先日、愛車を点検に出すため、ディーラーのお店のある大仁駅近くまで行きました。点検には2時間ほどかかるそうなので、駅周辺をぶらぶらと散策することにしましたが、その途中、道路のすぐ脇をふと見たところ、何やらうじゃうじゃいる!何かなと思ってよくみると、かわいらしい小ガモ達が寄り添うようにして、水を張った田んぼの中を泳いでいるではありませんか。
噂には聞いていましたが、どうやら「アイガモ農法」というヤツらしい。広い田んぼの雑草取りや害虫駆除を人手だけで行うと相当大変なので、それをカモさんたちにやってもらおうということのようです。草取りや害虫退治だけでなく、カモの排せつ物が養分となったり、泳ぐことで土がかくはんされ稲の生育が良くなるなど、メリットがたくさんあるそうです。
除草剤や農薬の散布による稲作栽培は、省力化にはなるけれども、安全面で考えるとグレーなところも多いということから、1990年代ごろから、合鴨を水田に離して雑草を食べさせ除草剤の使用を減らすことがはじめられたとか。
アイガモ(合鴨)は、野生のマガモとそれを家禽化したアヒルとの交雑交配種のことですが、カルガモとアヒルとの交配種も使われることがあるとか。日本では1990年代ごろから、除草剤の使用を減らすことを目的としてはじめられた農法だそうです。
人間によって作られ、野生に存在しない雑種のために、法律で野に放すことは固く禁じられているそうで、なんと、合鴨農法のシーズン終了後は食用になっちゃうんだとか。働くだけ働かせてあとは食べるなんて、なんてかわいそう。
牛や豚だって、人間さまのお役に立って食用になっているのだから、仕方のないこと、という気もしますが、ほかに良い方法はないんでしょうか。そういえば、最近アメリカのカリフォルニア州で、カモを太らせて肝臓を肥大させ、摘出する「フォアグラ」づくりが禁止されましたね。人間の勝手で動物を利用するのは許せない、ということで動物愛護団体から猛反発を受け州政府がついに禁止命令を出したとか。
牛豚、鶏は普通に食っておいて、フォアグラだけはダメなんておかしい、と賛否両論のようですが、まあ、無理やりカモに大量のエサを与えてとおいて、殺すというのはあんまり良い気分のものではないですね。
それで思い出しましたが、ここ静岡では、イルカを食べる風習があります。スーパーなどでは、「イルカ」と書いてある肉が普通に売られていて、よそから来た人がこれを見ると非常に驚きを感じるようです。
ただ、静岡だけかというとそうではなく、大昔は、伊豆だけでなく、全国的にイルカが食べられていたようで、縄文時代の貝塚などからよく、イルカの骨がみつかるそうです。現在でも和歌山県、静岡県、東北地方でイルカ漁を行い、食用としているようで、静岡では、沼津や伊豆などの東部でよく食べられていますが、大井川以西の静岡県では食べないみたい。
実は私も、学生のころ、清水市内にある旅館でアルバイトをしていたとき、旅館のまかない料理のひとつにイルカが出たので、食べたことがあります。正直おっかなびっくりだったのですが、意外にこれが美味。クジラの肉のような臭みもなく、豚や牛のような硬さもない、トロッした食感で、なんだこれ!ウマッ!と思ったのを覚えています。
イルカの調理方法としては、味噌煮が多いのだそうで、イルカの肉を炒めたものに、ゴボウなどの野菜を加え、酒、しょう油、砂糖、味噌で味付けます。ニンジンやコンニャクなどを入れる家庭もあるそうで、イルカといえば、冬が旬なのだとか。身体をあたためる冬の一品として、静岡東部では昔ながらの郷土料理のようです。
しかし、愛くるしいこの動物を食べる、というのは動物愛護家の多い欧米では、やはり反発が多く、おととし、アカデミー賞の長編ドキュメンタリー賞をとった、「ザ・コーヴ」という映画は、和歌山県太地町でのイルカ漁を隠し撮りし、これを批判したものでした。見た人の多くは「イルカを殺す場面の残忍さに衝撃を受けた」との反応を見せたといいますが、まあ、そういう映画の撮り方をしていれば、見る側もそう受け取るわな。
私自身、アイガモやフォアグラ、イルカを食べるということ自体、良心の呵責がないかといえば、ないわけではありませんが、牛や豚、鶏を毎日のように食っていることに後ろめたさがあるか、と問われれば、とくに悪いことをしているとは思えません。
ようは、行き過ぎた食文化がタブーなのであって、人間が生きていく上に必要なもの以外はある程度遠慮し、自然界の調和を考えて謙虚に、というところが落としどころなのかなと考えています。
あと、やはり生き物を殺して食べているのだから、死んだ生き物に対してはやはり供養の気持ちがあってしかるべきかな……と。和歌山のイルカ漁の行われていた地区では、イルカ供養碑が建てられているそうで、殺生の中にも感謝をすることが、私たちの食生活を支えることにつながるのだと、考えたいところです。
さて、カモの件でしたね。カモの中のカモ、といわれるのは、「マガモ」と呼ばれる種類だというのですが、じゃあ、アヒルはカモなの?と調べてみたところ、アヒルはマガモから人為的に作られた家畜なのだとか。
鳥なので、正確には「家畜」ではなく、「家禽」なのだそうですが、マガモを飼いならして家禽化する際、体が大きく重くなってしまい、多くの品種は、翼は小さくなって数メートルほどしか飛ぶことが出来ないそうです。アヒルは年間で150~200個の卵を産むので、その卵をとるためだけに飼われることもあるようですが、北京ダックに代表されるように洋を問わず世界中でおいしく食べられています。
欧米では頻繁に狩猟用のおとりに用いられ、使い捨てにする、という文化もあり、これこそ、和歌山の人たちから、動物虐待!と批判されそうです。が、片や、愛玩鳥として飼養する場合もあるようで、これは、英語で「な(鳴)きアヒル」、(すなわち、Decoy(デコイ)というそうです。木彫に彩色をした鳥の装飾品もデコイといいますが、この木彫りも最初は狩猟用のおとりに使われたのだそうで、両方とも語源は同じく狩猟用だったのですね。
それにしても、アヒル料理というのはよく聞くけれど、アイガモって本当に食べるの?と疑問に思ったので、再度調べてみると、本来、アイガモは交雑種であるため、家禽であるアヒルに比較すると体が小さく、肉量が少ないのだとか。かつ、繁殖力が劣っており、成長にも時間がかかるといった欠点もあるため、実際に食肉用を目的として飼養されるケースはほとんどないそうです。
と、いうことは、大仁駅でみかけたアイガモの子供たちも食されることなく、一生を過ごせるのか、と少し安心。
ところで、アイガモはマガモとアヒルの交配種だそうですが、このマガモ、冬になると、越冬のために日本より北の国から渡ってくる、いわゆる冬鳥なのだそうです。マガモ以外にも、コガモ、オナガガモ、スズガモなども日本より北の国から飛来する鳥で日本原産ではないとのこと。日本特有な種は、主にカルガモ、オシドリだそうで、これらは通年生息し、日本全国の河川や湖などで見られます。マガモは外国の鳥で、カルガモは日本の鳥だなんて知りませんでした。
マガモなどの冬鳥は中国や朝鮮、ロシアなどから飛来してくるそうなので、あちらで流行したウィルス性の病原体なども運んでくることがあるみたい。いろどりのきれいな鳥ですが、これからはちょっと見方が変わってくるカモ。
さて、ここまでカモ・かも書いてきたら、なんだかムショウに鴨南蛮が食べたくなりました。今は夏の暑い盛りなのであまり食指は動きませんが、冬に食べるカモ鍋もおいしいですよね。海外でも牛、豚、鶏、羊と並びよく食べられ、美味なために市場では高値で取引されるそうです。
日本では、明治維新前の江戸時代までは、肉食文化が一般的でなかったため、カモは食用とされた数少ない鳥獣類だったそうです。鍋やすき焼きなどが代表的な料理だったようですが、もともと臭みがある食材なので、鴨鍋ではネギと一緒に煮るようになったのだとか。江戸時代にはセリと煮て臭みをとっていたそうですが、どんな味がするんでしょうか。
今日、国内で鴨肉の名称で流通しているものの多くはアヒルの肉なのだそうで、アイガモや野生のマガモなども時には出回ることもあるようですが、やはりあまり一般的ではないようです。
野生のカモは、生息数や生息地が激減しているようで、ワシントン条約や日露渡り鳥保護条約、日中渡り鳥保護協定、日米渡り鳥保護条約、ボン条約 (日本は未加盟)などいろんな取り決めで保護されている種も多く、生息地がラムサール条約に登録されている場所もあるのだとか。
日本でも鳥獣保護法で狩猟してよい種と時期、地域、猟具など規制しているそうなので、アヒルのようにあまり流通していないのはそのためのようです。
ここ、伊豆では鹿やイノシシが激増していて、逆にこれを捕獲するために苦労していると聞きました。農作物や山の木々の皮を食べたりするので、大きな被害が出ているのだとか。それを駆除するためのハンターさんも数に限りがあるので、将来的にはもっと大きな問題になっていくのかもしれません。
減る一方の動物がいれば、逆に増え続ける動物もいて、地球温暖化が進む中、いったいこの国はどうなってしまうんだろうと、不安になります。が、我々ができることは、欲にまかせて、自然界に不要不急な人為を及ぼさないこと。あの愛くるしいアイガモちゃんたちも、せっかく田んぼの草や虫を取ってくれたのですから、大切な生として、その一生を送らせてあげたいものです。
とはいいながら、昨日も我が家の庭のバラについた無数のダニを殺虫処分してしまった私……。なかなか、お釈迦さまのように悟りを開いて煩悩を捨て去る、というふうにはいかないようです。