6月になりました。あとひと月で、今年の前半戦も終わりかと思うと、時の速さを改めて感じます。歳を重ねるにつれ、時間が早く過ぎるように感じやすくなる、とテレビでタモリさんが言っていましたが、それって本当かもしれません。ただ、ここ伊豆へ来てからの時間の経過は、東京へ住んでいたころよりは少し緩やかになったような気がします。引っ越し後、少し落ち着いてきて、気持ちに余裕が出てきたからかもしれません。が、実はここ伊豆では、過去の火山活動が原因で時空にゆがみができており、それが原因で時間の流れがより遅い・・・なーんて、そんな妄想をしてみたりもする。んな、わけありませんが、ただ伊豆の空気を感じていると、それも本当のようにさえ思えてくる・・・
昔話の浦島太郎は、竜宮島に滞在した主人公が実は何百年もそこで過ごしていたことを知らず、地上に帰ったら白髪のジイさんになってしまった、というストーリーでした。そうすると、もしかして、あと2~3年後に東京へ帰ったら、その変化にびっくりする・・・なんてこともあるかも。そういえば、数年前にはなかったスカイツリーが今や現実のものとして存在し、ついこの間までは戦災の影響でボロボロだった東京駅は、もうすぐ新しく生まれ変わる。新宿駅南口のバスターミナルの完成も間近と聞きます。東京の時間の流れは、ほかの地域よりも確かに早いかもしれません。
そう考えると、時の経つ速さは、その住んでいる場所によって違う・・・ということはあるのかもしれませんね。その昔住んでいたハワイには3年半ほど滞在していましたが、それが長かったか短かったかと問われると、ずいぶん長いこといたなー、という印象。
無論、3年半というのは、確かに長い時間だとは思うのですが、感覚的には、もっとそれ以上いたような感じがするのです。
その理由をあれこれと考えてみたのですが、その理由は気候でしょうか? ご存知のとおり、ハワイは日本ほど四季の変化が顕著でなく、一応冬めいた季節はあるのですが、せいぜい薄手のセーター一枚あればなんとか過ごせる程度の寒さ。当然曇りや雨の日もありますが、長続きはせず、日本のように梅雨の季節はありません。このためか、いまその当時のことを思い出しても、一年中さんさんと太陽が降り注ぐ安定した天気の中を過ごしていたようなイメージがある・・・
つまり、気候変化が少ないということは、時の流れを感じるための季節変化という尺度が明確でない、ということになります。しかし、季節の移ろいが時間の経過を長く感じるか否かに関係するか? と聞かれると、ウーン、関係あるような気もするし、関係ないような気もする・・・
確かに季節の変化があまりないので、ハワイで起こった出来事がいつごろのことだったか・・・と思い出そうとすると、その前後関係がよくわからなくなります。大学に入ったときと卒業したときは、別の季節だったはずですが、同じような花が咲いていたような気もする・・・
なので、もしかしたら、季節変化が小さい場合には記憶があいまいになる、ということはあるのかもしれません。が、はっきりとした相関があるのかどうかと聞かれると、あまり自信がありません。
そうすると、実際より長くいたような気がするのはなぜ? とさらに考えてみたところ、ハワイで新たに経験したことがあまりにも多かったからではないか、というところに行き当たりました。
実際、ハワイへの渡航にあたっては、引越しの手続きから入国、大学でのレジストレーション、英語の研修などなどから始まって、いろんな国からの留学生や先生との出会いと交流、数々の授業。そして辛く長い勉強の日々・・・。 と、それまでの人生とはうってかわったような日替わりメニューでのストレスの連続。とはいえ、面倒なことや苦しいことばかりではなく、楽しいこともあり、そうしたことの積み重なりを思い出すと、かなり密度の濃い毎日だったとように思います。風光明媚な土地柄にも触れ、きれいなところへもいっぱい行ったし、日系2世、3世のアメリカ人との交流、同じアパートに住む外国人留学生とのつどい・・・などなど楽しいものも多く、そういう記憶が、次から次へとよみがえってきます。まさに、走馬灯のように・・・
だとすると、時間の経過を長く感じるか短く感じるかは、場所によって違うというよりも、もしかしたら、その時々で起こった事象の数が多いかどうかで決まる、と考えるべきなのかもしれません。同じ時間スパンならば、そのときに起こったことが多ければ多いほど、その時間が長く感じる・・・もっともらしい理論じゃあありませんか。
そういえば、ビルやがけなどの高いところから落ちた経験のある人が、その落ちる間のわずかな時間に過去に起こった出来事を次々と思い出し、その落ちている瞬間は数秒にすぎないのに、まるで何分か何十分かもかかったような気がする、と話していたのをテレビか何かで何度か聞いたことがあります。
さらに考えてみると、ハワイでの滞在のような長期間ではなく、たかが一泊二日ほどのショートトリップの旅行でも、その時間がものすごく長く感じられる、ということがよくあります。たかが二日ほどで季節変化が起こるわけはなく、旅行中ずーっと晴れていたり曇っていたりということはよくあることですから、時間の経過が長く感じられることに季節変化や天候の変化は関係ない、ということがわかります。
そういうふうに考えていくと、過去の人生においても、ずいぶん長いことかかったな、と思える時期には、いろんなことが重なっていたように思います。わたし自身は、8年ほど前に先妻を亡くした時期を挟んで、その前後合わせての数年が人生で一番長かったように思う。人生の岐路にさしかかったときは、さまざまな変化が起こりうるもので、その積み重ねはやはり時間の経過をゆるく感じさせるものなのかもしれません。
話は変わりますが、実は、ハワイへ行く前に、フロリダにも住んでいたことがあります。もともとはフロリダにある大学の大学院へ進学するつもりで渡米したのですが、その前に英語をシェープアップしておく必要があり、フロリダ北部にある州都、ゲインズビルという町に9か月ほど滞在したのです。当初はそのまま、フロリダで目的を達しようと考えていたのですが、その後思ったより短い期間で英語が上達したのと、フロリダの気候があまりにも体にあわず、結局フロリダからは撤退。いったん日本に引き上げて再検討した結果選んだのがハワイというわけです。
このフロリダなのですが、アメリカ人にとっては、老後の人生を送る最高の土地、ということで、みなさん歳をとると退職金などをすべてつぎ込み、南へ南へということでやってきます。フロリダ南部では、町中がジイサンバアサンでひしめいているんだぜぇ、と友達から聞いていたので、ウソだろーと思いましたが、行ってみたら本当でした。とあるリゾートタウンなんぞは本当に老人の数が多く、町中歩いていても建物の中に入っても、どこへ行っても年寄ばかりなのです。
話が脱線しましたが、アメリカ人の間でフロリダが人気なのは、ずばりそこが気候が温暖だからです。国土の広いアメリカですが、海に面していて気温が高いという場所は、フロリダなどの東南海岸諸州とカリフォルニア、そしてハワイだけ。カナダに近い北のほうでは寒冷な地も多く、老後はそうした寒さが身に染みる・・・だからこそ歳をとるとみんなこぞって南を目指すというわけです。なかでもフロリダは風光明媚なところが多く、地価も安いため、とりわけアメリカ人には人気があるようです。
そんなフロリダですが、私が気に入らなかったのはその湿気です。ハワイ同様、温かくて、太陽サンサンのイメージがありますが、温かいというのにも限度があります。夏場の一番暑いときには40度というのはざらで、それ以上になることもしばしば。そしてその暑さに加え、5月から9~10月にかけての雨季には夕方になると、ほぼ毎日のようにスコールが来ます。当然、暑いところへ来ての雨ですから、その蒸し暑さは筆舌に尽しがたいものです。暑いのも、湿気が多いのも苦手な私は、本当に参りましたが、それ以外にも水がまずいということもありました。高い山のないフロリダでは、平地にた貯めた(貯まった)水の循環が悪く、カルキなどの添加物を入れないと飲めない、ということのようでした。生水は絶対飲むな、と言われていたのを忘れてそのまま飲んだところ、何日も下痢をした、なんてこともありましたっけ。
そんなわけもあって、結局フロリダに住むことはあきらめたのですが、初めての海外滞在でもあったその9か月間は、その後長い間記憶に残るものになりました。暑くて湿気が多いという難点はあるものの、大西洋に面したきれいな砂浜や、スペイン統治時代の数々の史跡。アメリカならではの広大な畑とはるか水平線まで続く水路や、湿地帯。そのところどころに湧き出す清水と、そこに生息するジュゴン。ディズニーランドにNASAのあるケープカナディラル、そしてキーウェスト、と数えればきりのないほどの観光資源を持っており、その多くを私も留学中訪れました。
通っていたフロリダ大学の英語教室では、ヨーロッパやアフリカ、中南米などの多彩な国からの留学生との交流もあり、こうした人たちとの異文化交流は実に新鮮でしたし、国による考え方の違いというものがあることも知り、いわゆる国際感覚、というものがこのときかなり身に着いたように思います。
フロリダの気候の悪口ばかり書きましたが、秋になると、この地獄のようなフロリダの町が大変身します。フロリダの州都、ゲインズビルの町の秋色は本当に美しく、色づいた紅葉の木々と、地面に落ちた枯葉のコントラストは、本当に絵に描いたようでした。ゲインズビルには、町中のあちこちでリスをみかけます。かさこそと落ちた枯葉の中を走り抜け、気によじ登って木の実を食べるリスたちの姿は愛らしく、アメリカ南部の町であることを忘れ、ヨーロッパのどこかへタイムスリップしたようなかんじ。はっと息を飲む・・・という景色にどれほど出会ったでしょうか。
さらに、フロリダ大学には、日本からの留学生も多く滞在しており、留学生同士で仲良くなった人たち同士で、旅行へ行ったり、パーティをやったりもしました。その中には今も親友として親しく付き合っているK君や、結婚したりまた別の国へ行ってしまって連絡がとれなくなった友人たちもいましたが、K君をはじめ、日本への帰国後も連絡がとれる人たちとはいまも交流が続いています。
このように、楽しい思い出も多かったためでしょうか、フロリダにいたその9か月は、今もとても長いものだったように感じられます。
やはり、時の長さとは、その時経験したことの多さに比例する、改めてそう感じるのです。
さて、長くなったので、今日の項もそろそろ終えましょう。最後にまたまた話が変わりますが、我が家の庭には、「マンリョウ」という木がたくさん生えています。冬になると赤い実をつけ、「万両」とも書いて縁起がいいので、正月などには縁起物として飾られたりします。実ができるのは主に冬、ということなのですが、我が家のある場所の標高が高いためか、今年の冬が寒かったせいかわかりませんが、庭のあちこちのマンリョウはいまだ赤い実がつけており、目を楽しませてくれています。
ところが、このマンリョウについてネットで調べてみたところ、アメリカのフロリダ州では、有害な外来種として厄介者扱いになっている、ということがわかりました。江戸時代には、園芸植物として江戸庶民の人気を博し、多様な品種群が栽培されたとそうなので、そうした珍しいものの一部が渡米し、かのフロリダの地で広まったのかもしれません。
我が家の庭にあるマンリョウと、かつて過ごしたことのあるフロリダとのちょっとしたつながり。不思議なかんじはしますが、案外とハワイ同様、フロリダもまた私にとっては、「猿の惑星」なのかもしれません。