目に青葉……

春の山々
目の前の公園にあるソメイヨシノが咲き始めました。気温もぐんぐんと上がって、昨日は用事があって訪れた麓の街などでは20度を超えていました。

もうすでに、新緑の季節は始まっているようで、庭の木々の多くは新芽をつけ、桜以外の草木もたくさんの蕾を蓄えて、より暖かくなる日を待っています。

改めてこの「新緑」という言葉の意味を辞書で引いてみると、「初夏の頃の木々の若葉のつややかなみどり」と書いてありました。無論、木の種類や場所、地域によって異なりますが、日本では一般的には毎年3月から6月からおきる現象です。

新緑は落葉樹だけではなく、常緑樹にも起こります。ただ、落葉樹のそれより約1ヶ月遅く迎えるようで、従って常緑樹と落葉樹の新緑が出そろう、4月下旬ぐらいがもっとも新緑の旬といえるでしょう。

お茶の葉も常緑樹で、5月あたりに出る新芽が原料であることは誰もが知っています。また、お茶といえば、静岡がその名産地としてもっともよく引き合いに出される栽培地です。が、静岡以西の地方でも、各地でお茶が生産されています。

ところが、このお茶は実は日本が原産ではない、という説もあるようです。日本の自生茶とも言われて来た「ヤマチャ」については、歴史的にも植物学的にも、日本特有の自生茶樹は認められないそうで、日本自生の在来種であるとする説には否定的な研究者が多いといいます。

じゃあどこが原産なのよ、ということなのですが、これは、中国の四川・雲南説(長江及びメコン川上流)、中国東部から東南部にかけてとの説の二つがあるようです。が、いずれにせよ中国が原産地とみなされているようです。

しかし、このお茶の樹からお茶を作って飲む、「喫茶」の風習が始まったのはいつかということになると、その歴史はかなり古いことは明らかですが、はっきりとした時期まで遡ることはできないようです。ただ、原産地の一つといわれる四川地方で最も早く普及し、長江沿いに、茶樹栽培に適した江南地方に広がったと考えられています。

しかし、「茶」という字が成立し全国的に通用するようになったのは唐代になってからであり、それまでは「荼(と)」、「茗(めい)」、「荈(せん)」、「檟(か)」といった文字が当てられていました。

茶がいつ中国から日本に伝わったのかについても明らかではないようです。が、最近の研究によればすでに奈良時代に伝来していた可能性が強いといわれており、古代に伝わった茶は纏茶(てんちゃ)であったと考えられるそうです。纏茶とは、半発酵したお茶のことであり、つまり今のウーロン茶と呼ばれるタイプのお茶です。

平安時代初期に、空海や最澄も持ち帰り栽培したという記録があり、「日本後紀」には、弘仁6年(815年)、嵯峨天皇が近江を行幸されたとき、梵釈寺(滋賀県大津市)の永忠という僧が茶を煎じて献上したと記されているそうです。永忠は唐に35年間もの間留学したあと、805年に帰国しており、この時茶樹の種子あるいは苗を持ち帰ったと見られます。

しかし、遣唐使が廃止されてからは、唐風のしきたりが衰えた結果、茶もすたれていき、およそ200年ほどの間はお茶を飲むという習慣は日本人の間ではありませんでした。

茶の再興は、鎌倉時代初期の僧で、臨済宗の開祖である栄西が1191年に新たに宋(南宋)から種子や苗木を持ち帰ってからです。栄西は、1187年から5年間の2回目の渡宋中、素朴を尊ぶ禅寺での抹茶の飲み方を会得して帰ったと考えられています。

この二番目のブームでは、お茶は当初は薬としての用法が主であったようです。戦場などでは、武士たちが現在の何倍も濃い濃度の抹茶を飲んで眠気を覚ましていたようですが、その後一般的にも栽培が普及すると、庶民にも嗜好品として飲まれるようになっていきました。

が、この当時はまだお茶の作法などという風流なものはなく、後の煎茶などの製法もまだ発達していませんでした。

この時期には、中国に習い、貴族社会の平安時代の遊びとしてお茶の味をききくらべる「闘茶」などが行われることもありました。が、次第に「飲茶勝負」と呼ばれるような賭博性のあるものに変わっていき、これを批判する風潮も出てきたことから次第にこの風習もすたれていきました。

菜の花とアロエ

その後、日本茶道の祖ともいわれる、臨済宗の僧・南浦紹明が中国より茶道具などと共に茶会などの作法を伝え、これが次第に、日本特有の場の華やかさよりも主人と客の精神的交流を重視した独自の「茶の湯」へと発展していきます。

当初は武士など支配階級で行われた茶の湯ですが、江戸時代に入ると庶民にも広がりをみせるようになっていきます。煎茶が広く飲まれるようになったのもこの時期であり、茶の湯は明治時代に茶道と改称され、ついには女性の礼儀作法の嗜みとなるまでに一般化していきました。

茶は江戸時代前期では贅沢品であったため、一般庶民が飲むことは戒められていたようですが、いわゆる「金になる」作物であるため、生産者が増え、次第に普及していきました。しかし、この当時は「金肥」といわれた干鰯や油粕のような高窒素肥料がないと良いお茶ができないため、これを購入するためには大きな負担が強いられました。

しかし、そのために生産地としての農村へは貨幣が流通しやすくなり、これが江戸時代の貨幣経済浸透を促しました。

明治時代になって西洋文明が入ってくるとともに、紅茶が持ち込まれ、従来の緑茶とともに普及していくこととなり、お茶のバリエーションは更に増えていきました。70年代には、このころが人気絶頂期だったのピンク・レディーが減量のためにウーロン茶を飲んでいるとされたことから、半発酵茶の烏龍茶が注目を集めるようになります。

こうして紅茶に加えて烏龍茶という新たなカテゴリーを加え、日本のお茶文化はさらに広がりを見せていきます。やがて缶入り烏龍茶の好評を受けて飲料メーカーは缶・ペットボトル入りの紅茶・日本茶を開発し、ひとつの市場を形成するに至りました。

またその後も定常的に新しい茶製品が開発されています。茶葉を使用しない嗜好性飲料も総じて「茶」と呼ばれるようになり、こういったチャノキ以外の植物の葉や茎、果実、花びらなどを乾燥させたものを煎じて使用するお茶は、中国語では「茶外茶」と呼び、本来の茶を「茶葉茶」と呼んで区別しています。

麦茶、ハトムギ茶、そば茶、杜仲茶、ドクダミ茶などがそれであり、ほかにも熊笹茶、竹茶、ハブ茶、甜茶、コーヒー生豆茶、紫蘇茶、マタタビ茶などなど、数え上げるとキリがないほど多くの茶外茶があります。

一方、古来からあった茶道のほうは、その苦しい礼儀作法が敬遠される傾向が強まり、一般的な嗜みから、趣味人の芸道としての存在に回帰しつつあります。その一方で、茶道を気軽に日常に取り入れる動きが根強く存在し、文化誌、婦人誌では、日本を含めた様々な茶の紹介、正式・略式・個人式の茶会の記事も繰り返し紹介されはじめています。

ここ静岡は、そうした茶文化を支えるお茶の名産地であり、お茶といえば静岡茶といわれるほどのブランド力を持ちます。静岡でもとくに牧之原台地とその周辺地域がその最大の生産地ですが、無論、そのほかの地域でも作られており、これらを合わせた県全体の生産量は国内第一位です。

東海道新幹線や東名高速道路などを利用して東京から名古屋、大阪などに移動する場合、静岡県内のあちこちの茶産地を通過することになり、周囲を茶畑に囲まれた光景に出会うことになりますが、眼前に広がる茶の新緑の色は本当に目に安らぎを与えてくれます。

静寂

ところで、この「緑色」という色はどういうふうに定義されているかをご存知でしょうか。寒色の一つで、黄色と青の中間色、光の三原色の一つであるということぐらいは誰でも知っていますが、その定義となると誰もすぐには答えられないでしょう。

この緑の定義は、1931年に「国際照明委員会」という国際組織が決めたものがあり、この組織が546.1nmの波長の光を緑と規定したのが始まりです。しかし、一般的には500-570nmの波長の色相の色はおおよそ緑であると人の目は認識するようです。

ただ、「緑」と一口にいっても、これに相当する色はかなり広範に及び、「柳色」や「モスグリーン」などと固有の色名が付いている緑色もあり、またより黄色に近い色は黄緑と称され、より青に近い色は青緑として総称されることも多いものです。

さらに、この緑の感じ方には国際的な違いもあるようで、英語のグリーン(green)をはじめ欧米人が緑と称する色は、日本人にとっての緑よりも明るく鮮やかな色である傾向があるそうです。

日本国内では、緑は漢字で碧や翠とも表記されますが、この場合のみどりは、どちらかといえば青みの強い色を表すことが多く、比較的藍緑色に近い色合いです。この翠は本来、カワセミの羽根の色をさす名前です。

また、詩的な、あるいは文語的な表現として、海の深く青い色を緑ということもあり、ときに艶やかな黒髪の色を表すのに、「緑」を使うこともあります。

この「みどり」という語の歴史をみてみると、このことばが登場するのは平安時代になってからだそうです。これは本来「瑞々しさ」を表す意味であったらしく、それが転じて新芽の色を示すようになったといわれています。

英語のグリーンも「草」(grass)や「育つ」(grow)と語源を同じくするといわれ、この点は日本と同じで、世界的にも緑は人が新鮮さのイメージを喚起する色というわけです。
ところで、日本のJIS規格では、グリーンと緑は別々の色ということになっています。「マンセル値」という色を指定する工業規格があり、緑のそれは「2.5G 6.5/10」であるのに対して、グリーンのマンセル値は「2.5G 5.5/10」です。

実際に目でみてみるとその違いがわかるのですが、緑のほうがグリーンよりもやや明るく、これは上で述べたように、欧米人が英語のグリーン(green)とする色が日本人が緑とする色よりも明るく鮮やかな色であるのとは逆になっています。

マンセル値というのは、アメリカの画家、美術教育者であったアルバート・マンセル という人が、色の名前の付け方が曖昧で誤解を招きやすいことから、合理的に表現したいと考え、造り出した指標です。

マンセルは、1898年に研究を始め、1905年にその成果として「色彩の表記“Color Notation”」という本を著し、これを1943年にアメリカ光学会 (OSA) が視感評価実験によって修正したものが、現在のマンセル表色系の基礎となっています。

しかし、その指標に基づいて、上記のグリーンと緑のマンセル値を決めたのは、日本の工業学会であり、その指導をしたのは日本のお役人です。つまりその役人の好みによって、緑のほうをグリーンよりも明るい色にした、ということになるようです。

日本庭園B

ま、どっちでもいいような話ではあるのですが、古代日本語の固有の色名は、アカ・クロ・シロ・アヲの四語のみだったのを考えると、このように単に緑といっても、いろんなものが混在する現在というのは、それだけ文明が発達したという証しでもあります。

しかし、現在のように緑が色名として明確に扱われてこなかった昔は、実際には緑であるものも「青」によって表現されることも多く、例えば、「青々とした葉っぱ」「青野菜」なども実は緑色だったりしました。

信号機の「青信号」も「青」と表現されますが、もともとは緑色です。これはこの制度が最初に導入されたとき、その当時の新聞が「青は進め」と間違って発表してしまったからだそうです。古い信号機では本当に緑色でしたが、最近は「青緑色」に近い色だそうで、これは色弱などの色覚異常がある人を考慮したためです。

このほか、「青二才」ももともとは、果実の熟し具合からの転用で「幼い」「若い」「未熟である」ことを英語では “green”、ポルトガル語でも “verde” と緑色をさす語で表しています。これらの言語が日本に入ってきたとき、これを翻訳する際、「青い」と表現してしまったことに由来します。

このように、緑色と青色を明確に切り分けなかったために、非常にややこしいことになっている国は日本だけではないようで、とくに東アジアの漢字文化圏や、東南アジア、インド、アフリカ、マヤ語など中南米の言語にも同様の傾向があるそうです。

緑色(green)と青色(blue)を合体してグルー(grue)という語を使用する国さえあるそうで、この言語は「グルー言語」ともよばれるそうです。この言語では黒色とも区別されず、いわば「暗い色」として表されることがあり、これは特に赤道直下の言語に多いといいます。

しかし、よくよく考えてみれば、日本でもそうですが、ほかの国においても、昔はこうした色の分け方に物理学的な根拠があったわけではなく、最終的にはそれぞれの文化によって色の命名が決められてきたわけです。

しかし、グルー言語の研究者のなかには、これらの言葉が熱帯をはじめ比較的温暖な地域に多いのは、野外活動により浴びる紫外線が多く、このため網膜を保護するために水晶体が黄変するようになり、加齢とともにその傾向が更に増すことが原因だとする説を唱える人もいるようです。

目のレンズが黄ばむため、青色のような短波長の感度が低下するときには、緑と青の違いがわからなくなるため、というわけです。従って欧米と日本では色の感じ方が違うというのも、こうした気候の違いによるものだと、考えることもできるようです。

欧米では日照量が少ないため、体内で生成されるメラニン色素が少なく、このため青い目や緑の目の人が多くなりますが、この目の光彩の色の加減も緑色の見え方と関係があるようです。

もみじばな

もっともこうした住んでいる地域による違いだけでなく、一般に高齢者などは、白内障などによる視界の黄変化により白と黄色、青と黒、緑と青などの区別が困難となるといいます。従って、私もまた、もう少し歳を重ねると、緑を緑青と感じるようになっていくのかもしれません。

これからの季節、緑色が黄身がかってみえるようになる、というのは哀しい気がしますが、それを今年もまた元気に見て感じることができることは幸せです。これからも毎年みずみずしい新緑のシャワーを浴びることができることに感謝しつつ、齢を重ねていくことにしましょう。

ちなみに、この緑色は目に優しい、良いものだと、認識されていますが、実はこれには医学的な根拠はなく俗説だそうです。

人は無機質な室内よりも、圧倒的に自然の多い窓の外を見たほうがリラックスできます。このため知らず知らずのうちに、そちらのほうを見ることも多くなりますが、単に緊張をほぐすということだけでなく、遠くの景色を見ることは、目にも良いわけです。

その外の自然の中には、当然多くの緑が含まれることから、緑色をみると目に良いといわれるようになったわけですが、実際には別に緑でなければならない理由はなく、目のレンズを鍛えるために遠くを見るならば、その景色は茶色でも青でもいいわけです。

が、それにしても緑色というのは本当にいい色だと思います。私は緑の中でも透明感のある鮮やかな緑色のエメラルドグリーンが大好きです。

そのエメラルドグリーン色をした、山口の長門の海岸へ今年は久々に行ってみたい気がするのですが、実現するでしょうか。

ここ伊豆でも、南伊豆ではエメラルドグリーンの海があちこちにあるようなので、もし山口に帰れなければ、ここへ行ってみたいと思います。

さて、みなさんのお好きな緑は何緑でしょうか?

春の森