薪割りの技術

 修善寺虹の郷にて

ここのところ、比較的良いお天気の日が続きます。昨日の日曜日には、気温もぐんぐん上がって、ふもとの大仁では28度にもなりました。気になる我が家の気温は・・・というと、25~26度どまり。やはり、山の上にあるだけに、気温はやや低め。風がよく通るので、体感温度はさらに下回るためか、もっと気温が低いようにもかんじます。しかも夜はさらに涼しく、窓を開けっ放しにしていると、寒いぐらい。今、門回りのアプローチの工事に来ていただいている左官屋さんによると、夏の夜はクーラーもいらないくらいだとか。暑いのが苦手で、涼しい場所を求めてたどり着いた終着駅だけに、ひとまず成果は上々、といったところです。

とはいえ、まだ梅雨に入ってもおらず、本格的な夏はまだまだ先のこと。これからどんな季節変化がこの修善寺で起こるのか、またじっくり観察して、ブログにもアップしていきたいと思います。

先日のブログにも書きましたが、暑さがまだまだ本格化しないうちに、庭の造成をしてしまおうと、先週から積極的に庭造りに取り組んでいます。我が家の東側には、20坪ほどの細長い庭があって、そこに前の住人が、高さ2mほどの築山を築いていました。築山のあちこちには、そこにもともとあった「森」の一部とみられる木を伐採したあとの切り株が5~6本ほどもあり、そのうちのひとつは、直径80cmほどもある、杉の木の切り株です。この切り株だけを残し、あとは掘り起こしてきれいにしようと思いましたが、思ったより根が深く、どうしても2本ほどが抜けません。

結局、抜くのをあきらめて、斧を買ってきて、その2つの切り株の地上に出ている部分だけ、「カット」することにしました。こうやって、斧をふるうのは、おそらく、子供時代以来でしょうか。その昔、わたしが子供のころには、父が勤める役所の工事事務所に隣接した長屋に住んでいました。まだ昭和40年代のころのことです。高度成長時代とはいえ、まだまだ一般家庭でボイラー付きの風呂釜を持っている家庭は少なく、我が家も風呂釜は五右衛門風呂。中に水を張って貯め、外にあるかまどに薪をくべて、お湯を沸かします。薪は、近所の燃料屋さんが毎週届けてくれますが、ひとつひとつがおおぶりなため、これを斧で細く割って、かまどで火が付きやすくするのです。

この薪割りとお風呂を沸かすのが私の担当で、学校から帰ってくると裏庭に据えてある薪割台に配給された薪を据え、細かく割っていくのが私の日課。大きな斧はそのころまだ小学生だった私には少し重めでしたが、父に教わるまま、練習を重ねると、すぐにコツを覚え、小さな体をいっぱいに使い、結構太い薪でさえ、うまく割ることができるようになりました。

今、ここ修善寺に移ってきて、久々に斧をふるってみると、その頃のコツはいまだに体にしみこんでいるようです。斧をふりかぶり、目指す木の根っこに向けて斧を振り下ろすのですが、そのタイミングを逸すると、斧はぜんぜん別のところに突き刺さります。ところが、私の場合、久々に斧を使うにしては、かなり、正確に狙った場所に斧を落とすことができることがわかったのです。

今では若い方のほとんどは薪割などやったことがないと思いますが、薪割というのは、実際やってみると、なかなか面白いものです。とくに自分の腕よりも太いゴツイ薪がスパッと割れて左右に飛び別れるときの快感は、やってみた人でないとわからないと思う。そして割り終わって細かくなった薪を積み上げて、倉庫の脇につみあげたあと、自分があげたその「成果」にみとれる瞬間は至極の時といえます。

思えば、自分が子供のころには、遊び道具といえば、こうした家の外にある木や草であることが多かったことを思い出します。今のようにゲーム機などはなく、外へ出て、使えそうなもの木端などがあるととってきて、父の大工道具の中にあった古釘を使って組み合わせ、自分の好みにあった「おもちゃ」を作るのです。それは、船であったり、自動車であったり、飛行機であったりしましたが、できあがり具合はともかく、そういうものを作るプロセスは楽しく、今思うと、自分の手先の器用さは、このころに培われたものかな、という気がします。こうした工作だけでなく、庭造りやちょっとした大工作業、料理、裁縫、などなど、たいがいのことは自分でできる、という旦那は、世の奥様方にはかなり重宝されるのではないでしょうか。自画自賛。

しかし、先日書いたブログでも書いたように、こうした能力は案外と前世から受け継いできたものなのかも。そう考えた上で、自分が最も得意とすることは何かな、と考えてみました。すると、やはり思い当たるのは、情報収集能力・・・なのかもしれません。

わたしには昔から、何かことを起こすたびに、いろいろな情報を集めてきてはそれを分析した上でないと、行動しない、という癖があります。時には行き当たりばったりで、ふらりと旅に出る・・・ということもあるのですが、何か明確な結論を出さなければならない必要に迫られた場合には必ず、まずいろいろな情報を集めるところから始めるのです。

たとえば、旅行に行く場合ならまず、行きたい場所を情報誌などからおおまかにピックアップします。行きたい場所と場所をつなぐのは、道路であったり、鉄道であったりしますが、その旅行で使える自由時間を計算します。たとえば北海道までの三泊四日の旅行であったら、新千歳空港に到着するまでの時間から、帰路札幌を立ち、自宅につくまでの時間を除いたのが自由時間です。そして、移動経路を選定する前に、先に宿泊先の情報を集めます。高級旅館ばかりだと費用がかかってしまうので、リーズナブルな旅館をネットなどを使って3日分選定します。

宿を選ぶにあたっては、できるだけ行きたい場所に近い場所にある宿を探しますが、この時点ではだいたいの候補選びだけにしておきます。そして、さきほど選んだ自由時間内で、その3つの宿を日が暮れる前に無理なく移動できるかどうかを、検討します。移動に無理がありそうな場合、宿のどれかをまた選定しなおし、もう一度移動経路を検討します。このプロセスを金銭的にみても時間的にみても自分に無理がないようになるまで繰り返し、最終的な旅行プランを決めるのです。

あまり細かい旅行プランを決めすぎると、自分で決めたノルマに自分で縛られる羽目になりますから、これ以上の細かいことは決めないようにしていますが、こういうふうにおおまかに旅程を縛っておくと、実際の旅行の際にも心に余裕ができ、スムースな移動が可能になるのです。

旅行好きで旅行にしょっちゅう行く方は、こんなのあたりまえじゃないか、と思われるかもしれません。しかし、実は、こういうプランを立てる上で集める情報は結構膨大なものになります。旅館ひとつにしても、立地場所や料金、部屋のグレード、食事の内容、温泉の有無など、移動にしても乗用車で行く場合には、高速を使うかどうか、山道などの時間のかかる経路が含まれていないかなど調べることは結構あります。クルマを使わない場合はなおさらのこと、電車やバスの時間や料金、接続の状態、運休はないかなどなど、調べる情報はクルマの場合以上に山のようにあります。

こうしてコツコツと情報を集め、整理し、さらに組み合わせて問題があれば、整理方法を変えてまた組み合わせてみる・・・こういう情報処理を行うには結構な手間暇と、さらにコツがいるのです。

世の人みんながみんなこいうコツを知っているとは限りません。考えてもみてください。だから、旅行会社みたいなものが存在するのです。いろいろな情報を集めて金になるプランニングを作り、提供する。これには結構高度なノウハウがいるのです。

以上、旅行のプランニングを例にとりましたが、わたしの場合、何をやるにもこのようにいろいろな情報を集め、それを整理したうえで行動する、という癖が染みついているようです。そんなら、旅行会社でもやれば、といわれそうですが、残念ながらそういう職業につくことはなく、結果的には建設コンサルタントになってしまいました。

でも建設コンサルタントという職業も実は膨大な情報処理をする職業なので、旅行会社にこそ務めませんでしたが、結局は自分の得意な分野を選んだということなのかもしれません。

前世がスパイだったという私。その情報収集処理能力は、現世でも役にたっているようです。前半生では、その能力を技術屋さんとして使ってきましたが、後半生はどうでしょう。以前、霊能者のSさんにそうしたことをうかがったときにおっしゃっていたのは、私が今生で生まれてきたことの目的のひとつは、そうした能力を使って、短い間だけでもトップに立つこと、だそうです。

「短い間」というのがちょっとひっかかりますが、わが後半生の目標はこの情報処理能力を使って何等かの組織のトップを目指すこと、なのかもしれません。あるいは、何か芸術的な取り組みや職人的な取り組みでの高みを目指すことなのかもしれませんが、さあて、これからどうなることやら。

みなさんが前世から受けついできた能力はなんですか? それを現世で生かしていますか?

 お勝手の窓に現れた夜の訪問者 雨の季節が近づいているようです