雨のちカエル ときどき魚


その昔、最初の結婚をして7~8年目くらいのことだったと思います。会社の仕事が早めに終わったのか、客先の都合で仕事がキャンセルされたためだったのか、理由はよく覚えていないのですが、ともかく都内において半日以上ぽっかりと空白の時間ができました。

会社に帰って仕事をするという気分でもなく、午後は休みという届け出をすれば認めてもらえるような会社でもあり、仕事もそれほど忙しくなかったので、さあこの時間を使って、何をしようかということになったのです。

が、ギャンブルなどは全くしない私はパチンコなども興味がなく、またこのときは博物館や美術館めぐりをする、というほどの元気もなかったので、結局じゃぁ映画でも見るか、ということになりました。

たぶん、新宿だったと思います。早速界隈の映画館に掲げられている表示を見て回ったのですが、何軒か回ったところ、どうもあまり見たい映画があまりありません。またその開始時間も私の都合にぴったりとくるものがなく、いくつかの映画館の前を行ったり来たりしていましたが、なかなか決まりません。

結局、悩んだ末に最終的に選んだのが、「マグノリア」という映画でした。前宣伝でその内容を知っているわけでもなく、どんな映画なのかも知らなかったのに見る気になったのは、ひとえに他に選択肢がなかったというだけのことであり、とくに見たいと思ったわけでもなく、単に暇つぶしのつもりでした。

上映時間が3時間あまりにもなる、というのも暇つぶしにはちょうどいい、と思ったのかもしれません。

ところが、いざ館内に入ってその映画を見始めるや否や、意外にもこれが面白く、その中身にぐいぐいと引き込まれていったのには正直驚きました。

その内容はといえば、死期を迎えた大物プロデューサー、彼と確執のある息子、プロデューサーの妻とその看護人、ガンを宣告されたTV人気司会者、彼に恨みを持つ娘、娘に恋する警官、過去の栄光にすがる元天才少年などなど、ロサンゼルスに住むさまざまな人間たちの24時間を描いたものです。

群像劇のスタイルをとりながら、これらの登場人物が不可思議な糸でつながってゆくというストーリーで、出演者の中には、たしかトム・クルーズもいたと思います。

最初は何を描いているのかさっぱりわかりませんでしたが、最後にタネが明かされ、すべての人がつながる、という最近は良くあるパターンの映画ですが、この当時はこうしたストーリーはなかなか斬新なものがありました。

あまり期待せずに見た映画だけに、終わったあとには、これはもうけものだった、という感覚が残り、またあとあと色々考えさせられる映画でした。

この映画、内容が地味なだけに興行的には伸び悩んだようですが、映画ファンの間ではかなり評価が高いものだったらしく、今でも多くのファンがいるといいます。

見終わったあとに何が残るか、といえば何も教訓めいたものを語らない映画なのですが、なぜか人生とはいったい何ぞや、を考えさせてくれる内容であり、私的にもこれまで色んな映画を見てきた中でかなり印象が大きい映画のひとつです。

私と同じようにご覧になった方もいるかと思いますが、秀逸で面白い、というわけでもなく、ただともかく、不思議な映画……というのは多くのが持つ印象ではないかと思いますし、私もまたしかりです。どこがいいのかといわれれば説明に困るので、これは一度見て頂くしかないでしょう。

ところで、この映画がなぜそれほど印象深いかといえば、その最後の部分では、なんと、カエルが空から降ってくるというシーンがあるためでもあります。

ざんざんぶりの雨の中、カエルが一匹、空中浮遊して降ってきて車のボンネットに当たる、そして次には店の軒先のオーニングの上に、やがて路面に次々と叩きつけられ、町中がカエルであふれかえっていく……という描き方だったと思いますが、このシーンだけは今でも脳裏に焼き付いています。

本当にそんなことがあるのか、と誰しもが疑いの目を向けるでしょうが、実は、このように空から雨ではない物体が降ってくるというのは、世界中で観測されている現象です。

「ファフロツキーズ(Fafrotskies)」と呼ばれていて、FAlls FROm The SKIES」の略です。日本語では「怪雨(かいう)」と訳されていますが、直訳すれば「空からの落下物」という意味になります。

その定義としては、一定範囲に多数の物体が落下する現象のうち、雨・雪・黄砂・隕石のようなよく知られた原因によるものを除く「その場にあるはずのないものが降ってくる」現象を指すのだそうで、命名者は以前このブログでも取り上げた「オーパーツ(OOPARTS)」という言葉の命名でも知られる超常現象研究家さんのようです。

その場にあるはずのないものが無数に降り注ぐ現象を指す現象であり、飛行機からの散布や竜巻による飛来など原因が判明しているものを除き、「何故降ってきたのか解らない」ものが多いようです。

落下物に明確な共通性はなく、様々な事例が記録されているようですが、どうしたわけかカエルや魚といった水棲生物の落下事例が目立ち、また混在ではなく単一種のみであることが多いのが特徴です。

古来から世界各地で確認されていますが、実は、この怪雨は、日本においても古くから知られた現象であり、江戸時代の百科事典、「漢三才図会」にも「怪雨(あやしのあめ)」という記述が出てくるそうです。

出羽国(現・山形県と秋田県)の歴史書「三代実録」における』の記録としても、884年(元慶8年)、秋田城に雷雨があり、このとき、石鏃(せきぞく、矢じりのこと)23枚が降ってきたとの記述があります。

古い時代の人達は、このように空から降ってきたモノが人の手によって作られたというふうには考えず、天空の神々が使用した「天工物」が、雷雨の時に落ちてきたと考えたようです。

が、江戸時代になり、新井白石(江戸時代中期の学者)がこれを初めて人工物であると確認し、その後、木内石亭という同時代の薬学者がこのように人工物が空から降ってくる現象を「怪し雨」と呼び、定説化させたようです。

日本ではこれ以外にも空から色々なものが降ってきたという記録があるみたいですが、記憶に新しいところでは、2009年6月、石川県七尾市などで多数のオタマジャクシが降ったという事件がありました。

当時、周辺地域の大気は安定していて竜巻などによる気象擾乱によるものとは考えにくく、不可解な現象であったことから全国的なニュースとなりましたが、結局原因の特定には至りませんでした。ただ、このときは鳥が吐き出してしまったものが散乱したのではないか、という見解が生物学者から出されたため、その説を多くの人が信じたようです。

前述のアメリカ映画、マグノリアでの「降蛙」のシーンは、1873年、米ミズーリ州カンザスシティで嵐が発生し、この時降ったカエルによって埋め尽くされたという史実などに基づくようです。

アメリカではまた、1901年にも「降蛙」現象があり、この年の7月、今度はミネソタ州ミネアポリスにおいて、カエルとヒキガエルが降り、町の一角がカエルだらけになったといいます。

この時の新聞には次のように記述されていたといいます。

「嵐が最高潮に達したとき、その一角は空から落ちてきたと思しき膨大な緑色の生き物によって埋めつくされ、続いて普通の雨ともヒョウとも違う、パタパタという音が鳴り響いた。

やがて嵐が勢いを弱めるなり、外に出た人々が見たのは、4ブロック以上のエリア一帯が、様々な種類のカエル達によって埋め尽くされるというものだった。カエル達は重なり合い、その深さは厚さ8cmにも及ぶほどで、そのエリアを歩く事はもはや不可能であった。」

このほかの事例としては、以下のようなものがあります。

1841年、米テネシー州レバノンのタバコ農園で血、そして筋肉と脂肪が空から降った。

1861年 シンガポール市内各地で降った魚の雨。

1869年、米カリフォルニア州の農場で3分間に渡って猛烈な血と肉、髪の毛の雨が降った。数エーカーに渡って土地を覆い尽くしたが、髪の毛の一部は6cmもの長さがあった。

1881年、イングランドのウスターにおいて、重さ何トン分にも及ぶヤドカリとタマキビ貝が空から落下した。

1890年、イタリア カラブリア州 メシナディで、引き裂かれた鳥のものと見られる、真っ赤な血の雨が降った。ただし、裏づけとなる鳥の死骸は発見されなかった。

1956年、アメリカ アラバマ州 チラチーで、ナマズ、バス、ブリームといった魚が降った。

1966年、オーストラリアのシドニー北部において巨大な魚が空から飛来し、ある神父の肩にあたった。魚は激しく暴れて地面に落下し、そのまま浸水の激しい道路を泳いで消えた。

1968年8月27日、ブラジルのカカパヴァとサンホゼカンポスにまたがる1kmのエリアにて、およそ5分間に渡って、空から血と生肉が降り注いだ。

1973年、南アフリカで、3つの巨大な石が漁師たちの目の前で湖に落下したほか、小石の雨が降り始めた。石は屋根を突き破って家の中にさえ入った。

1981年5月、ギリシャ ペロポネソス半島 ナフリオンで 60~80gのカエルが町に降ったが、これは北アフリカに生息する種であることが確認された。

1982年~1986年、アメリカ コロラド州 エヴァンスでトウモロコシの粒が数回にわたって降った。

1989年、オーストラリア イプスウィッチで、小雨の中、サーディン約800匹が降り、民家の芝生が覆われた。

2001年7月、インド ケララ州 – 赤みがかかった雨が降った(これは、「ケーララの赤い雨」として有名)。詳しい調査によれば雨には菌類の胞子が含まれていたが、出所は不明だった。

このほかにも事例はあるのですが、キリがないのでこのあたりでやめにします。ともかく、アメリカだけでなく、世界中で起こっている現象ということだけは間違いないようです。

その原因としては、誰をもが竜巻などの気象擾乱によって、海や川、湖の生物が空高く巻き上げられ、遠くに運ばれたのではないかと考えるようです。

実際、竜巻は強い力で周辺の物体を持ち上げ、巻き上げられた物体は時に雲の中の上昇気流に乗り、かなり遠くまで運ばれることがあるようです。海上で発生した竜巻により魚が海水と共に巻き上げられて遠く離れた内陸部へ落下したことが確認された事例もあるということで、最も有力な説のうちの一つです。

しかし竜巻は重量の軽いものを中心に無差別に巻き込む現象なので、巻き上げたものを降らせる時も様々なものを混在させるはずと考えられます。重量や形態によって気流で運ばれている間に「分類」されたのではないか、とする向きもあるようですが、そんなに都合よく仕分けできるわけはありません。

ただ、魚の群れなど同じ種類の物体だけが狭い範囲に多く集まるなどしたとき、その「群れ」の上に発生した竜巻によって魚だけが巻き上げられたとすれば、なんとか説明がつくため、この説を支持する人は多いようです。

このほかの説としては、鳥原因説があります。水棲生物の落下例が多いことから、鳥が捕獲したエサを上空から取りこぼしたのではないかという説です。前述の石川県の例も、結論としては鳥が咥えてきたものではなかったか、というところにとりあえず落ち着きました。

とはいえ、他国の例のように、狭い地点に多数落下するためには、かなり大規模な鳥の群れが一斉に摂餌しなければなりません。また、こうした事例が目撃された場合に、上空に鳥が飛んでいたという目撃情報もないことから、鳥が原因である可能性は高くないと考える人が多いようです。

また空飛ぶものと言えば、飛行機が考えられます。飛行機はしばしば飛行中にその機体に水蒸気の凝固による氷ができることがあるため、これらが塊に成長し剥がれて落下してくるという事例は確認されています。しかし、これと魚やカエルなどの生物を結びつけることはナンセンスです。

空輸中に貨物室が開くなどして積荷を撒いてしまったのではないか、という人もいるようですが、それなら魚などではこれを釣ったり捕獲したときの傷などがみつかりそうなものですが、そうした外傷はみつかっていないようです。

そのほかの説としては、いたずらや錯覚といった、人間がらみのものがあります。

何者かが人為的に落下物を散布したか、錯覚ではないかというわけですが、いくらいたずらといっても、人が大量の魚やカエル、はたまた血や肉をばらまくというのも考えにくいことです。もしそれをやるとしても、わざわざ飛行機やヘリコプターをチャーターしなければならず、お金をかけてまでしてそんな悪ふざけをやる人はいないでしょう。

錯覚説というのは、例えば大量の蛙が集団で発生し、その群が町を横断したとき、これが「突如として現れた」と考え、その原因としては空から降って湧くということしか思いつかず、そのように信じ込んだのではないか、というものです。

これは、実際、蛙が多数落下してきた瞬間をはっきり目撃した証言が少ないことによるようで、上空から降ったなら必ずカエルは潰れているはずですが、そうした潰死体もあまり記録されていないのではないか、と主張する人々がいるからです。

しかし、潰死体が発見されていない、というのはすべての事例に当てはまるわけではないようで、中には潰れてしまった大量のカエルが発見されたという例もあるようです。従って、中には錯覚によるものもあるかもしれませんが、事例の大半はけっして錯覚によるものではないと考えられます。

ほかにもいろんな説があるようですが、こうした説を総合すると、やはり竜巻などによる気象現象に基づくものではないか、というふうに私自身は思います。ただ、インターネットでは過去に起こった実際の現象の科学的なデータを示したものなどを見つけることができなかった点は気になります。

しかし、ある地域で例えば雷雨のような強い風が発生し、小さな旋風や小さな竜巻が発生し、こうした旋風が水上を移動した場合、その通り道にいた魚やカエルを上空に巻き上げたまま風に乗って移動した、というのはいかにも起こりそうな事象であり、実際にはそれに近い現象が起きていると考えるのがごくまっとうな推理でしょう。

血や肉が降った例というのも、かわいそうですが鳥やその他の何等かの獣が竜巻によってズタズタにされたため、と考えれば納得はできそうです。

ただ、前述したように、特定の生物だけをうまく選別して運んでくれるものなのかどうか、というところは疑問点として残ります。カエルや魚と一緒に昆虫やネズミといった他の小さな生物が混入していれば、すんなりと納得できるのでしょうが……

ま、この世には不思議なことはいっぱいあるもの。すべてを科学的に説明しようとしても無理、ということはこのブログでも再三書いてきたことでもあります。

すべてのことには意味がある、とすれば、カエルや魚が空から降ってきたことにはどんな意味があるのだろう、というふうな面から考えてみるのも良いのかも。

もしかしたら、それが降ってきた地域では、生き物を大事にしていない風習があり、それを戒める必要があったから、というふうにも考えることができます。あるいは空からそんなものが降ってくるはずがない、と考える人間のあさはかさを笑うために、神が仕掛けた技というふうに考えるのもまたしかりです。

なんでもかんでも、科学的な説明ができないからといって否定せず、科学や文明の視点からはずれたところで物事を考えてみるというのは、今の時代の人間に最も欠けている部分のように思います。ただ、だからといって、へんな宗教や超常現象オタクや、カルトの世界に入り込んでおかしくなってしまうというのも考えものですが……

さて、今日は梅雨の間とはいいながら、少し天気がよくなりそうなので、これから下田公園で満開といわれているアジサイの撮影に出かけてこようかと思っています。下田方面へは先般のバガテル公園以来になります。

前回は結構いい写真が撮れたので今回も期待したいところ。沼津の御用邸や修禅寺虹の郷のように、すぐ近場でアジサイを見れるところもあるのですが、やはりこの下田の紫陽花は一年に一回は見ておきたい、と思わせるものがあります。

行ってみてかなり見ごろであれば、またみなさんにもお知らせしたいと思います。梅雨空はまだまだ続きそうです。雨の中でも良いという方は今週末にでも出かけてみてください。

ただ、その時、カエルや魚がみなさんの頭の上に降ってこなければいいのですが……