資格・就職・未来……

冬雲
2~3日前から、ここしばらく姿を見せなかった富士山が良く見えるようになりました。

何等かの季節変化の兆しだと思うのですが、テレビの気象予報などをみると、まだまだこの暑さは長く続きそうです。しかも、今年は梅雨明けが早かったせいか、例年になく夏が長いような気がします。

梅雨明けすぐのころ、今年は梅雨明けが早かったので秋になるのも早いだろう……と、ある気象予報士さんがおっしゃっていましたが、どうやらこの予想ははずれそうで、まだまだ涼しい季節の到来は先のようです。

この気象誤報士……いやいや気象予報士という職業ですが、当然のことながら国家資格を取得しなければなることはできません。1993年の気象業務法改正によって、気象庁以外の者でも天気予報が行えるようになった際、その予報業務の技術水準及び信頼性を担保するために一定の技能試験を課し、これにパスした人だけがこの資格を取得できるようになったものです。

第1回試験は、1994年8月28日に実施されており、現在までに7000人程度の気象予報士さんが誕生しているようです。

私もかつて会社勤めをしながら受験をしようと勉強を始めたことがあるのですが、日常の仕事が忙しくなってしまい、途中で挫折しました。ただ、どうしてもこの資格が欲しいというほどのモチベーションもなかったのも事実です。

気象予報士を受かったからといって、その資格で即座に飯が食えるようになるわけではなく、天気予報ができるからといって雇ってくれる企業というのはなかなかないでしょう。

今現在テレビなどでの天気予報番組で活躍している気象予報士さんは、ほんの一握りです。しかも実際問題として、気象予報士としての技量よりもむしろテレビ映りなどのルックスやおしゃべり上手かどうか、といった点のほうが重要視される業界ですから、テレビ局に雇ってもらうというのは至難のわざです。

気象予報の専門会社というのもありますが、それほど数が多いわけではなく、しかも気象予報士は既にゴマンといて、仮にこうした会社へ入社したとしても、天気予報ばかりを担当させてもらえるわけでもありません。

べつに私が資格を取れなかったから負け惜しみで言うわけではありませんが、気象予報という、ある種特殊な分野で資格を持っていたとしても、いわゆる「つぶし」がきかないというヤツで、なかなか収入や就職には結びつかないというのが現状でしょう。

それでは、日本では「資格」と呼ばれるものがどのくらいあるのか調べてみたところ、国家資格と呼ばれるものは300弱ほどもあるようであり、このほかの公的資格、民間資格、採用資格なども合わせると、「資格」といわれているものは全体で1100種類以上のようです。

国家資格とは、いうまでもなく法律に基づいて国が実施する国家試験によって取得するものです。個人の知識や技能が一定の段階以上に達していることを行政が確認するものであるため、年齢の下限・上限による制限があるものも多く、学歴による制限が課される場合もあります。

一方、公的資格とは、国の基準に基づき、各省庁から認定を受けた公益法人などが法律とは無関係に実施しているもので、地方自治体などが法律と無関係に実施しているものであり、一般には国家資格よりもとりやすい資格といえます。

従って、例えば都道府県や市町村等の定めた条例に基づいて与えられる「ふぐ調理師」はその地方自治体が課した試験にパスするだけで取得することができます。ただし取得した都道府県内のみにおいて有効な資格であり、全国的に有効な国家資格にはなりえません。

一方、民間資格とは、民間団体等が、独自の審査基準を設けて任意で与える資格であり、法令で規定されたものではありません。ひとつの業界団体が一定の能力があると認知して与えられる場合ものや、企業が自社の活動のために従業員に対して付与するも、社外では通用しない社内資格(内部資格)まで、さまざまなものがあります。

また、日本国内だけでなく海外でも試験が実施され、国際的な基準によって認定される資格もあり、TOEICやTOEFL、福祉住環境コーディネーター、フードコーディネーター、といったものがそれです。

この民間資格と公的資格の境界は、結構あいまいです。たとえば「漢字能力検定」は、1992年に文部省認定を受けた実施団体が設立した資格ですが、その後、2005年に「民間技法審査事業認定制度」が廃止になり、「文科省認定」から「文科省後援」になりました。

2009年には不祥事により文科省から後援を取り消され、2013年にはこの実施団体は公益財団法人となりましたが、いつのタイミングで公的資格から民間資格になったのか、それとも、公益法人が実施しているので未だ公的資格なのかは議論が分かれるそうです。

また、「民間技法審査事業認定制度」が廃止になったと書いたとおり、現在では「公的資格」の法的な根拠そのものが消滅してしまっているため、現在ではたとえ公益法人が認定したとしても、その資格はその公益法人を管轄する国の機関に認定されているとはみなされません。

従って現在では、公的資格は、国家資格ほど重くなく、むしろ民間資格に近いものと考えるべきでしょう。これから公的資格を取得しようとする人は、その資格の性格がどういうものなのかよくチェックするべきでしょう。

最近は、「資格商法」も流行っており、詐欺まがいの行為で入会金などをだまし取る団体もあるので、なおさら注意が必要です。

資格にはこのほか、「業界ルール」に近いものもあり、これが民間資格といえるかどうかについては、その解釈が難しいところです。

例えば、落語における前座・二つ目・真打といったものや、武道における段位・錬士・教士・範士、芸道における名取・師範代・師範、大相撲の親方などについては、一定の称号・免状や経験がなければ弟子を取れないことになっています。

が、はたしてこれらを資格と呼んでいいいのかどうか。あまり資格というふうに捉えている人はいないのではないでしょうか。むしろ「称号」に近いような気もします。

大相撲でも一定レベルに達しないと四股名を名乗れないとか、芸人さんも、師匠が認めないと芸名を名乗れない、命名できない、などのルールが存在しており、これも民間資格と考えられなくもないようですが、やはりひとつのルール、もしくは称号のようなものという気がします。

雪の登山道

このように、単に資格といってもその幅は広いようです。しかし、就職などの社会的活動に参画するにあたってはやはり国家資格を持っているかどうかを重視する向きは多いでしょう。

就職の際だけでなく、企業に入ってからも国家資格を持っているか否かでその企業への貢献度が変わってくるということで、国家資格の取得の奨励をする会社は多いようです。

また、会社勤めだけではなく、政治活動やさまざまな地域活動などにおいても、レベルの高い国家資格を持っている人が幅を利かせているというのは間違いのないところでしょう。

国家試験での難易度が相対的に高いものの代表としては、司法試験や国家公務員総合職 などがあり、このほか、公認会計士や裁判所事務官Ⅰ種、弁理士なども合格率は低く、昔から取得難易度の高い国家資格の代表です。

これらの資格を持っているということは、ひとつの社会的ステータスともいえ、結婚においても国家公務員や弁護士さんは、人気のある職業です。

このほかにも、国家資格の中には難易度の高いものがあり、医師を初めとして、税理士や技術士、一級建築士、薬剤師などは資格として人気があり、企業もこうした資格を持った人の採用を優先するきらいがあるようです。

このほかにもさまざま国家資格があり、こうした資格ばかりを取るために、必死で勉強し、人によっては、10も20も資格を持っている「資格オタク」とでも呼ばれるような人もいます。

そんなに資格ばかりとってどうするのよ、という気もするのですが、こうした人達にとって資格をとるというのは、もうすでに山登りと同じ感覚なのでしょう。そこに山があるから登る、というかんじであり、取った資格で就職を有利にするとか云々ではなく、困難に立ち向かうことそのものに興味が行っているという人も多いのではないでしょうか。

しかし、資格を取るのに必死で勉強していたのですが、ふと「まず、資格有りき」に囚われている自分に気付き、落ち込んでしまうという人もいて、「資格を取ってはみたけれども、役に立たなかった」という人も多いのではないでしょうか。

役に立たなかったという理由もさまざまで、例えば、賃貸営業に憧れ、宅建を取ってはみたものの、実際就職してみると不動産業界という特殊な業界になじめず、結局違う職業に就いたという例もあります。

こういう人に限って、さらにその新しい職場で嫌なことがあると「宅建を生かせない」と言い訳してを辞めてしまう、ということも多いようで、こうして考えると、資格っていったい何なのという気になります。

物を作るのが好きで将来は花屋さんで働きたいと思い、仕事をしながら夜や休日に講座がある学校に通い、フラワーデザイナーの資格までとった人がいます。しかし、花屋さんへの実習へ行ったら、生花を扱う店内は冷蔵庫状態であり、冷え性だったためにつらくなって、結局花屋になるのをやめた、という例もあります。

基本的な事を調べずにただ「好き・憧れ」で時間と費用を使ってしまったあげく、結局はやめてしまう、という若者が増えている、と聞きます。

昔からそういう人はいるよ、といわれるかもしれませんが、最近の日本は昔ほど食糧事情は悪くなく、仮にフリーターをしていたとしても、なんとか細々ながらでも暮らしていけ、生活環境を維持できるため、こういう人が増えているのではないでしょうか。

かたや就職難の時代とよくメディアなどにも取り上げられ、就職率の低さがよく話題になるのですが、この就職率というのがわたしにはよくわかりません。

どうやって計算しているのかな、と調べてみたところ、例えば大学卒業者の就職率であれば、「学校基本調査」というのを文部科学省が実施していて、就職率とは、「就職決定者数÷卒業者」という単純式で決めているようです。

問題は、この「就職決定数」ですが、いったいどういうふうに調べているかと思ってさらに詳しく調べてみたところ、たとえば大学などの高等教育機関であれば、これ専用の調査票様式というのがあるようです。

この調査票は、何枚かに分けられていて、その中のひとつである「卒業後の状況調査票」において、各大学の事務関係者が学生から就職先をヒアリングし、これをもとにカテゴリー毎の就職率を集計して文部省に提出しているようです。

従って、卒業した大学生が自分は「就職した」と自己申告した会社についてのみ、この調査票に記入されているものと思われ、これは当然といえば当然です。

ただ、その「就職先」なるものが大会社なのか、中小企業なのかといったところの区分はこの調査票にはなく、結果はただ単純に就職率として文部省によって集計され、公表されるだけです。

雪の船原峠A

ところが、私はこの就職先なるものの中に中小企業と呼ばれるものがどのくらいあるのかという比率が気になります。

中小企業といっても、大会社にもひけをとらないような高い技術水準を持っているにもかかわらず、会社規模が小さいがために、こうした会社に内定していたとしてもさらに良い条件を希望して別の大会社への就職を希望する場合があります。

従って、仮にこうした中小企業に内定したとしても、さらに大きな会社を狙っている学生は、この調査が行われる段階では、「就職未定」として申告しているケースが多いような気がします。

大学の中には、こうした就職先を一般向けに公表するところも多いことから、自分が就職した会社があまり世間的な認知度の高くない会社である場合、これを恥ずかしがって申告していないといったケースなどもあるのではないでしょうか。

従って、就職率が低い低いとはいうのですが、実際には中小企業からは引く手あまたな需要があるにもかかわらず、学生側でこれを「認知しない」という風潮があるのではないかと、私は思っています。

しかし、考えてみれば、今や大会社といえども、円高円安などの外貨変動や株価の上下ひとつで業績が一気に変貌するような時代です。こうした時代に、結果として大会社だけへの就職率だけが反映されるような調査をやっていること自体がナンセンスだと思います。

もっとも、同じやりかたで調査をしていた昔の就職率と比較したい向きもあり、その意味では無駄とはいえません。

ただ、高度成長期が終り、大会社だけが勝ち残るといった時代ではない今は、中小企業こそが、これからの発展のタネであり、これらの中から次世代の日本を担う先端企業が生まれてくるはずです。

従って、就職率云々を議論するとき、大会社向きの統計をとるだけでなく、「中小企業の活性度」という観点からも大学生のこれら企業への就職率の動向を明らかにしていくべきであると私は思います。

それにしても、昨今の新聞記事などを読むと、どうも最近の学生さんは内向きな傾向が強いようで、就職といえば、安定感のある大企業がいい、中小企業に入るくらいなら、フリーターになって次のチャンスを待つという人が増えているようです。

また、留学として海外へ出て行く学生も年々減少しているといいます。昨日の日経新聞に、今春大学に進学した学生の海外留学の意向を問うたアンケート調査結果が出ていましたが、それによると今後海外留学をするつもりがない、と答えた人は38.6%にものぼり、留学したいと考えている人よりも5.2%も多いそうです。

この手の調査は前々から行われていて、この割合は年々増えているそうで、こうしたところにも最近の学生さんたちの「内向き度」が出ています。

20年ほど前に私が留学を志したころはまだ留学制度が整っていない時代でしたが、それでも学生の間での留学志向は現在よりもかなり強かったと思います。正規の留学でなくても短期だけでも海外生活を経験してみようという風潮があり、私の友人たちの中にも少なからず海外へ飛び出していった奴らがいました。

今はそういう時代なんだよ、といわれればそれまでなのですが、今の日本の活力が落ちているのはこうした昨今の若者の気力不足も一因であると思えてしかたありません。逆に世相が悪いことがかれらの気力を削いでしまっているのかもしれませんが、その相乗効果のような気もします。

就職活動そのものもワンパターンなかんじがし、とくに最近の若い人達には儀式のようなものになっているのではないかと思えます。

最近の就職活動のパターンとしては、ほとんどの学生が、3年次の秋や初冬には就職セミナーを受けるなどして、就職活動の準備に入るようです。11月になると経団連に属さない企業が面接などの採用試験を開始しますが、これらは無論中小企業であり、2、3月には経団連の紳士協定に沿う多くの大手企業が会社説明会を開始します。

大企業も中小企業もだいたい、4月1日から一斉に採用試験が開始し、ゴールデンウィーク前後には、最初の内定者がほぼ出揃います。

5月以降は地方、中小企業や、大手企業の二次募集が行われ、9月には留学生向けや公務員試験不合格組や内定辞退者の補充を目的とした採用が行われ、10月1日に多くの企業で内定式が行われ、学生の就職活動はほぼ終わります。

毎年秋口になると、東京都内では黒っぽいスーツを着た若い学生たちが、揃いもそろってみんなブリーフケースを持って街中をうろうろする情景をみかけるようになりますが、最近はもう風物詩化してしまっていて、あぁ今年もそんな年か、と思ってしまいます。

無論、これからの人生を左右するかもしれない「大決戦」に望むかれらにはそんなふうに自分たちが見られているというところにまで思いは及ばず、来たる戦においていかに自分を統制できるか、アピールするかだけしか頭にはありません。

ときどきこういう人達の中に、緊張しすぎて地下鉄を上る階段を踏み外したり、ボーっとしていて人とぶつかったりする輩もいて、そういう若者をみかけると笑ってしまうと同時に、おいおいしっかりせーよと言いたくなってしまいます。

とはいえ、かくいう私もかつて大学を卒業して、何社かの面接に行ったことがあるので、その緊張感はよくわかります。なかなか心臓バクバクものです。

雪の船原峠B

そうした面接では誰しもが普段の自分を出せないもの。しかし、それを逆手にとって、普段と違う自分を強烈にアピールし、内定を勝ち取る猛者もいたりします。

最近こうした就職活動における「都市伝説」を目にする機会があったのですが、これはなかなか面白いものでした。

例えば、面接担当者から「家業は何ですか」と聞かれた時、緊張の余り「か行」と間違え、「かきくけこ!」と言ってしまったという学生がいたそうです。

ほかにも、ある男子学生が、面接中に両手を組んで親指を回す?癖をし始めたところ、その落ち着きの無い態度に苛立った面接官は、「君にはそれしかできないのか」とたしなめたそうです。すると彼は、「いいえ、逆にも回せます」と言って指を逆回転させたというもの。

このほかにも、こうした類の就活に関する都市伝説はいろいろあり、有名なものとしては、サッポロビールの面接試験でのこと。質問に対し無言で何も答えない学生に、面接担当者が「なぜずっと黙っているのか?」と聞いたところ、学生は一言、「男は黙ってサッポロビール」と答えたといいます。

この回答によってこの学生は内定を得たそうですが、この話を聞いた他の学生が同じことをしたそうですが、「オリジナリティのない人間は不必要」と不採用になったとか。

ほかにも、具体的なメーカー名が出ていて有名な話としては、ある製菓会社の面接で「当社のCMソングを歌って下さい」と言われた学生が「チョッコレート、チョッコレート、チョコレートは…」と歌ってしまったというもの。

実は彼が受けていた企業は森永製菓で、このCMソングは明治製菓のものだったため、その学生は不合格となった、といいます。

これとは別バージョンもあり、別の学生もまた「チョッコレート、チョッコレート、チョコレートは…」と歌い始めてしまったのですが、途中でそのミスに気づき、その最後に、無理矢理「チョコレートはモッ・リナガ」と歌い切り、合格になったというもの。

さらには日産自動車の面接で「GNPとは?」と聞かれた学生が緊張のため答えられず、苦し紛れに「頑張れ・日産・パルサーです」と答え、てっきり不合格だと思っていたら、後日内定通知が届いた、というもの。

こうした話の中で極め付けは、ある航空会社(たぶんANAだと思いますが)の入社試験を受けた学生の話。

この試験ではある男子学生が担当者に自分をアピールしようとし、面接室に入るや否や「キーン」と言いながら両腕を広げました。

そして椅子に座ろうとした学生は面接官に「着陸許可を願います!」と尋ねたのに対し、面接官は「そのまま旋回して帰投しなさい」とひとこと。この学生は、やむなく両腕を広げたまま引き返し退室したといいます。その結果は当然ながら不合格でした。

こうした就職活動に関する都市伝説というかパロディというか、この類の話はちょっとネットを調べると山のように出てきます。

こうしたものを目にすると、就職難だ就職難だとよく言われますが、当の本人たちは案外と就職活動そのものに悲哀を感じていないのかもしれず、ある意味通過儀式として楽しんでいる風潮さえあるようです。万一就職活動がうまくいかなくても当分のあいだフリーターでいいや、と開き直っている人も多いのかもしれません。

最近の若者は欲がないともよくいわれます。

ある大学で若者にとってもっとも関係が深いと思われる「車」「酒」「貯蓄」「ネットショッピング」などの項目を中心としてアンケート調査を行ったところ、首都圏の20 代の若者の乗用車保有率は2000 年比で10 ポイント以上低下しているうえ、「乗用車が欲しい」と答えた人は半減したそうです。

また、20 代の「飲まない派」も10年前の3分の1 強になっているといい、家電製品などの他の耐久財や高額ブランド品、スポーツ用品でも「持っている」、「欲しい」の回答は半減し、「モノ消費」全般からの離脱が鮮明化している傾向が顕著だといいます。

こうした背景にはモノがあふれる一方、国内景気が低迷する中で育ってきた「成長を知らない子供たち」の価値観の変化の結果だとする指摘もあり、これに起因する無気力感が、就職活動にも反映されているのかもしれません。

ところが、月々の貯金額についても調べたところ、現在の若者は貯金をする人の割合がかなり増えているそうです。しかし、貯金をしている理由としては、「将来のため・貯めたい」という意見は少なく、むしろ大半の人が使うことを目的とした貯蓄をしているようです。

つまり、遠い将来の不安からではなく、近い将来自分が満足するために貯蓄している若者が増えていると考えられます。

その証拠に上述のように「欲しい」「所有したい」と考えるものがそれほど多くないにも関わらず、一方ではネットショッピングにおいては、ホテル・旅館の宿泊、コンサート・映画・スポーツなどのイベントチケット、乗車券・航空券などが上位に入っている購入対象物のようです。

モノは欲しくない、けれども今を楽しく過ごすためには貯金も厭わない、しかし、その使い道は刹那的……といった「今現在を謳歌する」ことに生きがいをもつ若者が増えているということなのでしょう。

そうした世相の中において、社会人として世に働きに出た人達のその職場における「働き甲斐」「労働意欲」といったものをいかにつなぎとめていくか、というのはなかなか興味深いテーマでもありますが、また非常に難しい課題でもあります。

ではどうすればいいのか、なのですが、なかなか難しい課題であり、今日はもうかなり長く書いてきてそこまで突っ込む元気もないので、また改めて考えてみたいと思います。

が、内向きになっている若い人達を外向きにする何かが今の日本には必要なのでしょう。それは何でしょう。みなさんも一緒に考えてみてください。

天城山冬景A