春は、寒い冬から気温が上がり始め、朝晩はまだまだ肌寒さは残るものの、次第に日中は暖かくなる時期であり、秋と並んで一年の中では最も気候の良い穏やかな季節とも言われます。
雪や氷が溶け、植物が芽を出す時期でもあります。日が長くなり、地中の虫が動き始めます。寒さが次第に緩み、草木が萌え芽ぐみ、花々がつぼみをつけ、満開になります。桜が咲き、そして散り、次第に木々の緑が濃さを増し、徐々に暑い日が増えてきます。
日本では毎年3月が年度替わりとされ、さまざまな区切りとなります。テレビ・ラジオではその番組の内容が改編されることも多く、また法律・制度が実施されたり、市や町などの行政区画が変更されたり合併なども行われ、居住環境が変わることもあります。
学校では卒業式、入学が行われ、会社では入社式、人事異動があって、出会いと別れの季節でもあります。花見などはこれに重ねて扱われ、それゆえに桜が咲き、散るとうれしかなしい気分になります。
サマータイムが実施される国では、春の半ば頃から時計を1時間進めることとなり、サマータイムの言葉が指すとおり、夏の前哨戦でもあります。陽射しが長くなり、冬の寒さが和らぐことによって、一般に生物の活動が活発になります。
また、豪雪地帯では雪解けが起こり、ここから排出される雪解け水は貴重な水資源となります。と同時にこの水は日本においては農耕、とりわけ米作には欠かせないものとなります。
その一方で、この雪解けは雪崩や融雪洪水をもたらす場合もあり、この他、発達した低気圧が太平洋側を通り気温が低いと太平洋側に春の大雪をもたらすこともあり、この低気圧が日本海側を通ると春一番と呼ばれる南風が吹くことでも知られています。
正月を「新春」といいますが、これは旧暦では一月が春とされていたためです。このため、春という言葉には「物事の始まり、新年の始まり」の意味を持たせる場合があります。
西洋でも春を意味する、イタリア語の「プリマヴェーラ(Primavera)」やフランス語の「プランタン(Printemps 」には、「第一の」を意味する接頭語「プリ(pri-)」を冠しており、元々の意味は、「第1の季節」です。これは農耕暦であるローマ暦において、寒い冬が終わり農耕を開始できる最初の季節として、春を年のはじめとしたことに由来します。
また、ヨーロッパや中東では、春が到来すると、冬の寒さと長い夜による過酷で抑圧された生活から解放されまる。このことから、春の語は「雪どけ」などと同様に「抑圧からの解放、自由の空気の到来」の比喩として使用されます。プラハの春、アラブの春がその良い例です。
また、春から初夏にかけての季節を木の芽時とも言い、「暖かくなるとおかしな行動をとる人が増える」とも言われ、そのような行動をとるものは俗に「春な人」「頭が春な人」と呼ばれることがあります。いろいろヘンなことばかり思い悩む若い頃のことを、思春期とも呼びます。
不思議の国のアリスには、「三月ウサギ」は、自宅の前で「狂ったお茶会」を開いており、お茶会に加わったアリスをおかしな言動で翻弄する頭のヘンなウサギとして登場します。
春はまた、性的活動が盛んになるものとされています。春(しゅん)と言った場合には、いかがわしいことや性的なことを示すことばとして使うことが多く、たとえば春画・売買春があります。
春は生物の動き始める時期でもあります。温度が上がり、日差しが強くなり、植物の活動が始まる時期です。春に芽を出すため、柔らかな植物や花が多いことから、またそれを食べる昆虫などの活動も盛んとなり、これを餌とする多くの鳥もこの季節に繁殖を行います。
それに伴って鳥がさえずるので、野外はにぎやかになります。ツバメなど、南方から渡ってくる鳥もあり、ほ乳類の育児もこの時期に行われる例が多いようです。
ただ、猛禽類や大型肉食獣の場合、冬から育児を始めることが多く、これは子供がやや大きくなって食欲が増した時期が春となるよう、小型動物の育児や繁殖の時期と餌の多い春が重なるように適応して進化してきたためです。
日本では主要作物であるイネの植え付け準備に当たる時期でもあります。初冬から水田ではレンゲが緑肥として栽培され、田起こし、苗代作りなどが続きます。田植えは初夏の行事と思っている人も多いでしょうが、本州では早いところでは四月に始まります。
梅・桜・桃は、春の花の代表であり、それぞれを対象として花見が行われます。日本においてはとくに桜の開花が文化と密接な関わりをもち、桜の開花宣言が地域ごとに出されます。桜前線が北上するころには、菜の花も咲き乱れ、桜と菜の花の取り合わせは代表的な春の畑の風景です
もうひとつ、春の代表花としては、フクジュソウがあります。この花は、どちらかといえばもう少し早く、冬と位置づけていい時期に咲きます。が、一般にはこれも新春の花と認識されているようです。
春はまた、新芽の伸び始める季節でもあり、また、園芸植物では球根系のチューリップ・ヒヤシンス・アネモネなどの春の花が咲き誇ります。ただ、これらの花は、春の代表と認識されてはいるものの、実際の開花時期は地域によって異なり、特に寒冷地ではそれはかなり遅くなります。
このほかにも、ミズバショウは「夏の思い出」に唄われるため、夏の花と思っている人が多いようですが、実際には水場所が咲く尾瀬などでは、この花が咲く季節は春早に当たります。
また、寒い地方では、これらの春の花の開花は、単に遅くなるだけでなく、その期間が圧縮されます。例えば梅、桃、桜は本州南部では2月、3月、4月と順に咲いていきますが、東北地方ではほぼ同時に咲きます。
ところで、チューリップやヒヤシンス、アネモネといった花は、ヨーロッパが原産であり、これらは彼の地では、「スプリング・エフェメラル」とされてきました。
ヨーロッパでも、多くの植物はこの時期から葉を伸ばし、栄養を蓄えてから繁殖を始めますが、特に春にだけに限って爆発的に発生するこうした植物や昆虫類を総称してスプリング・エフェメラルと呼んでいます。
ヨーロッパ原産の植物だけでなく、たとえば早春の花として有名な日本原産のカタクリは、地中深くに球根を持って越冬します。地上に顔を出すのは本州中北部では3月、北海道では4月で、これはほぼ雪解けの時期に当たります。つまり雪解け直後に地上に顔を出し、すぐに花を咲かせるのです。
花はすぐに終わり、本格的な春がくるころには葉のみとなり、葉も6月ころには黄色くなって枯れ、それ以降は地中の球根のみとなってそのまま越冬します。その地上に姿を見せる期間はわずか2ヶ月ほどです。
このカタクリのように、春先に花を咲かせ、夏までの間に光合成を行って地下の栄養貯蔵器官や種子に栄養素を蓄え、その後は春まで地中の地下茎や球根の姿で過ごす、という生活史を持つ植物は意外に多いものです。
とくに落葉樹林の林床ではこうした植物はよく見られ、そのためそのような森林の林床は、春先にとてもにぎやかになりますが、このような一群の植物をスプリング・エフェメラルと呼ぶのです。
スプリング・エフェメラルと呼ばれる植物は、いずれも小柄な草本であり、地下に根茎や球根を持っているほか、花が大きく、華やかな色彩を持つものが多いのが特徴です。小柄であることは、まだまだ寒い時期に高く伸びては寒気に耐え難いためであり、背を伸ばすよりは花に多くの栄養を割いた結果とも考えられています。
また、気温も低く、光も強くない春先に素早く成長し、まず花をつけるために地下に根茎や球根を持つことが必要になり、この根や球根が大きいものはそのためです。
スプリング・エフェメラルはまた、温帯の落葉広葉樹林に適応した植物でもあります。冬に落葉した森林では、早春にはまだ葉が出ていないため、林床は日差しが十分に入ります。この明るい場所で花を咲かせることこそがこの種の植物の最大の特徴です。
やがて樹木に新芽が出て、若葉が広がり始めると、次第に林内は暗くなりますが、それでも夏まではやや明るい状態です。つまり、この種の植物は、この光が十分にある間に、それを受けて光合成を行い、その栄養を地下に蓄えることができるわけです。
したがって、これらの植物は森林内に生育しているものの、性質としては日向の植物です。日本の場合、落葉広葉樹林帯に当たるのは、本州中部以北、あるいはそれ以南であれば標高の高い地域です。
特に、里山はそれらが比較的よく出現すると言われています。人為的な撹乱を連続的にうけた樹林帯であり、スプリング・エフェメラルは人が落葉樹林帯を作ったからこそ、ここに誕生した植物ということになります。
約1万年前の最終氷期が終わるころ、このころの日本にいた旧石器時代人は、氷期の落葉広葉樹林の生態系に適応していました。ところが、氷期が終り、新しい照葉樹林の生態系が生まれると、これに適応して縄文人が生まれました。
この縄文人たちは、木の実や食用の葉など生活資源を獲得する上においては、落葉広葉樹林のほうが有利であることを知っており、これを維持するように仕向けたといわれており、このために、森林の一部に一定の手入れを続けて、今日の照葉樹林地帯における里山や草原の原型を作り出しました。
つまり、現在の日本の照葉樹林地帯で普通に見られるスプリング・エフェメラルは、縄文人による生態系操作によって生み出された常緑樹帯によって間氷期を生き延びて現在に至っているということになるのです。
それにしても、なぜスプリング・エフェメラルは、背が高くなることよりも花を咲かせることを優先させるのでしょう。
その理由は、これらの植物が「虫媒花」としての性質を持っているからだといわれています。「虫媒」というのは、春の早い時期に活動を始める少数の昆虫がその花粉を運ぶ媒介役を担うことをさします。
つまり、多くのスプリング・エフェメラルが、ほかの植物体に比べて大柄な花をつけるのは、春先にはまだ活動が鈍く、それほど数の多くないこの昆虫の目を引くためです。
このような花の受粉を担っている昆虫としては、北方系の昆虫であるマルハナバチや、低温環境下でも活発に活動できるハナアブ科のハエ類などが多いそうです。例えばカタクリやエゾエンゴサクの花は、マルハナバチに受粉を依存しており、フクジュソウの黄色の皿状の花は、とくにハナアブ類に適応した花の形をしていることなどがわかっています。
なお、ギフチョウやウスバアゲハなど、春先のみ成虫が出現する昆虫のことをもスプリング・エフェメラルということがあり、とくにこの語で呼ばれるのは、華やかなチョウなどが多いようです。
例えば、ギフチョウの場合、春先に羽化した成虫は、すぐに卵を産み、卵はすぐに孵化して、食草をどんどん食って成長します。夏には蛹になって、そのまま春まで、落ち葉の下で休眠します。つまり、その生活史は植物のスプリング・エフェメラルそのものです。
スプリング・エフェメラルとして、日本産で代表的な植物としては、以下のようなものがあります。
キンポウゲ科
キクザキイチゲ、ユキワリイチゲ、アズマイチゲ、イチリンソウ、ニリンソウなどのイチ
リンソウ属
フクジュソウ、セツブンソウ
ケシ科
エゾエンゴサク、ヤマエンゴサク、ムラサキケマン
ユリ科
カタクリ、ショウジョウバカマ、ヒロハノアマナ、バイモ属(コバイモ類)
ところで、このスプリング・エフェメラルは、英語では“Spring ephemeral“と書きます。直訳すると「春の儚いもの」「春の短い命」というような意味で、「春の妖精」とも呼ばれます。
この妖精を逆に英語に直訳すると、“fairy”となります。西洋の伝説・物語などで見られる、自然物の精霊であり、中国では、もともと妖怪や魔物を指して使われていました。
西洋では神話や伝説によく登場します。超自然的な存在、人間と神の中間的な存在の総称であり、人とも神とも違う性格と行動は、しばしば「気まぐれ」と形容されます。その語源は、ラテン語で運命を意味する「Fata」に由来します。元々天使でしたが、天使の座から「降格」された存在であったとも言われています。
イングランド、スコットランド、ウェールズ、アイルランド、ノルマンディー地方などの神話・伝承の精霊や超常的な存在を指しますが、日本では、この妖精のことを「こびと」や妖怪と呼び、時に龍や、仙女なども妖精としてきました。
ゲルマン神話のエルフ、メソポタミア地域のリリス、インドおよび東南アジアのナーガなども妖精の一種です。
これらは人間に好意的なもの、妻や夫として振る舞うものなども多いようですが、一方では人にいたずらしたり、だましたり、命を奪おうとするもの、障害として立ちはだかるもの、運命を告げるものなど、必ずしも人に幸せをもたらすものではありません。
伝承とはいえ、実際にいるはずだ、とする人は古今東西後を絶たず、その昔、イギリスでは「コティングリー妖精事件」とうのがありました。20世紀の初め、イギリスのブラッドフォード近くのコティングリー村に住む10代の姉妹が撮ったという妖精の写真の真偽をめぐって起きた論争や騒動のことです。
写真に写った妖精は、小さい人の姿で、1920年代の髪型をし、非常に薄いガウンをはおり、背中には大きな羽がありましたが、作り物ではないかという指摘が当初からありました。
しかしその後70年以上を経たのち、この写真は、子供向けの絵本の絵を模写して切り抜いて撮影したものであったことを老婆となったこの姉妹が告白したことから、この写真は捏造であったことが発覚しました。
しかしながらその当時は、多くの人が妖精の実在する証拠としてこの写真を例にあげたそうで、その中には、シャーロック・ホームズ・シリーズの作者として有名なアーサー・コナン・ドイルもいたそうです。
このコティングリー事件によって妖精は人が創作したものと一般に認識されるようになりましたが、一方ではこの事件を受けて、妖精といえば、この写真のように羽をもつ非常に小さな人型の姿で絵や物語の中で登場することが多くなりました。
以後、同様に「小さい妖精」としての類型としてさまざまな名前や姿形で、世界中の異なる地方、民族の伝承にあらわれるようになっていきます。
しかし、もともとのフェアリーの起源としては、土着の神などが、異教の神が入ってきたために神格を剥奪されたものであったり、社会的に差別・追放された人々を説明するための表現、しつけのための脅しや芸術作品の中の創作、などでした。
ただ、これらの創作物でも小さい姿に描かれるということは昔からあったようであり、このほか「遠い場所に行ってしまう」という話も多く、これは意識の中で小さくなってしまった存在であるということを表しています。
ヨーロッパ人の起源といわれるケルト族の神話や伝説にはいろいろな種類の「小人」が登場します。ドワーフ、レプラコーン、ゴブリン、メネフネの名で呼ばれた神話上の生き物も同じように「小人」と呼ばれ、アイルランドではシー(Sidhe)、スコットランドではディナ・シー(Daoine Sith)として知られています。
日本でも古来から、「妖怪」とされるものが妖精と同一視されてきましたが、最近では、「小さいおじさん」がひとつのブームです。その名の通り、中年男性風の姿の小人がいるという伝説であり、2009年頃から話題となり始めたようです。
目撃談によれば、「小さいおじさん」の身長は8センチメートルから20センチメートル程度で、窓に貼りついていたとか、浴室にいたなどの目撃例があり、道端で空き缶を運んでいた、公園の木の上にいた、などいろんな話があります。
ウェブサイトでも「小さいおじさん」に関する掲示板や投稿コーナーが設置されていて大人気ですが、もともとは、2009年にテレビ番組「やりすぎコージー」(テレビ東京)で元お笑いタレントだった人が、「関東中央の神社の参拝者に妖精がついてくる」と話したことが発端となったようです。
その後この神社は、実は東京都の中央に位置する神社である杉並区の大宮八幡宮ではないかとする噂が独り歩きし始め、番組放映直後の3月の連休には、この神社に例年の倍以上の参拝者が殺到したといい、現在でも参拝者が多いといいます。
2010年にはキャラクターグッズとして、携帯ストラップ「幸せをよぶ小さいおじさん」が発売され、小さいおじさんを目撃すると小さな幸せがある、見た後は成功するなどと宣伝されたことなどもブームに火をつけ、2011年には、「昭和47年(1972年)に秋田県で撮影された」とする写真も公開されました。
この写真には、身長15センチメートルほどの小人らしきものが写りこんでおり、「小さいおじさん」の写真として、妖怪研究家・山口敏太郎の解説とともに新聞紙上で報道されました。そうしたこともあり、その後目撃談があいつぎ、とくにミュージシャンやグラビアアイドルなど、芸能人による目撃談が数多く語られるようになりました。
その正体が何かについては、妖精、河童、妖怪、幽霊、宇宙人といったさまざまな説がありますが、実際には肉体および精神的な疲労などを原因とする幻覚ではないかと指摘する人もいます。
認知症の一種によるものだとする説もあり、これは「レビー小体型認知症」というれっきとした名前のある病気です。特徴的な症状として、覚醒レベルでの具体的で詳細な内容の幻視・幻覚などで、本症に出現する幻視は非常にリアルであるとされ、患者本人は具体的に「そこに~●●がいる」などと訴えます。
ところが、この病気にかかると視覚的に物事を捉えることが難しくなります。「認知症」としているのはこのためですが、アルツハイマー型認知症と違い、図形描写が早期に障害されることが多いそうで、これらの症状は、後頭葉の障害によって出現するものと考えられるそうです。
科学の信奉者がこのように否定的な見解を示す一方では、北海道などでコロポックルなど小人の伝説も実際に伝わっているため、一概に幻覚や病気説によってこれらの小人を否定することはできないとの意見も多いようです。
私自身は肯定も否定もしませんが、実際に見たことはありません。が、霊能者の方に背後霊のひとりとして、コロボックルがついていると言われたことがあります。かつて、北海道への出張が多かったころについて来たのでしょうか。
この小さいおじさんが妖精であるかどうかは別として、ともかくも、見える人には人型のものとして見えるようです。しかしその一方で、人の姿を取らないフェアリーも少なくないようで、ヨーロッパで旅人を惑わすウィル・オ・ウィスプという妖精は人の形をしていません。
日本でいう鬼火、人魂であり、白い光を放ち浮遊する球体、あるいは火の玉として現れ、イグニス・ファトゥス(愚者火)とも呼ばれます。他にも別名が多数あり、地域や国によって様々な呼称があるようです。
夜の湖沼付近や墓場などに出没したり、近くを通る旅人の前に現れ、道に迷わせたり、底なし沼に誘い込ませるなど危険な道へと誘うとされます。その正体は、生前罪を犯した為に昇天しきれず現世を彷徨う魂、洗礼を受けずに死んだ子供の魂、拠りどころを求めて彷徨っている死者の魂、ゴブリン達や妖精の変身した姿など様々なことが言われています。
ウィル・オ・ウィスプ“will-o’-the-wisp”とは、「一掴みの藁のウィリアム(松明持ちのウィリアム)」の意味で、これは死後の国へ向かわずに現世を彷徨い続ける、ウィル(ウィリアム)という名の男の魂だといいます。
生前は極悪人で、遺恨により殺された後、霊界で聖ペテロに地獄行きを言い渡されそうになった所を、この聖人を言葉巧みに彼を説得し、再び人間界に生まれ変わりました。
しかし、第二の人生もウィルは悪行三昧で、また死んだとき死者の門の前で、聖ペテロに「お前はもはや天国へ行くことも、地獄へ行くこともまかりならん」と言われ、煉獄の中を漂うことになります。
それを見て哀れんだ悪魔が、地獄の劫火から、轟々と燃える石炭を一つ、ウィルに明かりとして渡しました。この時からウィルが持ち歩く明々と燃える石炭の光が、人々には鬼火として見えるようになり、恐れられるようになっていったということです。
実際にこの鬼火はよくヨーロッパでは見られるそうで、これは「球電現象」と呼ばれています。
その実態は、稲妻の一種、あるいは湖沼や地中から噴き出すリン化合物やメタンガスなどに引火したものであるといわれているようですが、これは日本における人魂も同じで、墓場で埋められた死者から発生したガスが原因で発光するのだとする説もあるようです。
ヨーロッパにおけるこうしたウィル・オ・ウィスプは人形にはならない一方で、家畜や身近な動物の姿をとることもあるそうです。
クー・シーというイヌの妖精は、外見以外は通常の犬に近い性質を持ちます。コナン・ドイルの「バスカヴィル家の犬」やハリー・ポッターシリーズに、墓守あるいは死に結びつけられる「黒妖犬」として登場するものなどがそれです。
騎馬民族の多いヨーロッパでは馬もまた、妖精として登場することが多く、その激しい気性は、御しがたい川の激流に結びつけられ川馬ケルピーや人を乗せて死ぬまで走る夜の白馬などとして登場します。
このほか猫は妖精的な生き物とされ、魔女の使い魔、魔女の集会に集まると考えられたり、そのものが妖精ケット・シーとされます。“Cait Sith”と書き、アイルランドの伝説に登場する妖精猫のことで、ケットは「猫」、シーは「妖精」です。
ケット・シーは人語をしゃべり二本足で歩くそうで、しかも王制を布いて生活しているそうです。また二カ国の言葉を操るケット・シーもいるそうで、かなり頭のいい奴らだということがわかります。
犬くらいの大きさがある黒猫で胸に大きな白い模様があると描写されることも多いようですが、虎猫や白猫、ぶち猫など様々な姿で描かれることもあり、必ずしもクロネコというわけでもなさそうです。
こんな話があります。
ひとりの農民が満月の夜帰宅の途に着いていました。
すると、村境のある橋の上に猫がたくさん集まっていたので、奇妙に思った男は、好奇心からこっそりとその様子をうかがってみることにしました。
すると、猫たちが葬式のような行事を行っているようであり、さらに耳をそばだててみると、なんと人間の言葉でしゃべっているではありませんか。男は仰天し、さらに猫たちの声を聴いていると、どうやら猫たちは「猫の王様が死んだ」と騒いでいるようです。
その後も意味不明な会話をしていましたが、しばらくするとその話も一段落したのか、一匹残らずどこかへ逃げ去ってしまいました。
男が家にたどり着いたのはその夜もうかなり遅い時間だったので、その日はそのまま寝てしまいました。翌朝、その不思議な出来事のことを思い返した男は、気持ちを抑えきれずにその話を妻に話し始めました。すると、暖炉のそばで眠り込んでいた愛猫が、突然飛び起き、そして、こう叫びました。
「何だって!? それならぼくが次の王様だ!!」
猫は叫ぶと煙突から風のように外に飛び出して行き、二度と帰ってはこなかったそうです。
…… さて、ウチのテンちゃんは妖精でしょうか。