生の一人(タエさんの同級生でもある)が、母校を卒業後にこの競輪学校に入ってその後プロデビューしており、一時は1000万円プレーヤーとして活躍しています。

その彼が卒業した学校のすぐ近くに居を構えるようになるとは想像だにしませんでしたが、何かとご縁を感じてしまいます。

自転車関係者の間で「修善寺」といえば、この日本サイクルスポーツセンターか日本競輪学校のどちらかを指す代名詞となっているほど有名な場所なのだそうで、また別の意味で誇らしく思えたりするから不思議です……

しかし、施設全体は半世紀も経っているせいもあり老朽化は否めず、遊園地としての利用者もあまり多くないようです。また最近では日本のあちこちで競輪場の閉鎖が続いており、競馬や競艇といったギャンブルに押され、近年の競輪そのものも衰退傾向にあるようです。

しかし、最近はダイエットや健康志向がもてはやされる中、サイクリング・ブームなのだそうです。サイクリングロードとの連携を企業活動や観光に利用する場合も増えており、日本中のあちこちに立派なサイクリングロードが作られるようになりました。

「サイクリング」の名を冠して行われるイベントも増えており、初心者からベテランの愛好家まで多様な参加者が集まるレースも頻繁に行われるようになっています。

そのほとんどが総走行距離50キロメートルを下回り、ヨーロッパで行われているもののような長距離レースではありませんが、初心者でも参加しやすいため、こうしたレースは都市部でも行われています。

例えば首都圏最大の大会である「東京シティサイクリング」はエクステンションを含めて35キロメートルのコースであり、手軽さも受けていつも参加希望者が募集数を大幅に上回ると聞いています。

こうしたサイクリングブームの背景には、「ケイリン」がオリンピック競技として正式採用されたことも無関係ではないでしょう。

「ケイリン」とは、言うまでもなく日本発祥の公営競技である「競輪」を元に作られた競技です。が、それと区別するため「ケイリン」と表記されるようになりました。

現在では国際自転車競技連合(UCI) によって”KEIRIN”の名で正式種目と認定されており、オリンピックだけでなく、このほかの世界選手権や国際大会でも競技が行われています。

2000年に行われたシドニーオリンピックから正式採用されました。

1996年のアトランタオリンピックにおいて、自転車競技もプロ・アマオープン化されることに伴い、日本車連はオリンピックにおいても、ケイリンの採用を打診。しかし、既にアトランタでの実施種目は決まっていたため、この大会では採用されませんでした。

が、既に1980年より世界自転車選手権のほうでは採用されていたため、その後も世界各国へ技術指導等を含め、ケイリンの普及活動を行ったことなどを日本オリンピック委員会(JOC)を通じ、国際オリンピック委員会(IOC)にPR。

その結果、1996年のIOC総会において、ケイリンは正式種目として、4年後のシドニーオリンピックでの採用が決まり、ケイリンは日本生まれの五輪種目としては柔道(1964年の東京オリンピックより正式採用)に続いて史上2例目となりました。

シドニーでの初代優勝者はフランスのフロリアン・ルソーであり、日本からはメダリストは出ませんでしたが、2008年の北京オリンピックでは永井清史が日本人初となる銅メダルを獲得しています。

さらに、2009年12月に行われたIOC理事会においては、オリンピック男女平等種目数の方針が確認され、これに基づき、UCI(国際自転車競技連合)が「ケイリン女子」を提案して了承を受けたことから、2012年のロンドンオリンピックでも正式種目として採用することが承認されました。

残念ながら、ロンドンオリンピックには、日本の女子ケイリン選手の養成は間に合わず、日本はエントリーさえしませんでしたが、このオリンピックでの正式種目への採用をきっかけに、日本でも「ガールズケイリン」が復活することになりました。

「復活」と書いたのは、1949年から1964年まで女性の競輪選手による競走として「女子競輪」が存在したためです。人気面の低落から廃止となりましたが、その後幾度となく復活の話が持ち上がるたびに議論されていました。

しかし、2008年からで各地の競輪場に日本の女性自転車競技選手を集結させてケイリンのエキシビションとして実施させていたところに、オリンピックでの正式種目になったとの発表があり、このことが追い風となって、女性自転車競技選手の育成を目的する「ガールズケイリン」として正式に復活させることになったのです。

2010年5月には女子第1回生となる日本競輪学校入学者(定員35名)を募集し、2012年3月に卒業。同年7月に平塚競輪場で48年ぶりの女性競輪が開催されました。

以後も毎年の募集が行われて、選手の養成が行われ、以来、日本各地の競輪場で女子競輪選手が活躍するようになりました。復活する女子競輪の愛称は公募されたものの、結局はエキシビジョンで行われたレースと同称の「GIRL’S KEIRIN(ガールズケイリン)」とすることも発表され、ファンからはこの名で親しまれつつあります。

日本のケイリン技術は世界に冠たるものであり、おそらくは、2016年のリオデジャネイロオリンピックでは、このガールズケイリン選手の中から、ケイリン種目としては日本初の女性メダリストが出るに違いありません。期待しましょう。

このように純粋なスポーツ競技としてのケイリンは、ギャンブル競技としての競輪そのものは衰退傾向にあるものの、最近のサイクリングブームとも相まって、むしろその裾野を広げようとしています。

老朽化しつつある、修善寺のサイクルスポーツセンターのもその新しい流れがやってきており、我々がここを訪れたときにも、目新しい大きな自転車競技場ができていました。

「伊豆ベロドローム」は、この日本サイクルスポーツセンター内に、日本初の木製走路競技場として建設されたケイリン競技場です。

現在日本の各地にある自転車競技場(競輪場)の走路はほとんどがアスファルト仕様ですが、2000年のシドニーオリンピック以降、トラックレースの国際大会は概ね、室内競技場、1周 250メートル、木製仕様の走路、で行われることが常となっています。

この観点を踏まえ、当場の開設が検討されることになったわけであり、昭和46年の発足以来、日本の自転車の中心ともいえ、自転車競技の発展に寄与してきたサイクルスポーツセンターに、今後のわが国の自転車競技の振興に資することを期待して建設が行われることになりました。

この日本初となる屋内型板張り250mトラック「伊豆ベロドローム」は、財団法人JKAの後押しを受け、公営競輪競技からの利益金を用いた競輪補助事業として2009年から建設が始まり、3年を経て2011年10月に完成しました。

ベロドローム(Velodrome)はラテン語で自転車競技場を意味します。走路が木製仕様の自転車競技場は、日本では西宮競輪場(1949年〜1965年)以来となりますが、常設および室内の木製走路の自転車競技場としては、無論、日本初です。

走路にはシベリア松を使用。北京オリンピックでトラックレースの会場となった老山自転車館を設計したドイツ人のラルフ・シューマンが設計を担当したそうです。

周長250m 木製走路は前述のとおり、最大カントはなんと45度もあるそうです。観客席数 常設1800席、仮設1200席。長軸方向119m、短軸方向93m、高さ27mという規模は、室内競技場としては国内で最大規模です。

日本自転車競技連盟はかねて、トラックレースのみならず、ロードレース、マウンテンバイクレース、BMXについても1箇所で強化できる拠点作りに着手しており、ここサイクルスポーツセンターには長年のその下地があり、ここに建設すれば相乗効果が狙える、と考えたようです。

22011年9月には、かつて世界選手権の「スプリント」で10連覇(1977~1986年)を達成した中野浩一らを招いての竣工式が行われ、同年10月1日に開場。同年同月14日〜16日まで開催された全日本自転車競技選手権大会のトラックレースが杮(こけら)落しの開催となりました。

以後、かつての競輪ブームの再来を思わせるような数々の熱血レースがここで行われてきており、我々が訪れたこの日も大きな大会があったようです。やがてここで活躍した選手の中から、オリンピックで活躍する選手が出てくるに違いありません。

また、2020年にもし東京オリンピックが実現するようであれば、ここがその競技場のひとつとして採用されるのはほぼ間違いないのではないでしょうか。東京からの距離は多少あるとはいえ、これだけの競技場は関東地方にはおそらくないでしょうから。

ところで、ケイリンの競技というのはどんなふうに行われるのか興味があったので調べてみました。

オリンピック競技種目としての「ケイリン」は、主に6名以上の選手で争われますが、基本的なルールは競輪の「先頭固定競走」とほぼ同じだそうです。選手とは別に先頭誘導員が1人いて、電動アシスト自転車、またはデルニー(モペッド)を使い、決められた周回を先頭で空気抵抗を減らしながら走ります。

モペッドというのは、ペダル付きのオートバイで、エンジンや電気モーターなどの原動機だけで走行することも、ペダルをこいで人力だけで走行することも可能な車両です。その昔、大正や昭和の初めには原動機付きの足こぎ自転車があったようですから、あれと同じようなものと考えればよいでしょう。

先頭誘導員がいるのは、一番前にいる選手が風の抵抗を受けて不利になるのを避けるためです。ギャンブル営競技としての競輪では、誘導員は自力で自転車を動かしますが、国際競技のケイリンではこれを動力としたのは、この誘導員の力量によって競技結果が左右されることを憂慮したためでしょう。

そしてレースが始まってしばらくすると、誘導員が審判の合図により先頭を外れ、圏内線の中へ退避します。このあたりから本格的に競走が始まり、各々1着でゴールできると思った位置からダッシュをかけ、しのぎあいが始まります。

各組2人から4人が先着トーナメント方式で勝ち上がる形式であり、また敗者復活戦もあります。その勝者は準々決勝あたりで合流することから、大逆転もあり、このあたりの勝敗の行方は混とんとすることも多く、非常に面白いといいます。

選手同士の連携はギャンブル競技の競輪とは異なりそれほど重視されません。このため、競輪とは異なる戦術・技術を必要とする場合も多く、日本のトップ競輪選手といえども国際大会のケイリンにおいて強さを発揮できるとは限りません。

事実、先般の北京オリンピックで日本は「ケイリン」競技で銅メダル、またその前のアテネオリンピックでは「チームスプリント」で銀メダルと、4年に1度のオリンピックでは2大会連続でメダルは獲得したものの、世界との差は広がったままであるのが実態です。

これについては、いろんなことがいわれているようですが、1996年以降、オリンピック及び世界選手権が行われる競技場が、屋内型板張り250mトラックが主流となってきたことがそのひとつの理由と考えられています。

1993年に吉岡稔真選手がケイリン種目で獲得した銅メダルを最後に世界選手権においては表彰台に上がる日本人選手が出ておらず、このことはほぼ年代的にも符合しています。

日本における自転車競技場は、その大半が従来の競輪場で行われており、これらの競技場の周長は400mを中心に、333.3m、500mの3種類、表面はアスファルト製の走路であり、いわゆる現在の世界標準である屋内型板張り250mトラックはありません。

従って、海外遠征を行わない限り、本番と同じ環境、つまりは屋内型板張り250mトラックでの練習・訓練が出来ない中で戦っているわけです。

これは、他国と比べて明らかなハンディ・キャップであり、この状況が続く限りはこれ以上の競技力の向上を望むのは困難であることは明らかです。

伊豆ベロドロームは、こうした背景から作られた、いわば明日の日本の「ケイリン」界をしょって立つホープ選手養成のための重要な練習場というわけです。

ところでオリンピックといえば、その開催と同時に行われるのがパラリンピックです。実は、我々がここを訪れたとき、その日のレースは終わっていたのですが、時期リオデジャネイロパラリンピックへ出場予定の選手の「壮行会」と称するイベントが行われていました。

我々が場内を見学していたところ、ちょうどその出場選手の一人らしい方が、デモンストレーション走行を始められました。みると、なんとその方は左の足がなく、義足もされておらず、全くの片足(右足だけ)で、自転車を漕いでおられたのです!

この方とは別にもう一人ハンディキャップの方がいたのですが、こちらは左足に義足をはめておられました。その方が先導する形で、このベロドドーム内の周回コースを一周されたのですが、さすがに片足だけに、最後のほうはかなり失速し、しんどそうでした。

しかし、ゴールするやいなや、会場にいた十数人の観客からは暖かい拍手が贈られ、これに対して先導者の方からは大きな声で「ありがとうございました」の声が返ってきました。

思いがけなく出くわしたワンシーンだったのですが、思いがけない感動に、あとで家に帰ったあとも妙にこのシーンが脳裏に焼き付いて離れません。

伊豆ベロドロームは、健常者のメダリスト養成場としてだけではなく、こうしたハンディキャップを持った人達の修練の場でもあるわけです……

さて、今日も今日とて長くなりそうなので、この辺にしましょう。本当はギャンブル競技としての「競輪」のほうについても書きたかったのですが、これはまた後日にしましょう。

日本列島は、昨日中四国・九州地方が梅雨入りしたということで、早晩この伊豆の梅雨入りも免れません。少しでも陽があるうちに、と今日はコタツ布団と下敷きカーペットの洗濯をしました。

皆さんも冬物の洗濯を急ぎましょう。じめじめむしむしの日々はもうすぐそこにまで来ています。