メッセージ 2

 父が晩年を過ごした山口 一の坂川の風景

昨夜、テレビを見ていたら、森昌子さんが出演されている番組がありました。出演者のお悩みに、人生相談の経験豊かなお坊さんが答えるという形式のものでしたが、森さんのお悩みとは、亡くなったお父さんが最後に言いたかったことは何か知りたいというものでした。

なんでも、森さんが長年休業していた歌手業に復帰する際、その報道発表のためのインタビューに答え終わったと同時にお父さんが亡くなったとのこと。お父さんは森さんに幼いころから、歌の指導をし、親子以上に仲のよかった方のようです。しかし、亡くなる数年前に脳溢血のために倒れ、意識はなく、ベッドに寝たきりになっていたとのこと。森さんや家族がいくら話かけても反応はなく、おそらく、その状態ではいくら森さんが、歌手復帰のことを話しかけたとしても、そのことは理解していなかっただろうと思われます。ただ、森さんは、もちろん、わかっていなかっただろうが、もし倒れる前だったらなんと言ってくれただろう、もしかしたら意識がない中でもそのことを知っていたかもしれないと思うのだが、本当はどうだったんだろう、教えてほしい、という内容でした。

歌手復帰の報道発表のあと、森さんは、お父さんが亡くなったことを知り、病院にかけつけて、その夜は一晩中霊安室でまるでまだお父さんが生きているかのように、ご遺体に話しかけられていたとのことです。一晩が明け、翌朝も、森さんがお父さんに向かって話しかけていたときのこと。ちょうどその日のスポーツ紙が届き、その表紙には、森さんの歌手復帰の報道インタビュー発表の様子が写真入りで報じられていました。それを見た森さんは、新聞をご遺体に向かって見せながら、ほら、こうして復帰したよ、本当だったでしょう、ちゃんと見て!と話しかけていたそうです。するとなんと突然、お父さんが目を見開いて、新聞のほうをまじまじと見た!というのです。

森さんは、やはりお父さんは生きていた!と思い、急いでお医者さんを呼んだところ、かけつけてきたその主治医は驚きもせず、遺体の目に手をあてて、見開いた目を閉じました。そして、やはり亡くなっています、と静かにおっしゃったそうです。おそらくは死後硬直か何かの反応で目を見開かれ、その瞬間が森さんが新聞を掲げた瞬間と偶然のように一致したのだと思います。しかし、森さんにはやはりお父さんは生きていた、としか信じられなかったようです。死が現実だということがわかったあとも、そのことが気にかかっていて、本当はお父さんは霊的には生きていて、歌手に復活したことを、遺体の目を見開かせることで、「わかっている」と示したかったんだと、思っているご様子でした。

しかし、「わかっていた」として、私に何が言いたかっただろうか、というのがその番組でのお坊さんたちへの問でした。これに対して、それぞれのお坊さんのご意見はいろいろでしたが、やはりわかっていただろう、とおっしゃる方が多く、森さんの歌手復帰を喜んでいただろう、その喜びを口にしただろう、という意見が多かったようです。そのおひとりに、お坊さんでありながら、納棺師もやっていて、多くのご遺体をお納めしてきた、という方がいました。その方が、こういう意味のことをおっしゃいました。曰く、あの世に旅立たれた方で、生前の人生を良い形で全うされた方は、死後も自分の人生が満足で良いものだったということや、残された遺族に望むことなどを何等かの形で示されることが多い・・・と。

そのお坊さんは、ほかにも亡くなられた方が、死後、まるでまだ生きているような、さまざまな様子を見せるのをこの目でみてきた、とおっしゃいます。具体的にはどんなことなのか、お話になりませんでしたが、私が知っているところでは、ご遺体の前に線香がわりに立てていたタバコに火をつけたところ、まるで誰かが吸っているように燃え上がり、みるみる間に灰になっていった、というお話などがあります。

この番組をみていて、私の脳裏を横切ったのは、私の父親のこと。やはり、脳こうそくを発症し、一命をとりとめたものの半身不随になり、山口のリハビリ病院に入院していましたが、4年ほど前に亡くなりました。私の父は、森さんのお父さんとは違い、半身不随でも言葉は出ていましたが、脳こうそくによって知識中枢がやられたのか、正常な会話はできず、見舞いに行っても幼児と話しているのかと思えるような程度の会話しかできませんでした。

その父が亡くなる直前のことです。私が卒業した広島の高校の卒業時のクラス同窓会を30年ぶりにやろう、という声があがりました。私は幹事ではなかったものの、あちこちに散らばった同窓生に声をかけ、参加を呼び掛ける中心的な役割をしていました。30年ぶりの同窓会は、父の亡くなった12月の翌月正月に、母校に一同が参集して行おうということになり、連絡先がわかっている人は、わからない人を手分けして探し始めました。その結果、数人を除いてほとんどの人の消息がわかり、しかも、その当時の恩師もご存命ということがわかりました。30年もの間、音信不通だったにもかかわらず、同窓会の企画は、かつての同窓生の間でおおいに盛り上がり、結果的にいえば、クラス総勢50数人のうちの40数人が集まるという大盛況で終わりました。

それにさかのぼる数か月前のこと、私は、音信不通になっていた同窓生のひとりである、タエさんを探し当て、その後、電話やメールで頻繁に連絡をとるようになっていました。ご両親を亡くし、一人っ子で独身だった彼女と、先妻を亡くして一人身だった私は、それぞれのことを意識していました。しかし、同窓会を前にささいなことでぎくしゃくした関係になっており、同窓会のひと月ほどは全くの音信不通になっていました。

同窓生の間では、30年ぶりの同窓会を盛り上げようということで、クラス専用のホームページまで立ち上がっており、その中でお互いの近況を披露しあったり、それまで連絡がつかなかったクラスメートと掲示板でのやりとりをするなど、こちらもおおいに盛り上がっていました。この中でもタエさんとの交流は途絶えたままでしたが、このときはお互いに意地を張って書き込みを避けていたように思います。

そして・・・同窓会が行われる1月3日に先立つ12月の10日のことです。山口の母親から一本の電話が入りました。突然、父が亡くなったという知らせです。実は、その年の夏、私は息子を連れて山口に帰郷し、病院にも母同伴で父を見舞いに行きました。そのとき、母づてに病院側から聞いた話では、父の容体は何の問題もなく、食事もよくとっていて、まだまだ大丈夫、ということでした。それがにわかに亡くなった、というのは正直驚きでしたが、ともかく驚いているもなにも帰郷、ということになり、その晩、クルマで夜通し高速道路をとばし、山口の実家まで帰ったのです。

父の死因は脳こうそくの再発だったらしいのですが、直前体調を崩していたとか食が細かったとかいうことはなかったそうで、血圧なども正常だったようです。それが突然亡くなったというのはにわかに信じがたいことでしたが、もうすでに80歳を超えており、寝たきりの状態が長く続いていたこともあって覚悟はしていました。再三遠くの病院まで看病のために足を運んでいた母への負担も軽くなるだろうことも考えると、大往生だったのだし、と正直涙も出ませんでした。

しかし、その突然の死がどういう意味だったのか、については、森さんと同様、後日やはり考えさせられることになります。

父の死の直後、盛り上がっていたクラス同窓会のホームページの掲示板に、その後音信不通だったタエさんから私へのメッセージが書かれていたのを知ったのは、私が東京から山口へ帰郷した日の翌日のことです。知らせてくれたのは同じ同窓生で東京在住の女性ですが、かねてより二人のことを気にかけてくれていて、タエさんからメッセージが届いているよ、と電話してくれたのです。

そのタエさんからのメッセージは私の父親へのお悔やみと、夜通し車を運転して帰った私を心配する内容でしたが、後日、私がそれに対するお礼を書いたことは言うまでもありません。そして、これがきっかけで、タエさんとの関係が修復されることになったのです。

父の葬式が終わり、四十九日もまだ迎えていませんでしたが、翌年の正月、母校での30年ぶりの同窓会へはそのまま出席しました。そして、同窓会の翌日にはなんと、タエさんとの初デートが実現し、そしてその後の結婚につながっていくことになったのです・・・

実はこの話には、まだまだ書き足したいところがあるのですが、その後の結婚に至るまでのおろのけ? などはまたおいおい書いていくことにしましょう。

そして、今日書きたかったことは、タエさんとの結婚は、実は父がその死をもって画策したことなのではなかったか・・・ということ。

森さんと同様、父の死に際には会えませんでしたが、最後に何か言いたかったことがあるとすれば、やはりいつまでも一人でいないで、再婚しろ、ということだったように思うのです。脳こうそくで倒れたあと、正常な思考のできない中でもそうした意識があったとすれば、うーん息子のために、そろそろ死んでやらんといかんなー、と思っていたのではないか、と。

脳の機能が停止し、外見からは正常に見えない人でも実は意識そのものは正常なのだという人がいます。スピリチュアル的には、眠っているように見えていても霊界と常に行き来し、正確に彼我の環境を把握しているものだ、という話を以前読んだことがあります。脳こうそくで倒れ、意識が正常でないように見えた父も、そのようにして霊界で私たちのことを知り、二人をくっつけようとしたのではないか、とどうもそのような気がするのです。

森さんの話に端を発し、父の思い出話などを長々と書きましたが、父だけでなく、そういう話はほかにもいろいろあります。そうした話はまたおいおい書いていくとして、その父は今、私の守護霊として私を守ってくれている、ということを後日知りました。このことについても、また書いていこうと思いますが、同じようなことがみなさんにもひとつや二つあるのではないかと思います。

私と父のエピソードをどうお考えになるかは別として、みなさんも故人の亡くなった意味と今何が言いたいかについて、時にはじっくり考えてみる時間をつくってみてはいかがでしょうか。