ラジオな時間


5月の後半に入ってあまりくっきり姿を見せることがなかった富士山が、昨日からその雄姿を堂々見せています。

それにしても、ついこの間まで山頂は真っ白だったものが、今や残雪は3割ほどに減っており、夏の近さを物語っています。

世界遺産に登録が決まった今、再び富士山ブームが過熱しようとしており、この夏はきっと多くの登山者でにぎわうことでしょう。私もそのひとりになりたいところですが、果たして実現するのでしょうか。

さて、もうなんと6月です。昨日はちょっと忙しくてブログを書きかけてはいたものの、アップできず今日になってしまいました。6月1日を何等かの記念日としているものがものすごく多いことに気付き、これについて書きかけていたのですが、改めてこれを以下に列記してみました。

気象記念日(気象庁)
電波の日(郵政省1951)
人権擁護委員の日(法務省他1981)
写真の日(日本写真協会1951)
国際放送記念日
真珠の日(日本真珠振興会)
万国郵便連合加盟記念日
麦茶の日(全国麦茶工業協 同組合1986)
ねじの日(日本ねじ工業協会1976)
梅の日(梅研究会1987)
ガムの日(日本チューインガム協会1994)
生糸年度始め
氷の日(日本冷凍事業協会)
バッジの日(徽章工学協会1993)

これだけ6月1日を記念日とする日が多いのは、季節が変わるころ、年度末の狂騒が終って落ち着いたころ、といろいろな理由があるのでしょうが、いったい何が原因なのでしょうか。

よくわかりませんが、とかく6月といえば何かを始めるのには適した頃、というイメージがあるのは確かであり、そういえば、6月はジューン・ブライド、そうこの月に結婚すると幸せになるといわれています。

かくいう我々も6月20日が結婚記念日であり、この月から5年前に結婚生活をスタートしています。あれから5年……早いものですが、この間の述懐などについてはまた日を改めて書いてみたいと思います。

ほかにも、「あゆ解禁」が6月1日である地域も多いようです。が、5月中に解禁している場所も多く、必ずしも今日がその日ということでもないようです。

「生糸年初め」というのもありますが、生糸というのは絹のことであり、その昔は6月をメドとしてその年の生産を始めたことに由来しているようです。

年度というのは、官公庁の年度や学校年度のように4月開始、と思っている人も多いようですが、農産物や加工品にはそれぞれ年度があって、生糸以外にも、いも年度(9月開始)、砂糖年度(10月)、米穀年度(11月)、醸造年度( 酒造業界用の年度。7月)、などなどがあります。

同じく、農薬年度というのもあって、10月開始。さらには肥料年度、6月などもあり、こうしてみると日本という国はもともと農業のさかんな国だったのだなと、改めて実感されます。

電磁波?電波??

ところで、上述の記念日の中には、「電波の日」というのがあります。調べてみると別にこの日に日本の上空で初めて電波が飛び交ったとかいうような話ではなく、1950年(昭和25年)に、郵政省(現総務省)が電波三法(電波法・放送法・電波監理委員会設置法)を施行し、電波が一般に開放されたことにちなんでいるようです。

それにしても、我々が普通、ごく当たり前のように使っているこの電波とはいったい何ナノでしょうか。

調べてみると、その基本定義は、「電磁波のうち光より周波数が低いもの」ということになっているようです。「周波数が低い」というのは言い換えれば波長の長いということであり(λ= 300 /波長 λ:周波数)、じゃぁ、波長の長い云々は別として、電磁波ってのはそもそも何なの?ということにもなります。

で、あらためて調べてみたところ、電磁波の定義は、「空間の電場と磁場の変化によって形成される波(波動)」ということになります。

さらに、電場は?磁場は?ということなのですが、電気の根本は+と-性質を持つ電子であり、「電気が発生している」というのは、原子を構成している電子が、何等かの外部からの力を受けて原子から飛び出して自由に移動している状態です。

一方の磁場、つまり磁力が働いている場というのは、「磁石」を例にあげて考えると、その根本的性質はNとSで構成されている場です。そして磁石のN極とS極を生み出すためには、最小構成単位である電子が常に自転(スピン)を繰り返していなければならないということがわかっています。

電子が自由に飛び回ってできるのが電場、電子の回転運動によって規定される環境が磁場です。「電場」は、単に電子が+と-の性質を持ち、自由に飛び回って+-の世界を形成している場であり、磁場はこの電子が自ら回転することによって、その周辺に生み出されるNSの世界(場)ということになります。

いずれも電子によって形成される場であり、何もない穏やかな環境であるわけがありません。当然何等かのかく乱があるはずであり、電場と磁場の両方の作用を受けて発生する物理現象が「波」です。海岸に押し寄せるのも波ですが、この場合の波は空中ですから、びよびよびよーんと空間が伸び縮みするようなものです。無論、目には見えません。

電気と磁力の両方の作用で発生する場なので、「電」と「磁」をくっつけて「電磁場」と呼び、さらにこれによって生み出される「波」のことを「電磁波」と呼ぶわけです。

分かります?

さて、電磁波は「波動」ですから、自由に空中を伝わります。しかも同じ波動であっても「音波」つまり、音のように、その伝播に何らかの媒体(例えば空気とか水とか)が必要ありません。

音は、これを仲介する空気などの圧力の周期的な変化が波動として伝播するものであり、電磁波ではありません。「ゆれ」といったほうがわかりやすいかもしれません。

ゆれがいろいろなものを介して伝わり、耳に届くわけです。従って真空では音は伝わりません。媒体として空気や水、金属など、とにかくこの伝播を介するなにかあれば「ゆれ」は伝わり、よって音も伝わります。しかしいかんせん、媒介物が必要なの遠くまでは伝わりません。無論、空気のない真空の世界である宇宙では音を聞くことはできません。

ところが、電磁波のひとつである光が伝播するためにはこうした媒介物は必要なく、空気のない宇宙空間でも自由に飛んでいくことができます。逆に、宇宙空間から地球にも届くことができ、我々がいつも夜空で見ている星もこのために遠い宇宙のかなたから届いている光です。

音に比べて非常に遠いところまで波動を伝えることができ、遥か彼方のビックバンの昔の光が地球にまで届いているわけです。

光が電磁波のひとつだと書きましたが、光も波動のひとつです。ただし周波数はむちゃくちゃ高い波動です。当然低い周波数の波動もあり、電磁波である光のうち最も周波数の低いものを赤外線(又は遠赤外線)と呼びます。そしてさらにそれよりも周波数の低い電磁波が、「電波」ということになります。

「電波法」という日本の法律によれば、電波は「三百万メガヘルツ以下の周波数の電磁波」と定義しており、数字表記すると、3,000,000MHz =3,000GHz =3THz 以下ということになります。

もっともこれは日本の法律でこう決めているだけで、他国では違った定義をしている国もあります。そもそも電波を周波数の違いだけで、他の電磁波から区別すること自体が自然の理にかなっていない話であり、物理的には光も電波も電磁波のある一定の帯域を指している用語にすぎずません。

その証拠に、「電波天文学」という学問などでは測定方法によっては、電波としても光として扱える周波数帯があり、これらを区別して扱えない電磁波があるといいます。

とはいえ、いずれも電磁波としての性質(粒子性)と波としての性質(波動性)を持っており、このどちらかを技術的に利用しているかを区別するため、便宜上「光」または「電波」と呼んでいるのです。つまり、我々が普段使っている電波は電磁波の持つ性質のうち、とくに「波動」の部分をうまく使っているということになります。

一方、この電磁波を人類が利用する上において、「光」に国境はありませんが、「電波」は公共の財産として扱われます。日本では総務省が利用者に割り当てており、他の先進国でも政府機関が周波数帯の割当を行なって管理しています。

諸外国では、オークションを行うまでして割り当てる場合もあり、電波利用料には大きな差がみられますが、わが国では一応、総務省がこれをうまくコントロールしており、これまでも大きな混乱はありません。が、携帯電話での電波の割り当てなどを巡って、大手の電話会社がしのぎを削っているという話はよくニュースで耳にします。

ラジオ???

この電波に「音響情報」を乗せて送る技術がいわゆる「ラジオ放送」です。電波は光と同じ電磁波ですから、周波数の高い光と同じように、というわけにはいきませんが、それなりに遠くまで届きます。

よく、惑星探査衛星から発せられた電波が地球に届くのに何日もかかる、といったニュースが流れているのを耳にしますが、電波は光ほど周波数が高くないために、その伝播に時間がかかるためです。

一方、「音」というのは、前述のようにそもそも電磁波ではありません。しかもその伝播のためには仲介する媒体が必要ですから、あまり遠くまで届きません。しかし、もしもこの「音波」を遠くまで届く電波に「含ませる」ことができれば、より遠くまで音を伝えることができるはずです。

しかしそのためには、電波と音をうまく「ミックス」してやらなければなりません。そしてより高周波の電波を、より低い音とをうまく絡み合わせる技術を「変調 (modulation)」といいます。

この変調については、説明しだすとまたややこしいので、詳しくは書きませんが、簡単にいうと、電波と音波という二つの波を「重ね合わせる」ことによって変調が可能になります。

重ね合わせ方もいろいろあって、一般に良く使われているのが、音の「振幅」を基準として重ね合わせる方法であり、これを「振幅変調」といい、また音の「周波数」を基準にして合わせる方法を「周波数変調」といいます。

変調によって電磁波としての性質がなくなるわけではなく、空気のないところへも届くという電磁波ならではの特徴はそのままです。従って、「音」を遠くまで届けることができるわけであり、この変調を受けた電波のことを搬送波(キャリア)といいます。

電波以外にも音を伝える媒体としては電話線や光ケーブルがありますが、光通信においては搬送波は電気信号でなく光になります。が、考え方は基本的には同様です。ただし、ひとつの周波数で限られた情報しか伝えられない電波に比べ、光通信の場合は一本の伝送路で数多くの情報を伝えることができるため、この点では電波よりもかなり便利です。

ただし、光ファイーバーの敷設といった制約があり、電波のように空中へ自由自在に情報を飛ばすといった芸当はできません。

ただ、光ファイバーにしても電波にしても、変調などによって「含ませて」遠くへ届いた音は、そのままでは聞くことができません。届いた電波から切り離して、元の音の情報を復元しなければ我々の耳には音として聞こえません。電波から音を分離して元の音波を取り出す作業、これを「復調(Demodulation)」といいます。

そして、この復調によってラジオ放送局から出た電波から音を取り出す装置こそが、ラジオであり、正式には「ラジオ受信機」ということになります。この復調のシステムもややこしいので説明しません。が、電波と音の絡まった搬送波をうまく「ほぐして」、音だけを抽出する、といった感覚です。

色々な電波

さて、前述までのように、電波とは、電磁波のうちの周波数の低いもの(波長の長いもの)、という説明でしたが、この電波はさらに波長の長短による分類ができ、波長が一番短いものは極超短波、次いで、超短波、短波、中波、長波となります。

このうち、一番我々に馴染みの深いものが中波放送や超短波放送であり、一般にはAM放送、FM放送と呼ばれています。

本来は、FMのほうが周波数が高く、波長も短いために遠くまで届きそうなものですが、AM放送では、変調に前述の「振幅変調」という単純な変調方式を使っています。これに対し、FMではより複雑な、というか、より広い周波数帯を必要とする「周波数変調」を用いています。

広い周波数帯を必要とするためにこの「周波数変調」によるFM波は、あまり良い表現ではありませんが、感覚的には「重くなる」ために、本来遠くへ飛ばせるはずのものが、あまり遠くまで電波を飛ばせなくなります。また、電離層では普通反射せず、地表を渡っていくときにもその波は減衰が大きくなります。

しかし、その反面、幅広い周波数の電波を用いる、つまりたくさんの情報を載せることができ、このため、AM放送では難しいステレオ放送などが可能になります。また、情報量が多い分、音質も良くなります。

遠くへ飛ばせないということは、その使用範囲も限定されます。東京や大阪で流れているFM放送が東北や九州では聞けないのはこのためです。

一方のAM放送の電波はFM放送よりも単純な方式で変調するので、より遠くに届きます。従って、FM放送のように地域限定でしか聞けない、というようなこともなく、大気の状態さえよければ、中国地方のラジオ放送を東京で聞くこともできます。

ちなみに私は、高校を卒業後に静岡へ来たあと、よく広島のRCCラジオの電波を受信して、広島カープの試合の放送を良く聞いていました。ときおり電波状態が悪くなり、途中で結果がわからなくなってしまうこともしばしばでしたが……

この中波放送の中でもより周波数が高いものは広域の国内ラジオ放送で使用されることもあります。が、一般に中波放送よりも遠く飛び、国際放送に使われるのが、「短波放送」です。

中波と同じく振幅変調で飛ばす方式であり、中波より周波数が高い分遠くまで飛ばしやすいのに加え、短波は電離層(F層)で反射しながら伝わっていくという性質も持っています。このため地球の裏側まで短波を届けるということも原理的には不可能ではないようです。

ただし、長距離まで届くという長所はあるのですが、季節や時間帯によって受信状態が変動しやすいという欠点があります。冬場・夜間は低い周波数が良好に届き、逆に夏場・昼間は高い周波数が良好になりますし、また太陽活動が活発になるとさらにこの傾向が強まります。

このため、季節や時間帯によって、目的とする場所で放送が聞こえるように、放送に使う周波数を変える必要があります。NHKは、日本国外在住の日本人向けにNHKワールド・ラジオ日本を運営していますが、世界中で聞こえるように、他の国の放送局で中継してもらったり、逆に他の国の放送を中継したりしているそうです。

とはいえ、日本全土をカバーできるほどの伝播力を持っているだけでなく、日本以外のアジア諸国だけでなく、全世界で聞くこともできるため、海外の情報をいち早く入手することができる手段としては重宝されています。短波を発する国の言葉を習得して理解する必要性はありますが……

日本での広域短波放送としては現在、ラジオNIKKEIがあり、国際放送はNHKワールド・ラジオ日本があります。ラジオNIKKEIの場合は、日本全国で聞こえるようにするため、複数の周波数を複数の場所を用いて放送するなどしているということです。

1970年代には、こうした短波放送受信するBCLブーム(Broadcasting Listeningの略。短波国際放送を聴取して楽しむ)が中学生・高校生を中心に流行しました。私もそのブームに乗っかり、親に頼んで短波放送が聞けるラジオを買ってもらいましたが、その当時は英語があまり得意でもなかったため、そのうちこのラジオもゴミになってしまいました。

現在ではそのBCLブームもとうに終わってしまっており、国内メーカーで短波ラジオを販売しているところは極端に少なくなっているようです。ただ、この通信用受信機をいまだにどこかで手に入れて海外放送を聞くのを趣味にしている愛好家もいるとこのことで、アマチュア無線を趣味としている愛好家とどこか相通じるものがあります。

なお、この短波放送以上の「極超短波」を用いるラジオ放送は、世界のどこの国でも行われていません。電波の性質上、これを扱う機材が高くなるとかいった不具合あるためのようですが、一部では軍事的に使われている、という話もあるようです。詳しいことはよくわかりませんが。

ラジオの歴史

さて、このラジオ、すなわち「無線での音声放送」を世界で初めて実現したのは元エジソンの会社の技師だったカナダ生まれの電気技術者レジナルド・フェッセンデンという人です。1900年(M33)のことであり、最初は音の歪みがひどく、ほとんど聞き取れないようなものだったようですが、ともかく最初の通信テストに成功しました。

彼は引き続き、ラジオの改良に取り組み、1906年(M39)の12月24日には、アメリカ・マサチューセッツ州の自己の無線局から、自らのクリスマスの挨拶をラジオ放送しました。これが、世界最初のラジオ放送とされるものです。

フェッセンデンはこの日、レコードでヘンデル作曲の「クセルクセスのラルゴ」を、そして自身のバイオリンと歌で“O Holy Night”をそれぞれ流し、聖書を朗読したといいます。この放送はあらかじめ無線電信によって予告されたもので「世界初のラジオ放送」だっただけでなく「最初のクリスマス特別番組」とも呼ばれています。

フェッセンデン以後、実験・試験的なラジオ放送が世界各地で行われるようになりますが、正式な公共放送ははるかに下って、1920年(大正9年)であり、これは11月2日にアメリカ・ペンシルベニア州ピッツバーグで放送開始されたKDKA局と言われます。

AM方式の放送で、最初の放送内容はニュースであり、大統領選挙でハーディング大統領が当選を伝えたものだったそうです。

FM方式によるラジオ放送は、同じくフェッセンデンによって1902年(M35)に考案されていましたが、実用化されたのは1933年になってからで、アメリカのエドウィン・H・アームストロングの手によります。そしてFM方式による公共放送はアメリカで1938年(昭和13年)から試験的に開始されたものが初めてです。

こうしたアメリカでのラジオ放送開始は、即座に日本にも伝わり、1924年(大正13年)には、大阪朝日新聞による皇太子(昭和天皇)御成婚奉祝式典や大阪毎日新聞による第15回衆議院選挙開票の中継をはじめ、数多くの中継が行われました。

ただし、これらは実験的要素の強いものでした。公共放送の実施は、1923年12月、逓信省は放送用私設無線電話規則を制したのちのことになります。この翌年、当面東京、名古屋、大阪の3地域で、公益法人として各1事業者ずつ、ラジオ放送事業を許可する方針が打ち出され、これでようやくラジオ放送が開始される下地ができました。

日本初の公共放送とされるのは、1925年(大正14年)3月22日9時30分、社団法人東京放送局(JOAK:現在のNHK放送センター)が東京・芝浦の東京高等工芸学校(現千葉大学工学部)内に設けた仮送信所から発したものでした。

京田武男アナウンサーによるその第一声は、

(問)アーアー、聞こえますか。JOAK、JOAK、こちらは東京放送局であります。こんにち只今より放送を開始致します

というものだったそうで、当時使われていたラジオは「探り式鉱石受信機」という原始的なものであり、方鉛鉱、黄銅鉱などの「鉱石」を「猫のひげ」と呼ばれる細い金属線に接触させることで、電波から音を取り出す「整流作用」というプロセスを得るものでした。

この鉱石へ接触させるネコのひげの接触位置によって整流の状態が大きく変わるため微妙な調整が必要であり、この第一声の「アーアー」は、聴取者が聞き取りやすいように鉱石の針先を一番感度の良い部分に調節できるようにするための配慮と言われています。

波長は375m(周波数800kHz)、空中線電力からの出力はたったの約220Wだったそうで、現在のNHK東京第1放送の出力が300kWですから、その十分の一にも満たない出力であり、東京市内でないとよく聴こえなかったといいます。

しかし、その年の7月12日に東京府東京市芝区(現在の東京都港区)の愛宕山からの本放送が開始されたときまでには、改めて購入した出力1kWのウェスタン・エレクトリック(WE)社製の放送用送信機が使用され、東京市内であれば問題なく聞き取れるようになりました。

大阪放送局もまたその年の6月1日から仮放送を出力500Wで開始。さらに、名古屋放送局も同年7月15日に、出力1kWのマルコーニ社製送信機を使用して放送を開始し、社団法人東京・大阪・名古屋放送局は翌年の1926年(昭和元年)に「社団法人日本放送協会」として統合されました。これがのちのNHKの母体になります。

この日本放送協会は、「社団法人」とはいいながら、実質的には政府機関的な性格を持っており、日本全国のどこでも「鉱石受信機」によるラジオ聴取を可能とするインフラの整備を目標に日本各地に放送局を開設していきました。

これがいわゆる「全国鉱石化」と呼ばれる活動であり、日本国内だけでなく、やがてはこの当時日本領だった南樺太や南洋群島にも放送局が置かれるようになり、これはのちに「豊原放送局」「パラオ放送局」と呼ばれるようになりました。さらに、朝鮮には朝鮮放送協会、台湾には台湾放送協会が設立され、日本放送協会の番組を多く中継しました。

このころまでには受信機もかなり発達して、交流商用電源や大容量電池によって作動する真空管を使ったものが登場し、鉱石式のイヤホンに代わって、スピーカーで大きな音量の放送が聞けるようになりました。

ラジオ受信機自体も国内メーカーによって生産が可能となっており、アマチュアによる受信機自作も当時から趣味の一ジャンルとして流行するようになり、こうしてラジオ受信機の普及が進んだことから、放送する側からも音楽、演芸、スポーツ中継、ラジオドラマなどの多彩なプログラムが提供されるようになりました。

しかし、この日本放送協会は1941年の太平洋戦争開戦とその後の戦局の進行と共に大本営発表を行なうための機関と化し、これによりその放送内容としてもプロパガンダ的な番組が増え、その傾向は終戦まで続きました。

1945年8月15日に終戦。この日、終戦ノ詔勅、いわゆる玉音放送が放送され、「社団法人日本放送協会」は連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の管理・監督下に置かれ、以後言論統制が行われるようになります。

アメリカ軍とイギリス軍を中心とした進駐軍向け放送局が主要都市に置かれ、アメリカ軍向けは後にFENと呼ばれる放送局が設置。これは現在AFNと呼ばれています。

その後、1950年になって「社団法人日本放送協会」はようやく、公共企業体としての「特殊法人日本放送協会」に改組されGHQの管理下を脱しました。

翌1951年には中部日本放送(現・CBCラジオ)、同日昼に新日本放送(現・毎日放送(MBS))が、さらにラジオ東京(現・TBSラジオ)と、民間放送も相次いで開始されました。

1953年にはテレビ放送も開始されるようになりましたが、白米10kg680円、銭湯の入浴料15円程度だった時代にテレビ受像機の価格は20~30万円程度と超高価で一般の人が買えるようなものではなく、ラジオが一家の主役であり続けました。

ラジオ受信機にしても当時は物品税が高価で、メーカー製完成品を購入するよりは秋葉原などから真空管などの部品を買い集めて自作したほうが安かったために、受信機を製作する人が多かったといいます。彼らは「少年技師(後のラジオ少年)」とも呼ばれ、高度成長期の日本のエレクトロニクス産業の発展の基礎を作る要因の一つともなっていきました。

しかし、1959年の皇太子明仁親王(今上天皇)成婚をきっかけにテレビ受像機が普及し始め、ラジオは斜陽化の時代を迎えます。

一方、超短波を使用したFMラジオ放送が、1957年(昭和32年)12月にNHK-FM放送が東京で試験放送を開始し、翌1958年(昭和33年)12月には学校法人東海大学により、放送教育を目的とした「東海大学超短波放送実験局」が放送を開始しました。

この実験局は、1960年には日本最初の民放FM局であるFM東海となり、1970年には同局を引き継ぐ形でFM東京が開局しています。東京FMが実は静岡の放送局だったなんて、どれだけの人が知っているでしょうか。

以後、1960年代から70年代にかけては、部品のトランジスタの普及が進み、これを使ったトランジスタラジオの商品化や、さらにモータリゼーションが始まって、ラジオは一家に一台から一人に一台というパーソナル化の方向へ向かいます。

ラジオ放送は家族をターゲットにした編成から、個人をターゲットにした編成へと転換していきます。情報トーク番組や音楽番組が増えた他、ターゲットを絞った深夜放送も盛んになっていきました。

1950年代後半から試験放送を続けていたFMラジオ放送は、1969年にNHK-FM放送の本放送が開始され、同年にはFM愛知が開局しました。1970年から71年にかけては、FM大阪、FM東京、FM福岡の3局が相次いで開局し、いずれも音楽を中心とした編成で、高音質のステレオ放送により、レコードに次ぐHi-Fi音源として人気を集めることになります。

放送される楽曲を、オープンリールテープやカセットテープで録音する「エアチェック」も流行し、エアチェックを目的として放送される楽曲が載ったFM情報誌も創刊されました。

私はこの当時に大学生であり、やはり毎週のようにFM雑誌を買ってはエアチェックを行い、これを大学から帰ってきたら聞きながら勉強する、というスタイルでした。ほとんどの時間、音楽ばかり流れていたので、エアチェックをしなくても、聞き流しする、ということも良くやっていました。

ところが私が大学を卒業するころから、民放局を中心に「楽曲そのものを楽しむ」から「トークの合間に楽曲が流れる」など番組スタイルの変化していき、このことから次第にエアチェックという言葉自体が廃れていくようになります。

しかし、1980年代に入るとFM放送はさらに広がっていきました。民法FM放送局の開設ラッシュが続くようになり、1982年のFM愛媛をはじめに全国に民放FM放送局が相次いで開局しています。

1988年には東京で2番目となるエフエムジャパン(現:J-WAVE)が開局、大都市圏では複数の民放FM局が開設されるようになり、対象セグメントの多様化が進んでいきました。

1992年にはコミュニティ放送が制度化され、都道府県単位よりもかなり狭い地域を対象としたラジオ放送が行われるようになり、この年、AMステレオ放送が開始されます。1995年にはFM文字多重放送もスタートし、多くの通勤客が手のひらサイズのラジオで多重放送を受信して楽しむ姿が見受けられるようになりました。

1995年の阪神・淡路大震災では、災害時における情報伝達メディアとしてのラジオの重要性がクローズアップされる結果となり、以後、各局とも災害への対応を重点に置くようになります。コミュニティFMという小FM局が各都市に出現しはじめ、地方行政がその運営に関わり始めたのもこのころからです。

2000年以降、インターネットラジオが登場し、さらに衛星や地上デジタルラジオも加わり、従来のアナログラジオ放送とともに、ラジオの多様化が進むようになります。

一方、メディアの多様化が起因となりラジオ離れの動きが顕著化しはじめ、それに伴い広告費も減少し続けていることから、ラジオ局は厳しい運営状況を強いられるようになります。

AMステレオ放送を実施していた放送局も会社の合理化に加え、送信機更新の際に必要な装置が2000年半ばまでに生産中止になったのに伴い、AMステレオ放送を終了して元のモノラル放送に戻す放送事業者も2000年代後半に九州地区で出てきました。

現在そして未来のラジオ?

そして、現在、2010年までにはAMステレオ放送を終了する局が次々と姿を消していきました。その中にはABCラジオやTBSラジオといった老舗の放送局も含まれており、AM放送については今後ともこの縮小傾向が続いていきそうです。

一方では、2010年3月からは、地上波のラジオ放送と同内容をインターネットを利用してサイマル配信するIPサイマルラジオ「radiko」の実証実験が開始され、現在までに通常放送に踏み切っています。

また2006年4月1日に正式運用を開始したSimulRadio(サイマルラジオ)は、コミュニティFM局による配信サービスで地域に関係なく利用可能なものであり、コミュニティFMの自主制作番組をネット配信するしくみです。

Simulは英語の同時を意味する「Simultaneous」の略であり、各局が電波で放送するものと同じコンテンツまたは放送内容をインターネットのストリーミングで同時に配信し、誰でも居ながらにして日本全国各地のコミュニティFM局の放送をインターネットを介して聴取できます。

コミュニティFMは送信出力が弱いため(原則、最大20W)、聴取可能地域においても、住居の高層化や市町村合併等の理由で場所によっては聴取できない場合があります。このため災害時、情報格差が生じるため地域に密着した情報を放送することができるというこのしくみには、多くの地方行政が興味を持ち、その運営に参画するようになってきています。

静岡においても、熱海市に、Ciao!というコミュニティFM局があり(79.6MHz)、正式会社名は株式会社エフエム熱海湯河原といいます。その名の通り、熱海と湯河原の地域情報を音楽などとともに発信していますが、聞いてみると熱海市の市役所職員などによる放送などもあり、市の広報FM局としての役割を担っていることがわかります。

わが伊豆市においても、その準備が進められているということで、「FM Is(伊豆)」の名称で、どうやら年内中に運営が開始されるようです。

ただし、こうしたコミュニティFM局は、規模も小さいことから、他の大手のFM局のように24時間毎日放送をやっているというわけでもないようです。サイマルラジオのホームーページをみても、その大部分が隔日おきとか、平日でも時間を限るなどしてその運営負担を和らげているようです。

が、無論スタッフさえいれば24時間運営は可能なわけであり、災害時などには大いに役立ちそうです。

こうしたインターネットラジオの視聴は簡単です。基本的にはパソコンでインターネットを立ち上げ、専用サイトを開き、聴取したい局をクリックするだけです。ただ、局によっては、iPhoneなどで公式の専用アプリをダウンロードする場合もあるようで、この辺のしくみはまだ「発展途上」のようです。

とはいえ、都道府県域の民放ラジオ局で実施されている一般の電波放送とは異なり、聴取エリアの制限はなく、日本全国どこでも、また全世界で利用できる点は斬新です。

なお、NHKでも、受信障害の改善を図る理由から、2011年9月よりインターネットによるラジオ3チャンネルの同時配信「NHKネットラジオ らじる★らじる」を開始していて、こちらも日本国内であれば利用可能ということです……

さて、かなり長くなったのでそろそろやめにしたいと思うのですが、なかなかやめるきっかけがつかめません。が、もう少しだけ続けましょう。

ほんのちょっとまでは身近だった、電波によるラジオ放送を受信するという形態は、2000年代以降、テレビのパーソナル化や衛星放送の普及、パソコン、携帯電話等の普及に伴うインターネット接続の定着化といったメディアの多様性によって大きく変わろうとしています。

多くのラジオ局が赤字決算に転落しており、将来的には現在以上に酷い状態になると推測されています。ラジオが苦戦を強いられているのは日本国内だけでなく日本国外も同様であり、アメリカ合衆国では放送会社が所有するラジオ局の売却が相次いでいるといいます。

日本においては、ラジオ局同士の実質的な経営統合が進み始めており、総務省でも2011年(平成23年)以降、こうしたラジオ局同士の合併を認め、規制の大幅緩和を行う方針を明らかにしています。

ラジオのほうもテレビと同じく、新しい技術革新が必要だ、ということで地上デジタル音声放送への移行の計画があり、これは現在の地上波放送局の放送をすべてデジタル化し、テレビと同様に全く新しいデジタル放送サービスを始めようという計画のようです。

従来の地上波ラジオの特徴に加え、ノイズのない高音質な音声・多チャンネル放送や文字・静止画・簡易動画を含むデータ放送、リアルタイム投票などの双方向性機能が特徴であり、移動体・携帯型端末での受信時にもノイズの少ないクリアな音声で受信できるといいます。

しかし、地上デジタル音声放送は、2003年10月10日に実用化試験放送を開始して2011年7月以降の本放送開始を目指していましたが、2011年3月をもって放送終了しています。試験に利用されていた周波数帯(VHF 7ch付近)が、既に停波した地上アナログテレビ放送の周波数帯を無線通信に使っていた警察や消防に主に割り当てられたためです。

試験放送が行われていた周波数帯に代わって、現在も地上デジタル音声放送にはVHF 1~3ch相当の周波数帯が確保されているそうですが、ほかにも携帯電話会社などの空き周波数帯利用希望者が殺到しているなどの理由もあり、今後のデジタル化の実現はかなり厳しそうです。

このように、どうやらラジオにとってはあまり明るくない未来が待っていそうですが、あなたにとってのラジオはどんな存在でしょうか。

私としては……うーん、あってもなくても良いけれども、なくてもまぁなとかなるかな、という程度。インターネットがあれば、不自由ではありませんし、お仕着せのコンテンツではなく、音楽が聞きたければ好きな曲をダウンロードできる、そういう時代です。私と同じという人は多いでしょう。

かつてはラジオをいつもそばに置いていた私ですらこれですから、我々の世代以下の人が担うこれからの時代ではもう、ラジオは必要ではないものになっていくのかもしれません。

「ラジヲ」を聞いて育った我々以上の世代としては、これが無くなるというのは少しく衝撃的なことでしょう。しかし、この世からラジオが消えてなくなる日……そういう日が来るのを覚悟だけはしておきましょう。