日と月

今週5月15日は、タエさんのお母さんのご命日でした。私にとっては、義母にあたるわけですが、残念ながら二人の結婚前に亡くなっており、写真でしかお顔を拝見したことがありません。ただ、大学時代に一度、タエさん宅にヤボ用があって電話をした際、彼女は不在でお母さんが出られました。その時の短い会話がお母さんと交わした最初で最後のものですが、タエさんの不在を教えていただいたあと、最後に、「また電話してやってねー」と優しくおっしゃっていただきました。そんな短いエピソードですが、30年ほども前のことだけに、覚えていること自体奇跡です。

15日の朝、前日からお泊りになっていたSさんご夫婦が広島へ向かって立たれましたが、その前にちょうどその日がご母堂の7年目のご命日だから、ということで、「七年祭」という神事をやってくださいました。タエさんによれば、神道では仏教と違い、6年目で7回忌の仏事をやるのではなく、まるまる7年で神事をやるのだとか。

神棚の前で、ご夫婦が用意してくださった、「み祭り」の言葉が書いてある紙をみながら、Sさんに従いながら4人でお祈りをとなえます。神道だけに昔ながらの古い日本語なのですが、素人にもわかりやすいようにひらがなにしてあったり、ふりがなが加えてあります。それでもすべての意味がわかるわけではありませんが、いろいろなお浄めの祈りや、さまざまな神様に対してのお礼と祈りを順番に述べていくのです。

お祈りは神棚の前にSさんがお座りになり、「神官」として、祭りをつかさどられますが、途中、祝主であるタエさんと家主である私も、それぞれ一度づつ神前に座ってみ祭りのことばをささげます。祈りの数は結構多く、全部でA4用紙3枚ほどもあります。今回のような七年忌のお祈りや、先祖を祭る祖霊祭、家を建てたときの上棟祭など、それぞれのお祭りごとにいろいろなものがあるようです。

30分ほどもかかったでしょうか、タエさんのお母様にささげる「七年祭」の神事が無事終わったあと、雑談になりましたが、その中で、み祭りをささげた神様のお話になり、その中で、とくにタエさんが祈りをささげた「月の神」の話になりました。

一人でみ祭りをとなえる際、タエさんには「月の神」様へのみ祭りのことばをささげるように指示されたのですが、なぜ月の神だったのか、とタエさんがお聞きしたところ、Sさんのお答は、とくに月の神様へのお祈りをとくに大切にしているから、というものでした。

日本の神様は天照大神(アマテラスオオミカミ)をはじめとして、太陽にまつわる神様がほとんどで、月の神様は少ないのだとか。だから全体のバランスをとる上でも、月の神様をより崇めたほうが良いと考えていらっしゃるとのことで、今日のような七年祭などではとくに月神様への祈りを優先するということのようでした。

ちなみに、今月21日に金冠日食があるので、その神道的な意味合いを私が尋ねると、太陽と月がちょうど重なることで、世の中の運気?が中和されるという意味のことをおっしゃいました。そういえば、昔、日食が起こったあとには、天変地異やら事変やらが必ずといってもいいほど起こっていたということを、テレビの何かのバラエティー番組で紹介していました。300年くらい前の日食後では、日食の5日後に天皇が崩御されたとか。また別の日食のときには、直前に大地震があったそうです。一時的に宇宙のエネルギーのバランスが中和することで、その直後に人も地球もバランスを崩してしまい、天変地異を起こしたり、人の心を壊してしまうのかもしれません。

今回の日食も同じと考えると、日食が終わり、その直後に中和のバランスが崩れることで、何か天変地異でもあるんでしょうか? とSさんにお尋ねしましたが、とくに否定はされませんでした。と、いうことは ・・・!?

そしてこんなエピソードも話してくださいました。お二人が以前、愛知万博に行ったときのこと。三菱か東芝かはっきり覚えていないとのことでしたが、ある企業パビリオンで、天文に関するシミュレーション映像を流していたとのこと。お二人がちょうど見たのは、もしも、地球を周回する月がなかったら、という内容のものだったそうです。もし月がなかったら、地球はどうなるか? なんと、地球は8時間の周期で太陽の周り回ることになるそうで、そのため、地球上にはものすごい風が吹き荒れている環境になり、生物はまったく棲めないだろう、というのです。

それくらい、月は地球にとって必要なものなんですよ、とSさん。日と月を合わせて「明」という字ができますよね。太陽と月が一体だからこの世は明るいんです・・・・なるほどわかりやすいたとえです。ふだん何気なく中空にかかっている月を眺めている私たちですが、そこにそれがあることをありがたいと思って暮らすことこそが、月の神への祈りにつながるのかもしれません。

ところで、私がひとりでみ祭りのことばをささげる段では、そのお相手は四十八柱龍神(よとやはしらりゅうじん)様でした。Sさんにその理由を尋ねると、龍神は仕事の神様だからとのこと。以前私から、これから商売を本格化するつもりだというのを聞いていたので、私の段では龍神様にお祈りをささげるのが良いだろうと考えたとのことでした。

なぜ四十八なのか、と重ねてお聞きしたところ、そもそも、日本には48の言語があり、それぞれの言葉につき、一体の龍神様がいるとのことでした。すなわち、いろはにほへと・・・の48文字それぞれに対応する言語があり、それぞれのことばを龍神様が守っているんですよ、とおっしゃいます。そういえば、「いろは歌」という48文字の歌がありますが、あれもこれと何か関係あるのかな ? だから四十八龍神なんだー、と妙に納得。いずれにせよ、仕事をやっていくうえでは文字はどうしても必要なもの。そのことばを守っているそれぞれの龍神様への祈りをもって感謝をささげ、隆盛を願う気持ちを大切に保て、ということ・・・なのでしょう。

それにしても、タエさんのお母さんの7回忌にまるで合わせるようなSさんご夫婦の来訪。きっと、お母さんがそのようにしむけたんですよ~、とSさんの奥様がおっしゃいます。4人でそうだそうだ、と言い合ったそのとき。神棚の奥のほうで、「パキッ」というラップ音が。ラップ音がするのは、亡くなった方のたましいがやってきているとき、というのは定説です。あーやっぱり、お母さんがいらっしゃっていたんだー、と皆でうなずきあい、笑いあったのでした。

その笑いに答えるラップ音はさすがにもうしませんでしたが、お母さんのほうも、神棚の上のほうから我々を眺めて、笑っていらっしゃったに違いありません。

 南伊豆、爪木崎の水仙群落 お母さんが好きな花のひとつだったそうです

Sさんご夫婦がお帰りになるこの日は、あいにく大雨でしたが、このあと、9月に行う神事に適した場所を探したい、とのことで、伊豆の西海岸を何ヶ所か視察したあと、帰広する、とおっしゃり、お二人は去っていかれました。遠いところから来ていただいた上、いろいろなためになるお話をしていだだき、七年祭までしていただいて、感謝感謝です。

リビングの窓をみると、朝からそこにへばりついている一匹の蛾がまだそこにいます。タエさんによると、蝶々や蛾はお母さんのシンボルなんだとか。ここにいるよ、とメッセンジャーを寄こし、ご自分も我々と一緒に七年祭を楽しまれたに違いありません。

Sさんが去られたあとの我が家は二人とネコ一匹。テンちゃんには騒々しい一日だったに違いありませんが、我々二人は充実した一日を過ごして、すっきりした気持ち。外の庭をたたく雨の音が家の中に響き渡る中、二人はその一両日のことをそれぞれの思いでふりかえつつ、横でテンちゃんが丸くなって眠りにつくのを尻目に、残るその日を静かに過ごしたのでした。