桜と制服

2015-11708533月も下旬になってきました。

昨日、静岡市内では桜の開花宣言があったそうで、今年もまたあのピンクの饗宴の季節が始まります。

それでふと思い出したのですが、その昔の軍歌で、「♪~七つボタンは桜に錨」というのがありましたが、これはどういう歌だったかな、と調べてみると、これは「若鷲の歌」というタイトルのようです。

戦前、海軍飛行予科練習生、いわゆる「予科練」を募集するための宣伝目的で作られたもので、1943年に日蓄レコードより発売され、大ヒットしました。

作詞は、あの有名な西条八十であり、彼は作曲をした古関裕而(ゆうじ)とふたりで土浦海軍航空隊に一日入隊してこの歌の構想を練ったそうです。古関裕而の名は知らない人も多いでしょうが、多数の軍歌や歌謡曲、応援歌を創ったことで有名で、早稲田大学や慶應義塾大学の応援歌のほか、阪神タイガースの応援歌「六甲颪」も彼が作曲しました。

予科練

この予科練というのは、1929年(昭和4年)に設けられた制度で、「将来、航空特務士官たるべき素地を与ふるを主眼」とされ、応募資格は高等小学校卒業者で満14歳以上20歳未満で、教育期間は3年であり、その後1年間の飛行戦技教育が行われたようです。

1936年(昭和11年)には応募資格が、満15歳以上20歳未満に変更され、当初は、横須賀海軍航空隊の追浜基地がその教育に用いられましたが、手狭なため、1939年(昭和14年)、霞ヶ浦海軍航空隊に場を改めました。

1941年(昭和16年)12月、太平洋戦争が始まると、航空機搭乗員の大量育成のため、予科練への入隊が大量に募集されました。各期3万人以上が採用となりましたが、こうなるともう霞ヶ浦だけでは足りなくなり、予科練は岩国海軍航空隊・三重海軍航空隊・鹿児島海軍航空隊など、最終的には19か所に増えました。

1943年(昭和18年)から戦局の悪化に伴い、短期養成を行うようになり、また1944年(昭和19年)10月頃には、海軍特別志願兵制度で海軍に入隊していた朝鮮人日本兵・台湾人日本兵を対象にした予科練も新設され、卒業生は鹿児島空へ配属されました。

戦前に予科練を卒業した練習生は、太平洋戦争勃発と共に、下士官として航空機搭乗員の中核を占めましたが、それゆえに戦死率も非常に高く、期によってはおよそ90%が戦死しています。また昭和19年に入ると、予科練卒業生がいわゆる「特攻」の搭乗員の中核となり、その多くもまた空に散っていきました。

昭和19年夏以降は飛練教育も停滞し、この時期以降に予科練を修了した者は航空機に乗れないものが多かったといい、中には、航空機搭乗員になる事を夢見て入隊したものの、人間魚雷回天・水上特攻艇震洋・人間機雷伏竜等の、航空機以外の特攻兵器に回された者もいたといいます。

終戦間際は予科練自体の教育も滞り、基地や防空壕の建設などに従事する事により、彼等は自らを土方(どかた)にかけて「どかれん」と呼び自嘲気味にすごしたそうです。戦争末期の1945年(昭和20年)6月には一部の部隊を除いて予科練教育は凍結され、各予科練航空隊は解隊され、そのまま終戦に至っています。

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軍服

「若鷲の歌」にある、「七つボタンは桜に錨」というのは、この予科練においては1942年(昭和17年)からは制服を軍楽兵に範を取った「七つ釦」の制服を採用する事になったことに由来しています。制服には7個のボタンが付いており、この時代「7つボタン」と言えば予科練を表す言葉でした。

この予科練のように、若年者を下士官要員として育成する制度は、第2次世界大戦後の海上自衛隊でも自衛隊生徒・一般曹候補学生として設けられており、自衛隊生徒や曹候補学生は、この予科練等の制服に似た、短ジャケット7つボタンに下士官型軍帽の服制が定められています。

それまで、飛行予科練習生は、昇進こそ早いものの兵の階級を指定されている間は、通常の水兵服を着用していたため、応募を志す若者の間ではさほど人気は高くなかったといいます。そこで、海軍は、軍楽兵と同様の短ジャケット7つボタンに下士官型軍帽を制定し、人気を高めようとして、この変更を断行しました。

その翌年に若鷹の歌がヒットしたため、さらに予科練の人気が高まり、募集人員も増員に増員を重ねるほどまでになったわけですが、その宣伝文句に踊らされて入隊した若者たちの多くが死んでいったことを考えると、ついついその功罪を考えてしまいます。

しかし、制服というものはもともとそういうものです。格好良い制服やかわいい制服は、あこがれを抱かせ、その制服を着たいと思わせるのに役立ち、転じてはその職種に就きたい・その組織に入りたいという願望をもたせる役割を持ち、人材確保の上では重要なものといえます。

元来、その目的は、同じ制服を着ている者同士の連帯感を強めたり、自尊心や規律あるいは忠誠心を高める効果を期待してのことです。また、組織内部の人間と組織外部の人間、組織内の序列・職能・所属などを明確に区別できるようにする目的も持ちます。

とくに軍人の制服には階級章・所属章・部隊章・資格章等の記章が付けられており、デザイン、色彩、材質等も厳格に定められており、それらをみれば命令系統の統制や上下関係なども一目でわかるわけです。

旧日本海軍の軍人が着用した制服も、こうした思惑から制定されたものですが、明治の建軍当初はまだどんな制服にしてよいやらわからず、イギリス海軍の軍服を参考にしました。
しかし、紺色長立襟ホック留ジャケットはイギリス海軍ではなく、フランスの影響だそうです。

また、陸軍の制服は当初フランス軍の影響が強く、後にドイツ軍の軍装の影響が強くなりましたが、その後日露戦争の勝利などによって日本の国際的地位が向上するにつれて独自の制服に変わっていったようです。

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制服

こうした旧日本軍の軍服というものは、軍の統制という意味で、その組織を維持していく上で重要な役割を担っていたわけですが、現代でも警察官、消防吏員、海上保安官などで同様の機能を持った制服が導入されており、また民間企業でも鉄道員・駅員・警備員などは業務上の観点から制服の着用が重要視されています。

また、一般社会においてもある程度あらたまった服装で勤務することが求められることも多く、とくに女性社員の勤務着として制服を採用している企業が多く見られます。また男性社員にもこうした制服着用を責務とする会社も多いようです。

ただ、男性の場合は、スーツにワイシャツ・ネクタイ姿で勤務する人が多く、この背広やワイシャツは実質的に制服とされているとの見方もあるようです。

しかし、バブル崩壊後の企業業績悪化に伴うコスト削減や、女性が多くを占める派遣社員の増加、その一方での制服着用の一般職女性社員の削減、などなどの企業の雇用形態の変化に合わせて、近年女性社員の制服を廃止する企業も増えています。

フェミニズムの観点から、女性にのみ制服を適用するのは女性差別という声もちらほら聴かれるようになり、男性社員の服装も背広ではなくもっと自由でいいのではないかという声も高まっています。

こうした男性社員の服装の自由化を求める声も高まり、大企業を中心としてカジュアルな服装でも勤務可という職場が多くなっているといい、また夏の勤務における快適性の観点から、公務員においても国策としての温暖化対策のためクールビズ、ネクタイ不着用が標準となりつつあります。

一般社会においては制服がない業種や職種も少なくなく、組合などが中心になって制服不要論をぶちあげている企業もあるようです。

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学生服

こうしたトレンドは、当然小中高などの学校にも飛び火しており、現在公立小学校のほとんどは、私服で通うことが認められています。中学校ではまだ制服というところも多いようですが、徐々に私服化にシフトしていっているようです。

その理由は何かというと、制服が生徒の個性を抑圧し異質なものへの寛容心を奪っているのではないか、といったことが言われているようです。いじめや不登校の増加もこの制服の強要と関係があるのではないか、ということがまことしやかにささやかれます。

こうしたことから制服を廃止、または「標準服」として強制しない中学校や高等学校も増えてきているようです。その昔、大学にも制服があった時代がありましたが、現在ではほぼすべての大学が私服化されており、それを考えると、やがて中学や高校もすべて私服で通う、という時代になるのかもしれません。

しかし、一度制服を廃止した途端に受験者数が落ち込む、といったケースもあるようで、制服を再導入する学校も出てきているといいます。

千葉県立の小金高等学校では、公立の学校としては珍しく1993年から私服通学を認めていましたが、志願者が減少の一途を辿っていたため、2011年から制服を再導入すると決定したところ、志願者数が増加したといいます。

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学制服のファッション化

長い歴史を持つ伝統的なデザインというのは人気があることも多く、そのほか伝統はなくてもデザインが良い、という制服は確かにあり、あの学校の制服、カッコえーなーというのはいつの時代もあります。上述の七つボタンしかりであり、最近では「制服のファッション化」を意識して、そのデザイン性にこだわる私学も多いといいます。

最近では、スーツなどのフォーマルウェアも、その着こなしようによってはとてもおしゃれに見えるように、学生服もまたファッションの手段としてこれを着る傾向も強まっているようです。

私服での登校が認められている高校に通う生徒などが、市販の制服や他校の制服を私服として通学時や学校のない時に着たり、他校の指定の鞄を持ったりすることもあるそうで、これは「なんちゃって制服」と呼ぶそうです。

学生服メーカーや販売店などもそうした需要に注目しており、衣料品メーカーのなかにはこの「なんちゃって制服」の需要を見込んで、一見したところ制服風のブレザー、リボンタイつきブラウス、プリーツスカート、ワンポイント入りハイソックスなどを販売しているところもあるといいます。

ファッションセンスの良いことで知られるフランスでは、公立学校の女学生のことを「リセエンヌ」と呼びますが、1980年代ころ、日本ではこの清楚な学生らしさとリセエンヌたちのシックでオシャレな制服が受け、新感覚のファッションとして流行りました。

雑誌で取り上げられ、リセ・ファッションとか、リセ・スタイルなどが人気となりましたが、こうした日本の学生服の新潮流もまた、ファッション史の見地からは正統派のリセファッションと評価する向きもあるようです。

この制服を私服として着る、というのは服装の乱れとは真反対の発想であり、親にすれば、ヘンな格好をされるよりはかなりマシ、ということでそのファッション制服をお金を出して買ってあげるという家庭も多いようです。

制服さえ買ってもらえれば、あとはリボンなどの小物は自分の小遣いで買い足していくこともでき、色の組み合わせを変えることでさらにオシャレを演出できます。私服よりも安価にオシャレを楽しめるわけであり、流行るのも分かる気はします。

最近の日本でのこのような制服のファッション化は、逆にフランスでも注目されているそうで、フランスの雑誌などでも取り上げられ、「日本の女子高生の制服は自由の象徴」といった紹介もなされています。

フランスには、Japan Expo(ジャパン・エキスポ)という、総合的な日本文化の博覧会があります。漫画・アニメ・ゲーム・音楽などの大衆文化のほか、書道・武道・茶道・折り紙などの伝統文化を含む日本の文化をテーマとして2000年からフランス・パリ郊外で毎年開催されているものです。

ここにおける制服ファッションの展示は毎年増えており、最近はとくにこの制服ファッションを着て会場を訪れるパリっ娘も増えているといいます。同じくタイでもブームだといい、ファッション誌に常にこうした制服が特集されており、首都バンコクでは「カワイイ・フェスタ」なる制服ファッションイベントまで開催されているそうです。

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ランドセル

また、制服ではありませんが、最近は小学生が使用するランドセルが、欧米で人気だそうで、これは昨年、アメリカの女優で、人気歌手でもあるズーイー・デシャネルが赤いランドセルを背負った写真が出回ったことがきっかけのようです。

これに端を発し、若い人たちの間でもランドセルを身に着けることがブームとなりつつあるようで、最近ではアニメなどを通じてランドセルを知った外国人が、日本の土産として購入する例が増えており、入国者数が増え続けている中国人の間でも大人気だといいます。

ところが、このランドセル、元々は軍事用のバックだった、ということを知っている人は少ないのではないでしょうか。

幕末に、江戸幕府が洋式軍隊を導入する際、将兵の携行物を収納するための装備品として、オランダからもたらされた背嚢(はいのう)を模して造らせたもので、「ランドセル」はオランダ語の「ransel」からきています。

本来の発音は、「ランセル」または「ラヌセル」でしたが、これがなまって「ランドセル」になったものです。明治時代以降も、帝国陸軍の下士官以下用の収納鞄として採用されましたが、これが民間に流用されたきっかけは、官立の模範小学校として開校した学習院初等科でも採用されたからです。

創立間もない1885年(明治18年)、学習院は「教育の場での平等」との理念から馬車・人力車による登校を禁止、学用品を入れ生徒が自分で持ち登校するための通学鞄として背嚢が導入しました。

当初はリュックサックのような形だったそうですが、1887年(明治20年)、当時皇太子であった大正天皇の学習院初等科入学の際、伊藤博文が祝い品として帝国陸軍の将校背嚢を真似た鞄を献上、それがきっかけで世間に徐々に浸透して今のような形になったそうです。

この献上品は革製でしたが、革は贅沢な高級品であった事から戦前は都市部の富裕層の間で用いられる事が多く、地方や一般庶民の間では風呂敷や安価な布製ショルダーバッグ等が主に用いられていました。

現在のような形で革製のランドセルが全国にふつうに普及しはじめたのは昭和30年代以降、高度経済成長期を迎え、日本人が裕福になったころからのようです。

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ランドセルの色は、その昔は男子は黒、女子は赤がお決まりでしたが、最近はピンク、茶、紺、緑、青などカラフルな色が選べ、複数の色を組み合わせた物も発売されているようです。

このランドセルはすべての学校で強制かといえば、そうでもないようで、一部では指定のランドセルを使わせている小学校もあるようです。が、傷みの進行や本人の好みの変化などによって、卒業前にランドセルの使用をやめる児童も多いようです。

ランドセルは両手が使えるし、肩で重さを支えられる等、安全で便利という人も多く、手提げのバッグよりも合理的だという声もあるようです。しかし、同じ背負うならば別の形のものでも良いわけですし、ランドセルにこだわる必要はないわけです。

加えて最近ではおじいちゃんおばあちゃんがこれを買ってあげる、というのがトレンドになっているようです。しかし、高いものでは5万円近くもするものもあるということで、こうした高価なものを小学生に持たせるという感覚は、私には理解できません。

もっと安いものを使っている生徒もいるわけであり、学校という公共の場において、その贅沢さを競うような風潮は好ましくないのではないか、と思うわけです。ただ、制服と同じく指定メーカーを決め、一定の金額内のものを購入するよう制限をかけている学校も多いようで、それなら納得できます。

が、学生服もランドセルもその学校を卒業すれば不要になるもの。いずれ捨てることになるものを強制で購入させるというのは極めて不合理だと思います。もっとも卒業後にもこれを着るというなら別ですが、一生学生服やセーラー服を着て過ごすというのはちょっとぞっとしません。

ところが独裁国家などにおいては、物資の節約や意識の共有などを目的とした服装の統制が行われることがあり、こうした国では一生同じ制服姿のままです。中国や北朝鮮の人民服などがその例であり、日本でも戦時下において「国民服」なるものが存在しました。

いずれもいかにも非個性的なデザインであり、やぼったいと思うのですが、考えてみればこれを着てさえいれば、新しい服を買う必要はないわけであり、着るものなど何でもいい、着こなしなど面倒くさいと考える人にとっては大いに重宝されそうです。

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制服を着ることの意味

制服に限らず、服というものは、人間の文化の主要構成要素の一つであり、単に人体の保護だけに用いられるものではありません。現在の被服は、その時代時代のファッションの影響を強く受ける消費財として定着しており、そうした意味ではその消費は産業の発展においては重要なものです。

21世紀に入り、服は、その製造・流通・着用・廃棄の各過程において更に多様化が進んでおり、それに対応したさまざまな新技術が開発されていて、文化の発展のための礎でもあります。

さらには環境問題に配慮して様々なリサイクルも試みられており、今後は本格的なウェアラブルコンピュータの研究開発とも相まって、ますます新しい形の服が生み出されていくでしょう。

そういう意味では「制服」というものは、古い形式を固定し、その進化を保留し続けているわけであり、服という文化の新しい発展形を妨げている典型、という見方もできるかもしれません。

にもかかわらず、さまざまな職種の中においては制服そのものがその職業のステータスになっている場合もあり、この場合はそれに対する一種の憧れのような場合も多く、自尊心や願望を満たすためにそれを着る、ということも多いでしょう。

漫画やアニメ、ゲームなどの主人公に「なりきる」ためにその人物の着ている服を着る、というのも一つの文化であり、最近定着しつつある「コスプレ」もそのひとつです。

この場合必ずしも制服とは限りませんが、特定の職業で採用されている制服や特定の着衣を好む若者は多いようです。いまやコスプレは日本の文化ともいわれており、世界コスプレサミットなどにおける各国での予選会場の中には、日本人から見ると想像もつかないほどの盛り上がりとなっているところもあるようです。

それでいて、日本人のコスプレに対するイメージは「オタクがやるもの」というイメージが強く、とくに年配者はどこかそこにいかがわしさを感じてしまうようです。

一方、世界各国のコスプレに対するイメージが「何かになりきってみんなで騒ぐのは最高」という感覚のようであり、その格差はいったい何なのだろうと考えてしまいます。

日本初の「文化」が世界に定着していくのはうれしいのですが、何かどこかが違うような。どこか軽薄な感じがし、日本の恥部をひけらかしているような気がする、とまでは言い過ぎかもしれませんが、そう感じるのは私もまたその年配者のひとりになった証拠でしょうか。

が、制服を着るとそのモノにもよりますが、しゃきっとした気分になれる、ということはあります。制服とはいえないかもしれませんが、冠婚葬祭できる礼服もそのひとつであり、やはり制服には人を変える魔力のようなものがあるような気がします。

コスプレも気分を変えるためにおしゃれをする、という感覚だとすれば理解できるような気もします。だとすればここはひとつ、怪人二十面相か何かの格好をして修善寺の温泉街でも歩けば、何か名士のような気分になれるかもしれない、などと考えたりもするのですが、変質者と思われて逮捕されるのも考え物です。

実際、極端に肌を露出する衣装や血糊のついた服を着るなど過度なコスプレは、場合によっては軽犯罪法違反になるそうで、軍服ないしは自衛隊の制服などは集団で着ると逮捕される可能性もあります。

ほかにも粛々とした場所での着用はモラルの問題が問われます。屋外型博物館である博物館明治村において行われたコスプレは問題となり、その後ここでは規制されるに至ったそうで、時と場合をわきまえた着装が必要です。

が、日本は自由な国であり、法に抵触しさえしなければ、何を着てもいいわけであり、気分を変えるために制服を着てみたり、コスプレもときにはいいのではないでしょうか。

そろそろ桜の咲く季節でもあり、桜に錨の七つボタンの学ランを着て、港町を歩く、というのはなかなかカッコいいかも。身も心も引き締まるに違いありません。

もし、みなさんが制服を着たいとすれば、なんでしょうか。看護婦さんや警察官、戦国武者などいろいろあるでしょう。

が、70歳、80歳を超えてからの猫耳や魔法少女、特撮ヒーローはやめましょう。気持ち悪がられるだけですから。

2015-1170905沼津市 狩野川河口の防潮水門 ”びゅうお”より