魔女の一撃

2014-3898先日のこと、ここのところ恒例になっているジョギングから帰り、シャワーを浴びて着替える際、衣類を取ろうとちょっと前屈みになった際、「グキッ」……と、音がしたわけでもないのですが、腰のあたりに激痛が走りました。

あっ、やっちゃったかな、と思ったのですが、実は伊豆に引っ越してくる前の東京でマンション暮らしの際にも、同じ経験があり、これはどう考えてみても、いわゆる「ギックリ腰」というヤツです。

医学的には、急性腰痛症というそうで、突然腰部に疼痛が走る疾患です。原因は関節の捻挫のほか、筋肉の損傷・炎症などであることが多いようですが、まれに、背後付近にある膵臓や腎臓の炎症が原因となることもあるそうです。が、多くは筋肉の捻挫や炎症であり、軽傷であれば、安静にしていれば一ヶ月内外で自然に治ることがほとんどのようです。

しかし、前回東京でやったときは、歩けなくなるほどひどかったため、即座に針治療院に駆け込み、針の5~6本も打ってもらったでしょうか、その日のうちになんとか歩けるようになり、一週間ほどでほぼ痛みは引きました。が、その後約一ヶ月はまともな生活ができませんでした。

で、今回はというと、このときほどはひどくはないようで、前回と違うのはなんとか歩くことができることです。ただ、椅子に座ったり、腰を曲げて物を取ったりすると激痛が走るのが問題で、一瞬また針治療に行ってみようかな、とも思ったのですが、我が家には温泉もあることであり、症状もやや軽そうなので湯に浸かって経過を見ることにしました。

その後、朝夕温泉に浸かって、自己流のマッサージなどを繰り返していたところ、3~4日後には、かなり痛みが和らぎ、日常生活には支障がなくなってきました。ちょっと軽く走ってみても大丈夫そうなので、中断していたジョギングも再開しようかなとも思いました。

ところが、ネットで調べてみると、安静にしていられず治らないうちに仕事や運動などを再開したことで再発してそのまま慢性化してしまう事例も少なくないと書いてあり、安静が一番ということなので、思いとどまり、走らず我慢の日を重ねていました。

が、ギックリをやってから一週間にもなると、体がなまった感が強くなったので、昨日、おそるおそる走ってみたところ、どうやら大丈夫のようで痛みもなく、また走ったことで血行がよくなったのか、さらに痛みが和らいだような気さえします。

こんなに早く治ったのはやはり、温泉効果かな~と思っており、温泉を引くのにもそれなりにお金はかかりますが、針治療代にお金がかかっただろうことを考えると、元がとれたかな、と思ったりしている次第です。

このギックリ腰は、年齢を経てから発症する人も多いという印象がありますが、基本的には筋肉の捻挫や炎症が原因なので、若い人でも経験する可能性があります。予防策としては、荷物などを持つ際、足場の悪いところで無理な姿勢で持つなどしないように心がけることや、極端に重いものはなるべく持たないようにすることです。

また、睡眠不足でなおかつ過労ぎみの時なども起きやすいといいます。これはおそらく、寝不足や過労でぼーっとしている際には筋肉も油断していることも多く、こういうときは急に体重をかけたりといった、急激な体位の変化にも対応ができにくいためでしょう。

このため、予防のために普段から過度ではない程度の運動をして腰まわりから背中にかけての筋肉全体が弱らないようにしておくこともそれなりに有効なようです。私は毎朝ジョギングをしているので、筋肉の衰えはないと思っていたのですが、たしかに背筋や腰回りの運動にはあまり気にかけていませんでした。

今回の発症もそれが原因のようであり、やはり全身運動は常に必要だというのを身に染みて思い返した次第です。

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ところで、このギックリ腰という呼び方は、地方によっては「びっくり腰」とも呼ばれるそうで、欧米ではその病態から「魔女の一撃」と呼ばれるようです。ドイツ語では魔女の一撃のことを“ Hexenschuss”というそうで、これは「ヘキセンシュス」と読みます。

直木賞作家で、元医師だった渡辺淳一さんもこの用語についてはご存知であり、「愛ふたたび」という小説では、ある女性弁護士がギックリ腰になり、主人公の医師のところへ治療にやってきたところ、この医師がこの用語を口にし、“魔女の一撃”というような意味になります」と説明する場面があり、この会話をきっかけに二人は恋人になっていくそうです。

が、私はいまさらこの齢でこのヘキセンシュスを口に出して、若い女性の興味を惹こうなどと大それた考えは持っておらず、第一、エラそうにこうした喋り慣れない言葉を口にすると、舌をかんで、「ハクションです」とでも言ってしまいそうなので、やめておくにこしたことはありません。

この「魔女」というヤツですが、これは、ヨーロッパでは超自然的な力で人畜に害を及ぼすとされた人間、または妖術を行使する女性のことです。日本にはこういう用語はなく、言いかえるなら女呪術師、といったところでしょうか。が、魔女の一撃ならばまだしも、「呪術師の一撃」ともなると、一発でコロリといってしまいそうです。

とはいえ、ヨーロッパの魔女や魔法使いの元祖も呪術師であったようで、旧石器時代の洞窟壁画には呪術師ないし広義の「シャーマン」と解釈される人の姿が描かれており、呪術は有史以前に遡る人間とともに古い営みであると考えられています。

この呪術師は、その後ヨーロッパにおいては、複雑な背景を持つ重層的な概念となっていき、そこから派生した魔女像も非常にいろんなものがあります。古代や中世前期での原型的魔女ないし魔法使いから、民間伝承やメルヘンの世界での妖精的なもの、ロマンチックな魔法少女的なものまでさまざまなものが魔女という言葉で括られています。

しかしやはり魔女といえば、15世紀ころから呪術師とは別の概念として広まった「悪魔と契約を結んで得た力をもって災いをなす存在」であり、魔女とは悪魔に従属する人間であり、悪霊(デーモン)との契約および性的交わりによって、超自然的な魔力や人を害する技を授かった者、というイメージです。

16世紀から17世紀の近世ヨーロッパ社会においては、識字層を中心にこうした魔女観が広がり、このため魔女裁判が盛んに行われましたが、これが現在に至っても、魔女といえば「魔女狩り」というイメージが先立つようになっています。

この「魔女狩り」の一般的な定義としては、魔女または妖術を行う呪術者の訴追・裁判を行い、刑罰を与えるというものですが、なぜに、そうしたものがヨーロッパで流行ったのかについては、なかなか日本人には理解できにくいところがあります。

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妖術に対する恐れは過去のヨーロッパのみならず多くの社会に普遍的にみられる人類学的事象ですが、どういうものを「妖術」とみなすかについては至極あいまいであり、また魔女と名指しされた人たちがどのような人々であったかについては、ヨーロッパ各地の事情や個々の魔女裁判によって異なるため一般化して説明するのは難しいようです。

また、告発された人は女性とは限らなかったようです。「魔女」と称されるため女性ばかりのように思われやすいものですが、犠牲者の全てが女性だったわけではなく、男性も多数含まれていました。

裁判記録に基づく統計によれば、西欧ではおおむね女性でしたが、とくに北欧では男性の方が多いところもあったようです。また、対象となった犠牲者は貧しい下層階級の人々が多く、高齢の女性が多い傾向にありました。

しかし、時には比較的身分の高い人や少年少女が魔女とされることもあり、このほか上層下層に限らず、とくに集団妄想を先導するような輩や、同性愛者や姦通者、隣人の恨みを買った人たちなどに悪魔憑きのレッテルを貼り、排除対象のマイノリティとして告発しました。

また、民間療法の担い手として、正規の医者ではないけれども医者の代行を務めたような人も訴えられることもあったようで、今で言う助産師、産婆を魔女として糾弾することもありました。が、裁判記録にみられる産婆の数はけっして多くなく、また民間の治療師や占い師である白魔女も裁判記録を見る限り、ことさら多くはなかったようです。

ちなみに、白魔女というのは、良い目的に用いられる、いわゆる「白魔術」を扱う呪術者のことで、白魔術としては、聖人が施すことで病気が治癒する、といった奇蹟のようなもののほか、害を得る者がなく、術者・願者に益をもたらすものとされます。

病気治療のほか、恋愛成就・雨乞い・豊作祈願・収獲祈願・紛失した物を見つけ出す、といったことや、また破損品を修復し新品同様に戻す魔術を白魔術という場合もあり、これらはむしろ重宝がられ、こうした術は中世以降、化学・医学の原型となりました。

「魔女狩り」が流行った背景には、キリスト教の普及があるようです。これがヨーロッパ中に広がると同時に、片や悪魔と結託してキリスト教社会の破壊を企む「背教者」というスケープゴートが生まれ、これが「魔女」として変化し、彼等(彼女ら)を裁く「魔女裁判」が開始されました。

そして初期近代の16世紀後半から17世紀にかけて魔女熱狂時代とも大迫害時代とも呼ばれる魔女裁判の最盛期が到来しました。しかし、キリスト教会の主導によって行われ、「数百万人が犠牲になった」というようによく言われますが、魔女迫害の主たる原動力は教会や世俗権力ではなく、どちらかといえば民衆の側にあったと考えられています。

15世紀から18世紀までに全ヨーロッパで処刑された人数も推定で4万人から6万人程度であったと考えられており、しかしその魔女に仕立てられたのは反キリスト教を掲げる人達ではなく、上述のようにどちらかといえば社会的な弱者や、マイノリティでした。

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歴史上の魔女狩りの事例の多くから俯瞰すると、魔女狩りというものは社会不安から出た、一種の集団ヒステリー現象であったとも考えられています。従って、キリスト教徒たちが魔女狩りを行ったというよりも、この当時の宗教的な大変動や社会的不安が人々を精神的な不安に落としいれ、魔女狩りに駆り立てたと考えられます。

この当時の不安定な世相においては、権力者にとって魔女狩りは中央集権化した国家や教会の中枢による臣民のコントロール手段として有効であり、また庶民側も戦争や天災に対する怒りのスケープゴートとして魔女を求めた、とも考えられ、両者の意向が一致したことが魔女狩り流行した理由のようです。

多くのメディアなどでは、依然として魔女狩りをステレオタイプなイメージで捉えて「キリスト教会主導で行った大量虐殺」としていますが、これは間違いとする説のほうが現在は有力であり、その数も思っていたよりも少なかったことがわかってきています。

ただ、魔女裁判にかけられた人の数が我々が考えているよりも少なかったとはいえ、その裁判の過程と結果は残酷なものが多かったのは事実のようです。

上でも書きましたが、魔女として訴えられた者には、一般には貧しく教養がない、あるいは友人が少ないといった特徴を持つ人が多く、社会からつまはじきにされる人が選ばれる傾向があったようです。

また、必ずしも非キリスト教者の排除手段とはいえなかったとはいえ、宗教界の権威者たちは、旧約聖書の多神論のようなものを信奉し、唯一神論の自分たちの権益を脅かそうとする人達をとりわけ魔女に仕立てあげたがっていました。

裁判において訴えられたこうした人達が魔女であるか否かは取調べによって明らかにされましたが、そこでは拷問が用いられることもあり、残酷なものとしては熱い釘をさしたり、指を締め上げたりといった恐ろしい方法も用いられました。処刑法としてはヨーロッパ大陸では火あぶりが多く見られたようですが、ほかにも絞首刑や溺死刑などがありました。

魔女の疑いをかけられた者に対しての取調べや拷問は、通常の異端者や犯罪者以上に過酷なものでなければならないという通念がはびこっていたためであり、時には魔女に対する取調べのために新しく考案された拷問もあったといいます。

ただ、拷問によって本人の自白を得るばかりではなく、知人や隣人に証言させるという方法が用いられることも多かったようです。また、拷問が全員に対して行われたわけでなく、拷問の使用の是非は地域や取調官の性格によっていたようで、訴えられた人がすべて魔女とされたわけではなく、無罪放免になったケースもわりとあったようです。

魔女狩りを行うことで、儲けるような人物もいたようです。たとえば清教徒革命の時代(17世紀)にイギリス東部で「魔女狩り将軍」を名乗ったマシュー・ホプキンスなる人物がいました。かれは魔女と思しき人物を探し出し、体にある「魔女のしるし」を見つけては魔女であることを確定し、それによって報酬を得ていました。

魔女狩りの歴史において最悪の「魔女発見人」の一人といわれていた彼は、イギリス政府から魔女狩りを任されていると吹聴して、無実の人々を魔女に仕立て上げて処刑し、多額の収益を得たといわれています。

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イギリス東部サフォークで清教徒の牧師の息子として生まれたたホプキンスは、当初弁護士をしていましたが、余り有能ではなかったようで、このため生活に必要な収入が得られず、地元で魔女集会が行なわれたのを機に魔女狩りを生業とするようになりました。

これは彼が法律に精通しており魔女狩りにおいて、合法すれすれの手段を使えたからだといわれています。彼はジョン・スターンとメアリー・フィリップスという男女二人の部下を連れて、イングランド東部各地を巡回して魔女狩りを行ないました。

こうした巡回による当時の魔女発見において、一般的な手数料以上の料金は請求しなかったと彼は書き残しています。が、実際には彼が魔女狩りを行なう時には地元住民からかなりの額の特別徴税を取っていました。

一度の裁判で庶民の年収に相当する20ポンド前後の大金を受け取ったとする記録もあり、彼が魔女狩り業務に従事していた3年弱の間に稼いだ金額は数百ポンドとも1000ポンドとも伝えられています。この当時の価値は、1ポンド約10万円くらいという統計もあるようですから、年間1千万から数千万円もの金を魔女狩りで稼いでいたことになります。

彼が告発して処刑された魔女の人数はおよそ300人とされ、イングランド全体で魔女として死刑になった者は1000人ほどという推計値もあるようですから、イングランドの魔女の3分の1弱がホプキンスの手にかかった事になります。

彼がこれほどの「成果」を上げ得たのは、住民からの特別徴税からもわかるように地元の行政からの後押しがあったからでもあります。しかし、ホプキンスが用いた方法は不正が多く、多数の無実の人を魔女としてでっち上げ、処刑して多額の料金を得るというものでした。

彼は町や村、もしくはその近郊に住む女性で、貧しく教養がない、あるいは友人が少ないといった特徴のある者を選んで魔女に仕立て上げていました。隣近所との交際も乏しい孤立した人は、その心の代償として犬や猫などのペットを飼っていることが多いものですが、それをも「使い魔」であるとでっち上げて魔女の証拠にするのも常套手段でした。

また、魔女に仕立てた一般人を自白に追い込むための拷問も卑劣なものでした。が、当時のイングランドの法律では基本的には拷問が禁止されていたため、彼は様々に工夫を凝らし、違法すれすれのやり方を用いました。

このため、容疑者を長期間眠らせず部屋の中で歩行を続けさせ、疲労のため意識がもうろうとなった状態で誘導尋問を行ない、魔女であるとの自白を引き出すといった方法をとりました。それでも効果がない時は、「スイミング」と呼ばれる「水責め」を用いました。

当時、水は聖なるもので魔女を受け入れないので、魔女は水に浮くという言い伝えがあり、このため、魔女と疑われる人物を紐で縛り上げ、水に入れて浮かべば有罪、沈めば無罪とするのがこの水責めを行った理由でした。

しかし、浮上がれば当然有罪となり死刑なのですが、沈む、沈んだまま、ということはつまり浮き上がって来れないということであり、多くの被疑者は溺死してしまいました。通常人は水に沈められると、息ができなくなるので浮き上がってくるものですが、浮かんでこなかったというのは、何らかのトリックを用いていたに違いありません。

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さらに、ホプキンスは「針刺し」と呼ばれる方法も使用しました。この当時、魔女は、悪魔との契約の証しとして体のどこかにマークを付けられ、その箇所は、針を刺しても痛みがなく血も出ない場所と考えられていました。このため、魔女候補の容疑者の体には全身に針が刺され、この痛くない場所を探す、という残忍な方法がとられました。

そのための針刺しを専門に実施する業者まで現れ、ホプキンス自身もまたこの「針刺し業者」の一人でした。しかし、所詮は、この針刺し業者も無実の人を魔女に仕立て上げるための「サクラ」でした。

こうした業者が用いた針には特殊なしかけがしてあったといいます。容疑者の体に押し当てると針の部分が柄の中に引っ込む仕掛けになったものであり、これとは別に普通に針を仕込んだだけのものを用意します。この普通の針で被疑者の全身を刺していきますが、ある部位のときだけ、この針が引っ込む仕掛けの針を使います。

結果として痛みも出血もない魔女マーク発見、となりますが、刺された当人もその仕掛けを見抜くことができないわけであり、信じられない、と目を丸くすることになります。ホプキンスは、こうした業者を使った不正で多くの魔女を捏造しましたが、自らもこうした術に長けており、針刺し業者としての多額の報酬も得ていました。

しかし、こうした悪どいやり方については当然批判する人も多く、やがて公然と非難する人たちが現れ、あるとき、ひとりの牧師が彼の尋問の残虐さや違法性をあばく証拠を集め、告発状を出しました。これによってホプキンスは信用を失い、1646年末頃までには、この魔女狩り将軍は廃業へと追い込まれていきました。

彼の没年やその状況ははっきりしませんが、彼自身が魔女とされて、後述の「水責め」を受けて殺されたとする説もあります。が、実際は病死したというのが通説のようです。

彼は、1647年に「魔女の発見」という小冊子を出版しており、そこには世間の批判に対する釈明が書かれているそうです。無論でっちあげでしょうが、この残された冊子や彼を告発した牧師らが配布した資料は、現代でもこの当時の魔女狩りの事情を知る上で貴重な資料になっているといいます。

こうした魔女や魔女狩りは、現在においてはもはや存在しない、と思いきや、インド農村部やアフリカの一部で魔女狩りが行われているほか、パプア・ニューギニアなどでは妖術や精霊の存在が信じられており、天災があった場合などには、彼等のせいだとして暴徒による彼等「狩り」が行われているそうです。

インドでは、2008年ごろにテレビで魔女狩りの様子が放映されたことがあり、先進諸国の人々を驚かせました。しかし、さすがに最近は先進国の仲間入りをしようと頑張っている国でもあり、この報道をきっかけに、女性を暴行したとして6人が逮捕されています。

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このほか、ナイジェリア、ガンビア、タンザニア、といったアフリカ諸国ではまだ魔女狩りが行われています。とくにガンビアでは魔女の疑いがかけられ千人ほどが拘束され、大統領自身が魔女狩りへの関与をしているそうです。

また、タンザニアでも、不妊や貧困、商売の失敗、飢え、地震などの災厄は魔女の仕業という迷信が根強く残っているといい、魔女狩りによって年平均500人の女性が殺されているといいます。

アフリカといえば、最近エボラ出血熱によって、各国で多数の人が死んでいますが、死者者が70人近くにのぼっているといわれるコンゴ共和国では、エボラ出血熱が魔女の魔法によって起こるという噂がながれ、発生の原因とされた人たちが石打ちにあったりして殺された、という話もあるようです。

このほか、中東のサウジアラビアでは現在も合法的に魔女狩りが行われており、イスラム宗教省には「魔法部」なるものがあるそうで、ここに魔法使いに魔法をかけられた場合にどうしたらよいかといった電話相談を受け付けているといいます。

相談内容に信憑性がある場合には調査、逮捕、起訴が行われ、実際に魔女とされる人物が死刑執行されることもあるそうで、サウジアラビアといえば、日本も原油の主要輸入国としている国でもあり、中東諸国の中でも先進的なイメージがありますが、まだまだそんな風習があるのかと、驚いてしまいます。

こうした、アフリカや中東諸国以外の、アジアやオセアニア、欧米諸国においてはもうさすがに魔女狩りはないと思われますが、「ハリー・ポッター」を生み出したイギリスでは、魔女狩りがなくなったあとも、魔女や魔法といったことを本気で信じている人は多いようです。

しかし、それを言えば、日本でも昔からいるとされる、妖怪や物の怪の類の存在を信じている人は多く、対象は違えど事情は一緒でしょう。また、穢多非人といった社会的弱者を設け差別する、といった風習はごく最近まで根強く残っていました(場所によっては、現在でも)。

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このほか、こうした先進国では、実際の魔女狩りはなくなったものの、思想的偏見にもとづいて行われる糾弾・排除行為のことを「魔女狩り」と隠喩表現することがままあります。

たとえば1950年代のアメリカ合衆国で吹き荒れたマッカーシズムの嵐がそれです。マッカーシーというのは、あの日本占領に赴いた、マッカーサー元帥のことではなく、アメリカ合衆国上院議員のジョセフ・レイモンド・マッカーシーのことです。

彼が提唱した「反共産主義」に基づく社会運動、政治的運動のことで、彼は国務省内に250人もの共産主義者がおり、そのリストを持っていると発言したことがきっかけとなり、多数の政府職員、マスメディアの関係者などが攻撃され、これは「現代の魔女狩り」と呼ばれました。

逆に、共産主義国の中国では、1960年~1970年代に反共産主義者だとされて、多数の人々が虐殺された文化大革命がおこっており、これも「魔女狩り」と評されました。党の権力者や知識人だけでなく全国の人民も対象として、紅衛兵による組織的な暴力を伴う全国的な粛清運動が展開され、多数の死者を出しました。

文革時の死者数の公式な推計は中国当局の公式資料には存在していませんが、内外の研究者による調査により最低でも40万人、可能性としては1000万人以上、研究者によっては2000万人いう数字を示す場合もあるようです。

この騒動をもとに、その後中国では「密告」が普通に行われるようになり、家族同士で、親兄弟までも容赦なく告発されるような風潮が定着したことから、その後国家としてのモラルが著しく低下したといわれています。

こうした「現在の魔女狩り」は、いわば「吊るし上げ」、もしくは「総括」といった意味を持つものですが、こうしたアメリカや中国の例にもみられるように、政府機関などによる横暴な摘発などの「理不尽さ」の面を強調する時に使われることも多いものです。

日本においても文部科学省が所管しほぼ公的機関といっていい「理化学研究所」が発した、女性博士による「論文捏造」もまた現在の魔女狩りではないか、との意見があるようです。ひとりの人間を魔女として切り捨てれば、組織の安泰は保てる、というわけです。

が、STAP細胞なるものの存在すらまだ確認されておらず、これが本当に魔女狩りなのかどうかも明らかになっていない中、関係者の自殺がおこり、この事件の方向性は二転三転し、混とんとしています。

願わくば魔女裁判など行われることなく細胞の実存が確認され、逆に「世界に誇れる魔女」だった、と称賛される日が来ることを待ちたいところですが、はたしてどういう結末になるのでしょうか。

さて、腰の具合もそろそろよく、この長文のブログを書いている間も特に痛みません。が、油断をせず、さらなる「魔女の一撃」を喰らわないよう気をつけて、おそるおそる仕事を始めることとしましょう。

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