辛い物はお好き?

我が家では、週末になると買い出しに出ます。

一週間分の食料を買うことが主な目的ですが、半分気晴らしも兼ねています。その先は様々なのですが、その一つに伊豆市の中岩というところにある「農の駅」という農協が経営しているお店があり、ここでの主な販売品は野菜です。

伊豆のあちこちにはこうした農産物の販売所があり、観光客の中でも「伊豆通」の人はこうした場所で野菜を買って帰るようです。

ここで販売している野菜の特徴はなんといっても安さです。大きな大根やキャベツひとつが100円とか80円であることも多く、時にはアイスプラントなどの東京都内では高級野菜で知られるようなものもかなりの格安で販売しています。

ほかにも東京ではみられないようなめずらしい野菜も時折見られ(例えば空芯菜とか)、そうしたものにはお店の人が食べ方などのメモを添えてくれていて親切です。

この店では、静岡ならではのワサビは無論のこと、生姜やニンニクといった香辛料も安く手に入り、付近の農家さんが栽培した様々な種類のものが並んでいて、どれにしようかとこれを選ぶのもまた楽しいものがあります。

そんな香辛料の中に、先日「世界一辛い唐辛子」なるものも販売されており、このほかにも、お隣の国、韓国で一番辛いとされる唐辛子なども売っていました。

辛い物好きな私は、この両方を買ってみようかと思い、値段を見たら、それぞれたったの100円でした。しかも20本ほども唐辛子が入っていて、かなりの格安です。が、安いから傷物なのかというとそんなこともなく、それどころか新鮮そのものであり、家に帰って早速料理に使ってみましたが、プリプリでした。

が、さすがに世界一、韓国一というだけあって、その辛さは通常の唐辛子のそれをはるかに超えており、とくに世界一と称するもののほうは、たった一本を使うだけで、ほっぺたが腫れ上がるほどの辛さで、思わず水を5~6杯もがぶ飲みしてしまいました。

そこで、こういう香辛料というものはいったい世界にはいくつぐらいあるのだろうと思い、調べてみたのですが、あまりにも数が多くて数字での統計などはなさそうです。

が、香辛料は辛いものばかりとは限らず、カレーに使うスパイスなどでは、辛くないものなどもあります。加熱することで辛みがなくなるニンニクなどはその代表でしょう。

香辛料の歴史

この香辛料ですが、インドにおいては紀元前3000年頃からすでに黒胡椒やクローブ等の多くの香辛料が使われていたそうです。 ヨーロッパの人々の多くは、古くから肉や魚を多く食べていましたが、内陸まで食材を運んだり冬期に備えたりするためには、肉や魚を長期保存する必要がありました。

このためクローブや胡椒などに高い防腐作用があると考えたヨーロッパ人は、これらの香辛料を食材の保存のために使うようになり、やがてはその生活に欠かせないものになっていきました。

実際には胡椒などの防腐作用は小さいそうですが、ある程度の腐敗防止の効能はあり、また何よりもその香りが病魔を退治すると信じられ、食糧の保存剤として以外にも香として焚いて用いられることも多かったといいます。

さらには、ヨーロッパなどの水がそれほど豊富でない地域では、風呂に入るという習慣がそもそもなく、このため体の洗浄不足と肉食が相まって体臭が問題になり、香の強い香辛料はこのためにも役立ちました。

とくに、クローブ、ナツメグなどの香辛料はインドネシアのモルッカ諸島でのみで産出されたため、貴重なものでし。また胡椒はインド東海岸やスマトラ島で多く生産され、このため、これらの地域と交易を行なって香辛料を手に入れることが、ヨーロッパ人にとっては、重大な関心事となりました。

その欲求は、やがてヨーロッパの人々を世界進出に駆り立てていくことになり、造船技術や天文学などの科学技術の発達させ、これによって長期の航海が可能となったことで、大航海時代の幕が開けます。

やがてヨーロッパ人は大挙して新大陸やアジアに進出するようになり、これらの地域に植民し、現地住民に対して略奪、虐殺を行うようになるとともに、キリスト教への改宗をも強制するようになっていきました。

古代ローマ時代には既に、東洋の香辛料がインド経由でヨーロッパに輸出されており、その後の中世では、東洋とヨーロッパの中間地点にある中近東出身のムスリム商人がこの香辛料貿易を独占するようになりました。

ヨーロッパ諸国の中ではとくにヴェネツィア共和国が、エジプトのマムルーク朝やオスマン帝国の仲買人からの輸入を独占しました。

一方、ポルトガルはヴェネツィアに対抗しようと、香辛料貿易独占を打破するために喜望峰経由のインド航路を発見し、貿易を独占しようとしました。こうして全世界の海を駆け巡るようになってポルトガルはやがて日本を発見し、日本だけでなく中国との交易にも精を出すようになっていきました。

のちの新大陸発見後はメキシコ、ペルーにおける領域支配を中心としたスペインとともに世界を二分するようになり、こうして成し得た世界的なネットワークは、やがて「ポルトガル海上帝国」とまで呼ばれるようになりました。

また後年、同じく世界へ進出していったオランダもまた「オランダ海上帝国」といわれるような植民地支配と交易体制を敷いており、香辛料はこれらの国による世界の未開の地の発見のために大きく貢献したといえます。

ポルトガルは、当初は東側に向けて香辛料を求める進出を通づけていましたが、やがてスペインなどの他国との貿易の主導権の争いは熾烈なものとなっていったため、一部の人たちは西側にも目を向けるようになりました。クリストファー・コロンブスもその一人で、1492年にスペインから西に出帆しました。

コロンブスは、もともとはイタリア人だったという説もあるようですが、育ったのはポルトガルのリスボンであり、この地の貴族と結婚して財をなし、航海術や地図製作の技能もここで学んでいます。

しかし、その後スペイン王室に近づき、西回り航路の開拓を申し出たところ、イサベル一世がこれに興味を持ち、援助を受けることができるようになったため、コロンブスはスペイン国内で船と食料を調達し、西南部アンダルシアのパロス港から大航海に出発したのでした。

結局のところ、彼は香辛料の主産地であるインドやインドネシアには到達できませんでしたが、アメリカ大陸に到達し、その存在をヨーロッパ人に知らしめる結果になりました。

彼の本来の目的地はインドでしたが、このアメリカ大陸発見当初、彼はこことインドと勘違いしており、そこに住む先住民を「インディオ」と呼びました。このため、アメリカ大陸の先住民は現在に至るまでこの間違ったままの呼称で呼ばれるハメになりました。

やがて17世紀に入ると、オランダもアジアに進出してポルトガルと争うようになり、モルッカ諸島やスマトラ島を直接支配下に置きました。その後18世紀にもなると、香辛料はヨーロッパでも栽培されるようになり、やがて貿易における重要性は次第に薄れていきました。

日本における香辛料

このころにはもうありとあらゆる香辛料が格安に手に入るようになり、世界中の人々がこれらを使ってさまざまな料理を生み出していきました。

さて、それでは、日本における香辛料の輸入はいつこのころのことからだったのでしょうか。

日本が原産の古来からある香辛料といえば、ショウガやサンショウが代表的なものであり、古くは古事記中に「波士加美」、「波之加美」という記述が見られ、これは「はじかみ」と読みますが、これはショウガやサンショウといった当時の日本にあった香辛料類の総称です。

一方、輸入品はというと、756年に書かれた、大寺正倉院に遺る献納目録である「種々薬帳」には既に舶来生薬類の名が多く記載されており、中には「胡椒」や「畢撥(ヒハツ)」「桂心(=桂皮(ケイヒ))」などの名も見られるということです。

ヒハツというのはあまり聞き慣れない香辛料ですが、その果実はコショウに似た風味を持っており、ヨーロッパでは、コショウと同様にスパイスとして利用されていました。現代のヨーロッパの料理にはほとんど使われませんが、インドやインドネシア、マレーシアといった国ではいまだに料理によく使われています。

また、ケイヒというのは、シナニッケイというクスノキの仲間の樹木の皮を剥いで作った香辛料であり、この根っこからは、肉桂(シナモン)も採れます。

「種々薬帳」というタイトルからもわかるとおり、これらの香辛料類はまず薬品として日本にもたらされ、種類によってはその後長期にわたって漢方薬の材料などに使われました。

しかし、ヨーロッパ人のようにこれらを料理に用い、さかんに輸入・消費していくような気運は、結局日本では生まれず、その理由は昔の日本人は肉食をほとんど行わなかったためです。日本人は、こうした薬臭い香辛料よりも発酵調味料を積極的に利用したため、その後も長い間、香辛料への潜在的需要は低いままでした。

ただ、中世期になると、より身近な地産の草菜類を利用した、「薬味」「加薬(かやく)」などの概念が発展しはじめ、江戸時代には日本料理においては、この薬味が重要な立場を占めていくようになります。

当時の料理書には、大根・葱・紫蘇・芥子・生姜・山葵といった香辛料が特に薬味として好まれ多用されたことが書かれており、特にネギはやがて日本料理に欠かせない存在となり、ダイコンは大根おろしなどの形で大量に用いられました。

そのほかにも山椒、ゆずなどの日本古来の薬味が使われましたが、ヨーロッパの香辛料とも共通する唯一の例外は、前述の肉桂(シナモン)などでした。

胡椒も一時期、うどんの薬味として使われた事があるようですが、唐辛子の普及により結局廃れ、江戸時代にはほとんど使われませんでした。ただ、近畿などでは比較的使われることも多かったそうで、その名残で、現在でも関西では日本料理に胡椒が用いられることがあるそうです。

このように胡椒はあまり使われませんでしたが、唐辛子はそこそこ普及し、その後、日本独自のブレンド香辛料である七味唐辛子も登場しました。ただ、これらはいずれも風味付け程度の少量の利用にとどまったため、大量に出回ることはありませんでした。

やがて明治維新がおき、大正時代の頃になるとカレーライスを食べさせる店などが少しずつ創業するようになり、刺激の強いカレーの味覚も少しずつ日本人の知るものとなっていっていきまし。

おそらくは、カレー粉が日本の家庭に一番最初に普及した香辛料でしょう。が、これは各種の香辛料を混合したブレンド香辛料であることはみなさんもご存知でしょう。

やがて第二次世界大戦後は生活の洋風化がすすみ、さまざまな香辛料の輸入量も増加の一途をたどっていくようになります。経済成長を経て社会が豊かになると、本格的な欧風料理やいわゆるエスニック料理などを広くたのしむようになり、現在では様々な香辛料類が家庭内にも常備されるようになっています。

胡椒と唐辛子

そんな中でも、香辛料の王者ともいえるものはやはり、胡椒でしょう。

インドへの航路が見つかるまでは、ヨーロッパではあまり流通しておらう、かなり貴重なものでした。前述のとおり、大航海時代の幕開けのきっかけとなった香辛料の中でも最も重宝されたものであり、その取引における価値のほどは、1世紀のローマにおいて金や銀と胡椒が同重量で交換されていたことからもわかります。

ゲルマン部族のリーダーであったアラリック1世はローマ帝国に侵略を控える代わりに金、銀のほかに胡椒を貢物として要求したとも伝えられています。

さらに時代が下った中世ヨーロッパにおいても、香辛料の中で最も高価であり、このころには金や銀ほどの価値はなくなっていたものの、貨幣の代用として用いられる国もあったそうです。ヴェネチア人は胡椒をさして「天国の種子」と呼び、珍重していました。

ただ、現代に至ってはさすがに貨幣として使われるほどの価値はなくなり、原産地であるインドのほか、インドネシア、マレーシア、ブラジルでも栽培されていて、価格もかなり安くなっています。ただ、カメルーンのペンジャ産の胡椒は最高級品とされていて、20~30グラムが1000円内外もするそうです。

どんな味がするのか私は使ったことがないのでよくわからないのですが、コショウ自体がおいしいと感じられるほどだそうで、ある販売店でのキャッチによれば「エレガントで独特な風味が脳裏に突き刺さるほど衝撃的」だそうです。フランスの有名シェフが競って使っているという話もあり、やはり普通の胡椒よりは一味違うようです。

こうした胡椒には、中枢神経系に作用し、生物の精神活動に何らかの影響を与える、いわゆる向精神薬であるアルカロイド性の物質が含まれているそうで、薬効を期待した薬膳料理にも使われています。消化不良、嘔吐、下痢、腹痛などの症状に対して効くそうで、また、抗がん作用、抗酸化作用[もあるといいます。

一緒に摂取した医薬品の作用を増強することも報告されていて、他の成分の吸収率を高めるなどの効果があるとして健康食品にも使用されることもあり、さらにはダイエット用などのサプリメントとしても最近注目を集めているそうです。

が、ダイエットに効く香辛料として最近よく耳にするのは、やはり唐辛子でしょう。

唐辛子にはカプサイシンという辛味成分が含まれていて、このカプサイシンには、血行を促進したり、ホルモン分泌を促進する効果などがあるといわれています。

ホルモンの分泌が促進されると、アドレナリンが出やすくなるのだそうで、このためエネルギーの代謝が盛んになり、脂肪をエネルギーに変えて燃焼するようになる、という理屈のようです。が、ただ食べるだけではあまり効果がなく、唐辛子を食べた後は脂肪が燃焼しやすい状態にあるため、ここでしっかりと運動をするとより脂肪が燃えるのだとか。

また、カプサイシンには、血糖値を下げる効果もあるそうで、運動によるエネルギー代謝とともに血糖値の上昇が抑えられ、このため糖代謝が促進されることになり、体内に新たに脂肪が蓄積を防ぐ効果もあるということです。

ただ、唐辛子は辛いので、逆に食欲増進効果も絶大であり、逆にごはんが進みすぎてダイエット効果が出ない、なんてこともあるようです。せっかくダイエットをしようとして唐辛子を摂取しても、食べ過ぎてしまっては、効果は現れにくくなってしまうので注意が必要です。

また、唐辛子の食べ過ぎは、胃腸に負担をかけてしまいます。カプサイシンは辛み成分なので、粘膜を傷つけることがあり、適量を超えて過剰に摂取すれば胃腸などの壁に問題を起こすこともあるそうです。過剰摂取にならないように、適量を心がけましょう。

唐辛子の過剰摂取は発癌を促すという指摘もあるようで、唐辛子を多く摂る国は胃癌や食道癌の発癌率が高いそうです。ただ、国際がん研究機関(IARC)の研究では、唐辛子は発がん性の可能性がある物質とは認められなかったそうで、カプサイシン単体が発がん性を有するということは、今では迷信と考えられています。

むしろ唐辛子は、他の特定の物質を発がん性物質に導く体内の酵素の働きを抑制する、いわば抗がん効果があるとする研究結果などもあるようです。ただし、カプサイシンの単独摂取には問題はないものの、他の物質と同時に摂取すると癌発生を促進する場合もあるということです。

ま、何かと何かを合わせると発癌性のあるものに変化するという例はゴマンとあるでしょうから、あまり気にしすぎる必要もないと思いますが。

さて、先日私が農の駅で買った、世界一辛いという唐辛子ですが、どうやら「ハバネロ」という名前のようです。「世界一」というのは、お店の人が書いた説明書きに書いてあったのですが、実際にはもっと辛いものもあるのだろう、と思ったので調べてみました。

この唐辛子の辛さを量る単位というものがあり、これをスコヴィル値(Scoville scale)といいます。トウガラシにはカプサイシンという辛み成分が含まれていると書きましたが、スコヴィル値は実質このカプサイシンの割合を示す値だそうです。

ちなみに、この「辛い」と感じるのは、味覚というよりも「痛み」に近い感覚なのだそうで、実際、人の体がカプサイシンを「感じる」ために使われる口の粘膜にある「受容体」は、生化学的には痛み関連の受容体に分類されています。従って、唐辛子を「辛い」と感じるのは実は、口内で「痛覚」を感じているのに他ならないのだそうです。

ところが、インドやタイ、韓国などの人は、これを痛い!とも思わず平気で食べれるのは何故なのでしょうか。

実はこうした国では、小さい子供の頃から徐々に辛い味に慣れていっているため、胃腸や口の粘膜が刺激に対して強くなっているためだそうで、これがやがて大人になるにつれて、痛みを味覚として好む、つまり「快感」に変化していったのだと考えられています。

ようするに辛さに関してはこうした国の人は、完全に「M」なわけであり、これはこられの国の「社会文化」といっても良いでしょう。こうした国は、ほかにもメキシコや西アフリカなどがあり、このほかには、中国の四川省・湖南省などがあります。

これらの国、地域の共通点としては、「夏が暑い」であり、唐辛子のような辛い物を積極的に食べて「痛み」を感じ、発汗を促すことで暑さ対策をしているという見方が一般的です。

ただ、同じように夏の暑いベトナムや沖縄などでは、さほど唐辛子を好まないようで、一方では韓国やブータンなどの夏がそれほど暑くない国では唐辛子を好む食文化あります。

こうしたことから、唐辛子の嗜好は単に気候的要因ではなく文化的要因によるものが強いのではないかということが言われているようです。韓国の人が辛いものを好きなのは、日本や中国との間にあってこれらの国と争うことの多かった歴史があり、このために我慢強くなったからかもしれません。

それはさておき、私が買ったハバネロのスコヴィル値は、どれくらいかを調べてみたところ、これは10万~35万程度だそうです。……といってもわかりにくいので、他と比較してみると、例えばパスタなどによくかけて使う、タバスコ・ソースのスコヴィル値はせいぜい2500~5000だそうです。

また、一般的な催涙スプレーに使われている唐辛子成分のスコヴィル値は1万5000~9万だそうで、鷹のツメやチリ・ペッパーがだいたい4万~5万くらいといいます。

ということは、ハバネロの辛さはタバスコの40倍以上の辛さであり、また鷹のツメと比べても倍以上辛いことになります。なるほど辛いはずです。

ところが、上には上があって、「SBカプマックス」という唐辛子品種のスコヴィル値は65万もあり、これはハバネロの2~6倍の辛さとなり、2006年12月には世界一辛いトウガラシとしてギネス・ワールド・レコーズに認定されたということです。

ところが、3ヶ月後の2007年2月にはSBカプマックスの2倍近い100万ものスコヴィル値を持つインド・バングラデシュ原産の「ブート・ジョロキア」という品種がギネス認定されました。

ブート・ジョロキアはその後しばらく王座を占めていましたが、その後もギネス記録は塗り替えられ続け、2011年段階での最高峰は、「トリニダード・スコーピオン・ブッチ・T」という長ったらしい名前の唐辛子で、そのスコヴィル値はなんと146万3700です。

その名の通り、中南米のトリニダード・トバコ原産の唐辛子ですが、新たに品種改良されたとかいうわけではなく、土着の品種だそうで、世界にはまだまだ探せば辛い唐辛子が発見されるのではないかと思わせます。

純粋な植物品種として最も高いスコヴィル値を持つのは、このスコーピオン・ブッチですが、さらに人工的に辛みを濃縮したものには、痴漢や暴漢などの撃退のための唐辛子スプレーの200万というのがあり、このほか警察官などが使っている唐辛子スプレーの中には530万というものもあるようです。

ところが、食品としてこれ以上のスコヴィル値を持つものもあり、そのひとつは「ザ・ソース(The Source)」といい、アメリカのカンザスシティに本社を置く会社が実際に発売している「ホットソース」です。

ほとんどカプサイシンの抽出物のみで作られているそうで、その辛さはなんと、710万スコヴィルとされ、2002年に発売された当時は世界一辛いソースとされていましたが、現在ではこれよりもさらに辛い商品が発売され、16ミリオン・リザーブ(16 Million Reserce)というのが今、世界一といわれています。

その名のとおり、1600万スコヴィルを誇り、厳然と他を寄せ付けていません。実は、この商品は、「デスソース(Death Sauce)」という一連のホットソースシリーズの一つであり、これを売りに出しているは、アメリカのニュージャージー州ハイランズ(ニューヨーク・スタテン島の南)に本社を置く、ブレア社がという会社です。

「シリーズ」ということは他にも辛いソースがあるとうことなのですが、さすがに1600万スコヴィルを超えるものはなく、これに次ぐものが「ハロウィーン07リザーブ」という商品で、約1350万、以下、「5 AMリザーブ」が、550万、「4 AMリザーブ」400万といった具合です。

こんなものばっかり売っていて商売になるんかい、と思いきやもっとスコヴィル値の低い真面目な商品もあるようです。

「オリジナルデスソース」という商品は、完熟赤ハバネロとカイエンペッパーを使用し、隠し味にライム果汁を加えたソースということで、アメリカの人気激辛ソースウェブサイトで売り上げ人気トップ10に入賞したといい、スコヴィル値は約10000です。

なんでも、ここの社長「ブレア・ラザー」という人は、1990年代にレストランを経営しており、ここでチキンウィングに激辛ソースを塗りたくり、「これを完食できたら、飲み代は無料」として客に出したのだとか。

しかし、チャレンジしても脱落者が出るばかりだったといい、このあとにも改良を加えて更に辛いソースを作り出し、チャレンジ度の高いものを出し続けていたところ、次第にこれが評判となっていきました。これをみた社長は、このソースは商売になると確信し、1994年にはレストランをたたんで、ソース工場を設立。

このとき限定版として発売された「ブレア氏の午前2時」は瞬く間に完売したといい、さらに普及版が欲しいという激辛ファンの要望に応え、こうして「デスソース」シリーズが発売されるようになったのです。

それぞれの商品には髑髏のキーチェーンがおまけでついているそうで、これは実際にこの会社のソースを使った人の中に心臓発作で死んだ人がいるそうで、それを記念?しておまけをつけることになったといいます。

日本ならすぐにでも公正取引委員会か何かのお役所からお咎めを受けそうですが、そこは何事もおおらかでジョーク好きのアメリカのこと、いまだお取潰しになるどころか、大いに商売繁盛しているようです。

ちなみに、この会社にはデスレイン(Death rain)というシリーズがあり、これはポテトチップスなどの激辛スナック菓子などであり、こちらもデスソースと同様に、買うと髑髏のキーチェーンが付いてくるそうです。

こんな辛いものばかりで商売が成り立つなんてすごいことだと思いませんか?

世にはいろんな商売がありますが、普通は人が嫌がるような味覚で商売する……これもなかなか発想の転換で面白いかもしれません。

人が嫌がりそうなものには、辛い物、刺激味以外にも、酸味、塩味、苦味、渋味などいろいろありそうです。ほかにも金属味、電気の味なんてのもあるようですが、案外と「無味」なんてのが商売のネタになるかも。

ここはひとつ、あなたも考えてみてはいかがでしょうか。