アポーツとオーパーツ

最近……というか、50代に入ってからでしょうか、物忘れが激しくなってきました。来たよきたきた、キターっ!というかんじなのですが、人間誰でも歳をとりますから、体のパーツのあらゆる部分が老化してきており、脳ミソの中の細胞もそれなりに劣化するのはしかたのないことです。

物忘れだけでなく、固有名詞もなかなか思い出せません。人の名前は無論のこと、単純なモノの名前、例えば台所で調理しているとき、隣にいるタエさんに「あれ取ってよ」、「あれって何」と聞かれ、とっさにその名前が出てこなくなってしまう……なんてことがあります。

「あれ」とは実は漏斗(じょうご)だったり、すりこぎのことだったりするのですが、いつも使い慣れない言葉であるとはいえ、咄嗟に出てこないときには、アレっこれってもしかしてアルツ君?……などと思ってしまったりします。

一応右脳も左脳も酷使する仕事をしている関係から、そうそうボケないだろうと思いつつも、テレビのニュース報道などでまだ若い有名人などがそうした病気にかかったという話などを聞くと、明日は我が身かも……と身につまされてしまいます。

そのほかの典型的な老齢化現象としては、普段使いしているモノがなかなか見つけられないこと。メガネを探していたら、自分の頭の上にかけてあったなんて話もありますが、笑い話ではなく、私もボールペンを探していたら耳に挟んでいたなんてことはしょっちゅうです。

しかし、ないないと長い間探していたものが、全く探してもみなかったようなところから出てきた、というような不思議体験は誰にでもひとつや二つはあるのではないでしょうか。必ずしも歳をとって物忘れが激しくなったから、というわけではなく、若いころにもそうしたことはあったような記憶があります。

探し物がある日突然、とんでもない、考えられないような場所から現れる、というのは意外と経験することが多いものですが、ただそうした場合にはたいがい、自分の勘違い、思い違いとして片づけてしまっています。

ところが、実はこれがぜんぜん思い違いではなく、実際にモノのほうが、瞬間移動していたとしていたらどうでしょう。いかにも不気味な話ではありますが、SFやオカルトの世界では、「アポーツ」とか「トランスポーテーション」とかいってよく取り上げられる現象です。

多少科学的なモノの言い方をすれば、「2点間の空間を飛び越えて瞬間的に物体が転送されたり、移動すること」であり、その特徴としては、間に壁などの障害物があった場合でも問題なく移動できる、通常では物理的に不可能だと思われる距離・位置関係の移動を行うことができる、というものです。

「瞬間移動」というと瞬時にモノが移動するというイメージであり、SFでの「転送装置」のように移動に時間がかからないものをすぐに思い浮かべますが、必ずしもそうしたものばかりではありません。移動に要する時間が一瞬かどうかは問題ではなく、多少時間がかかったとしても、気が付いたらモノが移動していたという場合も時にはあります。

作家の「佐藤愛子」さんが、北海道の沙流川に別荘を持ったときから、大変な心霊現象に巻き込まれた、という話があります。

まずは山荘の中で不思議な出来事が頻発するようになり、やがてそれは東京の自宅でも起こり始める、といった一連の現象について語った「私の遺言」という本の中では、その壮絶ともいえるような「ポルターガイスト現象」との戦いが描かれています。

この本の中に、佐藤さんが娘さんと「コードレス電話」が無くなったといって探し回るシーンがあるのですが、出てきたコードレス電話は、ソファーのクッションの下の木製土台の間の非常に狭い隙間から発見されたということです。

ソファーに座っているうちに、知らず知らずに押し込んでしまったんじゃぁないの?と誰しもが思うでしょうが、その場所は、コードレス電話を人為的に押し込むようなことはとうてい無理な場所であったそうです。このお話の結論は無論、「霊」の仕業ということで、この霊はこの地に知らずに別荘を建ててしまった佐藤さんに怒っていたというのが事の顛末です。

この場所は、その昔アイヌのお祭りごとをする重要な儀式場であったらしく、ここに別荘を建てたことにより、その地にいたアイヌの霊たちがさまざまな手を尽くして佐藤さんたちを追い出そうとした、ということのようです。

常識で考えれば、そんなことあるわけないよ~と思う人も多いのでしょうが、私自身はあぁ、そういうこともあるかーと妙に納得してこの本を読み終えました。この手の話は佐藤さんに限らず、古今東西いたるところにゴロゴロころがっていますから、別に驚くに値しない、と私は思っています。

佐藤愛子さんのような有名な小説家が書かれたものであるだけに、このお話は信憑性が高い、と考える人も多いようで、私もしかりです。

単に「オカルト」として片づけるのではなく、こうした心霊現象が実際にはありうる、ということを有名な人の口なり手記なりを借りて多くの人達が理解するような風潮がもう少しあってもいいのではないかと思うぐらいです。

ただ、こういう話が独り歩きし、単に面白おかしいオカルト話として片づけられるのはちょっと問題です。この佐藤さんの場合でも、なぜそうした現象が生じたか、ということを改めて考えると、知らなかったとはいえ、目に見えない「霊」という存在を無視しておきた事象であり、その存在への敬意を払わなかったことが原因です。

我々の日常で、ある日突然モノがなくなる、それはもしかしたら目に見えない霊からの何等かのメッセージかもしれません。すべてのことには意味がある……と考えるならば、単に物忘れとか勘違いとして片づけてしまうだけではなく、何かの警告かもしれない、そう考えてみると新たな気づきがあるかもしれません。

ところで、ちょっと前に「アンティキティラの機械」という話題を取り上げました。ギリシャのアンティキティラ島近海で発見された青銅製の歯車の組み合わせによる差動式の歯車器械のことです。

材質、機構ともに高精度な加工が施されており、発見当初はとてもこれがギリシャ時代に作られたものとは考えられず、すわ、宇宙人の遺物か!?と騒ぎ立てられました。

しかしその後の技術的な検証からは、これははるか古代ギリシャにおける「天文暦」を計算するための機械であることがわかり、最新の技術によって錆びついていた部品などを再現し、レプリカまで作られ、その動作確認もなされました。

結論としてこの「アンティキティラの機械」は宇宙人の遺物でもなんでもなかったわけですが、地球上にはこのほかにも、それらが発見された場所や時代とはまったくそぐわないと考えられる物品が発見されています。

これを「オーパーツ」といいます。英語では「OOPARTS」と略記され、「out-of-place artifacts」のことです。つまり「場違いな工芸品」という意味であり、「時代錯誤遺物」と意訳されることもあります。

長い年月を経ているのに、こんなところにこんなものがあるはずがない、といわれるようなものであり、さきほどまでの「アポーツ」と少々似てはいますが、こちらは瞬間とか数日、数か月単位ではなく、1000年、2000年、モノによっては数千年から数万年単位のものもあるようです。

オーパーツとは、考古学上の用語でもあり、その成立や製造法などが不明とされたり、当時の文明の加工技術や知見では製造が困難であるか、あるいは不可能と考えられる「出土品」を指します。ただし、正式な考古学用語ではなく、そういった出土品の存在を強調して考古学上の通説に疑義を唱える場合に使われることが多いようです。

なぜ存在するのか、どのようにして作ったのか、が未だに解明されていないものも多く、現代科学の水準を遥かに超えるような、超古代文明が存在していたのではないか、はたまた古代に宇宙人が地球にやってきた証拠である、と主張する人達の根拠とされることもしばしばです。

「アンティキティラの機械」のように、実際に調べてみたら、その時代の技術で作成可能なものもあり、全てが説明不可能なものばかりではないようですが、中にはさっぱりどうしてこんなものができたのか誰にも説明できないというものもあります。

その頃にはとてもその存在が想像できず、失われていた技術、「ロストテクノロジー」ではないか、というわけですが、これを創造したのが超古代文明だの宇宙文明だのといったSF的な話に仕立てあげたい人はゴマンといます。

しかし、火山活動や海水面の上昇といった地球規模の災害によってただ単に失われたものが再発見され、それがこれを発見した文明人よりもはるかに高度な文明人の手によって作られたものであったという例も多いようです。

また、発見されたものが形ある「モノ」ばかりでなく、長い年月の間に失われていた「情報」であったという場合もあります。

書物に記されていた事象や伝承などが何等かの要因によって散逸してしまっていたものが、たまたま書き写されていたコピーで発見されるということがあります。

その当時の文明の発展のためには非常に重要な情報であったにもかかわらず、これが失われることによって大きく文明が後退した、しかし逆に後年これが再発見されることによって、何千年分もの文明が取り戻せたということもあるようです。

「情報」が散逸してしまったことにより文明を大きく退化させてしまったひとつの例としては「アレクサンドリアの図書館」があります。

紀元前300年頃、エジプトのアレクサンドリアに建てられた図書館であり、世界中の文献を収集することを目的として建設され、古代最大にして最高の図書館とも、最古の学術の殿堂とも言われています。

図書館には多くの思想家や作家の著作、学術書を所蔵してあったといい、綴じ本が一般的でなかった当時、所蔵文献はパピルスの巻物として保存され、蔵書は巻子本にしておよそ70万巻にものぼったといいます。

アルキメデスやエウクレイデスら世界各地から優秀な学者が集まった一大学術機関としても知られていたようですが、その後、虫害や火災によって図書館の莫大な蔵書のほとんどが灰燼に帰しました。そして後世の略奪や侵略による度重なる破壊で、建物自体も失われたようです。

この図書館は、付近を訪れる旅人が本を持っていると、それを没収して写本を作成するというほどの徹底した資料収集方針を持っていたといい、さらには、薬草園が併設されており、今日の植物園のような遺伝資源の収集も行われていました。

つまり、今でいう図書館、公文書館、博物館に相当する機能を併せ持っており、古典古代における最高の学術の殿堂となっていました。これが失われたということは、その後の文明の進展における大きな「退化」であったといわれており、もしこれが残っていたら、今頃我々は自由自在に宇宙を飛び回れるほどの高度の文明技術を持っていたかもしれません。

ちなみに、このアレクサンドリアには、この大図書館のほかにも、「ムセイオン」と呼ばれる学術研究所もあったことがわかっており、かつては「世界の七不思議」にも選ばれていた「ファロス島の大灯台」も実際に建造されていたことが最近の考古学調査で実証されています。

先だってブラジル沖の海底で発見された遺物も「アトランティス大陸」であるかもしれないといわれており、最近こうした発見が相次いでいます。こうした大発見は続いて起こることが多いといいますから、もしかしたらそのうちさらに世界中がアッというようなオーパーツが見つかるかもしれません。

では、これ以外に、これまで実際にどんなオーパーツが見つかっているのでしょうか。

全部をここで取り上げることはできないほどたくさんあるのですが、私自身がこれは!?と思うものを以下に少しだけとりあげてみましょう。

○アフリカの金属球
南アフリカの鉱山で見つかった用途不明の金属球。複数発見されており、内部が空洞のものと繊維状のガラスのような物質が詰まったものの2種類あり、外側には中心に平行に走る3本の溝がある。

この金属球が展示されている博物館の館長によれば、ガラスケースの中にある金属球が、年に1、2回時計回りに自転するという。この球体は葉ろう石(カオリナイトやセリサイトといった雲母などが成分で、柔らかくて「ロウ」のような感触がある)の中から見つかったが、この葉ろう石が形成されたのは約28億年前とされている。

○カンブリア紀の金属ボルト
1997年、ロシアのブリャンスクで発見された、15億年以上前に生成された石の中に埋まっていたボルト。数トンの力を加えても変形せず、X線で石を見たところ、中に同様のボルトが10個ほどあるのが確認できている。

モスクワの航空大学の教授が、「15億年前に地球にやってきた宇宙船が何らかの原因で故障・爆発し、飛び散った部品の一部」であると主張している。

○更新世のスプリング
1991年頃、ウラル山脈東部の川で金採掘をしていた人々が発見したらせん状の極小部品で大きさは0.003ミリから3センチほど。ロシア科学アカデミーの分析によれば、これらの製造年代は推定2万~30万年前だという。

○秦の始皇帝の兵馬俑坑出土のクロムメッキの剣
西欧においてクロムメッキが開発されたのは近代であるが、それより遙か以前の古代中国においてどのような方法でメッキされたかは不明である。

○中国の衛星撮影地図
湖南省の湖南博物館に収蔵されている縮尺18万分の1の地図。2100年前の馬王堆漢墓から発見されたもので、長沙国南部を描いたものとされる。非常に精確な地図であり、遺物を管理する大学教授は、人工衛星が撮影した写真に基づくものだと主張している。

○褐炭の頭蓋骨
19世紀初頭に発見された、褐炭、褐鉄鉱石、磁鉄鉱石で構成される頭蓋骨の工芸品。1500万年前に形成された中央ヨーロッパの褐鉄鉱石の地層から見つかった。当初、何度も分析が行われ、無名の一般人が作った贋作という見解が一般的であった。

しかし、1998年にこの頭蓋骨をCTスキャンで調査したところ、頭蓋骨内部が樹木の年輪のような層をなしていることが判明した。もし人為的に造られた贋作だとすれば、褐炭の融点は110度~360度であるため、こうして精製された褐炭の薄膜を一枚ずつ重ねて作り上げたことになる。

1500万年も前にこのような方法で制作された工芸品は存在しないことから、贋造ではなく本物であるとする主張がある。

○弾丸のようなものが貫通した頭蓋骨
1921年にザンビアで発見された化石。かつてはネアンデルタール人のものだとみられていたが、現在はローデシア人のものだという見方が強い。頭蓋骨の左側に小さな穴が開いており、ベルリンの法医学者が調査したところ、「高速で発射された物体が貫通した痕」だという結論を出した(が、弾丸とまでは言っていない)。

この頭がい骨には問題の穴以外にもいくつか穴があり、穴には治癒した痕がある。穴が開いた原因については不明だが、治癒したということは、弾丸のようなものによる外傷性のものではない、とする意見もある。

○モヘンジョダロ近くのガラスになった町
モヘンジョダロ遺跡の近くで古代史研究家が発見した区域で、辺りにガラス化した石が散乱している。ローマ学科大学の分析では極めて短い時間に高熱で加熱された結果出来たものとされる。また核爆発の痕跡らしき場所が存在し、その場所では今もなおガイガーカウンターが反応するとの主張もある。古代核戦争説の根拠のひとつ。

以上の中には、ネットで検索すると実際の写真映像を見ることができるものもあります。えーっ本物かな~と思わせるものも多く、私が選んだ理由もわかると思うので、ご興味のある方は検索してみてください。

このほかのオーパーツとしては、宇宙船や宇宙人に似ているとされる絵や器物、ロケットの「彫像」、古代エジプトのグライダー人間が恐竜と戦っている壁画や恐竜の土偶、フィラメントの入った電球らしき絵、といった類のものが圧倒的に多いのですが、これらは見る人の主観によってそう見えるだけ、という気がします。

人間の想像力というのは逞しいものであり、毎夜見る「夢」に着想を得たものを絵や像にしたからといって、それを即、宇宙人が造ったものだ、やれその当時はまだ恐竜は生きていた、という結論には直結しないように思います。

上述したもの以外にも、アステカの遺跡で発見されたとされる精巧な水晶の髑髏とか、コスタリカで複数個発見された限りなく真球に近い花崗閃緑岩の石球、神殿の土台としては人力ではとても動かすことができないと考えられる巨石……といった、出土した時代での製造が極めて困難かあるいは製造不能と思われるものがたくさん発見されています。

これらの中にはピラミッドのように、現在の感覚では想像がつかないほどの膨大な時間、人的資源などを費やして造られたものもあり、古い時代に出土したときにはオーパーツとして考えられたものの、近代の科学技術の発展により製造可能と判断されたものも多いようです。

出土の際に、現代人が間違って出土品に混入させてしまった結果、オーパーツとしてみなされるようになったものもあるようであり、オーパーツが一種の見世物としてや好事家の関心を惹く対象でもあるため、売名や詐欺的な動機に絡んで捏造された贋作だったというケースも後を絶ちません。

従って、オーパーツとされる遺物のうち、真に学術的にその価値を認められるものはごく僅かであり、将来的にはアンティキティラの機械のように技術の発達によりその製造過程が明らかにされるものも出てくるのかもしれません。

しかし、いかんせん、この世には不思議なことがたくさんあるもの。人類は宇宙の秘密の数パーセントしか解き明かしていないともいわれ、それは宇宙だけでなく、人間の頭の中もしかりです。脳ミソの9割近くは有効活用されていない、といった医学的な話もあり、そう考えていくと、我々が「実は知らない」ことはいっぱいあると思うのです。

だからといって根拠のない、言いふらしをこのブログで書いていこうとは思いません。出来うる限り、科学的な視点でモノを考え、どうしても説明できないことは、その通りそう書いていく、というのを基本的なスタンスとすべきでしょう。

……とはいえ、人の一生は「説明できないことばかり」のような気もします。今こうして伊豆に住んでいることすら不思議といえば不思議。

そのうち、「不思議の国のオヤジ」なる本でも書いてみましょうか。誰も読んでくれるとは思いませんが……