音楽の殿堂?

今日3日は、東京の北の丸公園にある「日本武道館」が落成した日だそうです。1964年に開催された東京オリンピックの会場のひとつとして建設されました。法隆寺に「夢殿」という八角形の伽藍がありますが、日本武道館はこれをモデルにしており、同じく八角形の外観を持ち、その大屋根の稜線は富士山をイメージしてつくられたそうです。

実は、今年の春、ひとり息子君が大学に入学したときに、その入学式が行われたのも日本武道館でした。息子の入った大学以外にも東京にある10ほどの大学機関の入学式がここで行われ、その当日は黒っぽいスーツや晴れ着を着た新入生やその父兄でにぎわいます。

我々夫婦もこの入学式に参加し、生まれて初めて武道館の中に入りましたが、新入生や関係者、そして父兄全員が入ってもまだまだガラガラといった感じで、なるほど名だたる多目的ホールとはこれほどのものか、と感心したものです。

この武道館、落成後の初仕事は東京オリンピックでの「柔道競技場」であり、オリンピックの開催中は4日間連続で柔道競技が行われました。

しかし、オリンピックが終わると、その所管は国から「財団法人日本武道館」に移管し、主としてアマチュア対象の「武道」の競技を行うことになり、日本伝統の武道を普及奨励し、心身錬磨の場とすることが目的として運営される「武道の殿堂」として再スタートしました。

しかし現在は、武道以外にもダンス、マーチングバンド・バトントワリングの競技会(大会)・演武会といったアマチュア活動のほか、コンサートや民放各局主催の音楽祭、プロボクシング、プロレスリングなどのプロ格闘技などの商業的な興行を行うための会場としても使われるようになっており、さらには、前述のように大学や企業などの大規模な入学式・卒業式・入社式の会場、葬儀会場としても使われるなど、幅広く使用されています。

この日本武道館のある敷地は、元々室町時代に関東地方を席巻した武将、「太田道灌」が、最初の江戸城を築城した際に、関東の守護神でもあった築土神社(旧・田安明神)が遷座したところといわれています。

のちの江戸城は徳川家康が拡張し整備しなおしたもので、その家康が入府した際には、現在の場所は関東代官に任命された「内藤清成」らの屋敷となり、その当時は「代官町」と呼ばれていました。

その後、徳川忠長や徳川綱重などの将軍家直系の親族が住まう屋敷が建てられようになり、江戸中期以降は徳川氏の御三卿であった田安徳川家が屋敷を構えましたが、明治維新後取り壊され、宮城を守護する近衛師団の兵営地となりました。

近衛師団は、戦後解散になり、その後長い間ただの空き地になっていたところに、オリンピックの話が持ち上がり、ここに日本最大の「武道場」が造られることになりました。

日本武道館のメイン会場、「大道場(アリーナ)」は板張りで、柔道の競技場として使用する時は畳を敷き、コンサートでは養生シートを敷き椅子を設置したりして使用されます

1階固定席は3199席、2~3階固定席は7846席、立見席(3階)は480、アリーナには最大2946席まで設置できるといいますから、最大では14471席を設けることができ、東京都心にあってはこれだけの人員を収容できる会場は数少ないことから、スケジュール的にはほとんど「空き」のない、人気会場になっているということです。

もともと、設立された頃は「日本武道の聖地」的な意味合いが強い会場であったため、1966年に、はじめて武道以外の使用としてビートルズのコンサートが行われた際には、政治家の細川隆元を始めとする人々が、「日本の武道文化を冒涜する」などとして異を唱えたといいます。

しかし、現代ではそういう声も鳴りをひそめ、上述のような様々なイベントに使われるようになりました。イベントとしては上述のようなもの以外にも、毎年1~2月に行われる、「全日本書初め大展覧会」や、11月下旬に行われる「自衛隊音楽祭り」なども開かれており、毎年8月15日に行われる政府主催の「全国戦没者追悼式」もここで行われます。

内閣総理大臣経験者の本葬も、日本武道館で数多く行われており、吉田茂や岸信介、佐藤栄作、大平正芳、小渕恵三、橋本龍太郎などの歴代総理大臣のお葬式が行われました。このほかにも、ジャイアント馬場や正力松太郎、土光敏夫などの有名人の葬儀が行われています。

「武道」以外の「格闘技」の会場として日本武道館が使われたのは、1965年11月30日のプロボクシング世界バンタム級選手権試合「ファイティング原田対アラン・ラドキン(イギリス)戦」が初めてで、それ以降、数々の名勝負が繰り広げられました。

モハメド・アリ(アメリカ)がマック・フォスター(アメリカ)を相手に、ノンタイトル10回戦を行ったのも、1972年4月1日の日本武道館ですし、1973年9月1日、世界ヘビー級王者:ジョージ・フォアマン(アメリカ)が、ジョー・キング・ローマン(プエルトリコ)を相手に初防衛戦を行ったのもこの会場です。

その後も、数々の世界選手権試合が日本武道館で開催されており、プロボクシングの聖地の一つともされていますが、ボクシング業界が低迷している昨今では、世界戦が年1~2回行われる程度にとどまっています。

プロレス興行もまた、日本武道館でよく開催されています。初めてプロレス興行が行われたのは、武道館オープン後の2年後の1966年12月3日のことで、このときのメインイベントは「ジャイアント馬場VSフリッツ・フォン・エリック」のインターナショナル・ヘビー級選手権試合でした。

それ以降も、力道山十三回忌追悼興行や「アントニオ猪木VSモハメド・アリ」の異種格闘技戦、プロレス夢のオールスター戦など、数々のビッグイベントが開催され、70年代後半は新日本プロレス、80年代中期以降は全日本プロレスがビッグマッチ用の会場としてよく使用しました。

1999年のジャイアント馬場の葬儀にも日本武道館が使用され、2000年代に入ると、全日本プロレスから独立した「プロレスリング・ノア」が定期的に興行を行うようになり、昨年の2011年には東日本大震災チャリティー興行「ALL TOGETHER」も開催されています。

東京ドームのオープン以降はオールスター戦級のビッグイベントはそちらに移ってしまいましたが、今なお日本武道館は、日本のプロレス界にとっては特別視され、ファンの間では「聖地」とされる主要な大会場です。

また日本のみならず、アメリカのプロレス界にとっても、武道館は国技である相撲を行う両国国技館以上に、日本の神聖な会場として認識されており、世界最大のプロレス団体「WWE」の日本公演にも使用された実績があるそうです。

ただ、日本武道館は各種格闘技興行に限らず、有料の興行・イベントに使用する場合、「団体が1年以上経営・存続されていること」「興行での黒字収支が見込めること」などなどの会場使用条件が大変に厳しい会場として知られ、このためもあって、プロレス業界自体が低迷している現在では、日本武道館での興行自体が少なくなっているそうです。

とはいえ、ボクシングや、プロレス以外にも数々の格闘技が行われる「メッカ」として今も日本武道館は君臨しており、古くは、「キックボクシング」でも、1969年6月28日に行われた「東洋チャンピオン・カーニバル」の会場として使用され、このときはメインイベントで「沢村忠」が東洋ライト級王座初防衛を成功させています。

K-1も、1994年に旗揚げ2度目となる興行を日本武道館で開催して以降、2004年のK-1 WORLD GP開幕戦、2002年にK-1 WORLD MAXの初代王者を決めるトーナメント決勝戦が行われ、2007年から2009年までは主会場として使用するなど、K-1でも重要な会場のひとつとされています。

私はあまり格闘技には詳しくなく、K-1ぐらいまでは何とか知っているのですが、このほか総合格闘技としてでは「VALE TUDO JAPAN」とか「PRIDE」なるものもあるそうで、こうした格闘技も武道館でよく行われるそうです。

最近では、2010年4月25日に、吉田秀彦さんの引退興行「ASTRA」も開催されたそうで、ちなみに、吉田さんが柔道選手として出場した最後の公式試合も、2002年に日本武道館で開かれた全日本柔道選手権ということです。

さて、こうした武道ばかりでなく、日本武道館は、ミュージックアーティスト達の「殿堂」としても有名です。

現在ではコンサートやライブなどの各種音楽イベントでの使用が、日本武道館の収益の中で最大級のものの一つだそうで、大道場(アリーナ)の使用スケジュールは年間を通して「びっしり」という状況のようです。

上述のように、日本武道館の席数は最大で15000席弱ですが、コンサートホールとして使用する場合には舞台設営や観覧のしやすさなどを考慮すると、一般的には8000席から10000席程度くらいしかお客さんを呼べないといいます。

しかしそれでも、首都圏における主要な大型会場の1つであることには変わりなく、特に日本を中心に活動するミュージシャンにとっては、日本武道館はコンサート会場として極めて重要な位置づけに置かれているといいます。

10000人と簡単に言いますが、コンサートでこれだけの人数を集め、収益・内容の両面で成功に至らせることはなかなか容易なことではありません。

上述の格闘技と同様に音楽・芸能の有料興行のために使用するための会場使用条件も大変に厳しいそうで、アリーナを借りるためには、プロレスと同じように黒字収入が見込めることや、備品・設備の破損時の弁償といった、費用面も含めて様々な条件をクリアしなければならないといいます。

このため武道館公演の成功は、その公演を行うミュージシャンの「力量」によるところが大きく、大規模会場での大型興行も充分に務め上げられるだけの「一流」であることが求められます。

このため、日本武道館でコンサートを開くことができるミュージシャンは、興行能力・集客力を持っていることを業界の内外に誇示することができる、という意味で一種の「ステイタスシンボル」であり、1966年にここでコンサートを行った「ザ・ビートルズ」がその元祖といえます。

その後も1968年のザ・モンキーズ、1972年のディープ・パープル、1975年のクイーンなど、海外でビックネームを持つミュージシャンの来日公演の場として使われてきましたが、日本人の中でもロックや演歌、アイドル歌謡などのジャンルの中で「一流」を目指す人たちのメッカとなってきました。

ベテランのみならず、新人やデビュー前のミュージシャンでさえ「武道館公演の実現」を憧れとし、日本武道館での公演を「目標」とする風潮が生まれました。

また、グループやアイドル歌手などの中には、武道館で公演することが「一流」である自分たちの活動の節目と考える人たちも現れ、解散や引退の記念として1度きりの武道館公演を実施した人なども数多くいます。

しかし、逆にこのような大規模会場を好まず、武道館級以上の規模の施設ではライブをしないことを公言しつつ活動するミュージシャンも多く、有名なところでは、山下達郎さんなどもその一人です。

同様にNHKの「紅白歌合戦」などの有名テレビ番組への出場を拒む「大物ミュージシャン」も多く、これくらいのクラスの人になると、むしろそうした華々しい場所へ顔を出さないことこそを自分たちのステイタスとしており、それはそれでまたファンの目には「潔い」とか「奥深い」と映り、より崇高な芸術家とみなされたりもします。

逆にそのことによってさらに人気が高まり、これはこれでまたそういう方たちには、ある種の商業的価値が出てくるわけで、面白いといえば面白いものです。

2009年に武道館で初のアリーナ公演を開催した「スピッツ」さんも、その後は日本武道館の使用を意識的に避けているグループのひとつだそうです。その理由はよくわからないのですが、聞いた話によれば、「アリーナ公演に意味を持たせたくない」という意味のことをおっしゃっているようです。

おそらく、「日本武道館」での公演の継続は、その名を借りての自分たちの名声につながっていくことを意味する、自分たちはあくまで自分たちのミュージックにこだわって勝負したい、とおっしゃっているのだと思います。

その道の一流といわれる人は、「道具」や「場」にこだわってはいけない。「本物」はたとえ平凡な道具でも、ありふれた場所でも勝負できる。一流であるべきは自分の内面であり、勝負で生かせるのは磨き上げた自分だけだ、ということなのでしょう。私も「プロ」という者はかくあるべきである、と思います。

と、いいつつもまあ、武道館でコンサートを行うこと自体は、一流なのか一流でないのかわかりませんが一般?のミュージシャンにとっては大きな影響力を持つことは間違いありません。

これからも武道館は、ミュージシャンにとっての「殿堂」であり続けるのでしょうが、とはいえ、「日本武道館」はその名の通り、本来は音楽を主目的に建設した施設ではありません。

このため、コンサートホールとしての音響性能では、音楽演奏を主用途に設計されている専門のコンサートホールに遠く及ばず、良好な音質で観客に聴かせる場としてはあまり上等な場所とはいえないそうです。

ザ・ビートルズの来日公演では、ステージ上のギターアンプの生音と会場据付けの一般向け放送装置を使った「ボーカル」音声だけで開かれたことから、結果として演奏が全く聞こえない席が存在したといわれます。

このため、こうした問題の改善のため、現在に至るまで様々なノウハウが開発されてきているそうで、日本武道館でコンサートを開くため、それ専用の舞台音響設備が開発されるなどの歴史があります。

そうした機器の開発はそれはそれで大変だったでしょうが、現在ではこうして日本武道館で培われたノウハウが、同様に音響面で難を抱える全国各地の多目的ホールや体育館などでのコンサートにも応用されているそうです。

そうした意味では、有名アーティスト、「一流」といわれるミュージシャンと言われる人たちが日本武道館のような「音楽を聴くのに適さない」場所で公演すれば、そうした技術にさらに磨きがかかるではないか、という見方もできます。しかし、それは何も日本武道館である必要はありません。

以前、山下達郎さんの奥様の「竹内まりあ」さんが、信州八ヶ岳山麓の野外音楽堂で、ピアノ伴奏だけで歌っていらっしゃるのをテレビで拝見したことがありますが、八ヶ岳山麓の美しい風景と優れたピアニストさんの伴奏もあいまって、なかなか素晴らしいものでした。

武道館で自分のコンサートをぜひ開きたい、それが一流への道だ、と考えているアーティストさんたちのお気持ちもわかります。が、こうした音楽の「原点」のようなものをもう一回考えてみてはいかが?という方もいるのは確か。アーティストさんだけでなく、ファンの方々もその意味を今一度考えてみるべきかもしれません。