からだが痛い……

2015-0855筋肉痛です。

昨日、この別荘地の樹木の伐採の行事があり、温泉管理組合の理事としてこれに参加したのですが、この冬の間の運動不足が祟り、夕方作業を終えるころには、満身創痍の状態となりました。

夜は温泉に浸かり、早めに就寝したのですが、今朝になってもあちこち痛く、いまさらのように加齢したことを恨めしく思ったりもしています。

しかし、まてよ……歳をとると筋肉痛はすぐには発生せず、時間が経って翌日ぐらいから痛くなる、とよくいわれるじゃないか、と思ったわけです。

だとすると、当日すぐに痛くなったということは、まだまだ若いからじゃないか、と思い直し、少し喜んだりもしたわけです。が、それにしても、本当に加齢により筋肉痛の発生が遅くなるということが定説なのでしょうか、調べてみる気になりました。

すると、結論からいえば、加齢による筋肉痛のピークの遅れはないとするのがむしろ定説のようです。というか、そうした研究結果が多いとされる段階だそうで、筋肉痛が発生するメカニズムに関してはまだよくわかっていないことが多いといいます。

ただ、よく言われるのは、運動で生じる「乳酸」の一部が筋肉中の毛細血管に溜まり、これが筋肉への酸素供給を阻害して鈍痛を引き起こす、という説です。とはいえ、一般的な伸張性運動の場合でも、血液中の乳酸値が運動後比較的速やかに下がってしまうことなどが観察されていて、その矛盾が指摘されているようです。

また、運動により、筋線とその周りの結合組織の損傷するため、その回復過程において炎症を起こし、この際に発生した発痛物質が筋肉を覆っている「筋膜」を刺激する、という説もあるようです。が、これについても実際にどのようなメカニズムで炎症を起こしているのかについては、詳しいことがわかっていないといいます。

ただ結合組織の損傷の回復の度合いが加齢と関係する、という説もあるようです。損傷個所を治すということは、その壊れた箇所に血液が集まるということです。血液には細胞の損傷を癒してくれる成分が含まれているからですが、そのために鬱血が生じます。

ところが、回復されるべき細胞そのものが、加齢とともに衰えているため、せっかく血液がそこに集まってもその回復には時間がかかる、というわけで、それがゆえに加齢によって筋肉痛になるのが遅くなる、ともいわれます。

とはいえ、この説もはっきりとした根拠はないといい、つまりは、「2日も経ってから筋肉痛になっちゃってさ~」、「えっ、それって歳喰ったってことじゃねーの」といったふうな会話は、お天気の話題と同じであり、日常の挨拶のようなものと考えておくぐらいがいいようです。

筋肉痛の発生が人より遅いからといって、「歳を取った」と卑屈になる必要はないというわけですが、これだけ医学が発達しているのに、筋肉痛の原因すらもわからんのかい、と突っ込みたくもなります。

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ただ、筋肉とその周りの結合組織の接続が壊れて何等かの炎症を起こしたものが筋肉痛であるというのは一般的な認識のようで、その回復方法としては、色々なものが実践され、効果がある、と認識されています。

例えば、冷やす、という単純な方法であり、また時間をかけて安静にする、入浴などで筋肉を温めるといった方法であり、これは「消極的休息」といいます。このほか、軽度の運動やストレッチングなどで血行をよくする、という考え方もあり、これは「積極的休息」といいます。

とはいえ、「筋肉」と一口にいうものの、人間の体には600を超える筋肉があるそうです。このうち、こうした筋肉痛の原因になるのはどれかといえば、「骨格筋」と呼ばれるものが主です。人間のこのほかの筋肉としては、平滑筋と心筋があり、平滑筋は血管や膀胱、胃・小腸・大腸などにある筋肉で、心筋とは心臓にある筋肉です。

これに対して骨格筋は、文字通り骨格を動かすための筋肉であり、これはさらに、「体幹筋」と「体肢筋」に分けられます。後者はいわゆる手足などの四肢を動かすためのもので、昨日の作業で私が痛みを感じているのは主にここの筋肉です。

一方、体幹筋というのは何かといえば、手足や頭、首を除いた胴体の部分についている筋肉です。骨格を補助して内蔵を保持する役割や、骨格筋の運動時のバランスをとる役割があり、腹筋や横隔膜、僧帽筋などが我々が良く知る体幹筋です。

普段はあまり意識していませんが、この筋肉が弱ると運動が不安定になるほか、肩や腰などの痛みを発症しやすく、歩く、座るなどの日常生活においても何かと不便が出てきます。

この体幹筋を普段から鍛えておくということは、四肢の筋肉痛の予防としても効果があるようで、これはいわゆる「体幹トレーニング」などにおいては、体幹の筋肉と同時に四肢の筋肉、大肢筋をもそれなりに鍛えることになるからです。

どんなトレーニング法があるか、については「体幹トレーニング」とネットで引いただけで、ゴマンとその手法が出てくるので改めてここでは書きませんが、これを続けると、いろんなメリットがあります。

「基礎代謝がアップする」「体の軸がしっかりして、姿勢が良くなる」「基礎体力がつき、ハイレベルなトレーニングがこなせるようになる」などがそれであり、特に、姿勢が良くなると腰痛改善なども見込めます。

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ただ、日常の生活の中でこうしたトレーニングを継続するというのは結構億劫なものがあります。私などもジョギングやウォーキングならば毎日でも継続できるのですが、「トレーニング」と称したストレッチングの方法をわざわざ調べて実践する、というのはやはり面倒くさいものです。

しかし、こうしたジョギングや散歩でも、意識すれば体幹トレーニングになるといい、とくに走ることに関しては、「体幹ランニング」と呼ばれる走り方もあるようです。

特段難しいものではなく、走るときの重心を下半身に置くのではなく、重心を上半身に置いたまま、直立した状態から、頭からお尻まで一直線に保ちつつ、姿勢が曲がらないように、やや前傾に傾けて走るだけです。

イメージ的には一輪車を漕ぐようなイメージであり、一輪車ではスピードを出そうと意識し過ぎて、無理に足が先行して体を前方へ運ぼうとしてしまうと、重心が後方へ引きずられてしまいます。

重心を上半身に置き、頭からお尻まで姿勢を真っすぐに保ったまま、前傾に傾けながら走ると、重力に逆らわずにスムーズに体を前方へ移動させることができるようになり、これはバスケットボールをドリブルする時のイメージです。

ジョギングなどに慣れている人は知らず知らずのうちに、こうしたフォームを取っているため四肢のトレーニングをすると同時に体幹トレーニングもやっていることとなり、それゆえに、いったん走り終えるとまことに体調がよくなります。

以前、通っていた鍼灸院の先生がおっしゃっていましたが、時節こうしたジョギングなどを行い、四肢や体幹をトレーニングすることを「チューニング」というそうです。走ることによって体全体の筋肉が鍛えられと同時に血行もよくなりことを指し、体調が回復します。

チューニングのためだけなら毎日走る必要はなく、週1回程度でも効果があるようで、私の経験からすれば、2週間とはいいませんが、10日ぐらいは持続効果があるように思います。

試したことはありませんが、ウォーキングでも同様な効果があるようです。が、これもだらだらと歩いていてはダメで、上述のように重心の位置に気を配り、速足で歩くと良いようです。

毎日の体幹トレーニングがめんどくさい、と思う人はぜひジョギングなり、ウォーキングなりを試してみてください。体調のよくなること請け合いです。

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そもそも、こうしたジョギングなどの有酸素運動は、心肺機能を改善させ、体調を整えるために生み出されたもののようです。1967年に、アメリカ軍軍医の、ケネス・H・クーパーという人が、肺機能を改善させる運動プログラムを開発、これを “AEROBICS” と名づけて1967年に発表しました。

このプログラムでは12分間走により評価した体力区分と年齢をもとに各自に合った運動を実施する、といった形式ばったものだったようで、これが日本に入って来たときもどちらかといえばスポーツよりも医学的な治療方法として受け止められ、このとき”AEROBICS”が「有酸素運動」と訳されました。

ジョギングやウォーキングでは、体内の糖質や脂肪が酸素とともに消費されるためこう呼んだわけですが、これに対して、短距離走などの一気に短い距離を走る運動は、酸素を消費せずにエネルギーを発散するので、無酸素運動(Anaerobic)といいます。

有酸素運動を行うことによって多くの健康促進効果が期待できるとされ、これは、呼吸筋を発達させ、肺と外部との空気の循環、体内への酸素のとりこみをよりスムーズにする、といったことであり、このほか血液の循環をより効率的にし、また、平常時の心拍数を下げます。

さらには、骨格筋中の毛細血管の新生を促す、冠動脈疾患の危険性の減少、安静時の血圧を低下させる、血液中の悪玉コレステロールや中性脂肪を減少させ、善玉コレステロールを増加させる、体脂肪を減少させる、などなど良いことずくめです。

冠動脈疾患、高血圧、大腸がん、糖尿病、骨粗鬆症の発症率を低下させる、といった報告もあり、このほか不安や抑うつ感を軽減し、健全感を高めるなどなど、ここまでくると万能薬並です。

現在では、娯楽のひとつとも考えられるようになり、ジョギングする人をジョガー(Jogger)と呼ぶように、趣味の一環とも考えられるようになりましたが、そもそもはこの「走る」という行為の目的はまったく違うものでした。

古代メソポタミアやエジプト、それにマヤやインカでは、兵士を動かすための軍事目的であり、あるいは宗教儀式として結びついた「伝令」などが行った行為でした。王や神官もメッセージを伝えんがために走り、古代ギリシアでは、オリンポスの神々のお告げを人々に伝えるために彼等は走りました。

日本などの東洋でも、山岳信仰の修行僧が修業のために山々を走り回り、やがては懸賞金目当てに走るギャンブル・ランナーや走る姿を見せる芸人ランナーまで現れ、それらを否定する中から、アマチュアリズムが生まれ、そしてこれが近代オリンピックにつながってきました。

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それ以前の時代までは走るという行為は娯楽でも健康増進のためでもなんでもなかったわけであり、一昔前は、朝な夕なに自宅の周りを走る回ろうもうなら、頭のおかしい人、と思われても仕方がなかったでしょう。

現代ではどこへ行っても誰かがそこら中を歩き回り、走りまわっているわけですが、もし江戸時代の人がここへタイムスリップしてきたなら、あの人達は何をしているのだろ、といぶかしがるに違いありません。

あるいは走れば金になるのだろうか、と思うかもしれませが、無論ジョギングをしている我々もそれで金銭が得られるなど露ほどにもおもったりはしません。

が、アメリカではロードレースとしてのプロランナーを制度的に認めているそうで、このほか、北朝鮮やアフリカの某国などは、オリンピックなどで良い成績を収めることで、高額な金品を与える国もあるようです。

その他の国ではもはやランニングに関してはプロスポーツとみなしてこれをリーグ化するような動きはとくにないようですが、北朝鮮と同じく良い成績を出したものには、金銭与えるなど人参でもって選手達を発奮させようという行為はどこの国でもやっています。

日本でも先日、日本実業団陸上連合が、マラソン日本新に1億円を出す、と発表したことが話題を呼んだばかりです。

以前は「偽アマチュアリズム」と呼ばれたこともあり金銭のためにスポーツをやるなんて……と厳しく非難されたことが不思議でさえあります。

現在では普通にまかり通っていることに対して別に憤りのような感情はありませんが、その昔は悪とされていたものが、現在ではあたりまえとされているのをみると、やはりなんだかな~と思うのは私だけでしょうか。

現在は、オリンピック憲章からは「アマチュア(リズム)」という単語は削除されているそうで、世界的なスポーツ界の流れとしても、オリンピックなどの国際大会における純粋なアマチュアというものは事実上存在しないに等しい、というのが現状のようです。

スポーツをしながら飯を食っていくということは大変なことであり、アマチュアリズムというものがなくなってしまったことを否定するものではありません。が、馬の前の人参よろしく、金銭をぶらさげて選手を発奮させるという方法以外に、良い成績を取らせる方法は他にないものなのか、とついつい考えてしまいます。

それについての結論は今日はもう、筋肉痛がひどいのでヤメにします。プロスポーツでの成功を目指す方でこのブログを見た方で、良い方法があれば教えて頂きたいと思います。

とまれ、次には筋肉痛にならないよう、私もジョギングを再開することにしましょう。これからの新緑の季節のジョギングはまた楽しいものです。みなさんもご一緒にいかがでしょうか。

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