クジラは歌う

2014-1070280今日は、童謡詩人、金子みすゞの命日だそうです。

北原白秋と並んで大正期を代表する童謡詩人と称された、かの西条八十からも「若き童謡詩人中の巨星」と称えられるほどの実力者でしたが、1930年(昭和5年)の今日、26歳でその短い生涯を終えました。

大正末期から昭和初期にかけて、512編もの詩を綴りましたが、このように専門家の評価は高かったにもかかわらず、当初はあまり世間一般には知られていませんでした。

ところが、2000年代のはじめに、ラジオ大阪の携帯サイトで金子みすゞの詩を朗読するプログラムが公開され、またTBSラジオのミニ番組「童謡詩人・金子みすゞ」でも詩作の朗読が放送されたことなどから、徐々に人気が出るようになりました。

その後、東日本大震災後に、テレビ各局がCMを自粛するようになった折、その差し替えのために放送された公共広告機構のCMで、みすゞの作品の一つである「こだまでしょうか」が取り上げられたことにより一挙にブレイク。

「金子みすゞ童謡集“こだまでしょうか”」などが急遽電子書籍化されたほか、この「こだまでしょうか」をモチーフに、その独特の語調をパロディにした作品などもインターネット上で流行り、その名前が広く知られるようになりました。

この影響もあって、山口県の長門市仙崎にある「金子みすゞ記念館」の入場者数も急増、2011年には累計入場者数が100万人を突破しました。

このみすゞが生まれた仙崎という町は、日本海に面した青海島と本土の間に形成された砂嘴の上に成り立った港町で、魚類の大消費地である下関や福岡にも近いことから、日本海側屈指の漁港として成長しました。

蒲鉾の産地としても知られ、面積14平方キロメートルほどの青海島はその北岸が日本海の荒波を受け、奇岩が並び立つ景勝地であり、「海上アルプス」とも称され、山口県を代表する観光地でもあります。

私も子供のころから何度となく訪れ、その絶景を見るのが好きでしたが、長じてからは、この仙崎漁港のお土産物屋で売っている豊富な魚介類目当てに、よくここへ行ったものです。が、最近の不況でこの土産物屋の数がずいぶん減ったと聞いており、少々心配しています。

みすゞが生まれたのは、1903年(明治36年)4月11日のことでしたが、彼女が生まれてすぐに、父は下関の本屋の支店の店長として中国(当時は清国)の営口に赴任し、彼女が3歳のときにこの地で不慮の死をとげています。

彼女には弟が一人いましたが、幼くして母の妹(みすゞにとっては叔母)の嫁ぎ先である下関の上山家という家に養子に出されています。ところが、この叔母もまたその後亡くなり、この弟の養父が一人者となったことから、同じく寡婦であったみすゞの母と再婚。

このため、みすゞも下関の上山家に移り住むようになり、みすゞとこの弟とは姉弟でありながら、しかも義理の姉弟というややこしい関係となりました。

みすゞは23歳のとき、この養父(叔父でもある)の経営する本屋(上山文英堂という名前)の番頭格の男性と結婚して、二人してこの養父の家で住むようになり、やがて娘を1人授かります。

同じく同居していた弟とは、実はみすゞは不仲だったといい、このため彼をかわいがっていた叔父から次第に冷遇されるようになります。結婚相手とも折り合いが悪かったようで、このためこの旦那は不倫に走るようになります。これが謹厳実直だった叔父にバレ、激怒した彼は、夫婦を上山文英堂から追い出しました。

みすゞは夫に従ってこの家を出たものの、自暴自棄になったこの旦那の放蕩は収まりません。そうしたすさんだ環境のなか、もともと、文学的な才能があったみすゞは、気分転換にと雑誌などに詩の投稿を始めました。が、偏屈な夫は家業をないがしろにして遊んでいる、とこれを喜ばず、彼女の投稿活動や詩人仲間との交流まで禁じました。

しかも、女遊びの末に、淋病に感染し、あろうことかこれをみすゞに移してしまいます。こうした夫のしうちにも我慢に我慢を重ねていたみすゞでしたが、ついに耐え切れなくなり、1930年(昭和5年)2月にこの夫との離別を決めます。

周囲のとりなしによって正式に離婚は決まったものの、しかし夫はこれを拒否したため、手続き上は成立していないまま、彼女は家を出ようとします。このときみすゞは、せめて娘を手元で育てたいと夫に要求し、夫もこれを一度は受け入れました。

ところがすぐに考えを翻し、娘の親権を強硬に要求するようになります。離婚もできず、娘も取り返すことのできない中、苦悩の日々を過ごしたみすゞは、ついに同年3月10日、夫に対して娘を自分の母に託すことを懇願する遺書を遺して服毒自殺。その26年の短い生涯を閉じました。

代表作には、「わたしと小鳥とすず(自分のことを「すず」と呼んでいた)や「積もった雪」、「大漁」などがありますが、その死後、これらの誌は長らく忘れられており、1984年になってようやく岩波文庫「日本童謡集」の中に「大漁」が取り上げられました。

この作品は、これを読んだこの当時の流行詩人たちに高く評価されました。そのおかげで、亡くなった実家などから次々と遺稿が発掘され、遺稿集としてとりまとめられるようになり、巷でも次第に人気が高まっていきました。

やがて大学の国語の入試問題にも彼女の誌が出題されるようになり、こうした小ブレイクを受けて、地元の仙崎でもみすゞの再評価が行われることとなり、みすゞの生誕100年目にあたる2003年4月11日には生家跡に金子みすゞ記念館が開館。ここでは、みすゞが少女期を過ごした家を復元すると共に、直筆の詩作のメモなどが展示されています。

この記念館は本当に小さなもので、大きな看板は出ているのですが、地味なのですぐ前を通っても気が付かないことがあります。が、これだけを目当てに仙崎にやってくる観光客も多いようで、私も夏休みなどに、大勢の学生が押しかけていたのをみかけたことがあります。

この仙崎という街ですが、古くは、捕鯨が盛んだった時代があり、仙崎漁港の入口には、鯨を形どったオブジェなども飾られています。また、多くの鯨を殺したことへの償いと畏敬の念を込めて、「鯨墓」なるものも建立されています。また鯨の魂を慰める「鯨法会」という地域の慣わしもあって、地元のお寺さんを読んで、毎年法要が行われています。

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みすゞもまた、鯨の供養のためにと、「鯨法会」という作品を書いており、自然とともに生き、小さないのちを慈しむ思い、いのちなきものへの優しいまなざしが、金子みすゞの作品の特徴です。

この「鯨法会」というのを紹介しておきましょう。

鯨法会は春のくれ、
海にとびうおとれるころ。

はまのお寺が鳴るかねが、
ゆれて水面(みのも)をわたるとき、

村のりょうしがはおり着て、
はまのお寺へいそぐとき、

おきでくじらの子がひとり、
その鳴るかねをききながら、

死んだ父さま、母さまを、
こいし、こいしとないてます。

海のおもてを、かねの音は、
海のどこまで、ひびくやら。

このみすゞも謡ったクジラの子は、捕鯨によって親を奪われ、一人ぼっちになったのでしょう。現在でこそ調査捕鯨しか行われていませんが、その昔は、日本全国あちこちの海で大規模な漁が行われ、こうした親を失った子クジラがたくさんいたことと思われます。

8世紀の奈良時代には文献上に捕鯨を意味する「いさなとり」の枕詞が出現しており、初期には「突き捕り式」と称する銛を用いた捕鯨法でしたが、これが16世紀には捕鯨専用の銛を使うようになっていきました。

江戸時代に入った17世紀初頭には、水軍から派生した専門的な捕鯨集団「鯨組」が各地に出現します。

17世紀後半には、網を用いてクジラを拘束してから銛で仕留める「網捕り式」と呼ばれる技術が鯨組により開発されました。

初期のころのクジラの捕獲対象は、西洋と同様にセミクジラやコククジラでしたが、この網捕り式捕鯨の開発後は、死亡すると水に沈んでしまうために捕獲が難しかったナガスクジラ科のクジラまでも対象とできるようになりました。

やがて「鯨組」という漁師軍団が形成されるようになり、彼らは捕獲から解体、鯨油抽出・鯨肉塩漬けなどの商品加工までを行う数千人規模の巨大な組織となり、多大な利益をもたらすことから各地方で厚遇され、藩からの支援も受ける団体も多かったようです。

捕獲された鯨からは、鯨油が生産されて農業資材や灯油などとして全国に流通したほか、ヒゲも様々な工芸品の材料として使用され、さらに、鯨肉は食糧としても利用されており、中でも保存性の高い皮脂や鰭の塩漬けは広範囲に流通しました。

西海捕鯨における最大の捕鯨基地であった平戸藩生月島の益富組においては、全盛期に200隻余りの船と3000人ほどの水主(加子)を用い、享保から幕末にかけての130年間における漁獲量は2万1700頭にも及んだという記録もあります。

また文政期に高野長英がシーボルトへと提出した書類によると、西海捕鯨全体では年間300頭あまりを捕獲し、一頭あたりの利益は4千両にもなりました。ただし、このような多数の労働者を必要とする鯨組による古式捕鯨は、巨大組織であるがゆえに経営維持が難しい面もあり、ときには経営難から解散に至る例もあったようです。

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日本の古式捕鯨は、好不調の波もありつつ19世紀前半にはピークを迎えましたが、やがて徐々に衰退していき、明治時代末には近代的なノルウェー式の捕鯨に取って代わられました。

現在でも、商業捕鯨を操業するノルウェーや調査捕鯨を実施している日本、先住民が捕鯨をおこなっているアメリカ合衆国やカナダなど、一部の国や地域では捕鯨が継続されています。

が、ご存知のとおり、捕鯨継続の是非に関しては議論があり、絶滅を招くおそれがあるという以外にも、非常に知能が高い哺乳類であるから、という理由から反対論が優勢な状況です。

一説によるとクジラはイヌやネコよりも賢いといわれており、そんな知能の高い生物を食物として人間が狩ってもいいのか、というわけです。

クジラの種類の中でも比較的小型(成体の体長が4m前後以下)の種類をイルカと呼ぶことが多いようです。この区分は明確ではないようですが、いずれにせよ、クジラもイルカも非常に高い知能を持っているといわれています。

とくにイルカは体重に占める脳の割合(脳化指数)がヒトに次いで大きいことから、その知性の潜在的可能性が古くから指摘されており、世界的にも数多くの研究者の研究対象になり、世間一般からも興味の対象とされてきました。

イルカが高い周波数をもったパルス音を発して、物体に反射した音からその物体の特徴を知る能力を持つことはよく知られています。

更にその特徴を他の個体にパルス音で伝えたりと、コミュニケーション能力は高い一方で、人間のようないじめも同類に行うこともわかっており、魚などを集団で噛み付き弱らせ弄んだ挙句食べずに捨てる、小さな同種のイルカや弱ったものを集団で噛み付くなどして、殺すなど集団的な暴行行為も行うといいます。

実は、クジラもまた、歌を歌って、他のクジラとコミュニケーションをとっているといわれています。

歌といっても、一連の雄たけびのような「音」です。クジラ類すべてが発するというわけではなく、特定の種に属するクジラ(代表的には、ザトウクジラ)などが発する、反復的でパターンが予測可能な音で、その発声が人間の歌唱を想起させるためによく「歌」に例えられます。

音(声)を発生するのに使われるメカニズムは、クジラの種類により異なっていますが、コミュニケーション目的のために発しているらしいという点では共通しており、このあたりは必ずしもコミュニケーション目的でもなくやたらに吠えまくる陸上の哺乳動物と異なります。

クジラのコミュニティの維持にはこのような音と、これを聞き取る感覚が不可欠だと言われています。また、水中では光の吸収が大きいため視界が悪く、空気中に較べると、水中では分子の拡散速度が相対的に遅く、嗅覚が有効に働かないことも、こうした歌を歌う理由だと考えられています。

水中での音の速度は、海水面上において大気中の速度のおよそ4倍と速いため、泳ぐ、跳ねるといった動作を視認して意思を伝えたり、匂いで味方を確認したりするよりも、音でコミュニケーションをとるほうが効率的というわけです。

クジラだけでなく、海の哺乳動物たちの多くは、コミュニケーションや摂食において聴覚に非常に依存しています。このため、世界中の海洋で起こっている、船舶航行や軍事用のアクティブソナーや海洋地震による環境雑音の増加は、海洋哺乳動物に対し悪影響を与えつつあるとする意見もあり、環境保護論者や鯨学者たちの関心を集めているそうです。

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このクジラの声ですが、我々人間は、喉頭を通して空気を単純に外に押し出すことで声を発します。ところが、クジラの場合は、喉頭内にある声帯がこの連続的な息の流れを、いくつかの空気の塊に分解しながら外に押し出し、また必要に応じて声帯を開閉するといった複雑なコントロールができます。

こうして発せられた空気の塊は、咽喉部、舌、唇によって、さらに意図する音へと整形され、クジラの体外へと飛び出していきます。

従って、人間が出す声と異なり、クジラが出す声は非常に複雑なものとなり、一度聴いたら容易に忘れることのできない深い響きのあるものになります。とくにザトウクジラやある種のシロナガスクジラのものは、耳の奥底に響くような種類の音だといいます。

もっとも、彼らが一年中この声を発しているかというとそうでもないようで、クジラがこうした非常に複雑な歌を歌うのは、主として雌雄選択のための発情期だけのことが多いようです。

一方、トウクジラやシロナガスクジラ以外の、他のクジラが発する声はもっと単純で、こちらは一年を通して発せられます。シャチ(オルカ)を含む、歯を持つ大多数のイルカなどが発する声は、物体の大きさや性質をきわめて正確に探知する目的の「エコーロケーション」であるといわれています。

これは、一種の超音速の音波の放出で、水中での深度や、前方にある大きな障害物などは、この発せられた超音波で探知できます。これを発して対象物から跳ね返ってくる音波でそれが何かを確認するわけで、このあたりはコウモリが超音波を発して暗闇でもぶつからずに飛べるのと同じ原理です。

こうした小型のクジラ類もコウモリと同じで、水中環境における視界の悪さから、水中で容易に伝達し得るエコロケーションという音波を使って、その遊泳を補助しているのだと考えられています。

一方で、クジラの中でもかなり大型であるザトウクジラや、シロナガスクジラの声はこのエコロケーションではなく、上述のとおり、様々な周波数で複雑かつ反復的な音を発します。

海洋生物学者として有名な、フィリップ・クラファムは、この歌を、「動物界におけるおそらくもっとも複雑な歌」と形容し、クジラを歌の名手だと語っています。

とくに雄のザトウクジラは、交配期において非常に複雑な歌を歌うことで知られており、この歌の目的は、お相手の雌を探すときに、その性的選択を補助するためであろうと推測されています。

ただ、この歌が雌を争う雄同士の競争が目的の振る舞いなのか、あるいは雄から雌への「恋の駆け引きによる戯れ」のようなものか、はたまた、雄どうしで集って対象とする雌が誰のものかを決めようとしているのかなど、いずれが目的であるのかについてはまだよくわかっていないようです。

こうしたクジラの歌の研究としては、1971年のアメリカの生物学者、ロジャー・ペインとスコット・マクヴェイらのものが有名であり、その研究結果によれば、クジラの歌にはある種の「メロディー」があり、これは明瞭に区別される階層構造によって構成されているそうです。

このクジラの歌の基本単位(時として、「楽音」と呼ばれる)は、数秒間ほど継続する中断のない単一の発声で、20ヘルツから10キロヘルツまでの周波数で変動します。人間は、だいたい、20ヘルツから20キロヘルツの音を聞くことができますから、こうしたクジラの歌のほとんどを聞くことができます。

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この歌はまた、周波数変調が可能だそうで、すなわち、音が高くなったり低くなったり、同じ周波数に留まったりし、また音量も変化します。

その歌の多くは、4個または6個のサブフレーズから成るセットで成り立っているそうで、10秒ほど続くサブフレーズ2つでひとつのフレーズが構成されています。この一つのフレーズを歌うのには2分から4分かかるといい、そしてこのフレーズは何度となく繰り返されます。

ひとつのフレーズは「テーマ」とも呼ばれており、テーマの集まりが、すなわちワンセットの歌です。この歌は普通は長くても20分ほどで終わるそうですが、更に繰り返され、何時間にも渡って続き、数日にも及ぶこともあるといいます。

どんな歌なのか私も実際の録音をすべて聞いたことがあるわけではないのですが、科学映画などでクジラの生態を紹介しているものを見たときに聞いたものは、独特な悲しげな歌でした。みなさんもそうしたクジラの歌の片鱗をどこかで聞いたことがあるのでないでしょうか。

直接的にこの歌を聞いた人の話では、この歌はまるで深い階層構造のようになっているそうで、それはまるで、ロシア式入れ子人形、マトリョーシカに例えられるそうです。

こうした幻想的な音の階層がどういうふうに形成されるのか、については多くの科学者を魅了するテーマだということで、バイオリンのような楽器を製造する人たちにとっても非常に興味深い対象だといいます。

更に、これらのクジラの歌は、時間と共にゆるやかに進化するそうです。例えば、一ヶ月に渡る時間の経過と共に「アップスウィープ」するそうで、これは「周波数における増大」を意味します。

つまり低音から高音へとだんだんとシフトしていくわけで、特定の音程で始まった一単位の歌が、ゆるやかに高音化していき、かなり高い定周波の音にまでなることもあります。また、別の一単位の歌では、一貫して音量だけが大きくなっていく場合もあるといいます。

こうしたクジラの歌の変化は、その変化ペースが、また変化するそうです。何年かもの間に、急速に歌の内容が変化することがあり、また別の数年のあいだは、ほとんど変動が記録されない、といった具合です。

さらに、この歌の内容は、クジラの生息密度によっても違いがあるそうで、テリトリーが込み合った地域に生息するクジラが歌う歌には、わずかなヴァリエーションしかなく、類似した歌を歌う傾向がある一方で、テリトリーに重複のない地域のクジラは、まったく異なる非常にたくさんのユニットの歌を歌うといいます。

さらに、こうした歌は、変化していったとしても、古いパターンがもう一度立ち現れることは稀だそうです。クジラの歌を19年にわたって分析した研究結果では、同じパターンの歌が若干出現する程度で、同じフレーズを組み合わせた歌が再現されたことは一度もなかったといいます。

このクジラの歌は、求愛行為のためのものではないかとする説がある一方で、いやそうではない、必ずしも生殖活動のためだけではない、とする学者もいます。

例えばザトウクジラは、フィーディング・コール(feeding call)と呼ばれる音を発します。これは、前述の歌とは明らかに異なるもので、定周波数に近い、長い音(声)であり、5~10秒程度持続します。

ザトウクジラは一般に、群として集まることで、協調して摂食します。魚群の下側で遊泳し、全員が、魚の群を突き抜けて垂直に上方に突進し、一緒に水から飛び出ます。この突進の前に、このフィーディング・コールを発するといい、このことから、摂餌行動と何等かの関係が深いと考えられています。

クジラに追いかけられる魚のほうは、この声が何を意味するのかを知っているようで、このフィーディング・コールを録音した音を再生してニシンの群れに発しところ、実際にはクジラがいないのにもかかわらず、この音に反応して、ニシンたちは、コール音を避けるように移動したといいます。

このように、クジラが発する音が、求愛のためであるにせよ、摂餌のためであるにせよ、それがクジラ類の進化とその生息環境の安寧において、とくに重要な役割を果たしていることは容易に想像できます。

一方で、クジラが生息する海という環境は、空気の中で暮らしている我々の世界と異なり、非常に幻想的なものなのかもしれず、こうした美しい環境がクジラをして魅力的な歌を歌わせているのだ、というロマンチスト的な考え方をする研究者もいるようです。

ただ、クジラの歌を擬人化したり、神格化することについては、生物学的には無意味だとし、クジラの音(歌)の役割について過度に美化する必要はない、という指摘も多いようです。

とはいえ、クジラやイルカの知能の高さを考えると、喜々としてその美しい世界の素晴らしさを歌っているのだと考えたくなるのも無理はありません。できることなら、私もそう考えたいところです。

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一方では、生物学者たちの中には、まったく別の観点からクジラの声(音)の意味・内容を研究している人たちもいます。それは例えば、クジラの声がどこから発せられ、どこまで届くのか、といった音響学的な観点からの研究です。

その正確な発生位置を探知するため、わざわざ潜水艦を追跡するための水中聴音器(hydrophone)まで使って、クジラの声が、大洋を横断してどれだけ遠くからもたらされたか、といったことを調査している研究者までいるそうです。

実はこうした水中聴音器を使って収集されたデータというのは、潜水艦など駆逐艦といった軍の艦船によって集められた膨大なものが存在し、こうした軍事データのおよそ30年分ほどを使って行われた研究もあります。

コーネル大学のクリストファー・クラークという研究者は、こうした研究から、クジラの声は、なんと3,000km遠方まで到達することを明らかにしています。

さらにクジラの歌についても研究した結果、クジラが交配のために歌った歌の追跡によって、クジラが恋の季節にどこを回遊したかがわかったといい、さらに研究を進めることで、これまで生態のよくわかっていない種類のクジラの回遊経路を辿ることも可能になるのではないかと、結論づけています。

さて、もうすぐ東日本大震災から3年が経ちます。先日のNHKのサイエンス番組では、この震災後、太平洋側の海底にある地震の巣のあちこちに地震計を設置していることなどを放送していました。

たくさんの地震計の設置により、地震や津波の早期発見につなげようとする試みのようですが、もしかしたら、この遠くまで伝わるというクジラの声を分析結果もまた、もしかしたら将来的には地震の予知につながるのかもしれません。

イヌの声を翻訳する機械で、バウリンガルというのがあるそうですが、鯨の声を翻訳する、ホエールリンガル、いや「ホエリンガル」、というのを開発する、というのはいいアイデアかもしれません。地震のことだけでなく、鯨がどんな会話をしているかは興味深いところです。

もしかしたら、日本の近海を泳ぐクジラは、お互いに地震情報を共有しているかもしれず、また、福島沖を泳いでいるクジラは、あそこはやばいぞ、行かない方がいいぞ、と言っているかもしれません。

あるいは伊豆の海はえーぞ。あそこは餌がいっぱいあって暖かい、とか噂をしているのかもしれません。

伊豆諸島の御蔵島沖などでは、とりわけクジラがよく見れるそうです。今年こそは、そのホエールウォッチングに出かけてみたいものです。できれば、ホエリンガルを持って……

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